手打ちと手合わせ
船旅が終わり、俺たちは地上に戻る。
学問の町と名高い『ヒューマスキン』。豊かであることは勿論として、国の各地に通じる街道が整備されている。そのため、貿易の中継地点としても有力だ。
数日ここで物資を整えることになる。残りの道中は徒歩での移動になるため、支度は必須だ。騎士団としては、国への連絡もしておきたいらしい。
願者丸によるステータスの披露も、明日行われる。国の中枢に近い役人も視察に来るようだ。期待されているということだろう。
さて。そんなことはどうでもいい。
俺は見張りの騎士団員たちに頭を下げて、ある場所に連れて行ってもらう。
銭湯。すなわち、久方ぶりの風呂だ。
「お願いします!」
「ええ……?」
ギンヌンガは店の看板を見て、困惑している。
「俺の……俺の、趣味なんです!」
「ええ……?」
クリファも俺を見て困惑している。
身体中にまとわりつく潮の香りを洗い落としたいという気持ちもあるが、それ以上に、この機会を逃したくないという衝動が強い。
自宅に作り上げた風情のある風呂でも、いつも通っているアマテラスの上質な風呂でもないが、ここも人を風呂に入れて生活を営んでいるからには、それなりの湯船を見せてくれるのだろう。
つまり、初見の店を前に、期待に胸が高鳴っているのだ。
「実益もある。国の期待を担う者として、汚らしい見た目で旅をするわけにはいかない」
「明日は大一番ですからね……。わざわざ銭湯に行くほどかはわかりませんけど……」
ギンヌンガは納得しつつあるようで、べたついた髪をいじりながら、銭湯の外観を眺めている。自分でも入りたいのだろう。
クリファもムッとした顔をしつつ、他の騎士団員の様子を窺っている。
俺についてきた狂咲と願者丸も、同意してくれる。
「少なくとも、オイラとクリファは入る必要があるな。演武があるから。すると、オイラたち2人だけにしないために、付き添いも必要だな」
「この騎士団にも入浴設備があるんですけど……ずいぶん粗末なもので……」
騎士団員の中からも、賛成の声が出る。
特に、願者丸の監視役をしている青年から。
「……この銭湯は個室です。人の目を気にする必要がなく、秘密と威厳が守られます」
なんとなく目が泳いでいるように感じられる。何故だろう。
その後、騎士団員で多少の議論があった後、銭湯を利用する許可が降りた。
「いっそ全員で浴びに行こうか」
隊長はそう言った。
感謝。そうだ、彼に感謝しよう。寛大な判断を持つ人格者として尊敬しよう。
〜〜〜〜〜
アマテラスの銭湯とは違い、ここは個室がメインのようだ。
混浴はトラブルが多いため、この世界でも減少傾向にあるらしい。しかし性別ごとの大まかな区分でもないのは珍しい。
木製の扉を開けた俺の目に飛び込んできたのは、身の丈以上のドラム缶。
アマテラスの銭湯にあった、魔道具のシャワー。あれと同じ仕組みを応用しているようだ。
反面、シャワーはない。缶に蛇口のようなものが備え付けられている。缶の底からお湯を抜き、桶に溜めて使用しろということなのだろう。
いつ止まるかわからない時限シャワーより、こちらの方が親切だ。反面、温度調節はできないようだが。
俺はゆっくりと蛇口を捻る。
沸き立ての湯がそこそこの勢いで噴き出し、桶に満たされていく。
立ち上る真っ白な湯気。ああ、至福だ。
俺は手のひらで温度を確かめて、まず全身にお湯を浴びてみる。
「ふーっ」
温まる。
この辺りはグリルボウルより北にあるため、それなりに寒い。その分、お湯のありがたみも倍増だ。
「土魔法の浴槽に、水魔法の湯船。火魔法の加熱。風魔法の冷却。魔法の全てが詰まっている」
俺はドラム缶のような風呂桶に頬擦りしつつ、壁や床を観察する。
耳を当てると、隣の音が聞こえる。確か馬場だったはずだ。
天井に換気用の穴が空いているというのに、ここまでしないと音が聞こえない辺り、かなり高度な防音魔法が施されているようだ。
それでもまったく聞こえないようにはしていない辺り、ここの店主は俺と似た感覚を持っているのかもしれない。
「自分以外の物音も、また風情」
とはいえ、熱心に聞くのは変態じみていてよろしくない行為だ。趣味の悪い真似は、ここまでにしよう。
俺は悦に浸りながら身を清め、潮の香りを洗い流した後、待望の湯船に浸かる。
「ほっ」
安堵のため息。
温もりに包まれながら、体が浮く感覚。何度味わっても良いものだ。
「ふむ」
俺は底を確認する。
当然だが、熱くない。座るための突起もある。
俺は腰を下ろし、正面を見る。
「狭いな」
個室はかなり狭い。ドラム缶風呂のため、手足も伸ばせない。この窮屈さは明確な欠点だ。
とはいえ、広さが欲しいなら大風呂に行けばいい。この店にはそちらも備わっている。
