忍びの演武
『ヒューマスキン』の町、大賢者の大広場。
大仰な名前を持つだけあり、かなりの広さだ。魔法の実験等が行われることもあり、観客席も用意されている。
今日はここで、俺の師匠……願者丸サスケによるパフォーマンスが行われる。
神の加護。その力を国の中枢が見定めるためだ。
俺たちは役人が集まるまでの間、木陰で待機している。監視役であり案内人でもある中央騎士団たちも一緒だ。
「責任重大だな……」
俺の隣で、願者丸は珍しく震えている。
奔放で、自己中心的で、社会性のない少女。そんな彼女が、初めての仲間のために力を発揮しようとしている。
俺は彼女の手を取り、強めに握る。震えを俺が押さえつけるのだ。
「師匠は実践派だろう? こんな演習ごとき、さっさと終わらせてしまおう」
俺の発言に、願者丸は吹き出す。
「オマエも、なんだからしくないな。緊張してるのか?」
……今のは、俺らしくない言葉だったのか。
右隣で、狂咲も笑っている。
「ふふふ。いつもよりうわずってたよ」
「……そうか」
俺は黙って俯く。これ以上、恥ずかしい真似をしたくない。
俺の羞恥と引き換えに、場の空気は和んだようだ。騎士団たちが微笑ましそうにこちらを見ている。
ならば、良しとしよう。俺は皆のために、尊い生贄となったのだ。
〜〜〜〜〜
役人たちが集う。
示し合わせたように、同じような服装、同じような口髭をしている。流行りなのだろう。
彼らの代表として、立派な帽子をした小男が、背筋を伸ばしたまま宣誓する。
「これより、大賢者の座の元に『英鳥の神』の加護を見極める、御前試合を開催する」
御前試合?
俺がその単語に緊張を覚えると、即座に次の人物がその疑問を晴らしてくれる。
誰よりも目立つ派手な服装。
誰よりも目立つ派手な容姿。
「第三王女、リージュ・ヴェルメルです」
温和でありながら、有無を言わさぬ圧のある声。生きてきた環境の違いか、それとも流れる血の違いか。
歳は不明だが、俺たちより少し上だろう。だというのに、俺が数十年努力を積み重ねたとしても、この域にたどり着ける気がしない。
彼女は一切頭を下げず、態度も崩さず、まるで彫刻をそのまま動かしたかのような正確さで、後ろに下がっていく。
尋常ではないほど練度の高い護衛に守られ、人を寄せ付けず、整然としたまま、俺たちの目の届かないところに……。
「ふん」
鼻息。誰にも聞こえないだろう音量で、隣から。
願者丸だ。
……流石に表立って文句や因縁をつけることはないようだが、やはり彼女はアウトローだ。誰にも敬語を使わない無礼の極みは、王女に対しても発揮されるというのか。
「(願者丸の実力は、俺たちの中でも最上級。問題があるとすれば、この態度……)」
俺はほのかな胃痛を覚えつつ、願者丸を置いて席に向かう。
まずは演武。神の掟であるステータス画面を表示して、可能性を示すのだ。
「代表者、願者丸サスケ。演武を開始しろ」
小男が上から目線の指示をすると、役人の護衛たちに緊張が走る。
中央騎士団に似た武装。しかし、色合いが違う。更に上か、あるいは専門の……。
「見てろ」
途端、願者丸の低い呟きが空気を震わせる。
不良の価値観。すなわち、ナメられたら終わり。
願者丸はステータス画面を出し、見せる。
願者丸 サスケ レベル20
【ステータス】 【スキル】
攻撃…20 諜報
魔力…12 黒魔法信仰
防御…18
魔防…13
速度…20
逃げ出した時、レベルは8だった。それから12近く上げて、今は20。
グリルボウルの周辺では、ここまでレベルを上げることは難しい。故に俺たちは、戦場に向かうと決めた時、エンマギアとハモンドに修業場を移した。海や山の魔物を狩り、巨大な敵に立ち向かい、協力して強くなったのだ。
「(あれは大変だった。骸骨獅子の群れに出くわした時は、特に……)」
かつての過酷な修業を思い返していると、願者丸が動き出す。
まずは打ち合わせ通り、ステータス画面を使ってアクロバット。
「ん」
小柄な体を大胆に使い、無表情で跳び上がる。
画面を床にして空まで駆け上がり、壁を作って張り付く。
