みんなの収穫祭
今年の収穫祭は豪勢だ。ずいぶん豊作だったらしい。
町人は大勢で狂咲を取り巻き、不安そうにあれこれ話しかけている。
「遠くで戦争が始まるんだって?」
「そのうち、俺たちのところにも影響が来るんだろうな……」
「景気悪くなるよなあ。エンマギアじゃ魔法使いが大勢徴兵されるだろうし、辛気臭い感じになりそうだ」
グリルボウルは魔法使いが少ない。故に、命の危機は感じていないようだ。
俺たちが徴兵される予定であることについては、隠した方が良さそうだ。狂咲が町から消えると聞いて、美味い酒は飲めないだろうから。
「……さて。そろそろ覚悟を決めないとな」
俺は収穫祭を共に回る面々の方を向く。
水空。願者丸。工藤。燃えるような恋に火照る彼女たちと共に、祭りを楽しまなければならない。
「(気が滅入るなあ……)」
人数が多すぎる。デートというより、友達グループでの練り歩きのようではないか?
皆はこれで本当に満足するのだろうか。雰囲気などあったものではないと思うが……。
「積田くん。こっちこっち」
水空の呼ぶ声に、俺は素直に従う。
今日一日、しっかり付き合ってやろう。そして、満足してもらおう。欲求不満は彼女たちの暴走を招く。俺の手で、少しは発散させなければ。
「採れたて生野菜のベジタブルスティック。日本にいた頃を思い出すよねー!」
水空はニンジンをポリポリとかじっている。
この世界の野菜は、焼いたり煮込んだり、あるいは漬物にするのが一般的だ。生ではなかなか食べない。
俺は根野菜をひとつ貰い、かじる。
歯ごたえがある。奥歯の力が必要だ。しかし、噛めば噛むほど味わい深い。
工藤と願者丸は、野菜を食べて驚いている。
「今更かもしれませんけど、日本のものとは違う味がしますね。生だと違いがはっきりします」
「魔力とやらがあるからだろう。濃い割にぼんやりしていて、オイラは好きじゃない」
味の批評が始まる中、水空は長めのニンジンを口に咥える。
「積田くん積田くん」
咥えた棒の先端を、俺に向けて突き出している。
何がしたいのかは、俺でもわかる。接吻だろう。
「最終的に唇が触れ合うという、あれか」
水空はニンジンを器用に上下させて、肯定する。
……水空とは一度キスまでしているが、やはり自分から求めてはいけないように思う。狂咲への義理を立てるためであり、俺の信念だ。
「ダメだ。ひとりで食え」
「むー!」
怒る水空。
何を今更。こういう返答くらい予期していただろうに。
俺は願者丸に声をかけて、祭り巡りの段取りを決める。
「今年は何処で何が行われている?」
「広場で演奏会と野菜の品評会。商店街では特別セール。踊りはもうちょい後。2時間後くらいかな」
「去年と同じだね」
「そうだな。……まずは演奏会に行こうか」
俺は秘書の願者丸が集めた情報をもとに、皆を誘導する。
俺が広場に向けて歩けば、水空と願者丸と工藤がついてくる。偉くなったような気がしてしまうが、そんなことはあるまい。むしろこの集団内でのヒエラルキーは低い方だ。
「(今のところ、女性優位の集団だからな……)」
俺たちは素朴な楽器による演奏会をゆったりと聴きながら、雑談をする。
「工藤。楽器の知識はあるか?」
「ピアノは弾けますけど、この町にはピアノが無いんです」
「そうだろうな。あれほど大がかりな楽器は、田舎には無いだろう」
「そもそもこの世界にあるかどうかも定かではないので、機会がなくて悔しいですね……」
クラスメイトの誰かがピアノを出現させるスキルを持っていれば。
……いや、それはあまりにも都合が良すぎる。
願者丸も、気難しい顔で演奏者たちを眺めている。
「オイラ、草笛は得意だ。憧れた時期があってな」
「ぜひ披露してくれ」
「あれに混じるのも違うだろ。そのうちな」
まあ、それもそうか。
——俺たちはのんびりと、異世界の曲を聴く。
リズムを重視した、ノリの良い曲。地球にも、探せばこんな曲があったはずだ。
「海外旅行、したかった」
水空がポツリと呟く。
「いきなり異世界は、ハードル高いって……」
それはその通りだが……急にどうしたのだろうか。
穏やかな空間に放り出されて、安心感の中に日本を見出してしまったのだろうか。
水空の方を見ると、泣いている彼女が見える。
