幕間:歪んだ迷路
《狂った恋の始まり》
狂咲矢羽という少女をご存知でしょうか。
色んな人と仲良くしてるのに、大切な時ほどどうしようもなく意気地なしで、そのくせ身の丈に合わない欲張りさんな、ダメな子です。
はい。それは私です。
狂咲矢羽は、私です。
小学生の頃、積田くんという男の子が気になり始めました。
大人っぽくて冷静で、小学生って感じがしない男の子。私は彼の、良い意味で浮いた一面に惚れました。
でも、正面切って関わりを持つのは恥ずかしくて、友達のみっちゃんに様子を見てもらいました。
積田くんに好きな人がいるかどうか。趣味は何か。将来の夢は。そんな当たり障りのないことから、調査してもらいました。
でも、どれを聞いても勇気が出ませんでした。積田くんにフラれるのが怖くて、ずっと遠巻きに見ていました。
私からのみっちゃんへの要望は、だんだんエスカレートしていきました。
積田くんのテストの点数はどれくらいか。通っている習い事は。ご両親は。
どんどん私生活に踏み込んだ内容になっていきました。それを自覚した上で、止められませんでした。
そして、私の我儘に付き合っているうちに、みっちゃんもおかしくなっていきました。
私は何も頼んでいないのに、物を取ってくるようになったのです。
積田くんが捨てた物。例えば、消しゴムのカス。剥がした絆創膏。使用済みのティッシュ。
得意げに見せびらかして、言うのです。
「もっと踏み込んじゃおうぜ」
みっちゃんはストーカーになってしまいました。
私のせいだ。
積田くんは素敵な人なんだから、ずっと間近で見ていたら、好きになるのが当たり前。そんなことさえ気づけなかった、私の責任だ。
私はみっちゃんと一緒に、堕ちていきました。
リコーダーを舐めました。上履きを嗅ぎました。顔を近づけて、2人で一緒に。
私もみっちゃんも、ストーカーよりおぞましい変態になってしまいました。
そうしているうちに、中学生になり。
新しいクラス。新しい友達。
彼らに秘密を隠したまま、付き合いを続けて。
友達は好きだけど、積田くんやみっちゃんほど大切には思えなくて。
ストーキングもどんどん加速して。盗聴して、盗撮して、彼の家から出るゴミを漁るようにもなって。
みっちゃんとの関係も爛れていって。お猿さんでもしないようなことを、思いつく限りやって。
積田くんとは何の進展も無いまま、卒業しました。
高校は積田くんと同じところにしました。
ほとんど話してないけど、わかるから。みっちゃんも同じ。
新しい友達を作って、新しい関係を築いて。
そして、今度こそ積田くんと仲良くなるんだって、強く決意して……。
そして、死んだ。
死んで、違う世界に来た。
私は真っ先に、積田くんを探そうとした。
最初に見つけたのは、みっちゃん。あれは幸運だったと思う。
次に出会ったのは、飛田くん。最初は嬉しかったけど、今は思い出したくない。
それから、飛田くんの命令で何人か連れ去って……飛田くんが致命傷を与えた人に、トドメを刺して……レベルを上げて……。
飛んでるヘリの中で飛田くんに襲われて……みっちゃんが空まで跳躍して、ヘリに張り付いて……。
色々あって、飛田くんは死んだ。
そのあとは、ちょっとだけ幸せな記憶。キャベリーちゃんを助けて、飯田くんと願者丸くんに出会って、生きる理由が生まれて。
みんなを助けたい。特に積田くんを助けたい。そう思って、嫌な思い出のあるヘリを使って、探して。
そして、積田くんを見つけた。
彼を見た瞬間、色んな想いが噴き出してきた。
大きく分けると、『大好き』と『ごめんなさい』。
私は溢れ出る感情を抑えきれなくて、告白しちゃった。告白できなかったのが、心残りだったから。
そしたら、みっちゃんは応援してくれて。積田くんは嫌そうだったけど、私に協力してくれて。
こんな気持ち悪い犯罪者には勿体無いくらい、良い人たちだ。
それから、まあ……つらいことが、色々あって。
嬉しいことも、色々あって。
願者丸くんが行方不明になって……再会した。
女の子で、しかも積田くんをずっと好いていたってわかった。
私は負けた。
願者丸くんは幼稚園の頃からずっと恋していて、今でも一途に想い続けている。
そして、積田くんも……昔はあまり関わりがなかったみたいだけど……今はかなり好きみたい。
願者流。願者丸くんが築き上げた、とっておきのプレゼント。一世一代の花嫁道具。それが積田くんにとって、最高の贈り物だったんだ。
私は何も用意できていない。彼から奪うばかりで、何も与えられていない。
だから、私は敗北を認めた。
