100. 橙翼の君主
突然のジャッカルの登場に、私は驚きを隠せなかった。
どうして王都にいるの?
出発するとき、誰にも見られていないことはしっかり確認したはずだ。
それに今朝、ジャッカルとは拠点で会っているから、知らない間に仕事が入って移動していたってわけでもないはず。そもそもジャッカルが、私に何も言わないで、サンガ村から急にいなくなるなんて考えにくいし……。
ってことは、飛んでいるグリームを見られた? それで追いかけてきた?
ジャッカルが魔法で、王都まで飛べることは知っている。
……どうしよう?
約束を破ったことがバレてしまって、私は内心でものすごく焦った。
追いかけてきたってことは、それだけ怒っているってことだ。
悪いことだと分かってはいたけど、怒られる覚悟はできていない。
まずいよ! 見つからないで、完璧な秘密にするつもりだったのに。
ライオネルに嫌われたらどうしよう。約束を破る人とは一緒にいたくないって、もう仲良くしないって言われたらどうしよう。謝っても許してくれなかったらどうしよう……。
たちまち不安があふれてくる。
どうやって言い訳しようかなって考えていると、
「勝手に村から出たらダメだろ」
ぎゅっと眉を寄せたジャッカルが、きつい口調で話しかけてきた。
「休みの日だからって、何をやってもいいわけじゃない。村の外に出ると危険だって、何度も教えているだろ。心配したんだからな。サレハもかんかんに怒っているぞ」
「えっ」
それを聞いた途端、エルクが一番に反応して、さっと青ざめた。
恐怖と不安が入り混じった表情を浮かべている。動揺したようにおろおろと視線を揺らすと、言いにくそうにもごもごと口を動かして、
「ジャジがどうしても王都に行きたいってごねるから、仕方なく……」
「は⁉ 俺のせいにすんなよ! お前も楽しみにしていたくせに!」
「俺はお前が変なことをしないか見張っていただけだ! 一緒にするな!」
「は? 一緒だろ! 俺と同じことやってんだから!」
言い逃れしようとして、ジャジとの喧嘩が始まった。
え、なんでそんなに必死なの?
どうしたんだろうって、私はその反応を少し奇妙に思った。
怒られるのは私だって嫌だけど、ジャジを見捨てるようなことを言って、自分を守ろうとするなんてエルクらしくない。悪いことをしたら、言い訳しないですぐ謝る、素直な優等生タイプの子供だと思っていたのに。実はそうじゃなかったんだね……?
意外だなって思いながら、二人のくだらない言い合いを聞いていると、
「仕事がなくなったらどうしてくれるんだよ!」
上擦った声でエルクがそう叫んで、そういえばジャジとサンバーが言い合いをしていたとき、喧嘩をすると評価がどうこうとか、いい働き口を紹介してもらえなくなるとかなんとか、そんなことを話していたなって思い出した。
よく分かんないけど、いい子にしていないと働けなくなる感じ?
それで怒られたら働けなくなるかもって心配して、ジャジに責任を押し付けようとしているの? まぁ実際、言い出したのはジャジでエルクはついて来ただけだけど……。
「せっかく仕事が決まったのに! おじゃんになったら、お前のせいだからな!」
「は? 知るか! 勝手についてきた奴が悪いんだろ!」
「ちがう、お前が悪い! 金持ちになりたいなんて妄想を口にしなければ……」
「あー、いったんストップな。お前らどっちも落ち着けって」
険悪な雰囲気でにらみ合う二人の間に、呆れたようなジャッカルが割って入る。
「ここで言い争ってもどうにもなんねーよ。言い訳ならサレハにしようぜ」
「……帰りたくない」
青い顔で、エルクがぼそっとつぶやいた。
なんだか気分が悪いみたい。私はあんまり想像がついていないんだけど、仕事がなくなるかもしれないっていう恐怖がすごく大きくて、ストレスになっているようだった。
ふーん? 仕事ってそんなに大事なことなんだ?