「ん」
錐揉み回転をしながら、突撃。手のひらで地面に着地。
そのまま脚を広げ、独楽のようにスピン。
「ん」
無表情のまま、片腕の力だけで後方に縦回転。何事もなかったかのように、大地に立つ。
騎士団と役人たちは、渋い反応だ。王女はそれなりに興味を持っているようだが、真実かどうかはわからない。
まあいい。ここからが本番だ。
俺の手で、工藤が作った人形を投げ入れる。
「あれは……!」
等身大の金属製。この世界に来てから学んだ、新しい人形。敵国の装備に似せた鎧を着せてある。
つまり、威勢の良い踏み絵だ。
「ほら、見ろ!」
願者丸の技は一段とキレを増し、鎧の顔面を力強く踏みつける。
「(今のは願者流の……『暖簾落とし』か)」
一撃で鎧がひしゃげ、中の人形が潰れている。
鋼の塊を、人の足で踏み潰したのだ。役人たちはどよめいている。
「何か仕掛けが……?」
「後で回収を……」
種も仕掛けもない。むしろ、願者丸の技にしては手を抜いた方だ。ステータスの補正があれば、破片が俺たちのところまで飛び散るほどの威力を発揮する。
飯田の助言通り、願者丸はステータス画面を使って人形を押しつぶす。
ステータス画面は、神の力により破壊不能になっている。それで敵を押さえつければ、脱出不可能な拘束となる。
「まだ必要か?」
願者丸は冷ややかな目で役人たちを睨む。
威圧感。王女とは種類の違う、剥き出しの殺意によるものだ。
「あ、ああ。ひとまず、審議する」
代表の小男は、一旦願者丸を下げさせて、奥で見守っていた役人たちと共に会議を始める。
俺たちとの間に防音の布が立てられた。もはや彼らの姿は見えない。
だというのに、会議の声は聞こえてくる。俺の手元の盗聴石から。
事前の打ち合わせ通りとはいえ、ヒヤヒヤする。
「あーあ。奴ら、節穴だな」
願者丸はニヤけている。達成感と、いたずら心によるものだろう。
「スキル名は見せてある。そして、力を見せろとも言われている。見抜けない方が悪い」
バレたら死罪かもしれない。そう思うと、すぐにでも破棄したくなるが……そうも言っていられない。
騎士団の中からこっそりと声が上がる。
「ふふふ」
隊長が笑っている。
そう。これは彼の発案によるものだ。役人の中に、彼の友人がいるらしい。ほんの少しだけ、手引きしてもらったのだ。
俺たちは石に耳をすませる。
「あの体格で、あの身のこなし。間違いなく、加護を得ていますね。末田という人物に匹敵するだろう、大立ち回り……」
「再度、数値を確認しましょう。それぞれの項目の作用については、未だ解明されていないようですが……彼の場合、攻撃と速度の高さが目立ちますね」
「耐久性の向上も見られると聞くが、もう少し見せてもらうべきか……?」
「それは末田で試す」
なんだと?
末田は俺たちの代わりに、危険なデモンストレーションを買って出たのか。
これは俺たちの誰にも知らされていなかった。狂咲と工藤も驚いている。
「末田さん……」
工藤は末田の方を見る。
彼女はずっと、大人しくしていた。道中でも、船でも、この町でも。
その理由が、これか。出会った時から、隠しごとばかりではないか。
末田は一番奥の暗がりで、目を逸らす。
「多少は条件つけたよ。ま、いざとなったら素駆が守ってくれるだろ」
楽観的な発言だ。
おそらく、そうはならないだろう。かつて役に立ったとはいえ、敵前逃亡や諸々の余罪により、指名手配されている身だ。容赦のない拷問が待ち受けていることだろう。
工藤は彼女に駆け寄り、長い腕ですっぽりと抱きしめる。
「なんで……そんなことをするんですか……」
「罪悪感を捨てきれなかっただけさ」
末田はボサボサの髪を弄りながら、気まずそうにしている。
「自分がやったことに、今更責任を取りたくなっちまって。その方法が、旧友たちを助けることだっただけさ」
やはり国への忠義など、かけらもない。しかし、このアル中には命より大切なものがあったようだ。
工藤と出会って、それを思い出したのだろう。
ひとり盗聴石に向き合っていた願者丸は、俺たちを呼び止める。
