〜月に忍ぶ〜
夜。
俺は水空と共に猫魔を探し出す。
「おーい。猫ちゃーん。どこだー?」
「にゃあ……」
「いたぞ」
彼は屋敷の屋根でゴロゴロと転がっている。人間の姿で。
汚れるからやめてほしい。
俺は猫魔をステータス画面に乗せて、俺たちがいる地面まで引き寄せる。
「猫魔。なんで離れたがる」
「願者丸、苦手にゃ」
そう言って、猫魔は少女の顔を大きく動かしてあくびをする。歩き続けで、疲れているのだろう。
「願者丸のやつ、人だった頃のにゃーを、ぶちのめしたことがあるにゃ」
「それは聞いてるが……」
会話を断つほどショックな出来事だったのか。俺は彼をよく知らないので、猫好き以外の価値観がわからない。
彼は蛇口の魔道具で手足を洗ってもらいながら、答える。
「にゃーは柔道やってたにゃ。まあまあの腕だったにゃ。でも願者丸にボコされたにゃ。それで、なんもかんも嫌になったにゃ」
猫になろうと思い立った原因が願者丸、ということだろうか。
猫魔は周囲の目を気にせず、汚れた服を脱ぐ。
下着を身につけていない。ちゃんとしろ。見た目が良いのに勿体ない。
「にゃーに変わるきっかけをくれたことは、何かの縁として感謝してるにゃ。それはそれとして、嫌いにゃ。視界に入れたくないにゃ」
「そんなに……」
「……若干言い過ぎたにゃ」
猫魔なりのトラウマか。16年の人生を捨ててしまうほどの、とてつもない苦痛。
願者丸の謝罪も求めていないように見える。とにかく関わりたくないという雰囲気だ。
俺が悩んでいると、水空が魔道具を片付けつつ、横から口を挟む。
「色々やらかしてたし、昔の願者丸が嫌いなのはわかるけど……今の落ち込んでる願者丸も嫌い?」
「……ちょっと可哀想だと思うにゃ」
「可哀想……か」
意外な感想だ。かつての加害者が性的暴行を働いたというのに、可哀想という考えに行き着くとは。
「にゃーが望む猫的な生き方と、願者丸の忍者的な生き方は、なんとなく似てるにゃ。だからだと思うにゃ」
「なるほどねー」
水空は猫魔を家に連れ込みながら、頷く。
俺も続いて家に入りながら、同じように頷く。
生き様に拘りがある2人。目指す方向は違うが、似たようなものだ。
俺たちにとって、迷惑なことに変わりはない。
「猫やってみて、なんとなく願者丸の気持ちがわかってきたのにゃ」
「言われてみれば、願者丸も猫っぽいよね」
猫魔は裸のまま部屋に戻ろうとして、水空に止められる。
「にゃーは……にゃーは猫にゃ。今のにゃーを気に入ってるにゃ。でも願者丸に会ったら、また変わっちまいそうで怖いにゃ」
「にゃーにゃー言う前に服を着ろ」
俺たちは工藤の手も借りて、猫魔にすっぽりと服を着せる。
……すると、願者丸が上から降りてくる。
「聞いたぞ。誰が猫だって?」
「にゃー!」
なるほど。盗聴石で聞きつけたのか。流石だ。
俺と水空は猫魔の襟を掴み、捕らえる。首が締まって苦しそうだが、柔道部なら我慢しろ。
願者丸はキョロキョロと周囲を見渡して、俺の手にある布と、それをまとっている少女の姿を見る。
「……えっ。これが猫魔?」
これ扱いか。まあ、間違いではないだろう。猫魔はそれくらいの距離感がちょうどいい。皆もそんな感じで扱っている。
願者丸は嫌がる猫魔の顔を押さえ、覗き込む。
「むにゃー」
「どこが猫魔なんだ……。名は体を表すと言うが、これはちょっと……」
「にゃーは猫魔だけど猫魔じゃないにゃ。だからほっとくにゃ」
願者丸は猫魔の頬をぐりっとひと回しした後、猫魔の額をデコピンする。
「ぎゃっ!」
恐るべし、願者丸。このいじめっ子コミュニケーションがデフォルトだというのだから。
「ふんぎゃー!」
「ふむ。猫魔だ。あの時の痛がり方と同じだ」
「にゃんだと……!?」
倒した相手の反応を、いちいち覚えているのか。なんだか嫌味だ。
以前から薄々思ってはいたが、願者丸は酷い奴だ。不良の中でも、相当尖っている部類だろう。俺はヤンキー文学に詳しくないので、断定はできないが。
猫魔は愕然とした表情で、清純そうな瞳をうるうると涙ぐませる。
「にゃーは……変わっていなかった……?」
「いや変わってるだろ。オマエが一番変わってる」
「ヒトと比べてどうするにゃ!? にゃーは猫魔の向こう側に行かなきゃいけないにゃ!」
真面目な顔で何を言っているんだコイツは。
猫魔は水空の腕から抜け出すも、願者丸に拘束される。
「本物の猫ならともかく、人ならオイラに……」
「にゃー!」
猫魔はスキルを起動し、意識の隙間を掻い潜る猫となり、願者丸から逃げ出す。
願者流は忍術。人間と戦うための技しかない。
願者丸は猫魔を逃したことにひどくショックを受けたようで、床に手をついてしまう。
「オイラは……猫魔に負けるほど、弱く……」
……猫魔と願者丸が会話しても、良いイベントは起こらないようだ。
