この国で最も忙しい場所
初日の夜。
俺たちは騎士団の上部にいる数人と顔合わせを済ませて、自分たちの部屋に戻る。
まだ荷解きを済ませていないが、もうベッドに寝転がりたい気分だ。
「疲れた」
俺はあらかじめ用意されたベッドに横たわり、芋虫のようにもぞもぞと蠢く。
新品だが、寝心地は良くない。ふかふかの羽毛布団が恋しくてたまらない。
「本当に疲れた」
俺は誰もいない虚空に向けて呟く。既にストレスが溜まっているのだ。
ヘルモーズ隊長以外の者たちは、皆優しい態度だ。しかし期待が重く、人使いが荒い。魔力を使う仕事を手当たり次第に押し付けてくる。
それでいて、食事がまずい。風呂も狭い。給料もろくに出ないし、貰っても使い暇が無いだろう。
俺は願者丸に貰った盗聴石で通話する。
「今、大丈夫か?」
「当然。時間がなくとも、馳せ参ずる」
忠実かつ狂信的な忍びは、何故か1分も経たないうちに俺の部屋の扉を開いてくる。
すぐそばにいたのだろうか。それとも駆けつけて来たのだろうか。怖い。
願者丸は俺の部屋をぐるりと見回して、頷く。
「これなら作れそうだな。秘密通路」
「軍事基地を勝手に改造する気か、お前」
「隙を見せる方が悪い」
「そうか。……そうか?」
忍者屋敷に憧れでもあるのか?
ツッコむ気力は起きない。好きにしてくれ。
俺は荷物の中から生活用品を取り出しつつ、今日の感想を聞く。
「この支部について、どう思う?」
「クソだな」
即答である。
願者丸は当たり前のように荷解きを手伝いつつ、凄まじい勢いで愚痴を並べ立てる。
「メシがまずいのは想定内。くだらん雑用も想定内。だが、全体的にオイラの体格に合わなくて不便だ。物の位置がいちいち高くて面倒くせえ。体格のいい奴ばかり出歩いてやがるから、その辺りの配慮がなってねえんだろうな」
なるほど。彼女は高校生離れした低身長だ。日本でさえ苦労していただろうに、異世界の軍隊となると、行動が制限されすぎて不満が溜まるのだろう。
「あるじさま。嫌かもしれないが、不満をぶちまけさせてくれ」
「語りたがりだからな、お前。俺の分まで頼む」
止めても口に出すのだろう。こんな時くらい、好きに話させるべきだ。
「女性ってだけでナメられる。炊事と洗濯と掃除だけやってろって顔になる。実際そういう仕事に女性が多いのは仕方ないけどよお、この世界には魔法があって身体的ハンデが少ないんだから……」
なるほど。そういえば、女性の騎士団員をほとんど見ていない。クリファの肩身が狭そうだったのも、そういう理由が含まれていたのか。
願者丸は剥き出しの殺意を肥大させ、狂犬のような顔で唸る。
「特にあの隊長……。小柄な女性だからって、あからさまにオイラを軽視してやがる。あるじさまを傷つけやがったし、老害極まる。いつの日か殺してやるぞ」
今すぐに殺そうとしないだけ、願者丸にしては理性が働いている。
俺が槍玉に挙げられた時も、殴りかかるのではないかとヒヤヒヤしたのだが……流石に彼女の協調性をみくびり過ぎたか。
俺は圧縮された服を棚にしまいつつ、冗談めかして笑う。
「もう歳だろうから、勘弁してやれ」
「歳? ふーん。あるじさまらしくない発言だ」
その通りだ。俺も不満が溜まっている。
特にあの隊長に。
——俺はひと通り不満を出し終えた願者丸と、支部に仕掛けた盗聴石と、掘った通路の情報を共有する。
既にかなりの広範囲が願者丸のテリトリーに堕ちているようだ。何処で何が起きても把握できる。
「あんまりたくさん置くと、チャンネルの切り替えが面倒くさくなるから、これくらいが限度だな」
俺は盗聴スキルの使い勝手をイマイチ把握できていないが、かなり便利にオンオフできるのだろう。雨音で苦しんでいたあの頃が懐かしい。
俺の呪いも、もう少し使いやすくなってくれればいいのだが……。
俺は窓の外の暗さに不安を覚え、なんとなく時計を見る。
「そろそろ今日の集合時間だな」
毎晩皆で集まって、点呼を行うことになっている。そろそろ向かった方がいいだろう。
願者丸も時刻を確認して、頷く。
「面倒くさいが、行くしかないか」
彼女は俺の部屋の床に潜り、消えていく。
「ミミズみたいだ……」
土魔法の応用。こうやって通路を掘っているのか。小柄な彼女でなければ不可能だろう。
もしかして、通路とやらは願者丸以外通れないのではないだろうか。なかなか身勝手なものを作ってしまったものだ。
〜〜〜〜〜
仲間たちが集まった。
愚痴を言い合いながら、フォルカスを待つ。
「調理場を覗いてみたけど、凄かったよ……。あれこそ戦場と言っても過言じゃないかも」
どんよりと俯く狂咲。
「外出許可はしばらく降りないってよ。町の見物にでも行こうかと思ったのに」
つまらなそうにテーブルに突っ伏す飯田。
「ボードゲームは出来そうだよ。折角いろんな地方の人が来てるんだし、ここで絶対流行らせてやる」
商機を前に意気込む馬場。
「にゃー」
いつもの猫魔。
