101. 橙翼の君主
「いい加減にしろよ。俺は仕事だっつってんだろ」
不機嫌そうに――いつものことだけど、不機嫌を丸出しにしてダクトベアが女性の要求を突っぱねる。彼女には優しいとか、そういうギャップはないみたいだ。
「つーかお前が買い物したいだけだろ。んなのに付き合っていられるかよ」
「仕方ないじゃない」
不満そうに眉を下げ、女性が強い口調で言い返す。
「ひとりだと旦那がうるさいんだから」
「知らねぇよ。お前んとこの夫婦の事情に俺を巻き込むんじゃねぇ」
「いいじゃない。家族なんだから」
「俺は便利屋じゃない」
腹立たしそうに舌打ちすると、ダクトベアは『あっちいけ』とばかりに手を振った。
照れ隠しでもなんでもなく、本当に嫌そうな雰囲気。
家族……。
わくわくしていた気持ちが困惑と混乱に変わっていくのを感じながら、私は喧嘩するみたいに話す二人の様子を黙って見ていた。
旦那とか夫婦って言葉が出てきた時点で、なんかちょっとおかしいなとは思ったんだよね。恋人じゃなくて家族だったんだ? でもこの二人がもう結婚しているってわけではないよね、『旦那』と『ダクトベア』が同じわけないから。となると、この人って……。
「そもそも本当に仕事なの?」
と、急に女性が、私のほうに目を向けてきた。
「女の子と待ち合わせて仕事? なんでそんなバレバレの嘘をつくのよ」
「詮索すんな。こいつは仕事の関係者だよ」
「新しい彼女じゃなくて?」
「は? 気色悪い想像してんじゃねぇよ」
ぞっとしたような顔をして、ダクトベアは女性の推察を否定した。
え……まぁ実際そのとおりではあるけど?
なんかむかつく!
本人の前で『気色悪い』って、それはかなりひどくない?
ダクトベアのあり得ない発言を聞くなり、気まずいような戸惑いはさっぱり消えて、私の心にはめらめらと気に食わない怒りの炎が生まれてきた。
私だってダクトベアと恋愛したくはないけど、そういうこと言われるとちょぴっと傷付くんだから! もうブロークンハートだよ! むきむきーって怒っちゃうんだから!
むっとして、ダクトベアの背中をきつくにらんでいると、
「ふーん。女の趣味が変わったわけじゃないのね」
なんだかつまらなそうに、桃色の髪の女性はそうつぶやいた。そして、
「ならいいわ。あんたの仕事に巻き込まれたくないもの。またね~」
「は? もう二度と会いに来んな」
「嫌よ。今度は子供たちを連れてくるわ、楽しみにしていなさい」
「来なくていいっつってんだろ」
「何よ、素直じゃないわね。みんな叔父さんに会いたがっているっていうのに」
「金づるに会いたいだけだろ」
「ちがうわよ。心が狭いのねぇ。なーんでこんなひねくれた男に育ったのやら」
「上にでけぇ問題児がいたせいだろ」
「は? 何か言った?」
「……んでもねぇよ。さっさと失せろ」
「何よ、その言い方。あんた五歳児からやり直したほうがいいんじゃない?」
「うるせぇな。てめぇには言われたくねぇよ」
話が終わって帰るのかと思いきや、それからしばらく、二人はなんやかんやと揚げ足取りみたいな言い合いをしていた。
仲がいいのか、悪いのか……。
微妙な感じだけど、本気で怒っているときのような怖い空気感はないから、きっと本当は仲良しなんだと思う。これが兄弟喧嘩ってやつなんだね、初めて見たよ!
二人の言い合いはいつまでも続きそうな雰囲気だったけど、大人の事情で延々と続けるわけにはいかないのか、やがて女性は寂しそうに帰っていって、
「お姉さん?」
そうだと思うけど、一応確認してみると、
「あぁ。姉貴だよ」
吐き捨てるように肯定された。
「時間を無駄にさせて悪いな。行くぞ」
「あ、うん」
別に無駄な時間だったなんて思っていないけど……。
急ぐようにダクトベアが歩き出すから、私も急ぎ足でついていった。
大通りに出てすぐ、裏の小道に入っていく。人目を避けているのか、細い道を渡り歩くように進んでいく。うねうね何度も曲がって進み、今どこにいるのかさっぱりだ。
黙って歩いていると、少し不安になってきて、
「お姉さんがいるってどんな感じ?」
尋ねてみると、ダクトベアはちらっと振り向いて答えた。
「いいもんじゃねぇよ。毎日、暴君に支配されている感覚だ」
「そうなの? いつでも遊び相手がいて楽しそうなのに」
「優しい兄貴や姉貴がいればそうかもな」
ちょっとうなずいて、それからダクトベアは愚痴を吐き出すように、
「うちのはあれだから毎日地獄だったぜ。あいつは弟をパシリとしか思っていない」
「ふぅん」
なんだか過去に、大変なことがあったみたいだ。
私には兄弟がいないから、ぜんぜん想像がつかないけど……。
「仲悪いの?」
「……好きではないな」
答えにくそうにしゃべって、ダクトベアは呆れた目をじろりと私に向けた。
「つーか、さっきの言い合い聞いてりゃ分かることだろ」
「うーん? そう? 喧嘩するほど仲がいいのかなって思っていたけど」
「は? 目が腐ってんな。あれで仲がいいわけないだろ」
「そうなんだ。兄弟喧嘩って、あれが普通じゃないんだね」
「当たり前だろ。……ま、兄弟がいねぇ奴には分からないのか」
呆れたようなため息をこぼすと、ダクトベアはまた前を向いてずんずん歩き出した。
やけに急いでいるなって不思議に思いながら、私はダクトベアを追いかけ、
「ねぇ。他の人にも兄弟っているの?」
「ボスにはいねぇよ。ジャッカルには妹がいたな」
「いた?」
聞いてみると、なぜか過去形の答えが返ってきた。
どういうこと? 昔はいたけど、今はいないの? そんなことある?
