我が子は天使のように
いよいよ明日、出立だ。
俺たちは来る時より増えた荷物を持ち、戦場のある『ブラッドレッド』に向かうことになる。
騎士団の中には、任務や人員整理のためにここで別れる者たちも。
まず、願者丸の監視をしていた青年。彼は自己判断で大事な情報を秘匿していたため、謹慎処分だ。
他にも、飯田の監視をしていた団員など。彼と飯田は仲が良かったので、涙の別れとなった。
ギンヌンガとクリファは続投だ。戦場では情報伝達の任務に就くことになっている。前線には出ないが、心強い。
そのクリファは、今……願者丸と銭湯にいる。
「女の子……女の子だ……」
ロビーで待つ俺のところに、湯上がりの2人が戻ってくる。
クリファは相変わらず呆けている。事実を受け止めてなお、正気に戻れていないのか。
初恋の相手が女性だった衝撃は、俺たちが受けたショックより遥かに大きいだろう。理解はできる。
願者丸はタオルの端を指で擦りつつ、気まずそうにクリファを見つめている。
「オイラではどうしようもないのに、なーんか罪悪感が湧いちまうなあ……」
目の前でこうも憔悴されると、そう思ってしまうのも無理はないだろう。
気を紛らすためにも、願者丸以外の会話相手がいた方が良いだろうか。そう考えて、俺はクリファに話しかける。
「クリファ。願者丸が女だと、俺たちもつい最近知ったんだ。わからないのが普通だ」
「わかっても、わからなくても……願者丸くんは、女の子のまま……」
クリファはどんよりとした表情で、上体を後ろに反らす。
水を吸ったバスタオルがバサリと落ちたが、拾い上げようとしない。そもそも、気づいてさえいないのだろう。
「こんなボクでも、結婚して家族を持てば、世間一般の幸せに近づけるかと思った……。願者丸サスケと一緒なら、できると思った……。なのに……」
心ここに在らず。フラフラと揺らめく体から、そんな気配が漂っている。
俺はなんと声をかけるべきか悩む。
クリファの過去を知らないため、気休め以下の言葉しか思いつかない。俺たちに出来ることは、クリファが自分自身を立ち直らせるための手助けだけだ。
「(向きだけ正して、後はクリファ自身の精神力に賭けるしかないか……)」
俺はクリファの大きなタオルを拾い、よく見えるように手渡す。
「今のクリファにとって、願者丸はどんな奴だ?」
「……今の?」
クリファはろくに思考が働いていない顔つきでタオルを受け取る。
耳に届いているのか。なら、もう一押しだ。
「願者丸のことを嫌いになったか?」
「そんなことない。願者丸くんは、強くて冷静で、ちょこっと優しい……。今だって、そう……」
クリファは自らの心の奥底にある何かに気がついたようで、両眉を上げる。
「あ……ボクが好きになった部分は、今も変わってない……」
「そうだな」
よし。これなら、願者丸との関係が壊れることはなさそうだ。
俺はクリファの幼い容姿に笑顔を向けて、細い肩を叩く。
「クリファ、お前は願者丸を、より深く知っただけだ。盲目的な恋より、互いをよく知った上での友情の方が、堅牢だと思わないか?」
「そっか……」
クリファは納得できたようで、ゆっくりと願者丸に向き直り、胸を張る。
さっきまでのような脱力感はない。彼女なりに気持ちを入れ替えることができたようだ。
「願者丸くん。びっくりしてごめん」
「別に……。オイラこそ、紛らわしい真似をして悪かった」
少女たちの仲直りだ。湯上がりの無垢な姿も相まって、なかなか美しい光景である。
俺が後方で腕組みをしながら見守っていると、クリファは全身を震わせながら、溌剌とした声を上げる。
「願者丸くんのことを知らない分際でガッカリするなんて、ボク、どうかしてたよ。身勝手すぎた。願者丸くんは何一つ変わってないのに。ボクが恋したあなたのままなのに」
