自己犠牲は時に攻撃性を内包する
川沿いの町、シセルニア。布と宝石が豊富で、かつては町中煌びやかに飾られていたらしい。
だが、現在は敵国であるペールの手に落ちている。美しい布を一枚挟んだ向こう側に、刺客が潜んでいる可能性は捨てきれない。
俺と狂咲は肩を並べて、わざと大通りを目立つように進んでいく。
「……いる」
「いるね。5人」
前方左の建物の上。その向こうの路地裏にも。
更に奥には、何倍もの数が潜んでいるのだろう。
俺たちが進むと、敵兵は無防備に近づき、尋ねてくる。
「使者か?」
「いや」
「降伏か?」
勘違いさせた方が良いのだろうか。俺は狂咲の方を見て、確認する。
狂咲はステータス画面を取り出して、振り上げる。
「その必要はないよ、積田くん」
狂咲は素早く、縦に画面を振る。
ヘルメットをつけた人間の頭が、スイカより容易く割れていく。
……死。あまりにも、呆気ない死。
「(やるか)」
奥の敵が怯んでいる隙に、俺は突撃する。
路地裏の兵に土魔法を一撃。壁を蹴って跳躍し、屋根の上の敵に一撃。
そのまま周囲を見渡し、敵の偵察と思しき数名を狙い撃ち。
まだ、誰も殺していない。……いや、殺していないと思い込んでいるだけだ。何人かは気絶で済まず、脳挫傷で死んでいるかもしれない。
ただ俺が甘っちょろいだけだ。確実に殺せる方法を選ぶ勇気が無いだけだ。
俺は狂咲と合流する。
彼女は敵の装備を剥ぎ取り、身分を確認している。
「雑兵だね。大した装備はないみたい。警戒しなくてもよさそうかな」
「そうか」
ステータス画面で防ぐ必要さえない。加護によって硬くなった体で十分だ。
俺たちは大通りを派手に駆けていく。
町の奥が騒がしい。前線にいる兵の死を感じ取ったのだろう。
その、忌避されるべき人の死を、俺たちの手で拡げていくのだ。気が滅入る。
俺は街角に落ちていた瓶に魔力を込め、回路を仕込んで魔道具にする。
そして、遥か遠方に投げ込む。
着弾。爆発。火の魔法と風の魔法が融合し、暴れ狂って急速に燃え広がっていく。
広場に人が集まっている気配があったので、まとめて始末したかったのだ。
「派手だね……」
「人をあそこに集める。固まってもらわないと、少数での制圧は……」
後ろに騎士団がいるとはいえ、なるべく俺たちで倒さなければならない。
俺たちは爆発を起こした広場に飛び込む。
野営中だったらしく、テントや木箱が焼けて吹き飛んでいる。
見たところ、敵勢力はまだ生きている。火を払ったり、散らばった物を隅に押し込めたりしている。
……俺は甘い。故に、彼らに『呪い』を向けることはできない。
俺は土魔法の銃弾を生成し、指先から放つ。
「『土の指:パドマ』」
目に入った順に、石弾で頭を撃つ。
1人。2人。3人。……数えないことにしよう。
魔力球や毒矢が飛んでくるが、遅い。簡単に避けられる。
「(ステータスは動体視力にも影響があると言っていたな……)」
幼女神のマニュアルには、そのようなことが書いてあったはずだ。もしかすると、内臓などの目に見えない部分も変化があるのかもしれない。
脳に変異があるならば……今の俺の奇妙な精神状態にも、わかりやすい説明ができる。
俺は今、まるで違うことを考えている。天気のことを考えている。雨が降ったら嫌だと思っている。
敵兵の腕を折りながら、この町の医療について考えている。衛生兵はいるのだろうか。治癒魔法なるものは見覚えがないが、ペール国にはあるのだろうか。
ああ。俺はきっと、おかしくなってしまったのだ。そうでなければ、殺す相手の顔さえ見ないなんて、そんな責任逃れじみたことをするはずがない。
俺は槍を避けて、拳で折る。
新兵らしい若い顔。その決死の表情が映り、俺は目を背ける。
見たくない。見たくない。死を見たくない。俺による死を、見たくない。
それでも、殺さなければならない。生き延びるために。平穏な生活を守るために。
「『ロック、解除』」
外套の内側から魔道具の銃を取り出し、連射する。
銃弾は土魔法による石つぶて。形状は未熟だが、魔力による独自の推進力により、地球のそれと大差ない威力を発揮する。
敵兵たちから血が吹き出し、倒れ伏していく。
死んだ。きっと死んだのだろう。何人かは生きているはずだが、死人の方が多くなったはずだ。
俺は人差し指を引き金から離し、銃声を止ませる。
遠くに足音。魔力の気配。
「逃げる気か」