「狭いところに収まる感覚も、これはこれで……」
俺が脳内レビューで点数を与えようとしたその時。
隣の個室が爆発する。
「えっ」
馬場のスキルである『不運』が発動したのだろう。浴槽にかけられた魔法の暴走か。
崩壊した壁の向こうには、底の抜けたドラム缶と、泥だらけの馬場と……何故かクリファとギンヌンガ。
厚めの壁を挟んだ対面に、女湯があるようだ。今の爆発で繋がってしまったのか。
「ひっ」
クリファは呆気に取られていたようだが、俺の姿を認めて、目を丸くする。
その隣にいるギンヌンガは、泥まみれの馬場を見て事態を把握する。
「事故ですね……」
誤解はされていないようだ。九死に一生を得た。
しかし、収束の目処が立っているかどうかと、被害者たちの腹の虫が収まるかどうかは、また別の話。
「いやーっ!」
クリファは叫び、屈んで裸体を隠す。
浮き出た腹筋に、酷い火傷の痕がある。見るべきではないだろう。早く対処しなければ。
「『土の胸:マシュラビーヤ』」
俺は土の魔法で壁を作り、巨大な穴を塞ぐ。
薄く広い壁を作る魔法であり、熟練の魔法使いならガラス窓さえ作れるらしい。俺にはできないが。
とりあえず、応急処置はできた。防音魔法が破壊されているため、女湯からクリファの泣き声が聞こえているが……防音加工は時間がかかる。店に任せよう。
「どうして銭湯に行くたび、トラブルに巻き込まれるんだ」
俺はこの世界に来てからの出来事を思い出し、心の底から嘆く。
ゆっくり風呂に入りたいのに、何故平穏とは真逆のことばかり起こるのか。不思議でならない。
すると、目の前で願者丸も同調する。
「馬場はともかく、あるじさまも大概不運だ」
何故ここにいる。
平然と同じ湯船に乗り込んでくる願者丸に、驚きを隠せない。
「お前……いつから……」
「さっきのどさくさに紛れて」
「誰にも見つからずに……?」
「忍者だからな」
願者丸は、小さな体を俺に預ける。
細身だが、筋肉がぎっしり詰まっている。全盛期の力を取り戻しつつあるようだ。
俺は説得と理解を諦めて、願者丸の肩を抱く。
「人目を盗んで出ろ。見つかったら困るのは俺だ」
「容易い。誰にも見られずに入り、誰にも見られずに出て行くつもりだ。傷だらけの体を晒したくないからな」
そう言って、願者丸は俺の手を揉む。
心地よい。手先が器用だからか、願者丸はマッサージが上手だ。修業の後、よく俺を癒してくれている。下心もあるのだろうが、助かっている。
それにしても、今日はやけに熱心な手つきだ。
船では俺と触れ合う機会がなく、寂しさを募らせていたということか。
「お前、本当にあの時のことを反省してるのか?」
「している。あるじさまの命があれば、やめる」
意識がない間に襲わないだけ、マシか。
俺は天井を見上げ、馬場が事情を説明しているらしい気配を感じ、大きく息を吐く。
俺もまた、船では周りの目を気にしていた。色々と我慢の限界が近い。
「体、隅々まで洗ってあるか?」
「当然」
「どうにかして、狂咲と共に過ごす時間を作ってほしい。お前にも……褒美をやるから」
心の中でブレーキをかけつつ、俺は行為に及ぶ決意をする。
思えば、自分から異性を求めるのは初めてだ。俺の我儘で気を悪くしないと良いが。
〜〜〜〜〜
湯上がり。
俺は従業員の男に事情を聞かれ、正直に答える。
「確かに、魔法で塞いだのは俺です」
「何の魔法ですか?」
「土の胸です」
「ずいぶん高度な魔法を使いましたね……」
はて、高度だろうか。オリバーはあの魔法でガラス細工を作れる。山葵山も窓の補修くらいはできる。厚い土壁しか作れない俺は、まだまだだ。
すると、隊長がやってきて口を挟む。
「彼は……あのオリバーの弟子だ」
「なるほど。道理で……」
従業員は何故か納得している。あの胡散臭い男は、この町まで悪名を轟かせていたのか。
隊長は俺に待機を命じつつ、代わって従業員と話を始める。
「事故の原因はわかったのか?」
「給湯器の魔力に部分的な偏りが生じ、バランスが崩れたようです。素材を固める土魔法が……」
俺はオリバーの店の従業員として、ためになる話を聞く。
先人たちのマニュアルに沿って商品の管理をしてきたが、細かい意味を知るのは初めてだ。
「(なるほど。あれがセーフティとして機能しているから、外側はあの機能を大胆に……)」
説明を終えて、従業員は頭を下げる。
「今日は営業を停止いたします。たいへんご迷惑をおかけしました」
俺たちに責任はないらしい。原因となった箇所は、俺たちが触れるような場所にはないのだろう。
それにしても、馬場の不運はどういう仕組みになっているのだろう。事故が起きる場所に自然と向かってしまうような、ある種の因果を感じる。
