喧嘩
願者丸とクリファが戦った、その後。
クリファは狂咲のスキルで治療された。その様子も役人に公開され、戦場での有用性を誇示することとなった。
治療の終了後、予定通り役人と学者の手によるステータス画面の検証が行われた。
俺たちの数値の記録。スキル名の記録。強度が同じであることを確認し、願者丸の画面に耐久試験。
派手な音と光が響いたが、大したことはなかった。画面の力は、まさに神の業。人間ではどうしようもない。
「有意義な会でございました」
第三王女がそう締めくくり、先に帰っていく。公務があるそうだ。
そして、役人たちも話し合いをした後、一度会合を切り上げることに決める。
「それだけの腕があれば、軍属の意志は認められることだろう。神聖なる力を、この王国のために活かしてくれたまえ。属する国への尽力こそが、利口なる者の振る舞いと心得ろ」
小男の言葉により、各勢力は解散となった。
彼は願者丸と俺たちに対して、明確に怯えている。おそらく、神の加護を見くびっていたのだろう。
これから胡麻を擦ってくるか、それとも危険因子と見て暗殺に来るか、それとも……今まで通り、高圧的に接してくるのか。
「あるじさま。こっちに」
願者丸は、役人たちがいる席に仕掛けた盗聴石に食いついている。何か妙なことを口走ったのだろうか。
俺は彼女の元に向かい、石に耳を傾ける。
「あの者たちの力……『掟』に書かれた値通りなら、戦力として申し分ない……」
「問題は運用方法か……。神より賜った掟を足蹴にする戦闘方法……国の方針と思われるわけには……」
「待遇は一般兵より良く……規律の為、将よりは……」
「いや、賃金のみ幹部待遇で……指揮権と住居は……」
あれこれ案が出たものの、細かい内容は財政や騎士団の状況を見て決めることだ。
早々に話題は次に移る。クリファの件だ。
「事前の打ち合わせとは異なり、異説魔法を使用したようですが……あれは一体……」
責めるような口調だ。騎士団の指導不足とでも言いたげだ。
実際、その通りではある。クリファは騎士団から愛されているが故に、やや甘い対応をされてきた。
俺たちのそばにいるクリファ本人も、それを自覚しているようだ。バツが悪そうに隅で控えている。
「彼女の今後は騎士団に任せるとして、今は良い結果が得られたことを喜びましょう」
フォローと話題逸らしを行ったのは、盗聴石を仕掛けた内通者。今いる騎士団の隊長と懇意だからか、彼の責任問題になることを避けたかったのだろう。
「生やさしい組み手や喧嘩ではあり得ない、強力な異説魔法。それに対処できることが示されました。心強いと思いませんか?」
「まあ、そうだな……至近距離であれを避けるのは、示し合わせても難しい……」
「我々が咎めることではない、か……」
馬場は願者丸を見て、険しい顔をしている。
願者丸だから避けられただけで、全員にあの動きを期待されても困る。そう言いたげだ。
……馬場はスキルが強みになりにくい。後方支援が出来ないとなると、前線に送られてしまうかもしれない。どうやって回避したものだろう。悩ましい。
——その後、国の内情の話に映ったところで、俺たちは盗聴石から耳を離し、騎士団と話し合いを行う。
「願者丸くん。君から見て、クリファとの戦いはどうだった?」
隊長が相変わらず優しげな口調で問うと、願者丸は仏頂面で愚痴を漏らす。
「クリファはオイラに言いたいことがあるらしい。明らかに不機嫌だった」
「そうか。実力の面では……」
「単発での練度は見事だった。ただ、戦法の組み立て方が良くない。技は繋いでこそだ。……というか、これは隊長が教えるべきことだろう」
「まったく、その通りだな」
隊長は軽くあしらい、クリファの方を振り向く。
彼女は騎士団員に囲まれている。まるで檻の中の兎のようだ。
隊長に促されるまでもなく、彼女は願者丸を見て、声を振り絞る。
「くやじい……!」
途端、流れ出す大粒の涙。
俺には理解できない。何故自分の足を引きちぎってまて勝とうとしたのか。何故こうも悔しがっているのか。
隊長も騎士団員も、困惑している。クリファをよく知っているはずの彼らでも、今回の件は異常に見えるのか。
一方、願者丸は止められながらクリファに近づく。
「クリファ」
クリファは意外そうな表情で顔を上げる。
そういえば、彼女がクリファの名前を呼ぶのは初めてだ。だから驚いているのだろう。
「さっき言ったこと、覚えてるか?」
戦闘中、あるいはその前の口上のことか。
クリファは幼さの残る顔で願者丸を睨みつつ、確認を取る。
「傷を見せろという話?」
