〜弱腰亭主〜
俺は積田立志郎。魔法の世界の忍者であり、ホームセンターの従業員だ。
春の穏やかな陽気に包まれ、俺は新人として職場のイロハを学んでいる。
店長のオリバーは、純度100%の胡散臭さで構成された人格者であり、名の知れた大魔法使いだ。しっかり言うことを聞いて、俺も一流の魔法使いになるとしよう。
まずは、接客。
「適当でいいよ」
次に、会計。
「メモしといて」
最後に、魔道具の整備。
「まだ早い」
……オリバーは案外適当に生きているらしい。
俺は掃除をしながら、ぼんやりとそう思う。
〜〜〜〜〜
『堆肥と重機のビックオリバー』に勤め始めて、しばらく経った。
オリバーはろくな研修もせず、職場を覚えるためと称して、掃除だけを押し付けてくる。
一応、向こうにも理があるとは思うが……それにしても、つまらない。やり甲斐が欲しいものだ。
俺は夕方ごろ、皆と共同生活を営むシェアハウスに帰ってくる。
「ただいまー」
「おかえりなさい!」
「おかえりー」
恋人の狂咲と、暇人の水空が出迎えてくれる。
俺が上着をハンガーにかけると、狂咲は待ってましたと言わんばかりに声をかけてくる。
「ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?」
「ご飯で」
3つ目の選択肢は、はなから存在しないものとして扱う。
すると水空は冷蔵庫まで歩き、キッチンにいる工藤に声をかける。
「おーい! 野菜室に玉ねぎあるー?」
「ありまーす」
涼しい地下の保管庫から、工藤は返事をする。
……今日の夕飯は水空が作るのか。珍しい。
俺は部屋に戻って着替え、また広間に戻ってくる。
水空と工藤が料理中。狂咲は何やら書類と睨めっこをしている。
「仕事か?」
「うん」
狂咲は今、新規事業を立ち上げている。町長の傘下として、日本にあった便利な小物を広めようとしているのだ。
狂咲は帳簿やアンケートを見て集計しつつ、進捗を教えてくれる。
「ピーラーの売上は好調。町長さんの厨房でも使ってもらってるし、この成功は当たり前だね」
「出だしは順調だな」
俺も職場にある売り物を見て、この世界に有る物と無い物を判断している。ビックオリバーに無ければ、それはこの世に存在しない物だ。
「俺たちが作り出すまで、ピーラーはこの世界に無かった。これからは違う……」
「あれば買うけど、なくても困らない。その隙間を、あたしたちが縫うんだ」
狂咲は黒字が見えてきた会計を眺めて、ニヤつく。
「右利きでも左利きでも子供でもお年寄りでも、長く使える完成されたデザイン。それをあたしたちは知っている。最小の努力で、ゴールまで辿り着ける。だからこそ、少ない初期投資で商売にできる。あたしたちにしかできないことだよ。やっとみんなに恩を返せる……!」
狂咲はテンションが上がっているようだ。
しかし、油断は禁物だ。日本とこの町は違う。需要が無い物を大量に作ってしまい、在庫を腐らせることになるかもしれない。
「恩返しなら、これからもみんなに必要な物をちゃんと考えていかないとな」
「……そうだね。菜箸はあんまり売れなかったし」
狂咲は過去の失敗を思い出し、冷や汗をかく。
材料費や加工の手間がかかるもので、同じ失敗をするわけにはいかない。
……真面目な話をしているところに、水空が割り込んでくる。
「おふたりさん、すっかり社会人になったねー」
「働けプー太郎」
俺は無職の水空に軽口を叩く。
学校に通わず、金も稼がず、クラスメイトの捜索もせず。最近の水空は、のんびりし過ぎている。
水空はバツが悪そうな顔で、額を押さえる。
「あひー! 無職煽りはウチに効く!」
「みっちゃん向けの仕事もあるよ?」
「可愛い女の子、いる?」
「……いない、かな」
「やーめた」
水空はゴロリと転がる。
……やれやれ。まあ、俺も飯田の扶養で生きている身だ。あまり強くは言えない。
俺たちが浮いて流れるような話を始めると、工藤が料理を運んでくる。
「まあまあ。飯田くんのおかげで、お金に余裕はありますから。いつでも出動できる武力として、温存しておくべきですよ」
ふむ。流石は工藤。今最も軍師に近いポジションにいるだけのことはある。
俺たちはいつ誰と戦いになるかわからない。竜をも超える強力な魔物が襲ってきた時、真っ先に頼りにされるのだから。
俺は水空へのフォローと共に、釘を刺す。
「そうだな。この地域の警吏にでもなってくれたら、ちょうどいいのかもな」