「急にどうした? もう少し落ち着いて話せ」
「落ち着いてられない。だって、愛の真理を理解しちゃったから」
「は?」
クリファは早口で頭を寄せ、じっとしていられない様子で両腕を広げていく。
「性別なんか、どっちでもいい。ボクの中にある恋も、ボクに恋させた願者丸くんも、どっちも真実なんだから」
「待て待て待て。オイラはあくまで友達としてオマエと付き合っていきたい」
「それでいい。ボクは世界一の友達として、願者丸くんを見つめ続けるよ」
クリファは眩しくなるほどに爛々と輝く目を願者丸に向けて、両腕を広げたまま笑っている。
上擦った声。荒い吐息。意識さえまともに保てないほど興奮している。
俺は今のクリファに似た状態を知っている。
狂咲。それも、とびっきり激しい時の。
「(これは……まずいのでは?)」
騎士団の秩序と、願者丸の精神衛生の危機だ。
「もっかいお風呂に行こう。願者丸くんの荒々しくて素敵な体、もっと見ておきたい」
「やめろ。近づくな。距離感がおかしい!」
忍者としての技量をフル活用して逃げる願者丸。
運動ができる少女として、必死に追うクリファ。
「ねえ! お腹の傷を撫であいっこしよう!」
「しねえって! オイラは積田立志郎のものだ!」
「やっぱり! ただの主従じゃないんだ! 道理で距離が近いと思った!」
銭湯のロビーを駆け回る2人。小さな体で、周りの視線も憚らず。
俺は保護者として、そして銭湯を愛する者として、大声で告げる。
「迷惑だから、追いかけっこは外でやれ」
「はい、あるじさま」
クリファに頬擦りをされながら、願者丸は肩を落とす。
〜〜〜〜〜
末田を含めた俺たちは、互いの荷物を確認し合う。
隣で肩を並べて戦うのだから、不備がないかチェックし合うべきだ。真面目で理知的な工藤がそう言い出したのだ。
「まあ、大事な荷物は常にみんなの目に入るところに置く決まりだけどね」
真っ先に荷物を並べ終えた水空が、ごろんと寝転んで身も蓋もないことを言う。
飯田と俺が稼いだ金は、魔道具の圧縮金庫に入れ、俺の手に。
俺たちの活動を支える盗聴石は、願者丸が管理。
スキルやステータスを記録した手帳は、狂咲が。
……他にも、飯田が複製した宝石、馬場のボードゲーム、工藤の火薬とバズーカ砲がよく目立つ。
猫魔と水空は、ほぼ手ぶら。
制服を含む着替えは各自で管理。歯ブラシなどの生活用品も。
「不足はありませんね?」
厳粛な口調の工藤から、目を逸らす末田。
床の上には、酒瓶と魔道具が。
……いや、よく見ると魔道具も酒だ。水魔法を注ぐと酒を生み出す魔道具か。オリバーの店で見た。
あんな物を隠し持っていたのか。知らなかった。
「末田さん。この世界に来て辛いことがあったのはわかりますが、アルコール中毒は治さないといけませんよ。私も根気よく付き合いますから」
酒を絶てと言わんばかりの発言に、末田は手をガクガクと震えさせながら土下座する。
「それだけは勘弁を! ちゃんと自分の金で買って、自分で楽しむだけだから……」
「もう私たちだけの問題じゃないんです」
正論である。
末田は俺たちの最高戦力であり、役人たちによるステータスの耐久試験も乗り越えた女傑だ。
そんな彼女がアルコールで自滅したら、前線の戦意に関わる。
工藤は末田の頬を強く摘み、お叱りを飛ばす。
「禁酒です、禁酒!」
「そんなご無体な!」
酒を生む魔道具も取り上げられて、末田は泣いた。年甲斐もなく泣き腫らし、いつまでも泣き喚いた。
——こんな大人になりたくない。昼下がりの陽光の中、俺は強く思った。
〜〜〜〜〜
出立の日の夜。
俺は久しぶりに夢を見る。
雲の上。白い景色。幼女神の居場所だ。
「あ、積田くん」
何故か狂咲もいる。俺と密着した状態で眠ったからか?