目の端から、静かに涙がつたっている。秋の太陽に照らされて、まぶしい。
「積田くんは、ウチの日本」
水空は俺の視線に気がつき、涙を拭うこともせず、ただ微笑む。
「キョウちゃんのために、日本でずっと見ていて。この世界でも、変わらずいてくれる……ウチの拠り所」
「重いな」
水空が勝手にやったことであり、わざわざ俺が責任を負う必要はないはずだ。
理屈の上ではそう割り切れているのだが、感情は振り回されている。
「日本にいた頃、俺をどう思っていた?」
「悪い人じゃない、くらいかな。ここまで好きにはならなかったよ」
水空は俺の隣にやってきて、土魔法で整備された野原に、並んで寝そべる。
「初恋できたのが、この世界に来て唯一良かったと思えることかな」
「私も同じです」
抜け目なく、工藤も参戦する。
「私も日本にいた頃は、積田くんのことを好きでもなんでもありませんでした。単なるクラスメイトのひとりであり、必要があれば話す程度でした」
「あんまり絡んでる記憶、無いね」
「もし日本にいたままだったら、積田くんが良い人だってことさえ知らずに生きていたでしょう。そう思うと、寒気がします」
工藤は巨躯を丁寧に曲げて体育座りをする。
「積田くんのおかげで、私は人生を肯定できるんです。感謝してもしたりません」
「重いな。本当に」
「重くしないと、自分が飛ばされそうなんだ。わかっておくれよ」
狂咲と願者丸も言わずもがな。俺の周辺人物は、誰もかれも想いが強すぎる。俺では背負いきれない。
俺はほんのり苦い野菜を齧りながら、狂咲を見る。
……こちらを見て、にこりと微笑む。
これでいいのだろうか。彼女は本当に、これで満足なのだろうか。
〜〜〜〜〜
収穫祭で踊りを見て、踊ってみて。
夕方になり、更に料理が追加されて。
参加者の数がピークに達して。
俺は笑う。声を上げて笑うのは、いつ以来だろう。ずいぶんと久しぶりだ。
皆も笑っている。芸を見たり、ジョークをかましたり、とにかく思いおもいに楽しんで、笑っている。
そうして騒いでいるうちに、夜になる。
まだお開きには早い。夜になったら、しっとりした歌と物語で、穏やかな雰囲気が漂い始める。
俺は去年を思い出しながら、この世界の英雄譚に耳を傾ける。
「恐ろしや、恐ろしや。地揺れの怪物は大口を開け、子供たちを丸呑みにしてしまう。あわや、大惨事。しかし駆けつけた銀色の剣が……」
日本で無数の創作物に浸っていた俺にとっては、聞き慣れた退屈なストーリーラインだ。
しかし、水を差すような真似はしない。木に背中を預けて、のんびりと頷くだけだ。
「ねえ、積田くん」
狂咲がやってくる。村人たちの誘いから解放されたのだろう。
彼女は俺に寄りかかり、甘えてくる。
「今日、すっごい笑顔だったね。珍しく」
「ああ。……たまには笑ってみるものだな」
俺は頬が慣れているうちに、笑顔を作って見せる。
狂咲は笑顔の方が好きなのだろう。いつも無愛想で申し訳ない。
すると狂咲は、祭りの空気にあてられたらしい、しっとりとした表情で願い出る。
「あたし、結婚したら積田矢羽になるんだよね?」
「そうなるな」
「キョウちゃんってあだ名は狂咲から来てるから、別のを考えないとね」
「そもそも、何故名字から取ったんだ?」
「『ヤバちゃん』とか『バネ』とかは嫌だから」
世の中にはそういう渾名の女性も多いだろうに。
ただ、狂咲のセンスと噛み合わないのは事実だ。呼ばれたい名で呼んであげるのが吉だろう。
狂咲は俺の肩を頬で擦り始める。
露骨だ。そんな露骨な誘惑で、嬉しいと感じる俺も俺だが。
俺は狂咲の肩を抱き、試しに名前で呼んでみる。
「矢羽」
「うっ!」
狂咲は胸に矢を受けたかのような仕草で、握り拳を強く作る。
「積田くん。今の、もっかい言って」
「……わざわざ求められると恥ずかしい。照れる」
「早く」
渋々、俺は小さな声で呟く。
「…………矢羽」
「キクぅ! 傷んだ患部に染み渡るぅ!」
「薬のCMかよ」
俺の一言程度で薬になるなら、狂咲はきっと長生きするだろう。
……まあ、それなら悪くないか。
すると、いつのまにかそばに来ていた水空が、木の後ろからじっとりと要求してくる。
「ウチも。水空調だから、しらべちゃんって呼んでね」
