〜秘密とハンドカフス〜
腹ごなしを済ませた後、漁業組合に顔を出す。
レンガ造りの、無骨な建物だ。潮の香りが染み付いている。
海に生きる者たちなのか、筋骨隆々とした男たちがぽつぽつと出入りしている。入るのが恐ろしくなるほどだ。
「おや、積田くん。ビビってんの?」
水空にからかわれる。
「ステータスの分、ウチらの方が強いのに」
「本能に刻まれているから、仕方ない」
しかし狂咲がいる手前、怖気付いてはいられない。俺は前を向いて先頭を行く。
「でかい男がどうした。俺の心は、もっとでかい」
「ひゅー。妻2人持つ男は違うねえ」
「狂咲だけだが?」
俺は狂咲だけを引き寄せつつ、入り口付近にいる男に声をかける。
「すみません。樽港さんはどちらにいますか?」
「ん……? おう、ニホンジンか」
男は俺たちの黒髪を見て、事情を察したようだ。腕組みをしたまま、頷く。
「生憎だが、あいつは当分帰ってこねえよ。外国回る商売してんだ」
「なるほど。道理で素駆が会えないわけだ」
国内を守る騎士団であり、地上を行く彼では、海の男には出会えまい。
俺が納得していると、男は意外そうな顔で俺の肩を叩く。
「なんだ。あいつの知り合いか!」
「騎士団ではありませんけどね」
「この町は、俺ら海のもんが警吏もやってんだ。なにせ、力が強え。色んな意味でな」
なら、この建物は実質的な交番でもあるのか。それにしてはボロいが。
男は後ろにいる狂咲と水空に注意を向ける。
「女連れか。加護はあるか?」
「はい。レベル20です」
「高えな、おい。どんな修羅場潜ってやがる……」
俺と水空はまだ20に達していないが、黙っておこう。
「腕はありそうだ……。少し待ってろ」
彼は俺たちの実力を見込んだのか、一度奥に引っ込み、更に偉いらしい老人に会わせてくれる。
何やら妙な展開だが、願者丸を探すためなら都合がいい。警戒しつつ、進むとしよう。
〜〜〜〜〜
上の階に行くと、武器や魚拓が飾られた部屋に通される。
「お前らが『教団殺し』か」
俺たちが知らないところで、妙な二つ名が付いているようだ。いきなりここに呼ばれたのも、それが理由か?
今回は妙なことに巻き込まれたくない。念のため、俺は事実を伝えておくことにする。
「山葵山という教師の主導によるものです」
「船頭だけが船乗りじゃねえ。ここのことわざだ」
そう言って、凄みのある老人はゆらりとした歩き方で迫ってくる。
「頼みがある。なに、時間は取らねえ。金も出す」
「明日には仕事があるので……」
「なんでえ。傭兵じゃねえのか」
老人は自分勝手な失望をしつつ、それでも好き放題喋り始める。
「このところ、妙な商売が顔出してきやがる。教団が垂らしたクソが飛んできてやがんだ」
彼は口汚く教団を罵りながら、机の上に置かれていた金属片を掴んで持ち上げる。
「こいつに見覚えはあるか?」
まるで手錠のような形だが、トゲトゲしい。不用意に触ると怪我しそうだ。
俺は2人の様子も見つつ、答える。
「初めて見ました」
「そうか。ま、南の方ならそうなるか」
男は俺たちのそばに寄り、それを手渡してくる。
……触れてみると、驚くほど重い。金属の塊である以上に、ステータスの有利が意味を成していないことが大きい。
「わかるか? 持った奴の魔力を吸って、重さと硬さを変えるんだそうだ。騎士団にも似たヤツがあるそうだが、こいつに許可なんぞ必要ねえ。嵌めれば誰でも奴隷の仲間入りよ」
「……恐ろしいですね」
「よその町では、これが横行してやがる。最近になって、とうとう、ここにも来やがった」
この世界はそんな情勢になっていたのか。素駆が忙しそうにしていたのも頷ける。
漁業組合の老人は、俺たちを連れてきた男を顎で使い、高所にある荷物を取らせる。
抱えるほど大きな箱。その中身は、なんと全て手錠の魔道具だ。
「押収したブツだ。奴隷にされた奴らの数とも言えるな」
俺は数えようとして、諦める。同じ箱が他にもあることに気がついたからだ。
狂咲は憤怒に燃えている。水空は……虚無だ。
「借金抱えて飛ばされるのはいい。俺たちの船にも、そんな奴はいる。世の中には色んな事情ってもんがあるが……」
老人は箱の側面を睨み、つま先で蹴る。
そこには、こう書かれている。
『子供用』
「これはダメだろ」
同感だ。
老人は忌々しい魔道具を片付けさせ、俺たちに忠告する。
