恋愛距離感
騎士団の支部に戻り、まだ慣れない小部屋に体を押し込める。
願者丸は盗聴石を弄りながら、俺の膝の上でくつろいでいる。
「クリファはオイラに執着している。喧嘩をふっかけてきたのも、オイラに構ってほしいからだろう」
そう言って、願者丸はネックレスに偽装した盗聴石を磨く。
最新式であり、僅かながら文章を表示する機能も付いている。
「オイラは同性愛に理解がある方だと自覚しているが……積田の奴隷だから、想いには応えられない」
「ずいぶん女にモテるんだな」
アネットの姿を思い浮かべつつ、俺は膝の上の願者丸を撫でる。主に剥き出しの太ももだ。
願者丸はもじもじしつつ、ネックレスを机に置く。
「オイラみたいなイカれた悪党の、何処がいいのかわからない。あるじさまへの献身の、1割も労力を割いてないのに……」
「きっと、そこがいいんだよ」
狂咲がやってきて、俺を撫で始める。太ももだ。
俺が願者丸にばかり構っているから、妬いているのか。可愛らしい恋人だ。
「願者丸くんは態度に実力が伴ってるから、クールに見えるんだよ」
「積田の方がクールだ」
「それはそう」
そうだろうか。目が曇っていないか?
「納得がいかない。俺はただの無愛想な男だ」
俺本人による訂正を無視して、狂咲は撫でる手を少しずつ股に向かわせる。
「積田くんは意志が固いからね……。どれだけ誘惑しても、一線だけは越えてくれない……。度を超えた自制も、確かに無愛想の範疇かもね」
「だろう?」
「そこがいいんだよ」
やはり目が曇っている。
俺はあまり、人付き合いが得意ではない。ましてや恋愛ともなると、奥手にもなる。
俺たちは未成年。そして、ここは異世界。未来を考えれば、簡単に手を出せないのが普通だと思っているのだが……狂咲の体感では、そうではないのだろうか。
「俺は狂咲を傷つけたくない。産まれてくる子供も傷つけたくない」
俺は幼女神の隣で輝いていた、2人分の魂を想起する。
あの双子は人と人の間に生まれながら、人として生きる時間を過ごせなかった。同じような過ちを犯したくはない。
「俺は狂咲が好きだ。だからこそ、弾みで取り返しのつかないところまで行ってしまいそうで、怖い」
「……そっか」
特に、最近は禁欲生活が続いている。誘惑されると転げ落ちそうだ。
今も、まさに。
「(耐えろ。耐えろ。狂咲に甘えるな。せめて戦争が終わってからだ……)」
俺が相手にしないとわかったのか、狂咲はもう片方の手で、願者丸の服の内側をまさぐる。
「ひんっ!?」
「じゃあ、あたしと願者丸くんで楽しもうか。子供は絶対デキないし」
「ま、待って。オイラは……」
「理解、あるんでしょ?」
狂咲は願者丸と口づけをする。何の躊躇いもなく。
「んっ!?」
それでいいのか、狂咲矢羽。俺でなくとも満足できるのか?
「お前さあ……」
俺が複雑な心境で見つめていると、狂咲は挑発的な視線を返す。
「いくじなしの積田くんは、黙って見ててね。あたしたちが禁欲するところ」
禁欲。狂咲が願者丸を襲う行為は、禁欲なのか。
俺が加わるのが完全な行為であり、それ以外は狂咲にとって妥協でしかないということだろうか。
狂咲は願者丸を抱えて、2段ベッドの下の段に放り込む。
「おい。そこは俺の寝床だぞ」
「あたしの臭いがするベッドで寝るといいよ。果たして朝まで我慢できるかな?」
なるほど。知能犯だな。
時計を見ると、20時を指している。22時に点呼と消灯があるが、まだまだ先の話だ。
それまで我慢……いや、それ以降も我慢……。
「はあ……」
2人分の衣服が床に投げ捨てられ、願者丸の卑猥な声が響き始める。
願者丸よ、抵抗しないのか。もしかすると、俺の命令を待っているのだろうか。
「願者丸。嫌なら逃げていいぞ。嫌じゃないなら、そのまま狂咲の相手をしてあげてくれ。今の俺では狂咲を満足させられないからな……」
「あ、あるじさまぁ……オイラ、このままじゃおかしくなっちまう……」
「楽しそうだな」
苦痛が無いなら、別にいいか。
俺は扉を開けて、外に出る。遠出にはギンヌンガたちの許可が必要なので、他の部屋にお邪魔する程度が関の山だ。
「飯田の部屋にでも行くか」
「とろとろになるまで手入れしておくからね!」
準備したところで、無意味だぞ。
〜〜〜〜〜
俺は飯田と馬場の部屋に行き、雑談をしている。
「お前……据え膳を意地でも食わないつもりか?」
俺の部屋で起きている事態を告げると、飯田は半ば呆れたような顔をする。
俺だって、狂咲がお膳立てしてくれたご馳走にありつきたい気持ちはある。だが、状況がそれを許してくれないのだ。
