〜グッドラック〜
夏。
俺と水空は、緑の色濃い山を登っている。
巫女名の孤児院と、取引をしに行くのだ。
「わあ、可愛い!」
巫女名は工藤お手製の白狐人形を抱き、年甲斐もなく大はしゃぎしている。
子供ウケする可愛らしい人形が多い。孤児院にあげるものは、特に手入れが楽で汚れが目立たない種類を選別したらしい。
見返りとして、俺たちは巫女名のスキルによる治癒玉を貰う。あらかじめ相談して、大量に作り置きしてもらったのだ。
「教団との戦闘用ですか?」
巫女名の質問に対し、俺は正直に答える。
「教団に限らず、俺たちには敵が多い。いざという時のために、常備しておく」
治癒の力は貴重だ。欠損さえ治せるこの薬は、味差のような強力な加護持ちと戦う際に、切り札になるだろう。
続いて、俺はオリバーの部下としての取引をする。こちらは真面目な商談だ。
オリバーの店は工場内の備品や魔道具の材料など、多種多様な商品をここに卸している。……が、今回わざわざ俺が来たのは、それが目的ではない。
俺は頑丈な魔道具のケースを開け、それを見せる。
「ほほほ……」
巫女名と隣の職員は、ケースの内側で輝く高級な輝きを見て、共にほくそ笑む。
俺が運んできたのは、儀式に使われる飾り。つまりは玉石や宝石だ。先日の騒動で一部が破損したため、新調する予定だそうだ。
「これほどの品なら、運送業者には任せられないのも納得ですね……」
舌なめずりしそうな顔で、職員たちはケースを運んでいく。
代わりに俺は契約書と代金を受け取る。目が眩むほどの大金貨だ。
「どうかお気をつけて」
来た時よりも手厚い見送りに、俺たちは苦笑しながら山を降りる。
「ねえ、積田くん」
山のような荷物を背負いながら、水空は尋ねる。
「呪い玉って、作れる?」
「……ふむ」
巫女名のように、呪いを固めるやり方か。考えたこともなかった。
魔法に理解がなかった頃は、滲み出す呪いをそのまま放つことしかできなかった。しかし魔法使いとなった今なら、作れそうな気がする。
「やってみたことはないが、たぶん問題ない」
「絶対作らないで。怖いから」
てっきり作ってほしいのかと思ったが、どうやら逆のようだ。
水空はやはり、俺の呪いを恐れている。身体的有利を覆しかねない、即死の呪いを。
俺は水空の安寧のために、固く誓う。
「わかった。俺の手を離れさせない。呪いが俺たちには向くような危機は起こさない」
俺にとっても、呪いは恐るべき凶器だ。味方に当たる危険性が常に横切り、おいそれとは使えない。
俺の言葉を受け、水空は当たり前だと言わんばかりに首を縦に振る。
「だよね。安心した」
……俺は水空に信頼されていないのだろうか。
いや、違う。価値観が合わないことを理解しているため、慎重にすり合わせをしているのだ。
俺は水空と歩幅を合わせ、隣を歩く。
俺とほぼ同じ背丈。頼りになる、まっすぐな背筋。
「水空」
「なに?」
「お前が今、誰の金で生きているか……わかるな?」
「へいへい」
水空は空虚な笑い声を飛ばす。
「ウチは無職のプースケですよーだ」
「現在、飯田は事業を縮小中。まだ大半はあいつの金だが、そのうち狂咲と俺の稼ぎで家が回る時代が来るだろう」
「だろうねー。積田くんはともかく、キョウちゃんの事業は急成長中だし」
「つまり、お前の手綱は俺が握っている。今後の人生を指示する権利があるわけだ」
水空の足が止まる。真顔だ。
俺も合わせて、足を止める。
「マウント? それとも……」
「現時点でも、お前は俺の家族だ。だから……パート感覚の、軽い労働でいい。就職してくれ。少しは家に金を入れてくれ」
「ウチ、既に積田くんの扶養家族だったんだね」
水空は感極まった様子で、俺に抱きついてくる。
首筋に涙が伝う。熱い。
「扶養から抜け出す勢いで稼げと言っている」
「やだね。積田くんのものでいたい」
「……完全に失言だったな」
「絶対取り消すな。絶対だぞ。この意気地なし」
色恋に結びつけるつもりではなかったが……確かに今の発言は、不用意すぎた。俺としたことが。
もしかすると、俺も絆されているのかもしれない。狂咲一筋と言いながら……。
願者丸を受け入れて以降、倫理観が緩んでいる。気をつけなければ、無責任に女をたらし込む最低な男になってしまうだろう。
「今のはそういう意図ではない。勘違いさせてしまったなら……申し訳ない。ちゃんと言葉を選ぶべきだった」
「いいよいいよ。ファンサありがと。ウチはずっと、積田くんを推してくからね。人生丸ごと、貢ぐから」