「気づいた時には、この町にあった。船はとっちめたが、入っちまったもんを掃除するには、手が足りなくてな」
「俺たちの力を借りたいと?」
「教団と殴り合うのが好きなら、やってほしかったんだがな。傭兵じゃねえなら、しかたねえ」
そういう話か。
俺は水空の方を向き、少し話し合う。
「スキルで怪しい連中……特に教団を見かけたら、教えてくれ」
「はいはい。ウチはレベル低いから、無理させないでね」
戦いに身を投じた数に開きが生じており、いつのまにか水空だけ置いていかれつつある。
それでも、彼女は怪物だ。決して遅れは取らないと信じたい。
狂咲も同意してくれたので、俺は老人に告げる。
「見かけたら対処します。ご忠告、ありがとうございます」
「期待はしないぞ」
無償でもいい。被害者がいるなら、救うだけだ。
〜〜〜〜〜
俺たちは磯の香りが強い町へ繰り出し、願者丸の目撃情報を探る。
小さなニホンジンを見なかったか。目つきと態度の悪い男に絡まれなかったか。道場破りをしている強者はいるか。
しかし、特に目撃証言は見つからず、俺たちは途方に暮れる。
「もし願者丸くんを匿っている人がいても、怪しいあたしたちには話してくれないよね……」
狂咲は不安そうに俯く。
この地における俺たちは、知らない異世界人でしかない。俺はこの町における身分として『オリバーの部下』を名乗ることができるが、狂咲と水空には身分が無い。
勝手にキャメロン町長の名前を出すわけにもいかない。どうしたものか。
結局、俺たちは水空のスキルを頼りに探し当てることになる。
しらみ潰しだが、最も確実だ。
俺たちは手頃な広場を見つけ、土魔法で椅子を作って座る。
「なあ、積田くん。ウチのスキルって、視覚だけじゃなくて、触覚や嗅覚も使えるんだぜ」
子供たちの溜まり場となっている広場で、水空は空を見上げている。
「さっきから魚の臭いがひっでえんだわ。代わってくんない?」
「代われるものなら」
「言ってみただけー」
水空は屋内の探知が苦手だ。このままでは時間がかかるだろう。
俺と狂咲は別行動で願者丸を探す。
「俺は盗聴石を探してみよう。どこかに置かれているはずだ」
「じゃあ、あたしはあの里と縁がありそうな場所を探してみる」
僅かな心当たりを胸に、俺たちは歩き始める。
〜〜〜〜〜
盗聴石はあった。
あまり多くはないが、裏道や小道に置かれている。
探知には不十分な数だが、ひとりで管理することを考えれば、これが限界か。
「願者丸……」
俺は小石を拾い上げ、話しかけてみる。
応答はない。……わかっていたことだ。
「待っているぞ」
本当はもっと、話したいことがある。しかし、今はこれだけしか喉から出てこない。
有り余るほどの思いが絡まっているのだ。言葉だけでは伝えられない。
彼の失踪もこの時期だった。もう一年近く会っていない。新しい家も、味差との交戦も、彼は知らないはずだ。
「もう一度、俺を導いてくれ」
俺は出来の悪い小石を握りしめて、懐に入れる。
持っておけば、いつかあのぶっきらぼうな声で話しかけてくれる。そう信じて。
〜〜〜〜〜
狂咲は里の取引先と話したようだが、特に収穫はなかったらしい。
願者丸が関わっている形跡はなし。まあ、彼は工場に出入りしていなかったようだから、当たり前か。
俺たちは広場に戻り、椅子に座ったままの水空に声をかける。
「みっちゃん。どう?」
狂咲の問いかけに、水空はやけにうんざりした様子で答える。
「教団、いた」
「うそ」
願者丸より先に、そっちが見つかったか。
水空は詳細を語る。
「捕まえた奴隷を船で輸送するつもりだと思って、その辺を探したんだ」
「そうか? この地で使い続ける可能性も……」
「目立つじゃん。警吏に見つかったら、飼い主がおしまい。そんな不便な奴隷、使えないよ」
なるほど。警吏が強いこの町では、運用できそうにないな。
水空はスキルで教団の影を追っている。
「話を聞く限り……エンマギアにも連れてく予定だったらしいけど……」
「ああ、そうか……。味差か」
彼女は人間を文字通り食い物にしていた。イケニエは、借金と契約を抱えた連中だけではなかったということか。
しかし、味差は死んだ。故に、奴隷たちは行き場をなくして押し込められている。
「置いとくわけにもいかないから、船で輸送する予定だってさ」
「教団の船か?」
「もう潰されたから、無い。なんか、間借りするって。どれかは知らんけど」