「手合わせだ。そっちも見てから判断するってよ。頭が悪いなりに必死だな」
吐き捨てるように言って、願者丸は立ち上がる。
俺たちは不安を隠しつつ、彼女を激励する。
「怪我したら治してあげるからね」
「負けたらウチが出てやるよ」
「僕の不運が暴れませんように」
「願者丸なら、運悪くても大丈夫じゃね?」
「にゃおー」
工藤も末田に縋りついたまま、声をかける。
「無茶は、しないでくださいね」
「今まさに、無茶の上に成り立ってる状況だろ。命懸けの戦争だぞ?」
願者丸はツッコミを入れつつ、はにかむ。
「でも、ありがと。元気出た」
さては、照れているな。可愛い奴め。
〜〜〜〜〜
クリファ。中央騎士団の下っ端であり、平民出身の少女。
かつて騎士団に救い出された過去を持ち、血の滲むような努力を積み重ね、魔法を会得。憧れの中央騎士団に入団する。
得意な魔法は風と水。火と土は基本だけ。
四属性全てを使いこなせる願者丸なら、敵ではないだろう。
2人は向かい合い、前口上を述べる。
「前から気に食わなかった。ぶっきらぼうで、偉そうで、そのくせ自由に生きていて。羨ましいと、何度思ったことか」
私情だ。組み手の名目を完全に忘れている。
だが、対面の願者丸は不敵に笑う。
「そうか、トラウマか。過去の経験が仇となっているんだな」
過去の経験。その言葉を聞き、クリファは冷静さを捨ててしまう。王族もいる前だというのに、歯を剥き出して怒り出す。
「過去の話は不要。今すぐ開始を……」
「クリファ。オマエはオイラに似ているよ」
願者丸は珍しく、俺と仲間たち以外の人間に興味を示している。
「腹にある火傷のこと、後で話してくれ」
その言葉を聞いて、クリファにとって最大の地雷が弾け飛んだ。
激怒。クリファは激怒している。目を見開いて、歯を食いしばり、魔力を全身から激らせている。
「傷に……。私の傷に、触れないで!」
願者丸はジャッジをする予定の男に対し、冷静な笑みで要望を伝える。
「全力のクリファを引き出したかった。騎士団員を貶めたかったわけではない」
「……では、開始しても?」
「当然」
騎士団員が開戦の旗を振り上げると、クリファはすぐさま魔力を練り上げる。
全身に散らばっている微細な魔力を、右腕に一点集中。放つは、腕を媒介とした魔法。
「『風の腕:アズサユミ』!!」
巨大な風の矢が、彼女の手から放たれる。
凄まじい魔力を感じる。さっきの人形くらいなら、余裕で貫けるだろう。
クリファが強いというのは、嘘でも誇張でもなかった。彼女は本物の実力者だ。
願者丸は、ステータス画面を盾にして防ぐ。
「細い。それに、直線的すぎる。防げない方がおかしいくらいだ」
願者丸は挑発する。クリファの攻撃を引き出すために。
「生意気……!」
クリファは次の魔法を編み始める。
しかし、願者丸はせっかちだ。悠長なことをしている間に、彼女の目の前まで攻め込んでしまう。
「どうした。オイラはここだ」
「『水の腕:ドローイング』!」
クリファの詠唱と共に、彼女の右腕から水の触手が伸びていく。
使用者の意思のまま、自由に動く水の鞭。それが水の腕だ。中級魔法といったところか。
願者丸の接近戦には、対応力の高いこれが有効だと判断したのだろう。
しかし、願者丸はかつて山葵山に挑み、魔法をいなし続けて勝利した。練度が足りないクリファでは、願者丸を捉えきれまい。
「さて」
願者丸はステータス画面の上に乗る。
対するクリファは、画面のない上方から水の腕を振り下ろす。
完全に悪手だ。ステータス画面の性質を忘れているのだろうか。
「水の鞭だけ。混合も同時詠唱も無理か」
願者丸は地を駆ける。
一度しまってから、今度は頭上に画面を再出現。
クリファの水は、画面に阻まれる。
「ずるい!」
さっきの演武を見ていれば、わかるはずだ。画面はいくらでも出し入れできるのだから、位置を気にしても仕方ないのだ。
クリファは水の腕を解除する。おそらく、これ以上保つには魔力出力が足りないのだろう。
代わりに、魔力を足に集め、新しい魔法を唱え始める。
