〜もうワンオペではない幼女と、罪多き少年〜
積田立志郎。
俺は今、過去に経験のない想いを抱えたまま、眠りに落ちようとしている。
願者丸サスケ。幾度となく俺の命や尊厳を救ってきた『願者流』の師匠だ。
彼女が犯した罪を知り、俺は……裁く権利を得た。
……あるいは、裁く義務か。
考えがまとまらない。思考が完結しない。俺の理性は熱を帯びて暴走し、宙を舞いながら行方不明になっている。
願者丸サスケを許していいのか?
知らない間に作られ、そして消えていった血脈を、どう受け止める?
顔も知らない赤子の命。受けた恩。クラスメイトを救うという目標。殺人を避けたいという俺の感性。殺人者を殺してきたここ1年の日々。
あらゆる懸念が渦を巻き、思考を飲まれ、回され、飛ばされて。
俺は……。
俺は…………。
〜〜〜〜〜
雲の上。
幼女神の居所。
俺たちをこの世界に渡した張本人。
「……こんなタイミングで呼ばれるのか」
俺は疲れ果てた心に鞭打ち、限られた時間を有意義に使おうと試みる。
神の座で情報を得られる機会を、無駄にするべきではない。働かなければ。会話して、理解しなければ。
俺は幼女神を探す。
「ここだよ」
幼女神は、赤と青の光を連れている。
姿のない、輝き。
俺は何故か、それらが人の魂だと理解する。
「霊魂か?」
「違うよ。まだ、なりかけ」
そう言って、幼女神は輝きと戯れる。
まるで、妖精たちの踊りだ。実物を見たことはないが。
幼女神との距離が急速に離れていくのを感じる。
まだ何も話していないというのに。
「クソ。回を重ねるごとに短くなっていく……」
「ごめんね。無理に呼んだから、時間ないかも」
幼女神は光たちと共に、お告げを口にする。
「大丈夫。君たちには、神さまがついてるよ。どんな選択をしても、加護は決して見限らない……」
赤と青の光が、またたく。
その瞬間、俺は……全てを察する。
ああ、そうか。双子。
幼女神が、拾い上げてくれたのか。
死んだ俺たちを、転移させてくれたように。
「救われた」
ならば、俺は……。
〜〜〜〜〜
目覚めた俺は、まず願者丸の無事を確認する。
「願者丸……」
「なんだよ」
彼女はうつらうつらと舟を漕ぎながら、俺に挨拶をする。
すぐ隣にいる。逃げていない。死んでもいない。
……よかった。
俺は感極まり、願者丸を抱きしめる。
「あっ、えっ」
「よかった。また、どこかに行ってしまうかと」
彼女は骨張った体を動かして、抵抗する。
力が無い。願者流も使っていない。本気ではないようだ。
俺は腕の中の細身をしっかりと抱きとめて、離さない。
「いる。ちゃんと、いるから」
願者丸は狼狽えている。相変わらずの掠れた声で、照れている。
可愛らしい声だ。傷ついた少女だと知り、バイアスがかかっているのは認めるが、それにしても愛くるしい。
……今なら、結論を出せる。
願者丸の罪に対する、裁きを下すのだ。
「願者丸。お前の処遇についてだが……」
「うん」
「願者丸。お前の中にある罪の意識が薄れて消えるまで、一生かけて、償え」
俺は願者丸の人生を決定づけた者として、責任を持って告げる。
「行く道が不安なら、俺を頼れ。……いや、俺だけじゃない。狂咲でも、水空でもいい。他のみんなを頼って、お前なりの正義であり続けろ」
ひとりでは無力だ。それは、俺も同じ。
この世界に来て、何度も人に助けられた。クラスメイトにも、この世界の人にも、救われてきた。
今度は俺が救う番だ。
みんなを救う。命を守り、誇りを守る。
同じ基準で、願者丸も救おう。命と誇りを、守ってみせよう。
「……なんで」
願者丸は、俺の肩に手を添える。
「なんで、許した。だめだろ、そんなの」
「許していない」
俺は赤と青の明滅を思考に重ね、言葉を紡ぐ。
「努力して、許しを得てみせろ。願者丸なら、それができるはずだ」
「……努力」
願者丸は、呟く。
努力。彼女がずっと、積み重ねてきたもの。俺も積んでいきたいもの。
何のための努力か。大切な人を救うためだ。何故人を救うのか。そうすれば、より良い自分になれると信じているからだ。
お前も同じだろう、願者丸。
だからこそ、俺たちは絆で結ばれたんだ。
「俺はお前を信じている」
願者丸は、俺の胸にすっぽりと収まる。
肩の力が抜け、小さくまとまっていく。
「うん……。わかった」
か細い同意。
……願者丸の意識が、変わったようだ。
その調子で、どうか前を向いて生きてくれ。
俺もまた、願者丸に救われているんだから。
〜〜〜〜〜
水空がやってくる。
心なしか、昨日よりも明るい。
「お熱いねえ、おふたりさん」
まるでアマテラスのような口調で、俺と願者丸の背を押す。
抱き合っていた俺たちは、更に距離を縮め、ぴったりとくっつく。
「わっ……」
願者丸の悲鳴。
しかし、彼女は動かない。むしろ、俺の体に身を寄せていく。