水空は他人の会話を盗み聞きして得た情報を、そのまま口から発している。本当に便利なスキルだ。敵に回したくない。
「潰したのは、漁業組合か」
「たぶん。仕事してるねー」
俺と狂咲は場所を聞き出し、そこに向かうことにする。
「やるぞ。俺が前に出る」
「みっちゃん。盗聴石あげる。スキルでオペレーションお願いね」
「あいよ」
俺たちは腕まくりをして、仕事に取り掛かる。
人との争いも慣れたものだ。順調にこの世界の流儀に染まりつつある。
〜〜〜〜〜
殲滅した。
なるべく殺さないようにしたが、治療しなければ危うい者が数人見受けられる。
自爆する恐れがある連中は、頭部を殴るしかないのだ。手加減が難しい。
俺は口が無事に残っている男を掴み、脅す。
「手錠を解除する方法は?」
「鍵が、ある……そこに……」
指差す先には、禍々しい鍵が束ねられている。
「奴隷を売っても……鍵は俺たちのものだ。こうすれば口出しできる」
「顧客を信頼してないんだな」
「当たり前だろ。人を買うような奴らだぞ?」
男は全てを諦めた様子で、床に倒れ込む。
「ボスが消えても、スキルの『契約』は残る。俺はずーっと、縛られっぱなしだ」
「哀れだな」
「奴隷とどっちがマシなんだろうな?」
飛田のヘリが残っているのだから、味差のスキルも残り続けるか。神の加護は、やはり人の手に余る代物だ。
俺は男が見つめる先の扉を開ける。
「うっ」
……お香の匂い。
やけに甘ったるく、正気をかき乱される。
「魔道具か」
「あたしの『思慕』で」
俺は狂咲のスキルを纏い、香りに抵抗する。
気分は良くないが、その程度の影響だ。ここは俺ひとりで探索するべきだろう。
「そこは娼館だ」
思慕を失った男が、ぼんやりとした口調で答える。
「ボスは女の肉が好みでね。捕まえたのも女ばかり。上を失った後も、売る相手には困らなかった」
「お香に晒されて、平気なのか?」
「んなわけあるか。正気を保ってる奴なんか、いねえよ。海の向こうの売り先も、それでいいらしい。病気がなくて、肉の穴があれば十分だと」
……人を人として扱っていない。胸糞悪い。
男は首筋から血を流し、懇願する。
「このまま死なせてくれ。もう契約に従いたくねえ」
尊厳死。人の尊厳を奪った男に対して?
俺は胸に去来した僅かな疑問を、握りつぶす。
そんなことを議論できるだけの高尚な頭は持ち合わせていない。スキル以外で治せないなら、魔力は俺に使ってもらう。
俺は殺してきた数々の相手の一人に、目の前の男を入れて……黙祷した後に、娼館に踏み入る。
〜〜〜〜〜
管理の行き届いていない、不衛生な娼館。
表の見た目だけは立派だが、従業員が出入りする裏側は、とにかく汚い。
床に置かれた雑多な物。酒か何かの染み。血の跡。抜け毛。
「水空。奴隷たちはどこに?」
やけに口数が少ない彼女に、案内を頼む。
水空はしばらく間が開いた後、道順を示す。
「待機部屋は、この先まっすぐ。ただ……今出てる奴がいる」
「営業中だったか」
「割り込んで。お願い」
水空の頼みを聞き、俺は危険を顧みず、その部屋に突入する。
客らしき男は、入れ墨のあるハゲ頭。見るからにチンピラだ。
「お客さま。ちょっとこちらに」
「クソっ。安い店はこれだから……」
やましいことがあったのか、男は去っていく。奴隷を放置して追うほどの相手ではないだろう。
俺は娼婦をさせられていた奴隷に向き直る。
子供だ。ガリガリに痩せた女の子。ボサボサの長い髪は、乱暴に扱われて傷んでいる。
豪華に見える部屋の内装とは対照的に、世にも哀れな存在に見える。
……心が痛い。こんな幼い子が、男性の餌食に。
「大丈夫か?」
「あ……」
少女はか細い声を上げる。
鈴のように高い、愛らしい声。庇護欲を掻き立てられる、小動物に似た声。
俺は僅かな違和感と共に、彼女の手を取る。
「助けに来たぞ。手錠は……あった」
俺は手錠の鍵を使い、極めて重いそれを床に投げ出す。
これでもう自由だ。例の里を頼って、食事と居場所を与えれば、助かるだろう。
「さあ、俺と一緒に……」
「つみだ」
少女は立ち尽くしている。失敗が見つかったような顔で、怒られる準備をしている。
長い髪の間から覗く、見覚えのある顔。
願者丸サスケだ。
「お前」
俺は天地が反転するかのような衝撃を受けて、ただ呆然と口を開く。
「お前、女だったのか」
願者丸は無気力に頷く。
……そうか。やはり俺は、師匠のことを何も知らなかったのだ。