何の魔法も飛んでこない時間。すなわち、願者丸の独壇場だ。
「そこ」
願者丸は無詠唱の土魔法を放ち、クリファの足元をぐずぐずにする。
「えっ」
いつのまにか、小石や段差まみれ。
無詠唱では出力が大幅に落ちる。しかし今の願者丸の練度なら、この程度の事象は引き起こせる。
願者丸はステータス画面に乗り、ひとりだけ安定した足場で接近する。
近づきさえすれば、願者流の技で勝負が決まる。
「うっ、くうっ!!」
劣勢になったクリファは、悔しそうな顔で無詠唱の風魔法を放つ。
騎士団の装束は、内側に魔導書や魔道具を仕込むことができる。今の無詠唱は、おそらく魔道具の効果によるものだろう。
「まずいな」
「使う許可、出してあったか……?」
騎士団員から、思わず漏れてしまったらしい声がする。
クリファは騎士団によって拾われ、騎士団の息がかかった施設に送られ、無事に魔法を覚えて騎士団に入ってきた。
この部隊で最も愛されている団員は、彼女だ。
「(何かの間違いでクリファが勝ってくれないか。そう思いつつも声に出して応援できないのは、もどかしいだろう)」
神の加護は強力。強力な騎士団員とて、加護の前では無力である。この組み手は、その考えが前提となっている。
前日、願者丸はクリファを傷つけないように手加減する方法さえ模索していたほどだ。
……しかし、応援できる者が一人だけいる。
「どうした? そんなものか?」
願者丸だ。
数々の威圧的な行動・言動により、役人たちの目には、願者丸は加虐趣味の狂戦士に見えていることだろう。
しかしながら、実情は真逆だ。
「他の手札もあるんだろ? 撃ってみろ。一縷の希望に懸けて」
これは応援だ。クリファの気力を奮い立たせ、戦意を昂揚させているのだ。俺に対する稽古のように。
「(優しくなったな、願者丸)」
俺は決闘の結末を見届けるため、身を乗り出す。
おそらく、次の攻防が最後だ。
クリファは歯を食いしばり、親の仇のような顔で、願者丸に向けて叫ぶ。
「『風の脚:異説ッ!!!」
「な!?」
役人からも騎士団からも、戸惑いの声。
異説魔法は、強力無比な破滅の魔法。しかし、その威力は危険と隣り合わせだ。
魔法は体の一部を媒介にして放つのだが……異説は魔力を込めすぎるため、確実に怪我をするのだ。
「やめて、クリファ!」
ギンヌンガの悲鳴。
クリファが放とうとしているのは、敵に突撃する風の魔法。代償は足の負傷。良くて捻挫。普通は骨折。最悪の場合、両脚を欠損する。
「『ヨミビトシラズ』!!!」
クリファの決死の叫びが、大広場を揺らす。
勝ちたい。その強い意志が、破滅の魔法を更に強化する。
人体でも、神の加護でも、水空のような怪物でも出し得ない速度で、クリファは飛ぶ。
標的たる願者丸へ、まっすぐ。
「……ふん」
残念そうに、そして切なそうに、願者丸はクリファを避ける。
ステータス画面を盾にしたら、クリファの首が折れかねない。故に、避けるしかない。
代わりに、願者丸は土魔法を編む。さっきぐずぐずにした足場を生かし、魔力を通して再起動する。
「『土の脚:ストゥーパ』」
柔らかいクッションのようになった土が、クリファの体を優しく受け止める。
怪我を予期した願者丸が、あらかじめ作って待機させておいたのだろう。
投げ出されたクリファの体は、クッションに包まれながら吹き飛んでいく。
「『鳥籠』」
水空がスキルを起動し、冷静にクリファを見る。
大広場を飛び出し、遥か遠くで着地したクリファ。命に別状はないそうだ。
足は……骨が見えるほどズタズタになっているらしいが。
しんと静まり返った、大賢者の大広場。
誰も口を開こうとしない。クリファの悲惨な姿と、願者丸の無表情な立ち姿を、交互に見比べている。
「おい」
願者丸が叫ぶ。
「十分だろう。終わりだ」
進行役が叫び、手合わせは終わった。
血塗れのクリファは騎士団に運ばれ、狂咲のスキルで治癒された。
役人たちの反応が怖いな。
願者丸の行動は、どう思われただろうか。クリファの暴走に近い行動は……。
盗聴石を使いつつ、様子を見よう。