願者丸くんは、ひどいことをしていた。積田くんを勝手に襲って、勝手に未来を縛り付けようとした。
許されないことだ。でも、私に裁く権利はない。みっちゃんにもない。だって、私たちも犯罪者だから。
唯一裁く権利を持つ積田くんは、願者丸くんを許した。だから私も、願者丸くんを優しく迎え入れようと思った。
積田くんのことが大好きな願者丸くん。あの子も報われないといけない。私が私を肯定するなら、あの子もまとめて肯定しないと。
しばらくの間、幸せな日々を過ごした。
献身的な願者丸くんを見ていると、なんだか自己犠牲が行きすぎていてヒヤヒヤしてくるけど……それもあの子の良いところだ。
そして。現在。
工藤さんも積田くんを狙い始めて、ちょっと焦りを感じている。
積田くんの周りには、女の子が多い。アネットちゃんやアミーちゃんとも仲良しで、クリファちゃんやギンヌンガさんとも良い関係だ。
猫魔ちゃんも積田くんとばかり一緒にいる。よくわからない人だから、好意があるかもわからないけど。
小金ちゃんは……先生だから、ギリギリ無いかな。
末田さんは、たぶん無い。積田くんの性格的に。
まあ、そんな感じで。
私は今日も、積田くんのファンを続けている。
大所帯になるにつれて、いつのまにかファンクラブの重鎮みたいな立場になっていて……なんだかちょっと、むず痒い。
積田くんもよく私に構ってくれるけど、申し訳なさを感じてしまう。もちろん嬉しいんだけど、罪悪感がすごい。
ストーキングの件も、積田くんは受け入れた上で愛してくれている。「こんなに慕われていて良いのか。いつかバチが当たるんじゃないか」なんて言ってて。
罰を受けるべきは私の方だって言っても、納得してなくて。頑固だなあって思いながらも、やっぱり微笑ましくて。
……戦争は、怖いよ。
でも、積田くんと離れる方が、もっと怖い。
だから私は、積田くんを守るために戦おうと思う。
国の偉い人たちがどんな判断を下すかはわからないけど、私がやるべきことは変わらない。
何がどうあれ、積田くんが死ぬのは、私より後だ。
〜〜〜〜〜
《ある怪物の呪詛》
水空調という人間に、私は生まれたかった。
実際には、人の形をした怪物があるだけだ。
生後2日で、人を傷つけた。
初乳のために抱き上げた母の腕を、握力で折った。
生後3ヶ月で、人を殺した。
首が座った3日後に走り、驚いた祖父は転んだ。
生後1年で、人をやめた。
壊れかけの屋敷を追い出され、施設に送られた。
……両親は優しかった。根気強かった。お金持ちで人手もあった。
それでも、限度があった。母は鬱になり、父は周りからの目に頭を抱えた。
故に、人の手に預けることになったのも、当然のことだ。愛があったからこそ、相応しい環境に置こうとしたのだ。
責める人はいるだろう。だが、2人の判断のおかげで、今のウチはある。
適度に人間じみた、手加減のできる怪物が、ここにある。
山奥にある施設では、壊れやすい物ばかりだった。壊しても代わりはある。でも壊したら不便になる。それを学ぶことができた。建物の崩壊で団体は解散したけど、あの人たちのことは今でも覚えている。
珍しい症例として目をつけた病院も、半分実験動物のような目で見ながらも、もう半分で人間扱いをしてくれた。
病棟保育士が何人も退職したけど、私は無事だ。どうしようもないことがわかって、定期検診による観察だけになった。
私は両親に連れられて、家に帰った。うっかり殺されても構わないから、ウチと共にいたいと言ってくれた。人体実験をされるウチの姿に、何かを見たのだろう。
そんなこんなで。噂が立ったり流れたりして、私は小学校に上がった。
普通の小学校だ。何か問題を起こすまでは、という条件付きで。
最初の担任は、非常に寛容な人だった。私が力加減を間違えてハサミを握りつぶしてしまっても、物を壊すのは子供ならよくあることだと言ってくれた。
次の担任は、怖がりな人だった。大袈裟に逃げるから、私は自分が危険なんだと自覚できた。
その次の担任は、新任の人だった。使命感に満ちていて、元気いっぱいだった。恐れ知らずで、ウチを叱ったりもした。あの人のおかげで、私はまた、人に近づけた。
それ以降は、同じ人。40歳くらいのおじさん先生で、みんなに人気があった。教室に将棋盤を持ち込んで、貸し出していた。
おかげでウチにも、友達ができた。キョウちゃん。最初の友達。ウチの大切な人。
私は弱いキョウちゃんを傷つけないように、へっぴり腰で近づいた。
キョウちゃんは手を握って、握手してくれた。