会わせるのはやめよう。彼らの根幹を無闇につつくのは、きっとよろしくない。
〜〜〜〜〜
願者丸が家に来た翌日。
俺は彼女の前で、願者流の特訓に励む。
「もうオイラより強いな」
俺が破壊した石柱を見て、願者丸は呟く。
「技はまだまだだ。単発ならともかく、繋ぎが甘い。だが、腕力や身長の差で……。10年かけてたどり着いた境地に、1年で追いつかれようとしている……」
悲しいことを言わないでくれ。技が甘いなら、まだ俺の師匠でいいじゃないか。
俺はそんな抗議の意を込めて、告げる。
「願者丸は俺の師匠だ。たとえ老いても、俺はずっと慕い続ける」
「……そういうところだぞ」
願者丸は顔を赤くしながら、口を真一文字に結んで俯く。
照れているのか。わかりやすい。……俺も狂咲以外の相手には、言動に気をつけた方がよさそうだ。
俺は形稽古を終えて河川敷を離れる。
すると、遠くからアネットがダッシュしてくる。
「サスケくん!」
ふりふりのドレスでよく走れるものだ。思わず感心してしまうほどの速度で、彼女は俺たちの前に到達する。
「アネットか……」
願者丸は気まずそうにしているが、一方で嬉しそうでもある。
友との再会。フッた相手とはいえ、大切な存在であることは間違いないのだ。
「ごめん、アネット。オイラは……」
アネットは抱きつく。言葉より先に、行動で示そうというのか。
「帰ってきてくれて、よかった……」
これくらいの方が、今の願者丸には伝わりやすいだろう。
……その後、アネットも加えて願者流の模擬戦を行う。
アネットは相変わらず道場に通っているらしく、かなり強くなっているように見える。
キレがある拳に、ブレない体幹。
しかし、願者丸にはまだ敵わない。弱った彼女に、アネットは抑え込まれる。
「まだまだだな」
「ニンジャって、みんなこんなに強いの?」
「そうでもない。オイラにとってのニンジャが、強者だったということだ」
願者丸にとっての忍者は、自己表現であり、理想の自分だ。
アネットは何かを汲み取ったようで、携帯している魔道具で汚れを落とし、ふわりと立ち上がる。
「ニンジャは……夢なんだね」
「そうだ。オイラの夢だ」
「やっとわかった。アネットより、ずっと高いところを見てる……」
お姫様のような優雅さで、アネットは願者丸の手を取る。
可憐な乙女と、血に塗れた狂犬。対照的だが、劇的な関係性だ。
「アネットも、もっと強くなりたい。だから……これからもよろしくね。サスケくん」
「……ああ」
うまく元の関係に戻れたようだ。願者丸の憂いが、またひとつ減った。
〜〜〜〜〜
夜。
俺たちは味差との戦いについて語りつつ、願者丸と共に鍋を囲む。
「そうか」
願者丸は、味差や六ツ目とは交流がなかったようだ。あまり悲痛な様子ではない。
「また人が死んで、積田たちは生きた。オイラは積田としか縁が無いから、後者を喜ぶことしかできない」
冷たい発言だが、当然だ。
あの戦いで警吏が何人も死んだようだが、俺は把握していない。一方で、たとえ俺たちが死んでも警吏に生き延びてほしかった人たちもいるだろう。
人生とは、大雑把な主観で構成されているのだ。たった17年しか生きていない俺でも、それくらいはわかる。
願者丸は小さな口で、もきゅもきゅと葉野菜を頬張っている。
ハムスターのようで、可愛らしい。少女だとわかっていれば、確かにそう見える。
俺はなんとなく、左隣にいる願者丸の頭を撫でる。
重くなった空気を中和できないかと思い、なんとなくやってみただけだ。
「おい。馬鹿にするな。オイラは猫じゃないぞ」
あまり良い気分ではなさそうだ。当然か。撫でると喜ぶのは、猫魔くらいだ。
すると俺の右隣の狂咲は、俺の頭を撫でる。
「ふふふ……。ゾクゾクするね」
更に右にいる水空も、狂咲の頭を撫でる。
「何この流れ」
その隣の工藤は乗らず、流れは止まる。
「食事中ですよ」
「はーい。すんませーん」
水空がたしなめられたので、俺は手を止める。
俺が主犯だというのに、水空が謝るとは。
俺たちは少し和らいだ空気に安堵し、再度会話に花を咲かせる。
〜〜〜〜〜
夜。風呂の時間だ。
俺がのんびりと頭を洗っていると、何故か願者丸がやってくる。
痩せ細った体。目立つ位置にある傷跡。顔は綺麗だが、俺の好みではない。
劣情など、催すはずもない。冷静に追い返そう。
「おいおい。今週の女湯はあっちだ」
「奉公でございます」
願者丸は俺の前で三つ指をついて、頭を下げる。
「流しをいたします」
三助か何かか、お前は。
いや……女性なら湯女、だったか? あまり詳しくはないが。
「狂咲の許可はとったか?」
「はい。奥様のご依頼でございます」
狂咲はどうして願者丸に肩入れするのだろう。普通は遠ざけようとするものではないのか?