どれほど罪の意識に苛まれようと、好意が消えてなくなるわけではないようだ。
本当に、俺のことが好きなのか。昨日まで男だと思っていたので、まだ実感が湧かない。
「ヒューヒュー!」
水空は調子に乗って茶化してくる。
流石に言われっぱなしは腹が立つので、俺は願者流で抜け出して……。
「やだ、行かないで!」
願者丸が俊敏な反応を見せる。
立ち上がり、跳躍し、俺の肩に手をかける。ステータス画面を呼び出し、俺の背面に押し付け、動きを封じる。
そのまま体重をかけて、後方へ。床に引き倒す。
「なっ!?」
保護対象からの唐突な攻撃に、俺は不意を突かれて転倒する。
願者丸の目論み通り……かと思いきや、彼女も意外そうな顔をしている。
流石に、腕が鈍ったか。加減を間違えたようだ。
俺は彼女を押し倒す形になる。
「ん!?」
唇が触れ合う直前で、どうにか受身が間に合う。
危ないところだった。
俺は願者丸のことを、そういう目で見ることができていない。たとえ相手が好意を抱いていても、俺に心構えがないなら、手を出すべきではない。
「ふう」
俺の吐息で、願者丸の前髪が僅かに揺れる。
「は……!」
願者丸は目を見開き、胸を押さえる。
強い恋慕を感じる。鈍い俺にも、伝わってくる。
……俺は起き上がり、水空に告げる。
「狂咲を呼んでくれ」
俺たちの寝ぼけた頭に、水をかけなくては。
〜〜〜〜〜
狂咲がやってくる。
よれよれの寝巻きに、よだれのついた口元。寝癖も直していない。
「積田くん、おはよう」
「おはよう」
「願者丸くん、おはよう」
「……うん」
願者丸は、返事をする。
元気な頃の彼女なら、無視するか生返事を返すかのどちらかだった。やはり今も、弱っているのだろう。
彼女は願者丸を見て、俺を見て、そして水空の方をちらりと見て……頷く。
「ひとまず、危機は脱したね」
顔色だけで、願者丸の裁きが終わったことを察したようだ。俺とは人を見る目が大違いだ。
狂咲は水空にデコピンをしつつ、願者丸に合わせてしゃがむ。
「願者丸くん。積田くんは、どうだった?」
「どうって……」
「優しくしてくれた?」
狂咲の発言を受けて、俺は考える。
俺の対応は、優しいものだったか?
……おそらく、優しい。しかし、容赦がない。
取り返しのつかない罪を、努力で取り返させようというのだ。無理難題を押し付けたに等しい。
俺は黙ったままの願者丸の代わりに答える。
「優しくしたかったが、そうはいかなかった。願者丸はきっと、苦しみ続けることになる」
「ひょ!? そ、そっか」
狂咲は目を皿のようにして驚いた後、しんみりとした顔つきになる。
「そう……。願者丸くんの小さな体じゃ、受け止めきれないよね……」
確かに、彼女は上背がない。その上、痩せている。願者流で補うには、限度がある。彼女の手で救える命や、この先積める功徳は、意外にも多くはないのかもしれない。
それでも、俺は彼女を信じる。師匠であり、大切な仲間である彼女を。
「願者丸なら、何度でも立つさ。強いからな」
「何度でも勃つんだ……。『思慕』抜きで……」
「そうだな。スキルだけが、俺たちの強さじゃない」
「絆の強さ、か……。あたしより前から……」
狂咲は何故か切なそうな顔をしている。
……何を悲しむことがあるのだろう。赦しは願者丸に対する措置として、適切ではなかったということだろうか。
いや、そんなはずはない。狂咲も、願者丸の大切な仲間のはずだ。そのはずなんだ。
俺は不安に思い、パートナーである狂咲の意見を求める。
「狂咲。お前も願者丸を支えてやってくれ」
「はあ。もちろんだけど……えっ?」
狂咲は息を呑む。
「そ、そういう……。そっか。そういうことも、あるよね」
「まさか、嫌なのか? 俺としては、狂咲がいてくれれば心強いんだが……」
「そんなことないよ。願者丸くん、可愛いし。……そうだね。あたしも、覚悟を決めないと」
俺を襲った罪と向き合うのは、恋人として生半可な覚悟では挑めないということか。
狂咲は俺と……何故かニヤけている水空に向けて、頭を下げる。
「お願い。願者丸くんと、2人だけで話したいの。長くなるかもしれないけど、時間をちょうだい」
俺としても、願ってもない話だ。狂咲や皆と力を合わせたい。
「いいよー」
水空が先に答えたので、俺も合わせて頷く。
「ああ。なるべく威圧的にならないよう、お手柔らかに頼む」
「任せて。自慢じゃないけど、慣れてるから」
狂咲は人と話し慣れている。他人を傷つけ、自身も傷ついた少女が相手なら、彼女の方が適任だろう。
俺と水空は、警吏のところに向かう。事件の流れを追いたい。
「行こう。狂咲なら、心配ない」
「ひひひ。ウチはすれ違いの方が心配だなー。願者丸くんも、わかってるみたいだし」
何のことだ。
狂咲とのコミュニケーションに失敗していたというのか?