寂しさで埋め尽くされていたウチの心に、恋が芽生えた。大事にしたい。前向きな気持ちでそう思えたのは、初めてだった。
壊れたら不便になるからではなく、誰かに叱られるからでもなく、キョウちゃんを愛するために大事にしたかった。
友達ができた。そう言った日、両親は初めて嬉し泣きをした。
私は色んなお願いを聞いた。
キョウちゃんが困ったら、助けた。欲しいものがあったら、なるべくあげた。泣いていたら、慰めてあげた。怒る時は、ちゃんと怒った。
卒業する前、おじさん先生から「友達を大切にしていますね」と言われたことを覚えている。
そうして、ウチは中学生になった。
この頃になって、私はようやくキョウちゃんの異常性に気がついた。
好きな子が捨てたティッシュを恍惚とした顔で咥えるのは普通じゃない。あいつとウチのリコーダーを舐めくらべるのも普通じゃない。
変態だ。変態だ。気色悪い。恐ろしい。ウチはそう思いながらも、同時に好感を抱いた。
ウチ以外にも、怪物がいた。そう思えたから。
性教育の授業の時、ウチは質問した。
女同士ではどうすればいいか、と。
先生は答えた。子供はできませんが、多様性の時代だから、ハグするくらいは普通です。
その日、私はキョウちゃんの家に泊まった。
もちろん、ハグをした。ハグより凄いこともした。
ウチは普通じゃ嫌だったから。怪物同士の初恋は、普通で収まるはずがないから。
それからも積田とかいう男を追跡して、仕事をこなした。
キョウちゃんに褒めてもらうために、物を取ってきて自慢した。ネズミを咥えた猫みたいな感じで。
好きでもない男の物だけど、キョウちゃんが好きな物なら、ウチもそれに価値を感じる。だからきっと、褒美を期待する私の顔は、とろけていたことだろう。
小さな気配がウチの視覚や聴覚を刺激することがあったけど、姿を見ることは叶わなかった。
今覚えば、あれは願者丸だったのだろう。ウチに気づかれずに行動できる奴なんて、あいつくらいしか思い浮かばない。
あいつは積田本人を見るのに忙しくて、捨てた物や家の中には興味が無いみたいだったから、幸いウチは仕事を完遂できた。
……で、だ。
高校生になる頃には、ウチの不名誉な伝説が有名になっていた。
色々絡まれたりしたけど、知恵も経験も武器もないヤンキー共は、敵にもならなかった。
ウチは学校の裏番という扱いになった。熊殺し伝説とかいう、人に話しても問題ない程度の軽い話が広まって、校内でウチを知らない人はいなくなった。
それでも積田の尾行は続けた。
積田の周りに人がいなかったのは、たぶんウチのせいだ。みんなウチを避けていたんだ。
積田は鈍いし他人に興味なさそうだったから、ウチを見ても逃げなかった。たぶん大して気に留めてなかった。
結果的に、ウチと積田は二人きりになることが多くなった。
あの時は、別になんとも思っていなかったけど。今思い返してみると、また違う感想が出てくるね。
そんで、異世界に行って、飛田を殺して、積田と出会って。
積田はやっぱり、マイペースな頑固者で。だけど、人を助けたいとか言い出した辺りに、成長を感じたりもして。
周りはみんな、魔法とか使う奴ばっかで。同じ怪物のはずなのに、何故か今のウチは、親近感なんかなくて。むしろ地球にいたみんなの方が大事に思えて。
それで……気がついた。ウチは自分でも気づかないうちに、人間の価値観に染まっていたんだって。
人間の心を持った怪物。そんな私は、そうしてくれた地球が、たまらなく恋しくなった。
お母さん。お父さん。先生。近所の犬。絡んできた不良ども。取材に来た阿呆。スカウトに来た雑魚。潰したヤクザの組長。腹に受けたロケラン。
どれもこれも、大切な思い出だ。二度と出会うことのない、幻。
ウチは。
その幻に、手を伸ばし続ける。
届かないことを知っていても、諦めきれない。
だって、失いたくないから。価値を知ってしまったから。
なあ、積田。あんたには思い出がたくさん詰まってるんだ。だってずっと一緒にいたからな。そっちは知らないだろうけど。
地球にいた頃を感じさせてくれ。地球の話をしてくれよ。でないとウチは、怪物だらけのこの世界に馴染んでしまう。ただの怪物に戻ってしまう。
いっそのこと、ウチをめちゃくちゃにしてくれ。
お前の手で変わるなら、受け入れられる。この世界に壊されるより、マシだ。
キョウちゃんだって、ちょっと複雑そうだけど、認めてくれてる。ウチを積田の隣に置いてくれてる。
積田。
積田。
この執着を、恋と呼んでいいのか?
教えてくれよ。答えてくれよ。
お前の手で、価値にしてくれよ。