「結婚するのは、この戦争が終わってからだ」
「死亡フラグじゃねえか?」
その通りだが、仕方ないだろう。戦災孤児を自分から生み出すような真似はしたくない。
俺は願者丸を礼に出し、弁解する。
「後先考えない性交は、悲劇を生みやすいんだ。よく考えて、万全な体制で迎え入れるべきだ。正しい親でありたいからな」
「理屈はわかるけどよ……。じゃあお前、何処までなら許容範囲なんだ?」
飯田は恥じらいもなく赤裸々な話を振ってくる。
男しかいないと、すぐこの調子だ。俺としても、彼が相手なら気楽に話せるから助かるが……。
俺は狂咲との夜を振り返ってみる。
「考え得る限り、色々やった。漫画で読んだことを試して、失敗して、試行錯誤して……」
「ほうほう」
前のめりになる飯田。熱心に食いつかれると、流石に困る。
「これ以上は、想像に任せる」
「なんだよ。照れんなって」
「リスクを抱える程度のことはしている。風呂で入念に洗わないとできないようなことも。……これで満足してくれ」
「お、おう。ほぼヤッてるようなもんか」
俺はあくまで、将来の心配と現在の快楽を天秤にかけ続けているだけだ。やることはやっている。
飯田は工藤の人形を解体して作ったクッションに、背中を預ける。
「だよな。お前も立派な男だ。ちゃんと性欲があるんだ。安心したぜ」
「俺を何だと思ってたんだ?」
「びびりのくせに、意固地な堅物」
「……そうだな」
それは否定できない。俺は頑固で、臆病者だ。
俺は外出中の馬場が使っているベッドを見て、彼の話題を提示する。
「そういえば、馬場はビキニーアーマーが好きとか言ってたな。コスプレはまだしてないが、試してみてもいいかもな」
「衣装は金と手間がかかるからな。なんなら、俺が用意するぜ。町に帰ったらだけどな」
友人に夜のグッズを注文するのは気が引ける。たとえ飯田の価値観では問題ないのだとしても。
俺は丁重に断ることにする。
「やめてくれ。最中にお前の顔がチラつくのはごめんだ」
「そうだな。生産者の顔は見えない方がいい。親の顔の次くらいには、見たくない」
経験があるのか、飯田はしみじみと頷いている。
「昔の彼女とそういう雰囲気になった時にな、色々あって……」
しばらく思い出話に花を咲かせたところで、飯田はふと呟く。
「あ、そうだ。らしくないこと喋らせたお詫びに、俺もひとつ暴露しちまおうか」
「なんだなんだ」
飯田の秘密。重要なことのような気もするが、とてもくだらない情報しか出てこないような気もする。
いずれにせよ、気になる。面白そうだ。
「実はな、俺……彼女ができそうなんだ」
「できそう|?」
できた、ではなく。
そういえば、飯田は恋人を持つことを目標にしているのだったか。達成できたのならめでたいが、どうにも状況が読み取れない。
俺は強めに詰問し、詳しい内容を吐かせることにする。
「おい。相手は俺が知っている人か?」
「勿論。というか、キャベリーだ」
キャベリー。グリルボウルの町長の娘。魔法学校に通っていたため、俺も面識がある。あの頃は毎日会話していた。
そんな彼女と、飯田が。いつのまに接点を確保したんだ?
……いや、よくよく考えてみれば、接点はある。
「商売しているうちに知り合ったのか」
「おう」
考えてみれば、当たり前のことだ。俺の知らないところで、仲良くしていたわけか。
それに、もうひとつ心当たりがある。
「キャベリーは今、商売の勉強をするために留学しているんだったな。それも何か関係があるのか?」
「ああ。俺のスキルをもっと活かす方法を探してくれてる。それで俺たちは、もっともっとあの町を豊かにしていくんだ」
なるほど。納得だ。キャベリーほど優れた手腕を持つ実業家が、飯田の複製スキルに目をつけないはずがない。
「正式に恋人になっていないのは、遠距離恋愛だからか?」
「だいたいそんな感じだ。……この旅の中で、他に良い相手が見つかっても、恨みっこなしだ」
飯田はクッションを抱え、デレデレと良い笑顔を浮かべている。
「お互いにキープし合ってるだけだから、もどかしいんだけどよ。それでも、あいつが努力する理由になってるんだ、俺」
なかなか美しい恋愛をしているではないか。応援したくなる。俺の複雑かつ圧されてばかりの付き合いとは大違いだ。
俺は飯田とキャベリーの関係性を素直に羨ましく思い、感嘆の息を吐く。
「いいなあ。俺なんか狂咲の肉食が過ぎるせいで、自分の部屋から追い出されてるんだぞ」