重い。だが、この発言を引き出したのは……俺自身の過ちだ。受け止めるしかない。
また水空の、俺への依存が進むだろう。……完全にやってしまった。馬鹿者だ、俺は。
〜〜〜〜〜
俺はオリバーに契約書と金を渡す。
オリバーは金を数えることもせず、金庫にしまう。
「中を改めるべきでは?」
「あなたが横領なんかするわけないでしょう。お金に困ったら、正攻法で稼ぐ人だ」
オリバーは思わず消臭剤をぶちまけたくなるほどの胡散臭さを振り撒きながら、俺に仕事を割り振る。
「いつも通り、掃除と点検を」
「はい」
俺は毎日の業務に戻る。
要するに、店と商品の保守だ。
しかし、簡単なことではない。掃除はともかく、魔道具の維持は専門的な知識が必要になる。陳列された商品まで管理できるようになったのは、魔法学校を出た俺でも最近のことだ。
俺は時間いっぱい使って、広い店内の数多い商品を清掃していく。
——水空がじっと見ている。
「なんだ」
「掃除くらい、ウチでも……」
「うっかり魔道具の警報装置を鳴らしそうだな」
「警報、あるんだ。近代的だねー」
俺も一度、裏方で練習中に鳴らしてしまったことがある。耳が破れるかと思うほどの音量だった。
それ以降、失敗したことはない。
俺は水空に監視されながら、仕事を進めていく。
途中、オリバーの取引相手が何人か来たので、取り次ぐ。
「あいつらは何?」
飽きもせず見つめている水空に、俺は答える。
「さっきのは、隣の港町からだ。倉庫業をしている男と、船の修理を請け負う魔道具職人だ」
「ふーん」
水空は興味なさそうに相槌を打ち、椅子に座る。
別に会いたいわけではないらしい。俺が何をしたのか知りたいだけか。
……更に時間が経過し、俺は売り場の端まで掃除を終える。
「これで終わり?」
「いや。奥からまたやる。前に掃除したのは、一週間前だ」
「ここ、広いもんね」
ビックオリバーの店舗は広い。俺の労力を注ぎ込んでも、掃除しきれない。
オリバーの祖父の、過剰な向上心。父親の失敗と失踪。それらによる、負の遺産だ。
そのうち、縮小していくのだろう。きっと彼は、この売り場を整理して断捨離するために、俺を雇ってこうさせているのだ。
俺は水空の方をチラリと見て、掃除の手を止める。
「何か買いたい物でも?」
「薔薇の花でも貰おうかな」
「無い。栽培キットならある」
「ちぇー」
自分の手で育てる気はないようだ。
まあ、薔薇は人に贈る物だからな。
〜〜〜〜〜
職務を終え、帰り道。
俺は工藤と鉢合わせする。
「工藤?」
「積田くん。ちょうどいいところに来ましたね」
工藤はバズーカ砲を担ぎ、英雄らしい堂々たる立ち姿でそこにいる。
俺がここにいることは予想していたはずだ。きっと偶然ではなく、意図したものだろう。
……よく見ると、傷だらけだ。服も、体も。
工藤は買い込んだ弾のケースを担ぎ直し、用件を口にする。
「末田さんと戦闘訓練をしていたのです。巫女名さんの治癒をひとつください」
「早速か。まあ、いいだろう」
水空が手渡すと、工藤はステータス画面で背中側を隠す。
工藤 愛流変 レベル11
【ステータス】 【スキル】
攻撃…13 人形
魔力…11
防御…11
魔防…10
速度…14
全体的に隙がない。何をしても強いだろう。
工藤はほのかに顔を赤くして、小声で俺たちに要請する。
「服を脱ぐので、隠してください」
「……ん? わかった」
巫女名の球は経口摂取であり、服を脱ぐ必要はないはずだが……。
すると、工藤は巨大な胸を露わにしつつ、傷だらけの体を見せる。
生傷まみれだ。深い切り傷もあり、制服の内側に血がべっとりと付着している。
「なんだこの怪我は……」
「末田さん、真面目ですから。人の生き死にが関わることで、手は抜けないそうです」
「だからって、これは……。感染症で……いや、下手したら失血で死ぬかもしれないぞ」
俺は紫色の内出血を見て、呻く。
アルコールらしき臭いがする。消毒のつもりだろうが、どうせ末田のおさがりだろう。むしろ危ない。
工藤は余分な脂肪を胸に押し込むことで生まれた美しい腹部に、治癒の球を擦り付ける。
「積田くんや水空さんは、こんな傷くらい、幾度となく負ってきたはずです」
「それはそうだが……」
俺は塔の上で傷ついた水空を連想する。
難樫の手で、頭部を粉砕された水空。あの鬼気迫る血塗れの姿が、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
