〜青い鳥とバードケージ〜
高校2年の春。俺は死に、そして転移した。
それだけでも人間にとっては十分な事件だというのに、更なる困難が俺を待ち受けているとは。
混浴だ。
それも、同級生と。
「何故だ。何故乗り気なんだ……」
俺は自らの体を清潔にしながら、隣にいる危険人物の方を見ないように心がける。
狂咲矢羽。クラスメイトだった時は、これほど不埒な奴だとは思いもしなかった。
いきなりの告白。突然の混浴。どうしてこうも押しが強いのか。人生観と倫理観と貞操感が違いすぎる。
「理解できない」
「よく言われる」
裸の狂咲が、くすくすと笑っている。
見てはいけない。いや、このような状況になっているのだから、きっと彼女は見てほしいのだろうが、それでも見てはいけない。
見てしまったら、俺という個が崩れ去ってしまう。そんな気がする。
「実はあたし、あんまり共感したことないの」
共感とは、具体的に何を指すのだろう。リアクションが大きく、感情が豊かなように見えるが。
「友達の相談に乗ったりとかするし、悩みとか、よく打ち明けられるんだけど……わからないんだ」
「意外だな」
「そう?」
狂咲はシャワーヘッドからお湯を出している。
魔力に限りがあるためか、一定時間経つと止まるらしい。無駄遣いを防ぐための工夫だ。
ずっとお湯を出せるなら、気まずい会話を防げるのだが……そうはいかない。
「あたしは明るくて、優しいみたい。みんなそう言ってくれる。だけど、あたしはそうしているつもりはないよ。普通にしてるだけ」
長い髪をお湯につけて、揉んでいる。
手入れに手間をかけている。俺とは大違いだ。
「あたしの中の普通が、ズレすぎてるんだと思う。だからわからないんだ」
「うーむ」
俺はあまり人と関わってこなかった。だから的確な答えを出せるかというと……おそらく無理だ。
たとえ的を射た回答を提出できたとしても、説得力が足りない。俺がぼっちだということを、彼女はきっと知っているだろうから。
俺はなかなか泡立たない石鹸に悪戦苦闘している。無様を晒したくないという思いが強いのだが、日本にある質の良い石鹸と勝手が違いすぎて、既に無様だ。
「積田くんはきっと、あたしより普通寄りだと思う。自信はないけど、たぶんそう」
「俺にはわからん」
「普通だよ。無口で変な口調だけど、周りとうまくやってるし、それに……自然とみんなが味方してる」
変人だと言われたことはあるが、普通だと言われたことはない。普通だと思っても、誰もわざわざ言わないだろうけれど。
狂咲がこちらを見ている気配がするので、俺は洗髪に集中する。一瞬でも視線をそちらに向けたら、自分が男性であることを、体が思い出してしまう。
「でもね、積田くん。普通だから惚れたわけじゃないよ。積田くんはあたしにとって、ちゃんと特別」
「そうか。光栄だ」
「惚れた理由、聞きたい?」
「気になる……が、今はやめておく」
本格的な愛の告白をされてしまいそうだ。そうなれば俺は、きっと断りきれない。
狂咲の気持ちに向き合いたいという想いはあるが、今はまずい。思ったより狂咲のアタックが強すぎる。
「じゃあ、今はこれだけ」
狂咲が急接近してくる。
前髪の洗剤が垂れてきたので、俺は目を閉じる。
まぶたの裏の暗闇が、俺の視界を埋め尽くす。
唇に、感触。
「!?」
目を開くと、肌色がそこにある。
顔だ。狂咲の顔。
「積田くんが嫌なら、この先はしないよ」
そう言って、狂咲は元の位置に戻っていく。
……魔性だ。何の悪意もなく、俺から理性を奪おうとしている。
計算づくの方がまだマシだ。自然体でこれをやっているなら、末恐ろしい。そんな生物がいるなど、俺の常識では考えられない。
「狂咲」
「なあに?」
発声すると、触れられたばかりの唇が動く。もどかしいので、端的に告げる。
「ファーストキスだった」
「よっしゃ! あたしもだよ!」
狂咲は力の篭った万歳をする。
視線が誘導されそうだ。体の方まで。
そうなる前に、理性で抑えなければ。
「狂咲の言う通り、この先は、無しだ」