「これはどういう状況?」
指先で顎を擦りながら困惑している彼女に向けて、俺は駆け寄って説明する。
「ここは神の居場所だ」
「それはわかるけど……あ、そっか。積田くんはたまに会ってるんだっけ。じゃあ不思議じゃないね」
飲み込みが早くて助かる。
俺たちが神を待っていると、2つの光球が俺を出迎える。
赤と青。どちらも俺の頭ほどの大きさがある。
まったく人の形をしていないのだが、何故か話が通じる生命体だとわかる。ホモサピエンスとしての直感なのだろうか。
「これは?」
狂咲の問いに、俺は確かな答えを返せない。
一応、推測はできるが。
「たぶん、願者丸の……」
「そうだよ」
この空間の主人である幼女神が、空の更に上から舞い降りてくる。
やや焦っている様子だ。やはり今回も、時間に余裕がないのか。
俺は早速、彼女に問いかける。
「この2人は、願者丸の子か?」
「そうだよ。大きくなったでしょ?」
2つの光球は、心なしか嬉しそうに幼女神の周りを飛び回る。
確かに、以前見た時より大きくなっている。感情表現らしき点滅や揺らぎも、だいぶ複雑になっているようだ。
まだ赤子のはずだが、神の座に住んでいるからか、自我の成長が早い。人と神は、やはり違う生き物なのだ。
俺は意識らしきものがある光球に向けて、慎重に呼びかける。
「おいで」
2人は緊張した様子で上下に揺れ動き、ゆっくりと俺に近づいてくる。
あと数歩。あと数センチ。
……触れた。
温かい。子供らしい体温だ。春の陽気に包まれているかのような、穏やかな心地がする。
「この子たちが、願者丸くんと積田くんの子供?」
狂咲はぎこちない動作で手を伸ばす。
赤い方は頭を差し出し、青い方はそっぽを向く。
……今、なんとなく掴めた。
赤は女の子。青は男の子。赤は人懐っこく、青は人見知り。
俺は目の奥が熱くなる感覚に震えながら、青い子供を抱きしめる。
「ああ、そうだ。俺がパパだ。俺がパパだよ……」
頬に何か液体が伝う。
涙だ。手の甲で受け止めてみると、信じられないほど透き通っている。
透明な液体。その中に、痺れるほどの感情が詰まっている。
俺は……。
俺は…………。
「積田くん」
狂咲は母性に満ちた晴れやかな笑顔で、俺を見る。
「もう少し大きくなったら、似合う名前……考えてあげようね」
狂咲もまた、泣いていた。
〜〜〜〜〜
時間いっぱいまで子供達と過ごし。
気がついたら、朝になっていた。
幼女神が何故呼び出したのか、さっぱりわからなかった。これは失態だ。
みんなのために戦う。口ではそう言いながら、つい感極まって初心を忘れてしまった。
「狂咲……」
俺は胸の上にいる裸の狂咲に、声をかける。
あの夢が俺の脳内の作り物でなければ、彼女も同じことを体験したはずだ。
狂咲は柔らかい体をよじらせ、俺に押し付けながら目を覚ます。
「積田くん……」
愛すべき恋人は、俺に口づけをして微笑む。
発情している。全身でうずうずとボディタッチをしつつ、瞳を濡らして見つめてくる。
「なんだか子供、欲しくなっちゃったなあ……」
「それは戦いに勝ってからだ」
赤子を戦火の中に放り込むわけにはいかない。
俺の手で、全てを終わらせて……地位と金と安全を手に入れなければ。
あの双子と触れ合ってから、更に決心が強まった。俺は絶対に、生き延びなくてはならない。
2人の子供。死に別れてしまったがばかりに、年に数分しか会えない宝物たち。親の俺がこう言うのも憚られるが、憐れだ。
次の子供には、たっぷりと愛情を注ぎたい。
「さっさと終わらせて結婚しよう。愛の巣を作って、存分に励もう」
「……そうだね。もっと広くて素敵なところで、たっぷり時間をかけて、ナメクジみたいに交尾したいね」
「やめろ。もう少しドラマチックでロマンチックなやり方を希望したい」
俺と狂咲は騎士団支部の狭いベッドの上で、更なる進展を誓い合う。