俺は指摘を諦め、サービスを受けることにする。
「わかった。あと、敬語はやめてくれ。背筋がむず痒くなる」
「……お前様の命でございますれば」
願者丸は妙に畏まった口調でもう一度頭を下げ、いつも通りの態度に戻る。
「背中向けろ。オイラの器用な手で、隅々まで洗ってやるよ」
……渋々、俺は背を向ける。
願者丸は厳選された素材による垢すりタオルを手に取り、俺の背中を優しく擦る。
「おお……」
「気持ちいいか?」
「思いのほか、いいものだ」
願者丸の手つきは優しくも力強い。ツボ押しも兼ねているのか、体の芯が喜びで熱くなっていく。
僧帽筋を揉み。肩甲骨が生み出す起伏を撫で、広背筋を隅々まで綺麗にして……徐々に下っていく。
大臀筋にたどり着いた願者丸は、生唾を飲む音と共に俺を立たせる。
「寝転んだ方がいいか?」
「……その方がやりやすいが、マットが無いならやめておく」
風呂に持ち込めるような物はない。諦めて、立ったまま洗われることにする。
願者丸は興奮しながら俺の体を磨き上げ、足の隅々まで垢を落としていく。
……足を洗う流れで移動し、願者丸は正面に立つ。
「大きい」
お前の背が低いだけだろう。
願者丸は子供のように小さい。そういう病気なのだろう。一般的な低身長の域にさえいないのだから。
願者丸は顔を桜色に染めながら、俺の一点を凝視している。
「洗って、いいんだな?」
ああ、そういう意味か。
卑しい。だが、彼女は狂咲の許可という鬼札を得てきている。
本当に、どうして狂咲は……。
「仕方ないな。洗うだけだぞ」
俺は願者丸による洗浄……もとい、扇情を受け入れることにする。
今回だけでは済まないだろう。入浴という聖域が、願者丸の手で穢されようとしている。
だが、最初に日本の入浴文化に則った態度で来られたためか、今の俺はガードが下がっている。次からはちゃんとルールを決めて、落ち着いて風呂に入れるように整えよう。
「ここは男湯。この後に飯田や馬場も使うだろう。だから、無茶はするな」
今日のところは、こう言って牽制しておくことにする。
〜〜〜〜〜
願者丸と共に、湯船に浸かりながら。
俺は仕事の話をする。
「俺はオリバーという男の店に勤めている。明日からは、またそこに通う」
「オイラもそこで働きたい」
「やめておけ」
俺はオリバーの腹が立つほど胡散臭い狐顔を思い出し、願者丸を遠ざける。
「狂咲は町の人々と共に事業を立ち上げた。今のところはキッチン用品メーカーだ」
「大胆な賭けだな」
「そうでもないさ。狂咲は町に溶け込んでいるからな」
グリルボウルでもエンマギアでも、俺たちは英雄として扱われている。知名度があって商品も優秀なら、勝算はある。
「需要はある。販路もある。宣伝も十分。ただ、供給がやや置いてけぼりだ。高度な魔法ありきの製造ルートだからな」
足りない材料……主に金属を、高度な土魔法で補っているのが現状だ。狂咲くらいしか安定した質を維持できていない。
願者丸は、俺の胸に後頭部を押し付けながら見上げてくる。
「オイラに手伝えと?」
「そうしてくれると助かる」
「わかった。お前の妻を支えよう」
願者丸は俺の腕を動かし、その間に収まる。
「あるじを得た忍びは……強いぞ」
「なんだ、そのあるじってのは。俺はお前と対等でいたい」
「やめとけ。罪人と同格に堕ちてしまったら、オイラは悲しい」
俺はもう、お前を罪人だと思っていない。
とは、言えない。人として生きられなかった双子のためにも。
俺は熱めの湯の中で、願者丸を抱きしめる。
細い。まるで枝のようだ。
「合わないと思ったら、辞めていいぞ。他に仕事はいくらでもある」
「……うん」
窓を開けて、しばらく月を見上げる。
願者丸には、月光がよく似合う。