「悪魔に食われて死んだんだよ」
考えていると、ダクトベアが淡々と言った。
「俺たちの親も同じときに死んだ。ま、親は子供より先に死ぬのが当たり前だけどな」
「えっ。……なんかごめん」
「気にすんな。かなり昔の話だ」
しゃべっているダクトベアの声には感情がない。
思い出してつらくなること聞いちゃったなって、私の心には後悔があふれていたけど、本当に気にしていないようだ。でも後ろめたいような気まずさはなくならないから、
「そういえば、私に聞きたいことって何? また何かあったの?」
ちょっと強引に話を変えてみる。
ライオネルたちに見つかったら、エルクやジャジと一緒に早くサンガ村に戻れって言われると思っていたのに、私だけマーコール邸に呼ばれるなんて不思議だ。
何の話をしたいんだろう? また事件が起きているの?
「まぁそうだな」
歩きながらうなずくと、ダクトベアは振り向きざまにじろっと私をにらんできて、
「ここでするような話じゃねぇから、マーコール邸に向かってんだけど?」
「あ、そっか」
「つーかお前、なんで王都に来てんだよ。もう来ないってボスと約束していただろ?」
「あ、うん、それは、えーっと」
まずい! 思いがけず、嫌な方向に話が転がってしまった。
いつかは指摘されることで、避けられないのは分かっていたけど、いざ実際に聞かれると想像の十倍以上は緊張して、本当に悪いことしちゃったなって気持ちになってくる。
約束を破ってごめんなさい……。
「これには、やむにやまない事情があって、」
「くだらねぇ」
と、言い訳の途中で、ダクトベアがぼそっとつぶやいた。
ちょっと? まだ何も説明していないんだけど?
「決めつけないでよ」
「あぁ? 聞かなくても分かることだろ」
「なら聞かないでよ。聞かれたから答えようとしたのに!」
「答えろとは言っていねぇ。……っと。こっちはまずいか」
十字路をまっすぐ進もうとしたダクトベアが、不意に足を止めて右を向いた。
……道を選んでいる?
さっきからぐねぐね進んでいて、なんか変だなとは思っていたんだよね。でもダクトベアだから、変なところに連れていかれるなんてことはないはず。……そうだよね?
「何かあるの?」
「パレードだよ」
疑問をぶつけると、ダクトベアはすぐに答えてくれた。
「教会のトップの顔見せイベント」
「楽しいやつ?」
「別に。騒ぎたい奴らが好きに騒いでいるだけだ。ま、屋台は楽しいかもな」
「へぇ!」
「言っとくけど、行かねぇからな。お前は自分の立場をわきまえろ」
「私の立場?」
「……めんどくせぇ」
ちょっと?
面倒だから回答拒否なんて、グリームみたいなことしないでよね!
まぁ教会のトップっていうのは、神官の一番えらい人のことだろうから、私が見つかったらまずいってことを言いたいんだと思うけど。
うろうろ道を探すダクトベアについて歩きながら、もう、しょうがないなって私はこっそりため息をついた。
嫌な態度でちょっとむかつくけど、本当は優しいって知っているから許してあげる!
「ダメだな。しばらく通れない」
それから、あっちこっち動き回ること五分くらい。
パレードのせいで大きな通りを渡れなくなっているらしくて、ダクトベアは細い道の途中で立ち止まると、建物の壁に寄りかかり、ため息をついて髪をかき上げた。
「終わるまで待つか」
「どのくらいかかるの?」
「さぁな。一時間はかかんねぇよ、きっと」
「えっ。……暇だね」
うそでしょ? ここで――建物の壁に囲まれた、なんにもない細い道の途中で一時間も待機するの? 退屈すぎるんだけど?