「そうだよ。みっちゃん、警察になったら?」
水空は運ばれてきたリゾットにふーふーと息を吹きかけながら、ぼやく。
「うーん……守る気になれない……」
……このままでは死ぬまで就職しないのではないだろうか。そんな危機感さえ抱いてしまう。
水空は気難しく、何よりこの世界を嫌っている。どんな仕事に就いたとしても、日本がちらついて幸せにはなれないだろう。
俺たちがサポートして、なんとか真人間に導かなくては。
〜〜〜〜〜
夜。
自室にて、俺は本を読んで過ごしている。
俺の部屋も狂咲の部屋も、あまり物は多くない。皆で使う場所に金を使っているためだ。
……結婚と家持ちがどんどん遠くなっている気がするが、自分だけ私腹を肥やすのは気が咎めるのだ。
魔道具の整備方法に関する本にメモをしていると、外からノックの音がする。
開けてみると、そこには狂咲が。
「積田くん。銭湯、行こう」
「……ああ」
俺たちはまだ、銭湯通いだ。風呂場を作ってもいいのだが、高い。アマテラスに会いたい気持ちもある。
「今日は、その……綺麗に、してから……」
一緒に身を清めた日は、共に夜を過ごす。そういう決め事をしてあるのだ。子供ができない範囲内で、互いの全てを貪り合う。
——俺たちは手を繋いで歩き、風呂を浴びて帰ってくる。
部屋に入った瞬間、狂咲が押し倒してくる。
「我慢しながら歩く夜道が、本当に好き」
首元への口づけ。癖なのか、毎回痕を付けてくる。
「お外でしてみたいけど、迷惑だからね……」
真っ先に下着を投げ捨てる。服を大切にしているようだが、それ以上に欲が強いのか。
「今日は後ろを……」
「狂咲」
暗い部屋の中、俺は腹の上の狂咲に向けて、謝る。
「流石に毎日はきつい」
「えっ」
狂咲はかなり衝撃を受けた様子だ。青ざめている。
……俺はかなり頑張っていると思う。昔から下半身は強かった。だからこそ、幼少期に失敗を重ね、今では自制的な性格に仕上がってしまっているのだが……それはそれだ。
しかし、狂咲は俺の上を行く。脱水症状になるくらい汗をかき、俺を求め、いじめてくる。どこからそれだけの欲望が湧いてくるのか、不思議で仕方ない。
狂咲は俺の服を脱がせながら、滝のように大量の涙を流す。
「どうして? 愛情不足?」
「栄養不足だ。知っているか、狂咲。人間の体には限界があるんだ」
「む……むぐうぅ!」
狂咲は俺の腹に額を押し付け、ぐりぐりと掘削作業を始める。
「結婚したら倍は欲しいのに!」
「お前……」
俺も強く言えたことではないが、さてどうしたものか。ないとは思うが、男日照りで浮気をされたら……つらい。
すると、水空が部屋に押し入ってくる。
「やあ。お助けみっちゃん様が見てたよ」
「帰れ」
間女の出現に、俺は警戒心を最大値まで高める。
狂咲は気にする様子もなく、裸のまま応対する。
「何かいい案があるの?」
「積田くんが疲れてるなら、ウチとキョウちゃんで慰め合えばいい」
「却下だ。帰れ」
脱ぎ始めた水空を押し、俺は部屋に鍵をかけようとする。
しかし、狂咲に止められる。
「待って。積田くんに迷惑をかけるくらいなら、あたし……頑張るよ」
「……そうか。俺では、不足か」
俺は男として不甲斐ない心地になり、沈みゆく心のままに扉を開ける。
狂咲に頼まれては、仕方あるまい。最後に狂咲の心が俺に帰ってきてくれるなら、他の女と寝るくらい、別にいい。
むしろ、この2人こそ最初に肉体関係があったペアなのだ。俺こそが間男なのだ。俺が狂咲の心を射止めようなど、無理があったのだ……。
俺が自分の部屋から退出して広間のソファで寝ようとすると、水空が止めてくる。
「ごめん。そういうつもりじゃなかった。傷つけたいわけじゃないんだ。ほんと、ごめんよ」
そんなに哀れな顔をしていたのか、俺は。
水空は俺の部屋の中に入り、脱ぎかけの服を放り投げつつ、俺に抱きつく。
「3人でしよう。それがいい」
非道徳的だ。散々否定してきただろうに、何故こうも押しが強いのか。
どうにも気落ちした俺は、ひとつ強めの疑問をぶつけてみる。
「前から疑問だったんだが……俺を誘惑する理由はなんだ?」
「好きだから」
「隣に狂咲がいるからだろう?」
「違うよ。キョウちゃんがいなくても、きっと好きになってた。かっこいいし、可愛いし、面白いし、頼りになるし」
俺は狂咲に助けを求める。
お前の横で、親友が横恋慕しているぞ。未来の妻として止めに入らなくていいのか?