「(神にスキルをもらわなかったら、事故は起きなかったのだろうか)」
スキルに関しては、聞かれるまでは口に出さない方が良いだろう。気をつけてもどうにかなるものではない。馬場の肩身が狭くなるだけだ。
広間で待機していると、クリファとギンヌンガがやってくる。
ギンヌンガは特になんともなさそうだが、クリファは恥ずかしがっている。
「すまない。落ち着くまで、無理しなくていいぞ」
「無理なんかしてない。ボクは、ちゃんと冷静だ」
そう言いながらも、クリファは腹部を布の上から押さえている。
火傷があった辺りだ。今でもまだ、疼くのだろう。
俺はギンヌンガの方に視線を移す。
「そちらの騒ぎは収まったか?」
「一応は」
ギンヌンガは自嘲めいた笑みを残し、俺に背を向ける。馬場が現れたのだ。
「うう……災難だったよ……」
馬場と願者丸が、揃って男湯から出てくる。
願者丸の方にツッコミを入れたい気分はあるが、まずは馬場に事情確認だ。
彼の言によると、特におかしな操作はしていないとのこと。予想していた通りだ。
泥を被った後は、自分の水魔法で洗浄。大浴場の方は無事だったため、店のはからいでそちらに移動し、烏の行水。店員と騎士団員から質問攻めにされ、ついさっき解放されて、ここにいるそうだ。
「飯田はどこだ?」
「最初から大浴場にいたよ」
「工藤は?」
「さあ」
俺の質問に、今度は願者丸が答える。
「爆発音を聞きつけて、テロを想定。戦闘態勢を整えて、一般の客を保護していた」
「流石は委員長」
「今は馬場の不運にお冠のようだがな」
……また一歩、馬場と工藤がくっつく未来が遠ざかったようだ。末田の占いでは1割ほど可能性があるとのことだったが、アテにならないな。
俺は馬場につけられた騎士団員の疲労困憊した顔を見つめ、気の毒に思う。
馬場はスキルがなくとも、元から不運だ。難儀するだろうな。
〜〜〜〜〜
今日は騎士団の支部に寝泊まりすることになる。
大部屋で、皆で雑魚寝だ。いつかの宿を思い出す。
明日は願者丸の演武だ。よって、打ち合わせておくことになった。
「さっさと済ませるぞ」
俺は背中側にくっついている水空を引き剥がし、プランを練る。
願者丸の強みは、小柄な体格を活かしたダイナミックな殺陣。ステータス画面を壁や床として活用し、動きの幅を広げることができる。
画面を盾にして突撃し、至近距離まで来たところで一度収納。敵の背後に画面を再出現させ、挟み撃ちにする。
最もわかりやすく、それでいて強力な戦法だ。
「しかし、これだけだとインパクトが薄い」
「ステータス画面の頑丈さも示さないとな」
飯田の発案で、演武は改良される。
「これならどうだ?」
「おお……」
地面と画面で敵を挟み、押しつぶす。派手な技だ。
願者丸も頷いている。俺との修業で、似たような技を使っていた。すぐに再現できるだろう。
さらに、工藤が案を提出する。
「こういうのって、なかなか出来ませんから」
「大道芸っぽいな。面白そうじゃん?」
画面の収納と出現を繰り返して、縦にしたり横にしたりしながら、アクロバットをする。
願者丸の得意分野だ。画面で壁蹴りをして宙を舞うことさえできるのだから、これくらいは楽勝だ。
願者丸はどこか感動した様子で、皆に感謝の言葉を述べる。
「ありがとう。オイラ、忍者を名乗ってもバカにされてばっかりで……こういうの、初めてだ」
「お前が凄いってこと、今はみんな知ってるからな」
飯田は願者丸と肩を組む。
「正直、この世界に来てお前と組んでる間……まだ半信半疑だった」
「金策班、やってたな」
「でも今は、マジで凄いと思ってる。最高の仲間だ」
飯田の嘘偽りない発言の後、どこからか現れた猫魔が同意する。
「にゃーを倒したお前のこと、あんまり好きじゃなかったにゃ。柔道やめたのも、お前のせいだからにゃ」
「……悪かった。オイラだって夢に生きてるのに、オマエの夢を否定しちゃダメだよな……」
「そのおかげで新しい自分になれたにゃ。過去の過ちも、もはや心配ご無用にゃ」
猫魔もまた、願者丸を応援している。
過去を水に流し、すっかり頼りにしている。
「演武、頑張るにゃ。頼りにしてるにゃ」
ようやく言えた。そんな雰囲気が、猫魔の口調から漏れ出している。
出会ったばかりの頃は、願者丸のことは苦手だと言っていた。しかし、それはもはや過去の話だ。願者丸を知り、共に過ごし、認めたのだ。
「ありがとう。オイラ、みんなに恥じないお披露目にするよ」
願者丸はかつてないほどにこやかな笑顔で、俺たちに親愛を向ける。
このぶんなら、きっと素晴らしい演武になることだろう。
問題があるとすれば……組み手の相手をするクリファだけだ。