「ちゃん付けまで要求するのか。図々しいな」
「早く」
俺は狂咲に許可を得て、どんどん下がるテンションのままに、低い声で吐き捨てる。
「しらべぢゃん」
「あ、ちょっと濁った。もっかい」
「行くぞ、矢羽。楽しい祭りに戻ろう」
俺が狂咲を連れて逃げようとすると、彼女はくすりと微笑んで、木の上に声をかける。
「願者丸くんも、遠慮しなくていいんだよ」
「うぐ……」
そこにいたのか。気配を完璧に殺していた。流石は忍者。
——いや、そうじゃない。我が師匠の実力に喜んでいる場合ではない。
狂咲は水空にも願者丸にも、俺からの名前呼びを分け与えようとしている。
恋人扱い。それを嬉しいと感じていたはずなのに、周りと分かち合い、本人は損をしてしまう。良くないとは思うが、懐の深さのあらわれでもあるため、注意できない。
願者丸は木の上から逆さまに顔を出し、くるりと身を翻して着地する。
「あるじ様。くだらぬ臣下の、あつかましい頼みではございますが……」
「サスケ」
願者丸がこれ以上自分を卑下する前に、俺は素早く応える。
びっくりして受け止めきれなかったようなので、赤い顔の彼女のために、もう一度。
「あんまり自分を悪く言うな、サスケ」
「……罪人たるオイラには、勿体ないお言葉です」
彼女は柔らかい頬を紅葉色に染めて、いじらしく俯いている。
愛くるしい。そう感じてしまう。ついこの前まで男だと思っていたはずなのに、俺の認識と彼の態度が変わっただけで、ずいぶんと様変わりして見える。
「『勇者と姫は、城を抜け出し林に向かう。誰も知らない秘密の泉で、2人きりの舞踏会を開く』」
物語が遠く聞こえる。
俺たちだけの熱い空気が、流れつつある。
このままではまずい。踊りで昂った心臓が、今度は情熱のままに跳ねようとしている。
そんな俺の手を、狂咲は見惚れるほど優しい微笑みと共に、力強く引いていく。
「積田くん。積田立志郎だから、りっくんが良いかな?」
「微妙だ」
そんな呼び方をされたことがなかったため、俺は慣れないむず痒さを覚え、咄嗟に拒絶してしまう。
狂咲は口元に少しだけ切なさを滲ませつつ、水空と願者丸に声をかける。
「今夜……ね」
そういうつもりか。また俺の意思を置いて、女性陣だけで盛り上がっているのか。肉食獣のような獰猛さだ。人間らしく理性を保って欲しいものだ。
されるがままにされる俺もまた、ずいぶん情けない奴ではあるが……。
俺は狂咲に引っ張られ、水空に背中を押され、帰宅することになる。
頼みの綱の願者丸も、黙ったままだ。俺の命令を待っているのだろうが、顔を赤らめて俯きながら歩かれると、どうにもその心を摘むようで、命令しにくい。
俺は玄関で靴を脱ぐなり、狂咲に襲われる。
激しい口づけだ。
「うぐ……」
去年から幾度となく味わってきた温もり。しかし、これほどまでに容赦がないのは、いつ以来だろう。
水空は俺の服を脱がせ始める。乱暴で、布が破れかねない勢いだ。
俺は狂咲の口から逃れ、唾液まみれの口を動かして忠告する。
「リスクは犯すな。願者丸の例もあるんだ。もし過ちを犯しそうになったら……わかるな?」
願者丸は俺からの命を受けて、身を引き締める。
先ほどまでとろけていたとは思えないほど、油断のない顔つきだ。
「承知した。子を成すような真似をしたら、誰であろうとオイラが殺す」
殺せとは言っていないのだが、あくまで彼女なりの脅しだろう。……そうであってほしい。
水空は願者丸の方を振り向きつつ、口裂け女のように口角を吊り上げる。
「小犬みたいで可愛いねー。向こうみずなところまでそっくりだよ」
「噛むぞ」
「おお、こわいこわい。……じゃ、狂犬病が怖いし、言うこと聞いておきますか」
水空は俺の口についた狂咲の痕跡を舐めとり、妖艶な笑みを浮かべる。
「戦争が終わった後の楽しみに、取っておくね」
不穏なフラグを立てるんじゃない。
水空調は小学校低学年まで『べっちゃん』と呼ばれていました。
しかし高学年に上がり、何処からか知識を仕入れてきたクソガキが『汁べっちゃん』と呼び始めました。
大人になりかけの獣ほど、無謀な狩りで散っていくものです。
水空は悪ガキどもが咲かせた血の花でべっちゃべっちゃになり、ようやく『みっちゃん』になりました。