俺は会話に齟齬があったのではないかと、急に不安を覚える。
しかし、願者丸は狂咲に連れられ、赤い顔で扉の奥に消えていく。
「ウチが見張っとくから、行こうぜ旦那さま」
「……さっさと済ませて、帰ってこよう」
命に関わるようなことは、無いと信じたい。
〜〜〜〜〜
俺たちは帰路にいる。
聞いたところ、魔道具の枷の出どころは、外国にあるマカリ教団本部が怪しいらしい。
とはいえ、俺たちが潰しに行くわけにはいかない。騎士団と警吏に任せて、帰るしかない。
「教団の本部は、エンマギアとは別にあるんだな」
「積田くんが潰したのは、分派のひとつらしいよ」
水空は、作り笑顔を天に向ける。
「あんな危ない連中が、簡単に力を持っちゃって。人も化け物も、死ぬ時はあっさり死んじゃうんだ。怖いねえ、この世界は」
化け物。
人の道から外れた人のことも、そう呼ぶべきなのだろうか。
「水空」
俺は土産物の干物をぶら下げて、意見を言う。
「死はいつでも、俺たちのそばにある」
「日本じゃないからね」
「日本でも、そうだった。気づかなかっただけだ」
俺が日本にいた頃は、意識していなかった。
しかし、意識から外れていたとしても……危険は常に、そこにある。
「交通事故。落下物。火事。落雷。色々な要因で、俺たちの人生は簡単に狂う。……現に、異世界からの神で狂って、ここに居る」
「ウチは死なない。事故でも、転移でも。……でも、そっか。それはウチがおかしいだけか」
水空は落雷の直撃からも生還するだろう。彼女は人の領域にいない。
しかし、彼女の心は人間臭い。欲深く、臆病で、執着心が強い。
「化け物のウチが、化け物がいっぱいの世界にやってきて、文句を垂れる。……今までが楽すぎただけなのに、何に甘えてんだか」
水空は内省している。
普段はお調子者だが、こういう考えができる人なのだ。ストイックな一面を秘め、痛みを前に立ち向かう根性がある。
だからこそ、俺も嫌いになれない。
「水空。願者丸のケアをしてやってくれ」
「へへ。ウチに任せちゃうんだ?」
俺は仕事がある。金を稼ぎ、家を買わなければならない。そのためにも、早く一流の店員になる必要があるのだ。
時間も体力も魔力も余っていて、人柄も悪くない。そんな人材が転がっているなら、使うべきだ。
「願者丸は大切だ。お前なら……きっと願者丸を良い方向に導いてくれる」
「へー。言っとくけど、カウンセリングの経験なんか無いよ?」
「願者丸に必要なのは、カウンセラーではない。それで立ち直るなら、あの里でとっくに蘇っていた」
俺は水空に、期待を込めた眼差しを送る。
「張り切る必要はない。凝ったことをする必要もない。ただ、お前という存在が隣にいるだけでいい」
「なんか、積田くん……リーダーっぽくなったね」
リーダー。俺が?
そんなはずはない。集団をまとめ、最前線で先導してきたのは、狂咲だ。
俺はむしろ、会話が弾む相手がほとんどいない。誰と話していても、口数少なく相槌を返すだけ。そんなコミュ障野郎がリーダーであるものか。
だいたい、救われたグリルボウルやエンマギアは、ほとんど俺のことを認知していないぞ。
「俺は隠者だ。強い光の影に隠れて、忍びながら活動するのが似合っている」
「それ、マジで言ってる!?」
水空は笑いながら俺の背中をバシバシ叩く。
痛いからやめてくれ。毎回思っていることだが、お前にそれをやられると洒落にならない。
「積田くんは、今のウチらの大黒柱だよ」
「そんなわけあるか」
「ほんとだって。……ま、あんまり持ち上げすぎるのも、良くないか」
水空は俺の前に立ち、背中越しに語る。
「引き受けようじゃないか。願者丸くんの監視を」
「断ったら殴っていたところだ。働け、無職」
「無職煽りはやめてってば! なんかみんな、ウチに冷たくない!?」
俺たちは馬鹿みたいに笑いながら、願者丸が待つ漁業組合の部屋へと帰る。
弱った願者丸を見た時はどうなるかと思ったが、救い出すことができて、よかったじゃないか。
そう、これでいい。心の余裕が戻ってきた。