〜罪人とポリッジ〜
俺は願者丸を背負い、奴隷たちを解放して回る。
捕らえられた女性たちは、願者丸とほぼ面識が無いようだ。
「アタシたちを助けようとしてくれた……らしい」
ひとりだけ、年長の女性が情報をくれる。
奴隷の中ではまとめ役のような存在だったらしい。率先して体を提供し、なるべく他の子を守っていたそうだ。
「どっかの保護施設か何かの子で、教団が施設を狙ってて……そんで、戦うために降りてきたんだとさ」
「本人から聞いたのか?」
「まさか。ここの連中のを盗み聞きしたのさ」
年長の女性は、俺の背中にいる無気力な願者丸を見て、そっけない態度を取る。
「結局、一言も口をきいてくれなかったよ。愛想の悪い子だ。ちっと興味があったんだけどねえ……」
願者丸は顔色ひとつ変えない。身動きもしない。
元々無愛想な奴だったが、流石に完全なる無反応ではなかった。今の彼……いや、彼女は病的だ。
俺は『影法師の里』を紹介しつつ、奴隷たちを連れてこの場を去る。
外に出て、警吏に事情を話し、大半の奴隷を引き渡し、願者丸を守るために漁業組合へ。
「師匠」
安全な室内までたどり着いたので、俺は願者丸を下ろして寝かせる。
痩せ細った体。傷だらけの肌。表情のない顔。まるで乞食のようだ。
俺は組合の男に毛布をもらい、願者丸に被せる。
「つらかったか?」
願者丸は何ひとつ返事をしない。まばたきと、浅い呼吸だけしか反応がない。
お香の影響だろうか。いや、ここにきた時からこんな状態だったとすれば……。
……彼女の身に、何があったのだろう。
〜〜〜〜〜
俺は願者丸の隣から離れない。
離れたくない。
絶対に。何があっても。
そのため、狂咲に頼んで、事後処理と職場への連絡をしてもらう。
「なあ、狂咲」
念のため、俺は尋ねる。
「願者丸が女だと、知っていたか?」
狂咲は願者丸を見て、目を見開く。
毛布に向けて駆け寄り、めくろうとして、思いとどまり、そして……。
「……冗談だよね?」
知らなかったらしい。狂咲でさえも。
俺が彼女を背負っているところを見ていたのに、気がつかなかったのか。先入観が邪魔をしたのだろう。
誰なら知っているんだ。どうやって隠し通していたんだ。学校は把握していたのか。
疑問は尽きない。失踪した原因、あるいは遠因なのだろう。
だが、今は何も聞かないでおこう。
俺は願者丸の隣に、ただ寄り添う。
「腹、減ってるか?」
願者丸は答えない。
腹の虫も鳴かない。
扉が開き、水空が来る。
「現場、引き渡した。スキルのことも、軽く説明しといた」
「助かる」
「ここで休む。スキル使ってることにしといて」
「わかった」
俺は背中で音を聞く。
すぐ後ろで、寝転んだ人が2人に増えたのだ。
……沈黙。
長い、長い、沈黙。
「願者丸」
天井を見上げながら、水空が声を発する。
「ごめん。ウチ、酷いこと言ったよね。謝るよ」
願者丸は答えない。
「でもあんた、負けず嫌いだったよね。今からでもやるかい?」
願者丸は答えない。
「なあ、なんか言えよ」
……願者丸は答えない。
水空は起き上がり、願者丸の目を覗き込む。
脅しのように。殺気の篭った目で。片手で人を殺せる怪物が、怪物になれなかった少女を睨む。
「生きるのが嫌か?」
初めて、願者丸の目が動く。
俺の方を見ようとしている。
「言いたいことがあるなら、言え。積田くんの優しさに甘えんじゃねえよ」
「やめろ」
優しいという言葉は、俺に相応しくない。
俺は黙っていることしかできない臆病者だ。言葉が見つからないだけだ。考えがあって、包容力を発揮して、黙っているわけではない。
「俺は優しくない。明日はともかく、明後日には願者丸を見捨てて、仕事に行く」
「やだ」
願者丸は掠れた声を発する。
「いかないで」
……そうか。俺が支えか。そんなに俺が大切か。
なら、そばにいてやろう。明後日も。明々後日も。
俺は水空の肩を掴み、上半身を持ち上げる。
「次は許さない」
「ふーん?」
水空は殺意に満ち満ちた目を細め、ゆっくりと閉じる。
そして、願者丸の隣に寝そべる。
「にぶちんの癖に、なかなか言うじゃん」
にぶちん。かつて、似たようなことを言われたような気がする。
誰からだったか。……そうだ、幼女神だ。願者丸に会いに行けと、お告げで言われた。
彼女もまた、願者丸が女だと知っていたのだろう。
「ああ。鈍いよ、俺は」
俺は水空が十分な距離を取るまで、引きずる。
「願者丸の身に何があったのか、未だにわからないままだ。お前は察しているのかもしれないが」
「うん。まあ、見ればわかる」
水空の言葉を、俺はあえて遮る。
「願者丸。聞かせてくれ」
「……うん」
願者丸は片手で俺の裾を握る。
弱々しい手。昔ほどの握力はなさそうだ。ステータスは失われていないはずだが、手錠のせいで使い方を忘れているのか?