「……前から思ってたけど、お前のハーレム、構成員が奔放すぎだな」
「願者丸についてはもう受け入れたが、水空と工藤はいい加減諦めてほしい」
「何か言ったかー?」
水空の声。
弾かれたように振り向くと、扉の隙間に水空が。
スキルを起動しながら、胡乱な目でこちらを見つめている。
「キョウちゃんと願者丸くんが大人のプロレスしてるのに、なんで積田くんは男と夜を過ごしてるのかなー?」
「距離を取りたい時もあるからだ」
「背中に磁石でも付けようか? いや、いっそ下半身に……」
俺は飯田の部屋を出て、自室に向かう。
どのみち、点呼が近い。不服だが、合流するとしよう。
〜〜〜〜〜
俺たちは部屋を片付け、点呼をやり過ごし、一息つく。
「ふう。願者丸くん、切り替え早いね」
狂咲は願者丸の頭頂部と下顎を撫でている。
俺が帰還した時、願者丸は酷い有様になっていた。狂咲の手で理性を溶かされ、口の端から涎が垂れていた。
恥ずかしい姿を騎士団に見せるわけにはいかない。その意識は狂咲にもあるようで、少しだけ安心した。
「忍者は騙してこそだからな」
実際、俺たちは願者丸のポーカーフェイスに騙されてきた。娼館で再会するまで、別れた理由を察せなかった。
願者丸は一流の役者だ。脚の震えを誤魔化し、腹の底に走る快感を隠し、こうして立っている。
狂咲は手を舐めて願者丸の体液を拭い去り、蠱惑的な表情で俺に尋ねる。
「点呼って、あれで終わり? あとは寝るだけ?」
「そうだな。今日は騎士団の半分近くが外の任務で出てしまうようだから、ここにいる面々だけだ」
「じゃあ、今からオールだ!」
狂咲はまだ願者丸と楽しむつもりのようだ。
性欲が強すぎる。俺だけではどうしようもない。
「指がふやけてきたから、そろそろ積田くんが交代してくれると助かる」
「嫌だ」
俺の返事を聞き、狂咲は玩具で遊ぶ子供のように嬉しそうな顔で願者丸を弄る。
「ダメだ。ちっともなびいてくれない! もっといっぱい誘惑しないと!」
「あひっ!」
願者丸はすっかり全身を開発されてしまったのか、狂咲に撫でられただけでゾクゾクと震え始める。
俺は自分のベッドに戻り、忠告する。
「うるさくするなよ」
「おや、積田くん。そこで寝る気?」
言われて初めて、意識してしまった。
この上で、さっきまで狂咲と願者丸が……。
「……やめておこう」
俺は危険な空間から逃げ出し、誰のものかわからない他の寝床に潜伏する。あそこではきっと興奮してしまい、俺の精神が保たない。
「勘弁してくれよ……」
俺はスキンシップの音を耳栓で防ぎ、羊の数を数え始める。
「羊が1匹。羊が2匹……」
「にゃー」
羊はにゃーと鳴かない。今の声は猫魔だ。
「何故ここにいる」
「暇だったから、抜け出してきたにゃ」
答えになっていないが、猫魔とはそういう奴だ。
俺は猫形態の彼を腹の上に乗せ、また目を閉じる。
「スキルの姿とはいえ、猫はいいなあ。癒される」
「にゃー。やっぱり積田は同志にゃ。猫は素晴らしいにゃ。飼い主になってほしいにゃ」
既になってるだろうに……。
グリルボウルの家では、猫魔はほぼ皆の飼い猫だった。これから先、戦場ではどんな関係になるのだろう。
俺は毛並みの良い猫魔の背中を撫でながら、ゆっくりと意識を手放す。
アニマルセラピーは抜群に効いた。狂咲のハードな誘惑によるストレスを忘れ、ぐっすり眠ることができた。
〜〜〜〜〜
朝。
タコのようにフニャフニャになった願者丸が、俺の隣に転がっている。
「無事か?」
「オイラは……」
起きていたのか。
心配する俺をよそに、願者丸は夏場のアイスのようにとろけきった顔で、俺に縋り付く。
「オイラは……願者丸サスケは……拷問に耐える訓練も積んでいるからぁ……」
「早く着替えてくれ」
「……わかったぁ」
口ではすぐ命令に従いつつも、願者丸はどんよりとした顔でこちらを見つめている。
「オイラって、猫より魅力、足りない?」
「お前は人間だ。顔を洗って戻ってこい」
「うう……切ない……」
願者丸はガッカリした顔で、猫魔を抱いて下に降りていく。狂咲に毒されすぎているような気もするが、俺でさえ罪悪感が湧く後ろ姿だ。
……申し訳ないことをしてしまっただろうか。寝起きにあんなことをされても、困惑するだけなのだが。
「このまま距離を置き続けたら、きっと嫌われてしまう。デートで挽回するか……」
俺は狂咲と願者丸を繋ぎ止めるべく、この町でのデートプランを練る。
監視付きとはいえ、しばらくは自由行動がある。2人に愛想をつかされたら、俺に未来はないと思おう。