じんわりと体の奥に満ちる苦痛
中央騎士団ブラッドレッド支部。
俺たちはその隊長であるヘルモーズからしごきを受け、部屋から叩き出される。
単なる顔見せだと聞いていたのが、ずいぶん手荒な歓迎を受けてしまった。俺は問題ないが、他のみんなが苦しんでいるようなら、直訴も考慮に入れよう。
俺たちは騎士団たちの何処か気遣うような視線を受けつつ、支部内をトボトボと歩く。
階を下り、連絡通路を行き、ある程度進んだところで、先導者の青年が立ち止まる。
「この階が、皆様の待機場所となります」
階。部屋ではなく、階まるごと俺たちに明け渡すつもりなのか。
よくよく考えてみれば、この建物は増築に次ぐ増築で巨大に膨れ上がっている。その過程で埋もれて不便になってしまい、使わなくなった部屋もあるのだろう。
彼は両開きの扉を開けて、中に案内する。
願者丸が仏頂面で足を踏み入れて、鼻で笑う。
「へえ……」
続く俺の視界に、部屋の内装が映る。
土魔法を練り込んだ耐魔力の壁。大岩から削り出したかのような石の机と椅子。新品だが古めかしい風格のあるタンス。
趣はあるが、息苦しい部屋だ。ここで生活するのは息が詰まりそうだ。
案内役の青年は、全員が部屋に入ったことを確認した後、俺たちに向けて挨拶をする。
「申し遅れました。私はフォルカス。当支部にて皆様の案内人兼御用伺いをさせていただきます。物資の補充や外出許可がご必要となれば、どうぞ遠慮なく私にお申し付けください」
困った時は、とりあえず彼に聞けばいいのか。
この人数をひとりで受け持つとは、なかなか大変な立場だ。
俺は他のみんなの顔色を見つつ、真っ先に質問を試みる。
「騎士団との連絡役はギンヌンガたちの部隊が行うと聞いていた」
「はい。彼らにはスケジュール管理などを担当してもらいます。私はそれ以外の、私的な用事を承ります」
つまりギンヌンガたちは秘書で、彼はパシリか。
やはり彼は面倒な役割を押し付けられたものと見える。不満がこちらに向かないことを祈るばかりだ。
俺はこの広いばかりで飾り気のない部屋について尋ねる。
「ここはどういう部屋なんだ?」
「集合場所としてご活用ください。皆様にはそれぞれ個室が割り当てられておりますので、後ほどご案内いたします」
そうか。流石にこんな固い場所で寝泊まりするわけがなかったか。安心した。
仮面のような冷えた笑顔を浮かべるフォルカスに対し、工藤が疑問をぶつける。
「騎士団の指示に従うこと。騎士団以外は目下として扱うこと。以前、ミクトランさんの隊からそう伺っておりました」
「我々との認識に、少し差があるようですね」
彼は嫌な顔ひとつせず、仕事という名の化粧で表情を包み隠したまま、答える。
「正確には、皆様はヘルモーズ隊長閣下のみに従う決まりとなっています。その他の騎士団員は皆様と立場上同格ですが、実際にはその身に宿しておられる神の加護に敬意を表し、目下として振る舞うことになるでしょう」
つまり、あの男だけが俺たちを縛れるというわけか。
ここに来た時に浴びた歓声。戦勝をもたらす英雄を出迎えるかのような期待。
荷が重い。……だが、あの老隊長も同じものを背負っている。あのしごきは、信頼できる人物になれという期待も込めているのだろうか。
「(嫌なやつだと決めつけるのは早いか)」
フォルカスは魔道具の腕時計を確認し、気持ち早口になって説明を続ける。
「本日は口頭で今後の予定をお知らせします。明日以降はこの部屋のボードに記載しておきますので、毎朝ご確認のほどをよろしくお願いします」
ちらりと彼が示す方を見ると、ホワイトボードらしき魔道具にびっしりと文字が書き込まれている。
彼の字だろうか。丁寧な仕事ぶりである。
俺はスケジュールを真剣に聞きながら、フォルカスという人物の理解に努める。
〜〜〜〜〜
この支部に来て数時間で、俺たちは期待されている役割を理解する。
魔力だ。とにかく、この戦場は魔力が足りない。
兵器に込める魔力。整地のための魔力。日用品に込める魔力。これらを毎日使いつつ、いざという時のために余剰を残しておかなければならない。
俺たちは荷物を置いて、早速魔道具作りの単純作業に駆り出されることになったのだ。
銃。弾。防具。靴。ポシェット。リュックサック。シャベル。ナイフ。ロープ。
既に魔法は編まれているため、動力となる魔力だけ注げばいい。この世界に来て長いため、俺たちにとっては慣れた作業だ。
「だる……」
水空のぼやきに、飯田が反応する。
「わかる。5秒で飽きた」
複製スキルがある飯田は、魔道具本体をコピーするという特別メニューを課されている。
手でこねるだけで物が倍になる。いつ見ても凄まじい能力だ。燃費が悪いうえに使い勝手も悪い俺の呪いとは大違いである。
監視でありテスターでもある騎士団員たちは、飯田の手際の良さに目を見開いている。
「普通の魔力量だと、自分の装備一式を手入れするので精一杯なんですけど……」
「もう何セットやりましたっけ。50?」
「これで55です」
「おお……」
ここにいるのは、それなりに熟達した魔法使いたちだ。魔法の才能は間違いなくある。それでも精密な魔道具は維持するだけで一苦労らしい。