すると、狂咲は俺の背中を摩る。
「みっちゃん。積田くんはあたしのものだよ」
口では否定しているが、おそらくポーズだ。間に割って入ろうともせず、消極的に縋り付くだけだ。
水空と共に、3人で愛しあいたいのだろう。本音が透けている。
「どうしたものか」
俺は正面から水空に、背後から狂咲に抱きつかれている。
非常にまずい流れだ。このままの空気では、水空も巻き込むことになりかねない。
俺は狂咲一筋だ。それ以外の誘惑は徹底的に排除して、耐えなければならない。
水空に手を出したら、俺は日本の倫理観を捨てることになる。日本にいた頃の俺ではなくなってしまう。それが怖いのだ。
「願者流は、孤高の流派だ。心を強く保ち、決して屈することはない。俺の伴侶は、狂咲だけだ」
「ふーん。わざわざ心を保たないといけないんだ」
……失言だったか。
「これでも耐え切れるかなー?」
水空は下着を脱ぎ、それなりに実った体でポーズをとる。
魅力的ではある。口が裂けても言えないが。
「隙あり」
「あっ」
俺は水空を突き飛ばして、部屋から追い出す。
そして、呆然としている狂咲に向き直る。
「頼む。俺だけを見てくれ。俺も狂咲だけを見る」
「相変わらず頑固だね」
俺は己の体力が許す限り、狂咲を満足させ続けることを誓う。
狂咲はサキュバスじみている。しかし、本当に命まで枯らすわけではあるまい。俺と結ばれるまでは我慢できていたのだ。俺が耐えれば良いだけのこと。
〜〜〜〜〜
数日後。
俺は就業中に倒れ、オリバー店長に油断を見せてしまう。
「ククク。若者のくせに、ずいぶんと体が弱いご様子で。そんな調子では、来年には命がないかもしれませんよ?」
「あ、あー、あ……」
「既に死んでいるような顔ですけどね」
死期が近づいたら刈り取るという宣言だろうか。やはりこいつは只者ではない。
彼は俺の額に貼られた魔道具の様子を見る。
「ミコナさんのスキルを込めてあります」
道理で回復が早いと思った。スキルの効果は、精力増強にも効くようだ。
俺は起き上がり、すぐさまオリバーに謝罪する。
「申し訳ありませんでした。業務に戻ります」
「掃除は結構。代わりにこれ、読んでおきなさい」
オリバーは悪魔の契約書……ではなく、専門的な学術書を取り出す。
主に土の魔法だ。効果的な堆肥の作り方が、イラスト付きで書かれている。
「うちは土の魔法が要ですからね。作れるようになれば、寝ながらでも稼げますよ」
「あ……」
そう言って、オリバーは店の表へと消えていく。
ここは本当に客が来ない。焦って俺をこき使う必要はないのだろう。
「ああ……」
俺は不甲斐なさに打ちのめされつつ、魂が抜けたような気分で魔法の知識を仕入れる。
下半身が頼りないなら、せめて頭で狂咲を支えなければ。
「ああ……あ……」
ゾンビのようなうめき声を上げつつ、俺は目の淵から雫を垂らす。
〜〜〜〜〜
その夜。
例によって、狂咲が銭湯に誘ってくる。
「昨日はあんまりできなかったから……」
「ひっ」
俺は職場で倒れた話をして、狂咲に土下座する。
情けないが、仕方ない。俺はどうしようもないほど追い詰められているのだ。
「これ以上は本当にまずい。命に関わる。もう搾り取るのはやめてくれ。お願いだ」
これ以上続くと、寿命が縮む。いや、即座にお迎えが来てしまう。狂咲やクラスメイトたちを残して死ぬわけにはいかない。
すると、狂咲は俺の背中を撫でつつ、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「そっか。澄子ちゃんの。じゃあ、体力を回復すればいいんだね」
その言葉と共に、俺の体は急速に治癒され、生きる力を取り戻す。
狂咲のスキルである『思慕』のおかげか。
……いや、ちょっと待てよ。一瞬治療のためかと思ったが、違う。更なる無茶をさせるためだ。
「おい、狂咲。まさか」
「えへへ。魔力を使っちゃうけど、別にいいよね」
狂咲はねばついた唾液を口から垂らしつつ、ギラギラと輝く眼光をこちらに向けてくる。
「何回できるかな。試したいこと、まだまだいっぱいあるんだ。ふ、ふふ、ふふふふ!」
そうか。狂咲に告白された時点で、きっと俺は詰んでいたのだ。この凄まじい欲望の権化を、一生かけて支え続ける運命に固定されてしまったのだ。
……そして、そんな狂った地雷女を、俺は懲りずに好いている。
「(どんな名君も勇将も、腰を振って子孫を残すものだ……)」
俺は服を脱ぎ捨てる。
欠点くらい、誰にだってある。それが見ず知らずの他人に向かない分、狂咲は良い人柄と言える。
俺が受け止めてやればいい。俺が狂咲を抱き続ける限り、狂咲は皆に慕われる良い人のままだ。
「明日の仕事に差し支えはないな?」
「魔法を使わなければ、大丈夫」
「よし」
俺は狂咲の腰を掴み、全快した肉体で抱き寄せる。
「めちゃくちゃにしてやる」
俺は覗いているはずの水空に見せつけるように、たっぷりと狂咲を楽しむ。
狂咲が俺を『思慕』してくれる限り、俺は無敵だ。これこそが、支え合う夫婦の形だ。
……狂咲を満足させられる自信は、相変わらず無いが。