「そう、それだ。見せろ。話も聞かせろ」
「さいってぇ……」
クリファは嫌がりながらも、隊長に許可を求める。
「彼と2人きりで話す時間をください。もしかしたら、ふ、ふ……服を、脱ぐかもしれないので、人払いもお願いします……」
「……念のため、側にギンヌンガを付けろ」
願者丸と喧嘩になった場合に、仲裁する役ということだろう。
クリファもそれに同意する。色々あったが、ギンヌンガのことは信用しているようだ。
——ひとまず、今日は騎士団支部に帰って休むことになった。
役人たちからの通達は、明日以降だ。俺たちの評価は、国としては簡単に下せないそうだ。
しばらくはこの町で待機することになるのだろう。いつまでかはわからないが。
〜〜〜〜〜
砂浜。
俺は願者丸とクリファの話し合いに付き添うことになる。
「なんで積田も……?」
「オイラのあるじだからだ」
クリファはかなりきつい目で俺を睨んでいる。
「同じ故郷の仲間なんでしょ? 奴隷にしてこき使うなんて、最低……」
「奴隷ではない。こき使ってもいない」
「暇すぎて仕えている実感が湧かないくらいだ」
「……そう。一応、信じる」
願者丸の言葉で、少しだけ納得したようだ。
クリファは俺から目を逸らし、砂浜の上に座る。
俺とギンヌンガと、願者丸の監視役の青年は、彼らの話し合いを邪魔しないように、少し離れたところに座る。
「ボクは、奴隷だった」
小さな背中越しに、彼女の過去が語られる。
「生まれた時から、貧しくて。見た目だけは良かったから、金持ちに売られた」
「そうか」
願者丸は短く頷く。
俺が他人の悩み事を聞く時と似たような素振りだ。まさか、参考にしたのか?
……いや、気のせいだろう。あまりにも自意識過剰な考え方だ。たまたま無愛想な口調が似てしまっただけに過ぎない。
クリファは願者丸の反応が薄いことに違和感を抱いているのか、少し眉を動かしてから、続ける。
「お腹の火傷が目立つけど、他にも色々ある。頭皮とか足とか、お……おし……」
「ケツか」
「はっきり言わないで!」
クリファは恥ずかしがっている。わかりやすく顔を赤くして、尻を手で隠している。
「ボクは体について触れられるのが嫌だ」
「勿体ないな……」
「は? は!? それって、どういう……」
クリファは顔を更に赤く染めて、まるで林檎のようになっている。漫画的表現くらいでしか見ないほど赤い。なんだか心配になる。
「オマエは体つきがいい」
「どういう意味!?」
「オイラより体格に恵まれている。成長期だから、この上まだ伸びるんだろう? 羨ましい」
「ああ……そういう……」
「ついでに顔も美人だ。言うだけのことはある」
クリファは達磨のように赤くなる。あれより更に上があったのか。どこまで赤くなるのか、気になってくるほどだ。
「それで、何故オイラを妬む?」
早く本題に入れと言わんばかりの願者丸の言葉に、クリファは気まずそうに俯く。
俺たちの位置からでは、もう表情が見えない。
「あなた、どうせ……いい暮らししてきたんでしょ」
「まあ、元の世界では恵まれていたな」
「そんな恵まれた奴が、偉そうにしてると……ムカつく」
クリファは膝を抱えている。頭を膝に埋めて、暗闇だけを見ている。
「この世は自分に都合よくできてるって感じで、周りを敵に回すように振る舞って……。頭を下げ続けないと生きていけない人が、たくさんいるのに……」
「心当たりはある」
「ふんぞり返って、威張り散らして、他人を見下して、気に入らないものに唾を吐いて……。あなただけじゃない。貴族だって、役人だって、乞食だって、みんな嫌い。同じようなことする奴は、地位とかじゃなくて、みんな嫌い」
クリファは己が作り出した暗闇に、過去に出会ってきたトラウマを見ている。
「ボクを買ったあの豚貴族は、ボクにいやらしい服を着せて、いやらしい目で見て、気分次第で……いやらしいことを……」
「怪我はその時についたのか」
「うん。あいつの意思で、ボクの心は、いつだって踏み躙られて……最後には、飽きたからって……暖炉の火を……」
「オイラはそうならなくてよかった」
クリファは弾かれたように立ち上がり、願者丸に掴みかかる。
緑色の目を見開き、大口を開けて叫ぶ。細い指に力が入り、願者丸の肩に食い込んでいく。
「ボクのことを、バカにして……!」
「実力は見下している」
「やっぱり……!」
「だが、実力以外は違う。オマエという人間を尊敬しているし、親近感も抱いている。オイラにしては珍しく、私的な時間を割いてやることに価値を見出しているんだ」