山葵山やオリバーなら、もっと……。いや、騎士団にスカウトされたオメルタなら、こんなものか。それでもアマテラスやアネットなら……。
「…………。」
連絡役として待機しているクリファは、肩身が狭そうに部屋の隅で体育座りをしている。
同じ騎士団員とはいえ、違う支部の知らない人ばかりだ。人見知りをしているのだろう。
俺は考え事をして退屈を耐え忍びながら、並べられた魔道具たちを片付ける。
……そのうち、ふと疑問が生じる。
騎士団員たちも暇そうなので、会話してみよう。
「あの、すみません」
「はい。何か困り事でも?」
親切そうな青年が相手をしてくれる。
その周りにいる全員が興味深そうにこちらを見ているのが気になるが、指摘しても仕方ない。よっぽど暇なのだろう。
俺は今しがた仕上げた衣服を指差し、尋ねる。
「火魔法と水魔法による耐火、土魔法による耐刃・耐魔力加工が施されているようですね」
「ええ、その通りです」
青年は微笑ましいものを見る目で頷く。
「しかし、防汚機能が無いようですね」
「まあ、はい。恥ずかしながら」
どうせまとめて洗濯するから、省いても良いという設計思想なのだろう。洗剤と水魔法の方が安くつく。
しかし、これほど頑丈な素材なら、魔法の組み方を工夫すれば、もっと長期的に使用できるはずだ。乱暴な使い方をするのは些か勿体無い気がしてしまう。
「自動洗浄や身体強化とまではいかなくとも、耐水くらいは欲しいですよね……。せっかく来たんですから、実用化できないハードルが魔力だけなら、俺たちの手で解決したいものです」
「自動……?」
騎士団員はしばらく首を傾げた後、俺に聞き返す。
「自動洗浄と言いましたか……?」
「はい」
「それは、汚れが勝手に落ちるということ……?」
「はい」
「脱いで一晩放置する感じ?」
「いいえ。着ている間に、数秒で」
アネットの服に搭載されていた機能だ。オリバーの店でも見た記憶がある。服屋ではないので、あまり縁がなかったが。
騎士団員たちは俺を置いて話し合う。
「なあ。そんな夢のような服、見たことあるか?」
「無いね。泥まみれになっても数秒で元通りにできるなら、どんなに楽だろうな」
「身体強化とやらも合わせれば、泥沼を越えていけるな。返り血をすぐに払えるようになれば、感染症のリスクも減る。あー、欲しい。ぜひ欲しい」
ここには無いのか。田舎町でさえ存在した物が。
そういえば、オリバーは国全体でも凄腕として有名だったはずだ。人前に出て欲しくないほど胡散臭い顔と声の男だが、この国の最先端が集まるここでさえ通用する技術者なのか。
アネットの実家である豪農は、オリバーの店と取引があった。あの服も同じルートで入手したと考えれば辻褄が合う。
「(アネットに見せて貰えばよかった……)」
俺は予想外の後悔を抱えることになり、意気消沈しつつ作業に戻る。
〜〜〜〜〜
魔道具に魔力を込め終わる。
夕食は騎士団員たちと同じメニューだ。
野菜と豆を煮込んだスープ。ゆで卵。パン。
粗末ではないが、ご馳走とも言いがたい。
「このところ、ほぼ毎食これなんです。慣れてくださいね」
そう言って、フォルカスは死んだような目で先に食べ始める。
広い食堂の何処を見ても、皆生気の消え失せた顔で俯いている。
とりあえず、スープを一口飲んでみる。
「(……薄い!)」
尋常ではない薄さだ。だしが無いどころではない。お湯の味がする。気持ち悪い。
具も少ない。それらしいぐずぐずの何かが時折舌の上に現れるが、正体が何なのか判別できない。
俺はゆで卵の殻をめくって口に運んでみる。
……こちらは普通だ。異次元の味がしたらどうしようかと思った。
「(まともな品もある。なんとか食えそうだ)」
最後に、パン。
やや固いが、スープに漬ければ食べられる。石ころのような硬度の殺人的なパンが来ることさえ覚悟していたので、個人的には及第点だ。
「スープだけが課題だな」
俺が呟くと、隣で狂咲も頷く。
「こんなにまずいスープ、初めてかも。何を入れたらこうなるの?」
向かい側で飯田が天を仰ぎ、両手で目を覆う。
「俺……魔道具なんかより、真っ先に野菜を増やすべきかもしれねえ。それがダメでも、調味料なら持ってきてるから、台所に卸していいか?」
「上に進言しておきます」
フォルカスは青白い顔で、スープと向き合いながらそう答える。
……俺は遠くにいるヘルモーズ隊長を見る。
彼も同じものを食べている。食事を燃料補給の作業としか考えていない、乱暴な食べっぷりだ。
劣悪な食事で士気が落ちるという感覚を理解できないのだろう。説得は難しそうだ。
〜〜〜〜〜
食事が済んだ者から、大浴場で入浴だ。
アマテラスの銭湯でも見た、時限式シャワー。洗剤は共用で、そこかしこに置かれたボトルからワンプッシュだけ。
おまけに、入浴時間は10分間だけと決められている。ひっきりなしに入れ替わる人ごみの中で、窮屈に汚れを落とすことしかできないのだ。
巨大な浴槽の内部は、弁当箱のバランのような物で区切られている。個人に割り当てられたスペースは、足を伸ばせないほど狭い。
「(苦痛だ。かつてないほどの苦痛だ……)」
俺はのんびりと浸かれる自宅の風呂を恋しく思いながら、決意を固める。
こんな戦争、さっさと終わらせてしまおう。