末田、水空、工藤は無言だ。特に水空は貧乏ゆすりをしており、見るからにイライラしている。何があったのだろうか。
しばらく待ったところで、時間通りにフォルカスがやってくる。
「全員揃っていますね」
明らかに猫魔の方を注視しながら、フォルカスは扉を閉める。
既にスキルで抜け出した前科があるため、警戒しているのだろう。猫魔は自由人かつ狂人なので、少し目を離すといなくなる。
フォルカスはホワイトボードに素早く予定を記入しつつ、俺たちに紙を配る。
「日報です。数行でいいので、今日の行動をご記入ください。特に自由時間中のことを詳細にお書きくださると助かります」
ふむ。流石は国内最大級の組織。人員管理がしっかりしている。
俺は素直な感想をさらりと書き、手を止める。
学校にいた時もそうだったが、俺は感想文や作文をあっさり終わらせるタイプだ。中身は考慮しない。
他の面々の様子を見ると、水空が凄まじい走り書きで書き上げ、椅子をぐらぐらと揺らし始める。
「ねえ、フォルカスくんさあ……」
「なんでしょう」
水空は年上の彼に向けて、今にも殴りかかりそうなほど鋭い視線を向ける。
「ウチら、いつ戦場に出るの?」
好戦的な発言だ。水空は戦場に出ることを嫌がっていたはずだが……。
いや、来る羽目になったからには、すぐにでも終わらせたいということか。
フォルカスは少し考えこんだ後、素直に答える。
「伝えられる範囲ですと……皆様のおかげで兵たちの魔力に余分が出来ましたので、明後日には大規模攻勢を仕掛ける予定です」
「ふーん」
「明日は午前に作戦本部による会議、午後には詳細を末端に伝えるブリーフィングが行われます。皆さんは午後の方にご出席ください」
思ったより余裕があるようだ。
それもそうか。俺たち抜きでも勝てる戦だと王女は言っていた。毎日のように戦わなくても、戦線を維持できるのだろう。
水空はテーブルに向き直り、鼻息を荒くする。
「戦場に出たら、ウチ、全力で暴れるから。上の奴らにそう言っといて」
「いえ、おそらくですが、魔力供給といざという時のためのフォローのため、後方に……」
「ちゃんと伝えろよ? さもないと……」
水空は日報をフォルカスに押し付け、指先で騎士団の制服をなぞる。
……魔力により強化された鎧が、指一本であっさりとへこんでいく。
「ここにいる雑魚全員、ウチの手で殺せるんだからな?」
パワハラという言葉さえ生ぬるい脅迫。
実際に、今の水空なら可能だろう。俺たちが止めに入らない限りは。
水空は怪物だ。人間の体に生まれてしまった、世界のバグだ。
しかし、フォルカスにとっては違う。水空はあくまで俺たちの一員でしかない。彼女の宣言は俺たち全員の意志だと捉えかねない。
俺はすぐさま割って入り、仲裁する。
「水空。お前が強いのは知っている。早く終わらせて帰りたいのも知っている。俺だってそうだ」
「……そうだね。喧嘩は良くないね」
水空はすぐさま引き下がる。
喧嘩の間合いをよく理解している。これ以上踏み込んだら拳が出るというギリギリのラインを突き、主張を通すのが上手い。
そして、冷え込んだ空気を狂咲が暖める。いつもの流れだ。
「まだお互いのことを知らないからね。みっちゃんの凄さ、きっとすぐに広まるよ。そうなったら、ここの人も放っておかないはず」
国のためとはいえ、暴力で生きている集まりだ。力を示せば、一定の発言権を得られるに違いない。
水空は今度こそ完全に引き下がり、席に戻る。
「命拾いしたね」
まだ怒りが燻っているのか、挑発的な態度だが。
フォルカスは仕事用の笑みを一切崩すことのないまま、冷静に答える。
「頼もしい限りです」
皮肉だろうか。それとも本心だろうか。まったくわからない。
——その後、俺たちは事務的な手続きを終え、自室に戻ることになる。
明日以降も仕事だ。ゆっくり休もう。
〜〜〜〜〜
俺たちは午前中、支部を見て回ることになる。
俺は狂咲との会話の中で出た厨房に赴く。
第二の戦場と称されるべき有様だそうだが、何が起きているのだろう。
朝食後、食堂の奥に進み、少し中を覗き見る。
すると、俺の耳元に怒号が飛び込んでくる。
「そろそろ食い終わるぞ! 皿洗い準備!」
「ボサっとすんな! てめえらのメシは後だ!」
「掃除は新入りがやれっつったろうが! ゴミ箱持って床掃いてこい!」
「おいゴミ箱どこにやった!? どうすんだよこの野菜クズをよお! てめえの口に捩じ込むぞ!?」
尋常ではない忙しさのようだ。
一度に大量の飯を作り、大量の食器を洗い、残飯を片付け、そしてまた飯を作る。
休む暇はほとんどない。昼飯の時間帯が過ぎれば、すぐまた夕食の仕込みだ。
食事の質が悪いと文句を言いたかったが、この様子ではどうしようもない。皆、できる限りのことをしているのだ。
「文句を言うなら、現実的な改善策を合わせて示さないとな」
戦況が変われば、少しはマシになるかもしれない。そう信じて、俺は静かにその場を後にする。