願者丸はクリファを自力で引き剥がし、砂浜に押さえつけ、こちらをチラリと見やる。
……手出しは無用ということか。仲裁役として来た身だが、やはり仕事はなさそうだな。
俺はギンヌンガの肩を押さえ、物陰に引っ込む。
「腕っぷしと人格は、分けて考えるべきだろう。オマエに対して馬鹿にしたような目を向けても、それが全てではないんだ」
「言い訳しないで! ボクは……ボクは確かに、傷ついたんだ……」
「じゃあ、馬鹿にしたのと同じだけ、良いところを見つけて認めてやろう。それで埋め合わせになるといいが」
願者丸はクリファへの拘束を解き、土魔法で作った砂の椅子に座る。
「髪が綺麗だ。瞳も澄んでいる。細身の割に、力も強い」
「は、はあ!?」
「修業も欠かさない。魔法も体術も、歳の割に大したもんだ」
「それくらい、騎士団なら当たり前のことで……」
「どんな過去があろうと、オマエは立ち直り、騎士団にいる。立派だよ。オイラにはできないことだ」
「そんなはず……。あなたみたいな暴れん坊が、過去を気にするわけないじゃない。適当言わないで」
願者丸は自らの服をめくり、腹部を見せる。
へそより下に、彼女の過ちはある。俺に夜這いを仕掛け、無理矢理罪を背負わせた過去だ。
「これは、オマエの傷とは違う。オイラの自業自得でついた、恥ずべき痕だ」
「喧嘩か何か?」
「違う。オイラが今も引きずっている、過去だ。詳しくは……あるじさまの命がなければ、言えない……」
俺は首を横に振る。
クリファはこの罪を知るべき人間ではない。俺たちは願者丸を許したが、クリファやギンヌンガや、監視の青年は……。
願者丸は目を伏せ、服を元に戻す。
「とにかく……オイラは、過去を振り切れる性格じゃないんだ。だから、オマエを尊敬している。自暴自棄にならず、自力で解決して、生きていける。凄いことだ」
「……そう。ボクだって、無かったことにできてるわけじゃないから、買い被り過ぎだけどね」
クリファは起き上がり、願者丸の隣に不恰好な椅子を作り、座る。
さっきよりも距離が近い。心を許したのか?
「思ったより、悪いヤツじゃないんだね。ちゃんと考えてる。みんなのことも、自分のことも」
「オマエのこと、もっと褒めようか」
「えっ、いいの? ……じゃなくて! 必要ない!」
仲直りできそうだ。元々、願者丸の方はそれほど嫌っている様子ではなかった。クリファの気持ち次第だったのだ。
願者丸は水平線に沈んでいく夕日を見つめ、椅子にもたれかかる。
「信用してもらえたか?」
「うん。信じる」
願者丸が振り向いて俺たちを呼ぼうとすると、クリファは反射的に止める。
「待って! もう少し……話したい……」
感情を整理する時間が必要ということか。余韻というものは大事だ。
俺はまたギンヌンガを押さえて、物陰に戻る。デジャヴを感じるが、仕方あるまい。
クリファは更に近づいていき、願者丸と手を繋ぐ。
「また……挑戦してもいい……?」
「時間があれば。それと、無茶はするなよ?」
「わかった」
沈んでいく夕日。青黒い夜が、空を染めていく。
「ボクたちは、内地を回る部隊だから……戦場に出ることはない……。お別れが近いんだ……」
「次会うとき、オイラは死人か英雄だ」
「ボクは……ただの使いっ走りだから……生きてても、もう会えないね……」
「何を遠慮してるんだ。会いに来いよ」
「……ありがと」
クリファが身を寄せたところで、不意に願者丸が目を見開き、立ち上がる。
椅子から飛び降り、俺たちがいる方に向けて、鋭い声で叫ぶ。
「仲直りは済んだぞ。これでもう、任務に支障はあるまい」
何故クリファを引き剥がすような真似を? あのまま会話していれば、いい友達になれただろうに。
俺は疑問に思いつつも、歩いていく。ギンヌンガは出てこない。
俺は願者丸の手を引き、クリファに声をかける。
「点呼があるんだろう? 間に合わないと叱られる」
「むーっ! ぷきーっ!」
小動物のように頬を膨らませ、威嚇するクリファ。確かに空気を読まずに割り込んだ俺が悪いが、騎士団として規律は大事だろうに。
俺は気まずそうにそっぽを向いている青年とギンヌンガに呼びかけつつ、土魔法の椅子を片付ける。
「元の状態に戻さないとな。次に広場を使う人のために」
「あるじさま……ちょっと鈍すぎないか……?」
願者丸が呆れた目で見上げてくる。クリファもぽこぽこと殴ってくる。ギンヌンガと青年も、ドン引きしている。
……俺はまた、何かを見落としたのだろう。空気が読めない行動はよろしくない。
……が、今ここで尋ねるほどの勇気はない。後でこっそり、願者丸から聞いておかなければ。