俺は願者丸の手に、自らの手を添える。
彼女はまだ、口を開かない。
辛抱強く、待つ。
願者丸が言いたくなるまで、待つ。
「オイラは……」
願者丸は、枯れた唇を震わせる。
「オイラは、女だ……」
俺は頷く。
「女になりたくなかった。最近までは」
願者丸は這いながら寄ってくる。
「オイラは、女だった。嫌ってたはずの、女だったんだ」
太ももに顔を乗せ、願者丸は……ついに、涙をこぼし始める。
「鍛えるとか口実つけて。学校に行こうとか誘って。狂咲のことを睨んで。アネットをフッて……」
そうだ。思い返せば、願者丸はそうだった。
全て、俺の隣にいたかったからなのか。
「オイラはバカだ。大切な日々を、自分でフイにしてしまった。たった一度、悪戯心で魔が刺して、とんでもないことを……」
巫女名も言っていた。願者丸は取り返しのつかない失敗をしたと。
……聞くのが怖い。あの願者丸がここまで狂ってしまうのだから、俺が詳細を知ったらどうなってしまうのか。
それでも、聞かなければならない。有耶無耶にしたら、また願者丸が離れてしまうかもしれない。
「何をした?」
願者丸は、また口を閉ざす。
……核心に触れる勇気は無いか。
俺はお返しに、こちらの状況を伝える。
まずは、当たり障りのないことから。
「家を買った。みんなで住んでいる。願者丸の部屋もあるぞ」
「あるんだ……」
俺はぽつぽつと、話題を選ぶ。
「猫魔、知ってるか?」
「柔道部の筋肉ゴリラ。ボコしたから知ってる」
「……見つかったぞ」
「そうか」
猫魔の過去を、俺は知らない。聞きたくないが、聞いておこう。
「どんな奴だった?」
「なんでオイラに聞くんだ」
「戦った時のことを知りたい」
「……あれは弱かった。県大会優勝だか知らんが……」
願者丸は少しだけ饒舌さを取り戻す。
やはり、願者流だ。彼の……彼女の流派だ。これこそが、希望の光。
俺は願者丸の武勇伝を聞きつつ、現代まで生き延びた本物の忍者に心を躍らせる。
「なあ、積田。言ってなかったことがある」
不意に何かを思い出したようだ。願者丸は、先ほどよりずっと明るい口調になって、俺を見上げる。
「覚えてないだろうけど……オイラは、ずっと前からオマエのことが好きだった」
まあ、そうなのだろう。願者丸の態度で、既に察している。
……覚えてない、ということは、俺にも何かきっかけがあったのか。単なる遠巻きな片思いではなく。
「幼稚園の頃、助けられた。折り紙の手裏剣で」
願者丸はそれだけ言って、俯く。
……覚えていない。そんな昔のことなど。
だが、手裏剣。
そうか。願者丸が忍者を目指しているのは……俺が発端なのか。
「お前の人生を、俺が……決定づけてしまったのか」
「不幸なんかじゃない」
願者丸は俺に縋り付く。
「オイラは仕えるべき主君を得た。10年経っても色褪せない恋も、同時に得られた。幸せ者だ。誰が何と言おうとも」
主君とは、俺のことか。
影からずっと、支えていたのだろう。俺が知らない間に。
献身。10年以上の、血が滲むような努力。
彼女が好きでやっていたこととはいえ、俺はもはや知ってしまった。報われるべきだとさえ思っている。
……しかし。俺には既に、狂咲がいる。
師匠と弟子。俺たちの関係は、それまでだ。
それで十分じゃないか。今までだって、唯一無二の信頼関係を築いていた。
「願者丸。お前は、俺の……」
すると、水空が俺の前に手をかざす。
「ウチはずっと、積田くんのストーカーをしてた。キョウちゃんのために。……なのに、願者丸のことにちっとも気づけなかった」