逃げる敵を追いかけて撃つべきか、俺は悩む。
そして……撃たない選択をする。
俺はここで注目を浴びて、敵戦力を集めるべきだ。逃亡者を追って移動したら、それが叶わない。
……そんな理由をでっちあげて、俺はひとりの命を助ける。
どうか生き残ってほしい。そう願いつつ、俺は更なる殺戮を繰り広げる。
「第二波か」
「みたいだね」
広場の周辺を駆け回っていた狂咲が、返り血に塗れた姿で合流する。
何人殺したのだろう。数えきれないほどだろうか。……触れない方がいい。触れたくない。
「見つけたぞ!」
俺は新たな敵兵たちと共に目の前に現れた、奇妙な荷車を見つめる。
運び手は数十人の兵隊たち。乗客は、魔法陣が描かれたキャンバス。
「あれはなんだ?」
「意味がわからないね……。何の魔法だろう」
俺たちは銃撃で敵数を減らしつつ、ステータス画面の盾越しに様子を見る。
すると、荷車の前にいたペール兵が、何やら怪しい様子で万歳をする。
「ああ、力よ。我が内に眠る力よ! 人の真なる可能性を引き出したまえ!」
万歳と同時に、彼は血涙を流す。
ぎょろりとした眼球から、滝のようにこんこんと溢れ出す血液。あれは尋常ではない事態だ。
彼を止めるために、俺は銃を撃つ。
しかし、何発もの銃弾を撃ち込まれようと、彼は応えない。術が既に発動しているからだろう。
魔法陣が妖しく光り、男を魔力の塊へと分解していく。人間を骨と肉に分けていくかのように、丁寧かつ冒涜的に。
「儀式は成った! 皆で続け!」
「うおおおおっ!」
おぞましい掛け声と共に、複数人の肉と魔力が混ざり合い、融合し、新たな肉体が形成される。
ペール国の男たちは今、濃い紫の体に蝙蝠のような翼を持つ、魔物と化した。
「裏儀式……!」
かつて人間だった魔物は、理性を失った顔でこちらに襲いかかる。
「いのち……もッと……モット、殺ス!」
人間を超えた速度。2メートルを超える巨躯。踏み込みだけで道路を割る健脚。
だが、それだけだ。俺たちには及ばない。
俺は願者流の技で頭部に攻撃を仕掛ける。
跳躍し、顎に一撃。もう片方の手で敵の後頭部を掴み、重力に従って落下。
「『願者流・だるま割り』」
顎への攻撃で揺らいだ魔物は、抵抗する間もなく、頭を地面に激突させて失神する。
狂咲は気絶した魔物に向けて、ステータス画面を振り下ろす。
「ふんっ!」
トドメの一撃。決して砕けることのないステータス画面は、魔物の頑丈な体をも打ち破り、その首を醜く両断する。
……死んだ。元人間が、魔物になって死んだ。
俺と狂咲に、殺されたのだ。
周囲に敵影はない。
だが、敵兵が肉塊となっている間、誰かの服の隙間に発信機らしき物体が垣間見えた。そのうち援軍が来るだろう。
「怖い魔法だね……」
そう言って、狂咲は魔法陣があったはずの白紙のキャンバスを眺め始める。
さっきの男の死には、もう興味がないようだ。本当に『死』に慣れきってしまっているのだろう。
「ジュリアンを変化させたのも、これかな……」
「おそらく、そうだろう」
このキャンバスからは、裏儀式と同じ気配がする。魔道具を見てきた俺ならわかる。
念のため、キャンバスを地面を伏せておく。
「一応、持ち帰ろう」
「たぶんあたしたちが初ゲットだね。支部で見たことないし」
こんなものがあるとは、騎士団も知らないはずだ。手柄になるだろう。
対策を立てて、こいつを不発にする魔道具でも開発できれば……敵も味方も、人死が減る。
俺は相変わらず甘い考えを抱きつつ、飯田がいるはずの方角に目を向ける。
「あっちは大丈夫だろうか」
「連絡ないね……」
俺は飯田の盗聴石を強制的に起動させ、音を拾う。
戦っているような気配はない。
「おい、飯田。状況はどうだ?」
「うおっ!? なんだ、積田か」
彼は荒い音質で、俺の言葉に応答する。
「もう終わったのか?」
「暇ができた。そっちは?」
「こっちも、まあ……拍子抜けだ」
そうか。もう交戦した後だったのか。
飯田は敵の武装を拾い上げたようで、金属音をさせながら状況を報告する。
「あいつら、腕とか足とか平気で犠牲にするよな。びびったぜ」
「こっちは複数人丸ごと死んで、魔物になったぞ」
「マジか。異説魔法ってレベルじゃねえな、それ」
異説魔法。
クリファが願者丸との決闘で使ったような、自分の体を代償に放つ魔法。
魔法学校で習った時は気づかなかったが、まさかあの魔法は……裏儀式と似ている……?