工藤は怪我のあった箇所を手のひらで触り、治ったことを確かめる。
「患部への接触でも、ちゃんと治りましたね。念のため、背中側を診てもらってもよろしいですか?」
「……水空」
「積田くんにお願いします」
意図が透けて見える。人の多い街中で、こんなことをする人間ではなかったはずだが。
「末田に何か言われたか?」
「お答えできません」
俺は水空のじっとりとした視線に耐えながら、工藤の背中を見る。
つるりとした肌。姿勢の良さが反映された、綺麗な筋肉。日本画で見覚えがあるような気さえする。
「傷はないぞ」
「よかった。何度も転がったので……」
よく見ると、確かに服の背中が擦り切れている。
安っぽい生地。工藤は制服をよく着ていたが、今は運動用のボロ布だ。似合わない。
俺は工藤の背中に指先で触れる。
「服を見るに、この辺りか。痛みはないな?」
「……はい」
「なら、いい。早く着ろ」
俺は水空に肩を握りつぶされそうになったため、手を引っ込めて工藤から目を逸らす。
「つみだくーん? 工藤さんの背中、綺麗だねー」
「ああ。見返り美人図として絵画に……」
「ウチとどっちが綺麗?」
簡素なブラが隠れた辺りで、工藤が手を止める。
「見たんですか? 水空さんの体を」
敵意。隣の水空に対する、明確なライバル意識。
俺は冷や汗を流しつつ、嘘偽りなく答える。
「俺の意思ではないが、見てしまった」
「ベッドの上で?」
「押し倒された」
「では、私も今夜お伺いしますね」
「怖い」
やめろ。絶対に嫌だ。狂咲だけが俺の伴侶だ。
俺はステータス画面で体を隠す義務から解放された瞬間、走って逃げ出す。
今日は部屋に帰れない。馬場に匿ってもらおう。
〜〜〜〜〜
馬場の部屋で、俺は震えている。工藤から逃げているのだ。
水空のスキルで探られたらアウトだが、彼女は嫉妬していた。工藤の味方はしないと信じたい。
「馬場。工藤の対処法を教えてくれ」
「うーん」
馬場はリバーシ盤を見つめながら、考え込む。
「初恋で、暴走気味……となると、簡単には説得できそうにないなあ」
彼は中央付近の石をひとつだけ裏返し、答える。
「恋愛観とかは知らないけど、人形にハマり始めた頃と似た雰囲気を感じるんだ。工藤さん、滅多なことではブレないけど、一度心が揺らぐと長続きするよ」
「今でも人形愛好家だからな……」
俺は角を狙いながら、数マス先で網を張る。
馬場は相変わらず少数だけ石を取り、俺が選べる手を制限してくる。
「あの時は凄かったなあ。学校にも人形持ち込んでたもん。毎日、違うやつを」
「あの工藤が?」
どこか学校という場を神聖視している彼女が、それを捻じ曲げてまで人形に傾倒していたのか。危うさを感じる。
「中二の時が最盛期で、先生に叱られた後も、こっそり続けてた。修学旅行にはお気に入りを持参して『いっしょに観光できて楽しかった』とか言ってたなあ」
馬場は当時を思い返して、苦笑する。
「高校に入ってからは、落ち着いたけどね」
「俺も3年くらいは覚悟した方がいいのか」
「だね」
馬場は俺を角へと誘導する。
……打つ手がない。最善を選び続けられると、こうも一方的になるのか。いっそ清々しくもある。
俺は素直に負けを認め、角を譲る。
おそらく、馬場の独壇場だ。リバーシも工藤も。
「早いうちに狂咲と結婚した方がいいだろうか」
「どうだろう。牽制にはなると思うけど……」
馬場は思うところがありそうな雰囲気で、角から端へと領域を広げていく。
「積田くんは、テディベアの代わりじゃない。それを突きつけるのが一番効くとは思うよ」
「工藤は俺を人形だと思っているのか?」
「さあ。思ってたとしても、無意識の奥底で、ほんの僅かにだろうね」
馬場は勝利を確信したのか、打つ手に悩みがなくなっている。
「結婚して、工藤さん抜きで幸せになっているのを見て、止まるかどうか。……正直、分が悪いね」
「えっ」
悩みはないが、納得がいかないような表情だ。
「だって工藤さん、今でも止まらないし。何が起きるかわからなくて、ぶっちゃけ怖い」
リバーシは馬場の勝利だ。途中からわかりきっていた結末である。
馬場は盤面を片付けて、サイコロを取り出す。
「運ゲーやろうぜ」
「……ああ」
白と黒だけで構成された盤面より、何もかもが運任せの方が、いくらか公平な気さえする。
完全敗北した俺と、勝負さえできなかった馬場。共に同じような顔をしながら、俺たちは『ヨット』に興じる。
——運では俺の圧勝だった。