「お前がそんなこと言うなんて珍しいな」
目を丸くしたジャッカルが、怯えるエルクに優しく声をかける。
「ま、怒られる覚悟はしておいたほうがいいだろうけど、そんな大変なことにはならないって。サレハは情に厚い奴だろ?」
「……」
「ちゃんと反省すれば許してくれるって。帰ろうぜ」
「……うん」
説得されて、エルクは憂うつそうに小さくうなずいた。
さっきまでの興奮が嘘のよう。ドングリのコマが完売したことを、ついさっきまですごく喜んでいたのに、今はすっかり意気消沈して元気がない。
一方のジャジはといえば、『まずいなー』って感じの顔をして静かにしている。
反省しているのか、していないのか、微妙な雰囲気だ。『王都に行きたい』って言い出したのはジャジだけど、エルクほど今後のことを心配していない様子。
普通は態度が逆じゃないのかなって思うけど、まじめなエルクとちがって、ジャジは怒られてもノーダメージっぽいからなぁ……。
「ルーナさん」
と、不意にジャッカルが私の名前を呼んだ。
少しびくっとして見上げると、
「……いや、うーん」
ジャッカルは困ったように首を傾け、悩むようにうなった。そして、
「とりあえずマーコール邸。場所は分かるか?」
「分かんない」
「じゃあダクトベア呼ぶわ。ここにいるのはやばいから、いったん移動しよう」
「なんで?」
「なんでって……、いや。俺がいま説明するのは無理」
「?」
「とにかくこっち来てくれよ。ここにいると見つかるぜ」
「誰に?」
「……いや、さすがに分かるだろ?」
苦笑すると、ジャッカルは子供たちを促して歩き始めた。
あっさり回答を放棄されて、私はちょっと不満に思った。でも私が見つかってやばい相手といったら、神官しかいない。確かに聞かなくても分かることではある。だけど……。
どうしてここにいると、神官に見つかるの?
なんでそんなことが分かるの?
私、何かまずいことした?
疑問だらけだ。
まぁジャッカルの言うことだし、本当に見つかったらまずいから移動するけどね。
考えながら、薄暗くて細い道を黙々と歩いていく。
しばらくすると、ジャッカルは大通りが見える道の途中でふと立ち止まって、
「ちょっと待ってな」
そう断りを入れ、私たちから少し離れていった。
そして懐から機械のようなものを取り出し、何やらぼそぼそとしゃべりかけると、
「すぐ来るってさ。ところでお前ら、どうやって王都に来たんだ?」
振り向くなり、不思議そうな声で尋ねてくる。
あれ? 知らないんだ?
王都に向かうグリームを見つけて、追いかけてきたわけじゃないの?
戸惑っていると、エルクとジャジが顔を見合わせて、
「秘密だぜ」
「それは言えないです」
少し緊張したまじめな顔で、口々にそう答える。
うわ! 二人ともえらいね!
それを聞いて、私はちょっと感動した。
ジャッカルはグリームのことを知っているし、王都にいるってバレた時点でもう終わっているから、暴露しちゃっても問題ないんだけどね。
グリームのことは秘密だよって約束、ちゃんと守ってくれているんだ!
「秘密?」
ところが、そんな事情を知らないジャッカルからすると、二人はこの期に及んで悪い企みを隠している子供たちに見えてしまう。
不快そうに眉をひそめると、ジャッカルは叱るような怖い顔をして、
「おい、お前ら……」
「グリームに乗ってきたんだよ」
二人に詰め寄りそうな感じだったから、その前に私が答えを教えた。
「魔法使いに知られたらまずいから、グリームのことは秘密だよって私が口止めしていたの。その子たちは約束を守ってくれただけ。責めないでちょうだい」
「あー……、そうなのか」
するとジャッカルは、何とも言えない表情を浮かべて天を仰いだ。
参ったような、言葉を失っているような、そんな感じ。
「ルーナさん。……うーん、やべぇな」
「何が?」
「やばいって分かっていないところがだよ。マジでやべぇ」
「? 私にも分かる言葉でしゃべってくれない?」
「そういうのはダクトベアが得意だぜ」
にかっと笑って、ジャッカルは人を探すようにきょろきょろした。
「もうそろそろ来るはずなんだけど……」
「バカはどこだ?」
あ!