そう言って、水空は願者丸の頭を撫でる。
くしゃくしゃと、強めに。
「あんたは凄い忍者だ。知らない間に、ウチは負けてたんだ」
「いや……オイラは……」
「完敗だよ。情報戦は、ウチの負け。自信を持て」
水空は願者丸を抱きしめる。
どんな心境の変化なのだろう。相変わらず、水空のことはよくわからない。
「キョウちゃんが帰ってきたら、話してあげて」
「それは……」
「大丈夫。きっと、大丈夫」
何がどう、大丈夫だと言うのか。
……これについては、わかっている。水空は最初から、そういう価値観で動いている。恋愛観が独特なのだ。共感はできそうにないが。
俺はただ、黙って2人を見守る。
願者丸のケアをしながら、狂咲の帰りを待とう。
〜〜〜〜〜
夜。
俺と狂咲と水空は、願者丸に寄り添いながら食事をしている。
「白身魚のお粥だってさ。変わった味つけだね」
願者丸は震える手で匙を掴み、ゆっくりと頬張っている。
「あったかい食事は、久しぶりだ」
願者丸は嬉しそうに微笑んでいる。
……確かに、女性だ。それも、かなりの美少女。
何故気がつかなかったのだろう。誰も気づけなかったのだろう。……彼女の態度と、表情のせいか。
全員が無事に食べ終わった直後、水空は例の件を切り出す。
「キョウちゃん。願者丸のこと、どう思う?」
狂咲はぴくりと震え、水を飲む手を止める。
動揺。しかし、すぐにいつもの笑顔に戻る。
「あたし……前から考えてたの。積田くんのことを好きな人が現れたら、どうするか」
願者丸は黙っている。
口を閉じた顔が、昔とは違う。心の余裕がなさが、表に出てしまっている。
そんな願者丸に、狂咲は告げる。
「半端な人だったら、叩きのめす。あたしの愛をわからせて、奪い取ってやる」
「うん」
「でもね。願者丸くんの気持ちが半端だなんて、思えないんだ」
……まさか。
狂咲。お前は許してしまうのか。
あんなにも俺を求めてくれていたのに。
……いや。願者丸もまた、俺を求めていたのだ。だからこそ、同志として理解できてしまったのだろう。
狂咲は良くも悪くも、八方美人だ。
「願者丸くん。本当のことを言って。積田くんと、どうなりたいの?」
俺は固唾を飲んで、願者丸の言葉を待つ。
俺から何か促すと、出力される言葉が歪んでしまいそうだ。ありのままを、ぶつけてほしい。
俺はただ、じっくりと待つ。苦しい数分間を、ただただ待つ。
「……さっき、言っただろ」
願者丸は、目を伏せる。
「好きだ。色のある恋をしている。オマエのためなら死ねる。実際、死ぬつもりだった。主君と決めた男を裏切るような真似は……」
「死ぬな」
死。
その単語が出てきた瞬間、俺は反射的に口を開いてしまう。
歪んでいい。願者丸の本音が、歪んでもいい。
死ぬだなんて、言わないでくれ。
「死ぬな。友人であり弟子である俺からの、お願い。あくまで主君だと思うなら……命令だ」
願者丸は、何かに打ちのめされたように拳を握りしめる。
殴るためではない。己の内にあるものと戦うための行動だ。
「オイラが何をしたのか、知らないのか?」
願者丸は下腹部をさすっている。
傷痕がある。切腹のような、深い傷。
「オイラは主君に不義理を働いた。死罪に値する」
「それはお前の価値観だろう」
「全てを詳らかにすれば、裁いてくれるか?」
願者丸は覚悟を決めた様子で、正座をする。
……介錯を待つ、罪人の姿に似ている。
「オイラがしたことを、全部話そう」
狂咲はいつも通りに姿勢をただし……水空はいつもとは違う険しさを帯び始める。