「裏儀式……。異説魔法……。設計思想が同じだけならいいんだが……根本が同じなら……」
「おーい。何の話だー?」
飯田が心配そうに間延びした声を発する。
……精神が参っているからか、どうにも今の俺は集中力に欠ける。これでは仲間に呆れられてしまうな。
「すまん。こっちの話だ」
「終わったなら、合流していいか? 正直、俺ひとりだと不安で仕方ねえんだ」
「ダメだ。無理はしなくていいから、そのまま横槍を入れてくれ」
「あー、しんどい……」
各個撃破される心配がなさそうなので、飯田にはまだまだ頑張ってもらおう。
その後、俺は要約した内容をギンヌンガにも伝え、通信を切る。
「これからが勝負だな」
「本気、出してくるよね……」
俺たちは禍々しい魔力が渦巻き始めた前方を見据えて、ゆっくりと近づくことにする。
〜〜〜〜〜
ペール王国の兵士は、首や手首にリングを巻いている。
裏儀式をいつでも発動できるように、出血する準備をしてあるのだ。
将校らしき男は身軽な軽装で俺の前に躍り出て、リングを叩く。
「いでよ、我が可能性よ!」
すると手首のリングが急速に閉じて、彼の手を切断する。
断面から噴き出る血。それがリングが成す膜に触れると、魔法陣へと変わる。
悪趣味だが、効率的な魔道具だ。ペール国の歪みが一目で見て取れる。
「ぐ、ううう……! 神の怒りを見よ!」
男は俺の銃弾を顔面に受けて死亡しながら、最後の魔法を放つ。
腕の魔法陣から龍の首が現れ、男の代わりに生命活動を引き継いだのだ。
「ゴギャアアアン!!」
龍は男のものだった四肢から鱗を生やし、別物へと生まれ変わろうとしている。銃弾は通じないだろう。
ドス黒い魔力。高密度な筋繊維。俺たちでなければ死者が出ていたところだ。
「終わらせる」
俺は即死の『呪い』を構え、浴びせる。
龍は身を翻し、硬い鱗で受ける。
呪いは硬度など関係なく生命の奥深くへと浸透し、龍の命を奪う。
……虚しい。
「切り札に近い魔法だったのだろう」
俺は残った龍の残骸を焼きながら、遠くにいる狂咲の方を見る。
彼女も戦闘中だ。おそらくは、敵軍の高官と。
「痛みよ……命ある理由よ……! わたくしに価値をお与えくだされ!」
太った中年の男は、全身にピアスを纏っている。
魔力を込めると、ピアスが彼の肉を引きちぎり、強力な異説魔法が発動する仕組みのようだ。
頬のピアスが焼けると、火の異説魔法。腕のピアスが振動すると、風の異説魔法。
クリファが使った、足を犠牲にする魔法より低威力ではあるが……あの手数の多さは厄介だ。狂咲は明らかに攻めあぐねている。
俺が援護に向かおうとすると、空から何者かが降ってきて、俺の邪魔をする。
「ペール王国、万歳っ!!」
落下した彼は、着地と同時に全身が弾け飛び、潰れた肉塊となって死んだ。笑顔だった。
だが、それこそが裏儀式発動のトリガーだ。
赤黒い血肉が集まっていき、粘土のような体を形成する。
「スライムか」
日本のゲームでよく見た姿だ。
だが、ずいぶんと大きい。日本製の雑魚ではなく、海外における強敵としてのスライムに近い。
酸の体を持ち、あらゆる場所に忍び込む、ほとんど不死に近い魔物。
俺は襲われる前に『呪い』を撃ち込む。
「くらえ」
禍々しい魔力がスライムに着弾し、当たった箇所がドス黒く焦げていく。
しかし、何やら様子がおかしい。途中までしか死に至らず、大半が無事に残ったままになっている。
「分裂か」
どうやらこのスライム、分裂することで呪いを分体に押し付けたようだ。
脳も神経も無い体のくせに、知恵が回る。人間だった頃の名残りだろうか。
……なるほど。俺たちだけを突撃させるのも納得の展開だ。神の加護なしで立ち向かうには、あまりにも強敵すぎる。