そのとき、大通りのほうからダクトベアがやって来た。
花の刺しゅうが入ったシャツを着て、濃い赤のてかてかしたズボンを穿いている。この前マーコール邸で会ったときのような、ちょっと貴族っぽい格好をしている。
でも中身はダクトベアのまんまだね。
開口一番、私をバカ呼ばわりしてくるなんてひどい!
私はむっとして、バカじゃないって言い返したかった。
でもエルクとジャジの前だからやめておく。
今の私はお姉さんだからね。子供っぽい姿なんて見せたくない。
無言で不機嫌オーラを発していると、
「サンキューな。じゃ、俺はこいつら連れて帰るから」
安心したような声で、ジャッカルがダクトベアにそう言った。
「あとは頼んだぜ」
「おう」
短く返事をすると、ダクトベアは私のほうに向きなおって、
「タイミングがいいんだか悪いんだか。ちょうどお前に聞きたいことがあったんだ」
「え?」
「行くぞ、こっちだ」
タイミングがよくて悪い? 聞きたいことがある?
なんだろう、どういうことだろうって戸惑っていると、ダクトベアは手招きして速足で大通りのほうへ歩き出した。ちょっと? 説明してから動いてほしいんだけど……。
「待ってよ!」
「おい、なんでまだいるんだよ。さっさと消えろ」
え?
意地悪やめてって思いながらダクトベアを追いかけ、歩くの速すぎるよって声をかけた瞬間、急にイラついた声でそんなことを言われて、私はにわかに緊張した。
どうしたの? 私、何か悪いことした?
さっぱり理解できなくて、どうすればいいんだろうって不安になる。
おろおろしていると、やがて大通りのほうから、
「つれないこと言わないでよ。あんたには女性を家まで送る甲斐性もないわけ?」
言い返すような、知らない女の人の声が聞こえてきてちょっと安心した。
……なーんだ。よかった。
どうもさっきの言葉は、私に向けてしゃべっていたものではないらしい。
でも、いったい誰と話しているの?
気になって、追いついたダクトベアの背中越しにこっそり様子をうかがってみる。
すると、つやつやした桃色の長い髪、生き生きと輝いているきれいな瞳、きらきらした耳飾り、赤と黄色で奇妙な模様が描かれている風変わりな目立つ服……ぱっと目を引くような、きれいな大人の女性が、仁王立ちしてダクトベアをにらんでいた。
え! もしかして、この人って……。
途端にある可能性に気付いて、私はわくわくしてきた。
「ふざけんな。んなことしなくても自力で帰れんだろ」
「送ってほしいって言っているの。私みたいなか弱い女がひとりで歩いていたら、野蛮な浮浪者に襲われるかもしれないでしょ。このあたり、物騒な話が多いんだから」
「はっ。誰がか弱い女だよ。寝言は寝て言え」
「はぁ? ダクトベア、口の利き方には気を付けな」
二人は決して、仲良しな雰囲気ではない。
でも喧嘩するほど仲がいいって言うし、二人はお互いに、一切の遠慮なしにしゃべっているようだった。つまり、気の置けない間柄、深い仲だってこと。
きっとそうにちがいない!
確信して、私はどきどきしながら二人を見守った。
この人、きっとダクトベアの彼女だ!
ダクトベアが恋愛している相手だ!
今後の展開を想像しただけで、わくわく、うきうきが止まらない。
これはなんだか、楽しい予感がするね!