信じられない気持ちでダクトベアを見上げると、
「仕方ねぇだろ。こんな日に王都に来たお前が悪い」
「え? 知らなかったんだから仕方ないじゃん」
「そもそもなんで王都に来ているんだよ」
「それは……」
何? また同じ質問?
ついさっき『くだらねぇ』ってつぶやいて、私が話す邪魔をしてきたのに、結局また聞いてくるの? 意味わからないんだけど?
「くだらない答えは聞きたくないんでしょ?」
「根に持つなよ」
しかめ面をして、ダクトベアは小さくため息をついた。
「どうせくだらない理由だろうが、暇だから聞いてやるよ。つーか洗いざらい話せ。じゃないと、休日返上して立ち往生することになっている俺の気が休まらねぇ」
「ふぅん。今日、お休みの日だったんだ?」
だからお姉さんとお出かけしていたのかな?
大人は休みの日に、そういうこともするんだね。
でも、休みの日がなくなっちゃったのはかわいそうって少し思うけど、
「私が頼んだわけじゃないよ?」
休日返上して迎えにきてなんて、私は頼んでいない。
ひとりだって、私はちゃんと帰れるよ?
私をマーコール邸に連れていきたくて、勝手に迎えにきたのはそっちでしょ?
まぁジャッカルがそう頼んだんだろうけどね!
「は? お前が王都にいて放置できるかよ」
不機嫌そうに、吐き捨てるようにダクトベアは言葉を返した。
「お前が見つかったら俺らもやべぇんだよ。勝手なことするなっつーの」
「なんで? 好きにしていいじゃん」
「チッ。これだからバカの相手は……」
「バカじゃない! バカにしないでよ!」
そんなこんな喧嘩未満の言い合いをしていると、そのうち、大通りのほうがいっそう騒がしくなってきた。いよいよパレードが、私たちの近くを通過するらしい。
どんなものなのかなって、興味はあるけど見るのは我慢だ。
神官に見つかるのは私も嫌だからね。
わーわー響く楽しそうな声を、いいなってうらやましく思いながら聞いていると、
「?」
ぞくり。
なんだか急に、寒気がした。
下から上に、ドライアイスで背中をなでられたように急に体が冷たくなって、ぞわぞわっと嫌な感じがする。ぶつぶつ鳥肌が立って、あたりの空気はあったかいはずなのに寒くてたまらない。
自分で自分を抱きしめながら、私はその場にしゃがみ込んだ。
なんで?
分からないけど、怖い! まずい! ダメ!
絶対に見つかっちゃいけない!
直感がびんびん警告を発している。逃げろ、隠れろって叫んでいる。
でも何から? 誰から?
私は何を怖がっているの?
自分でもさっぱり分からなくて、混乱する。
「おい、どうした?」
うずくまって体を震わせていると、私がおかしな状態になっていると気付いたのか、ダクトベアが声をかけてきた。
でも大丈夫とは言えないし、自分の状態を説明することもできないし……。
寒くて、苦しい。
とりあえず何かしゃべろうとしたら、そのとき、大通りの歓声がまた大きくなって、
「隠して」
理由は分からないけど、気付いたら私はそう言っていた。
……隠す? 何から? あの向こうには何がいるの?
疑問ばっかりだ。そしてそれはダクトベアも同じで、
「は? 隠すってお前……」
「いいから。隠して」
「いや、何から隠すっつーんだよ」
当然の疑問をぶつけてくる。
うん、そうだよね。不思議だよね。
でも私もよく分かっていないんだ。でも隠してほしいんだ。
じっと動かないでいると、そのうちダクトベアは大通りに背を向け、私の前でしゃがみ込んだ。そして『どうしたんだよ』とか『変なもの食ったのか?』とか、ちょっと心配そうに尋ねてくる。私が答えないでいると、代わりに子猫サイズのグリームが、『教会のトップというのは、白の王のことかしら?』とか『あれの空気に当てられているようね』とかしゃべり出して、あ、ダクトベアと会話する気あったんだって少しびっくりだ。
ていうか、グリームは何か知っているの? また秘密?
意地悪しないでよって何度も言っているのに……。
抗議しようと思ってちょっと顔を上げたら、その瞬間、ダクトベアの肩の向こうに、明るいオレンジ色の翼が見えた。私が知っているどんな鳥の翼よりも大きくて、頑丈そうで、きらきらした光の粉をまとっている不思議な翼。
あれだ! あれがダメなんだ!
それを見るなり私はすぐ頭を下げて、ダクトベアの陰に隠れるように体を小さくした。
あれに見つかるのはまずい! 見つかったら帰れなくなっちゃう!
見つかりたくない、見つかりたくない……。
「おい? おい、しっかりしろ!」
目をつむって必死で祈る。
すると遠くで、そんなダクトベアの声が聞こえたような気がして……。
いつの間にか、私は気を失っていたらしい。