「うんうん。わかってる。あたしもちょっと、急ぎすぎちゃった。自覚はあるよ」
狂咲は体を洗い始める。
俺も体を洗うことにする。
「流石に、子供を作るのはまだ早いよね」
なるほど。そこまで進む準備ができていたのか。
もしかすると、据え膳を食わない俺はいくじなしだと思われたかもしれない。
それでもなお、俺は人付き合いを恐れてしまう。目の前の狂咲を避けて、独り身であることを選んでしまう。
「ああ。俺たちには、まだ早い」
俺は首から腹までを洗って、迷う。
……股は触らないことにしよう。刺激が強い。
〜〜〜〜〜
ほんのりぬるい湯船の中で、俺とは狂咲は会話をする。
「明日と明後日は、探しに行かないことになってる」
水空と話し合って、そう決めたようだ。
しかし、時間が経つほど救助が厳しくなるのではないのか。よほどの理由があるのだろうが、仲間として聞いておきたい。
「俺としては助かるが、何故だ?」
「もうアテがないから。見落としがなければだけど」
どうやら、町の周辺は調べ尽くしたらしい。
より正確には、ヘリの燃料が保つ範囲の話だ。
「燃料は6時間で元に戻る。何日もかけて休み休み進めば、もっと先まで行ける。でも、それは無理」
「危険だな」
野宿できる場所があれば良いが、今の俺たちは地図を持っていないし、土地勘もない。うっかり国境を越えて犯罪者になってしまったら、仲間を探すどころではない。
俺がそう言うと、狂咲は何故か涙を落とす。
「そうじゃなくて……あたしは……」
他に理由があるのだろうか。泣くほどの理由が。
俺は考えて、そして思い至る。
「町か」
狂咲は黙って頷く。
この町の居心地が良く、離れたくなくなってしまったのだろう。
気持ちはわかる。安全な場所を確保できたなら、なるべくそこから動きたくはない。
安全という贅沢を知ってしまったのだ。もう元の暮らしには戻れない。
狂咲は力なく呟く。
「町の人に、お世話になった。今離れたら、あたしは恩知らずになる。でも、クラスのみんなを放っておけない。どっちも取るのは……すごく、難しい」
そういう見方もあるのか。やはり狂咲は根が優しいのだろう。普通ではないほどに。
……その優しさは、きっと狂咲自身を苦しめる。
「どこかで妥協が必要だな」
「諦めたくないのに、力が足りない。みんなを助けるための力が、欲しい」
狂咲は風呂の縁に握り拳を乗せる。
「積田くん。あたしといたら、たくさん危険な目に遭うよ。山に登って、洞窟に潜って、怖い動物に何度も挑むことになる。……恋人でもない人のために、命をかけてくれる?」
俺は彼女の問いかけに、迷わず答える。
「そんな覚悟、とうに出来ている」
森に落ちたその時から、ずっと危険と隣り合わせ。命を張るくらい、もう慣れっこだ。
狂咲は感極まった様子で、俺に向けて泳いでくる。
「ありがとう。ありがとおぉ! やっぱりあたしには積田くんしかいないよぉ!」
「やめろ。落ち着け。キスより先には……やめろ!」
俺は彼女から逃げるように、湯船から出る。
見えてしまった美しい体を、必死に脳から追い出しながら。
〜〜〜〜〜
銭湯帰りに、水空と鉢合わせる。
「よう、積田くん」
偶然ではないだろう。彼女には『鳥籠』という探知スキルがあるのだから。
……あるいは、銭湯での一部始終を見られていたのかもしれない。
「(類は友を呼ぶ。ストーカーの友は、やっぱストーカーなのか)」
俺は内心ゾッとしながら、返事をする。
「水空か。何か用事でも……」
「へたれ野郎」
そう言って、水空は背を向ける。
狭い背中だ。いつもより頼りなく見える。
「でも、安心した」
それだけ言い残して、彼女は走り去る。
尋常ではない速さだ。ステータスの力か。
俺が呆気に取られていると、隣で狂咲が大笑いをし始める。
「みっちゃん、それだけ言いに………。あはは!」
彼女が考えていることは、わかりそうにない。
それでも、この笑顔を守りたい。守ってみせる。
3人のストーカーのうち、2人が明らかになりました。
皆と仲良くなれる光属性のヤンデレ、狂咲矢羽。
深い闇を抱え、混沌とした内面を持つ、水空調。