〜オーバーインフレイト〜
俺は積田立志郎。甘党の忍者だ。
魔法学校の卒業式を控えた俺は、事件があったエンマギアの街を訪れている。
復興の様子を見つつ、事件による民草の反応を窺おうとしたのだ。
……しかし、現地にたどり着いた途端、意外な歓待が俺を阻む。
「英雄の一味だ!」
「ワサビヤマの弟子!」
俺は記者や野次馬に囲まれ、行く手を塞がれてしまう。
……この世界にも新聞はあるのか。大きな街なら、こういうこともあると想定しておくべきだった。
俺はとりあえず、適当な返事でやり過ごそうとする。
「事件について、お答えできることはありません」
「そんなー」
「『掟』を見せてください!」
「卒業後の方針については!?」
「愛猫家連盟に登録を!」
なるほど。一言でも返してしまうと、次をもらえると思った記者たちに攻められるわけか。悪手だった。
俺は願者流の縄抜け術を応用し、人混みの間をするすると抜けていく。
人間の体は、肉と骨でできている。邪魔な骨をどかし、痛みを我慢すれば、狭いところでも案外どうにかなるものだ。
「すり抜けた!?」
「およそ人体とは思えない動きを見せましたね!」
「神の加護によるものですか!?」
俺はステータス画面を利用した素早い移動で、追手をかわす。
家屋を飛び越え、裏道を抜け、帽子を被りながら、別の人混みへ。
本当は上着や髪色も変えたいところだが、流石に持ち合わせがない。
「にゃーご」
何故か、猫形態の猫魔が鞄に入っている。いつのまに潜り込んだのだろう。
俺は彼の力を借りることにする。
「猫魔。お前のスキルにあるステルス効果、俺に分けることはできるか?」
「スキルの相合傘ならできるにゃ」
「なら、それで」
俺は猫魔の軒先を借り、僅かに存在感を薄くすることに成功する。
……流石に、俺まで猫になることはないようだ。
俺は周りにいる大勢の人間を警戒しつつ、猫魔を抱きかかえる。
「行くぞ。新聞とやらを買う」
「ラジャーにゃ」
俺と猫魔は、無難な商店に足を運び、新聞と瓶入りの飲み物を購入する。
おそらく、これはソーダだ。炭酸飲料を見かけたのは久しぶりで、つい心が躍って買ってしまった。
俺は公園のベンチに腰掛け、ソーダを開ける。
キュポンという愉快な音とともに、噴き出す泡。このままでは中身がこぼれてしまう。
「おわっ! ずずず……」
俺は吹きこぼれそうな泡を口に含み、味わう。
甘さが足りない。が、懐かしさは味わえる。
「限りなく澄んでいる……」
無味無臭に近い水。詰め込まれた気体は、決して多くはない。甘いどころか、苦い。
それでも、悪くはない。
俺は新聞を手に取り、大見出しをさっと眺める。
「だいたい山葵山の手柄になっている……」
俺の名前は、あまり目立っていないようだ。
それもそうか。世間で名が知られているのは、既に功績と立場がある山葵山と、商人として活動している飯田くらいのもの。あとは人間関係を広げている狂咲も、少しだけ。
水空、工藤、馬場、そして願者丸。彼らの知名度は地の底だ。
もっとも、工藤は事件のおかげで急速に人気を獲得しつつあるが。
「にゃーは炭酸飲まないにゃ」
猫魔は人間の少女形態になり、ベンチの隣で足をパタパタ振っている。
「退屈にゃ。お散歩なら、愉快なとこがいいにゃ」
「そうだな」
確かに、情報収集なら人のいる場所がいいだろう。
俺は通行人にバレないように、隠れながら賑やかな通りへと移動する。
〜〜〜〜〜
猫魔と共にエンマギアのあちこちを周り、事件についての情報を得る。
教団は壊滅。しかし、教団の息がかかった警吏や騎士団は調査しきれず。組織内部の膿を出すべく、国の上層部にも報告書が提出されている。内容は不明だが、裏儀式への警鐘であることは明確だ。
……だいたい、こんな感じだ。
元のベンチに戻った猫魔は、興味なさそうににゃあと鳴く。
まあ、こいつはそういう反応になるだろう。俺も国という話になると、スケールが大きすぎてピンとこない。
代わりに、猫魔はその辺で聞いてきたという、隣の港町の情報を教えてくれる。
「海の町だにゃ。お魚天国にゃ」
「ふむ」
「特産品は干物、酢漬け、塩漬け、油漬け」
「魚以外の情報は?」
「無いにゃ」
……まあ、そうなるか。
俺は猫魔の顎を撫でつつ、新聞やメモの束を手に、元の町に帰宅することにする。
「帰ろう。山葵山に会えたら良かったんだがな」
彼女はまだ忙しいらしい。魔法学校の教師は、騎士団の者が代理で行うことになっている。
戦友であり命の恩人でもある彼女に、お礼を言いたいところだが……起きた事の規模が規模だけに、俺が口を挟むことはできない。
俺たちは2人だけで、旅路を行く。
〜〜〜〜〜
それからしばらく、俺たちは安寧の時を過ごす。
狂咲と共にこの世界の就活を学び。
水空にちょっかいを出され。
飯田の商売を手伝い。
馬場の進学手続きをし。
工藤と射撃の練習を行い。
猫魔と野良猫の管理を始め。
……そして、いよいよ魔法学校の卒業式。
世間を騒がせたあの事件を解決したことで、俺たちの名声は飛躍的に高まっている。
そのおかげか、遠方からも新聞社や高名な資産家が訪れ、取材やヘッドハンティングに来ている。
式典自体は、山葵山たちが証書と共に訓辞を述べるくらいのものだが……問題は、その後だ。
——まずは、キャベリー。
「わたくし、よその領地で勉強することになりましたわ」
そう言って、キャベリーは俺たちに別れを告げる。
より大規模な商売を学ぶため、経済学の知識を仕入れに行くそうだ。
「各地の豪商や学者と縁を作り、この町に戻ってくる予定です」
「寂しくなるね……」
キャベリーと仲が良かった狂咲は、かなりつらそうだ。
この世界に来てから知り合った友人。新生活において、あって当たり前だったもの。それが欠けてしまうのだから、心に穴が空くような気分だろう。
しかし、キャベリーは対照的に胸を張って笑う。
「冬の後には、春が来ます。各地の恵みを持ち帰り、必ずこの町を豊かにしてみせますから……どうかそれまで、ご辛抱を」
お嬢様らしい風流な語彙と共に、キャベリーは他所から来たらしい老人と会話を始める。
本来は遠い場所で生きるはずのお嬢様。今後は俺たちとは違う世界へと羽ばたいていくのだろう。
——次に、オメルタ。
「オレ、騎士団に入る」
彼は大工を継がないことを表明し、素駆がいる円卓騎士団の下位組織に入団することになった。
三属性の魔法を使えるならエリート扱いになり、ある程度の地位を最初に与えられるらしい。とはいえ、そこから昇進できるかは彼次第だ。
「いつかお前らより強くなってみせるからな!」
結局一度も願者丸に勝てなかった彼は、再会とリベンジを誓う。
——アネットは両親と共に家業に戻る。
「これからも、よろしくね」
彼女は入学当初よりずっと明るくなった笑顔で、俺たちに微笑む。
人見知りだったアネットが、こんなにもたくましく成長するとは。俺も泣いてしまいそうだ。
——最後に、アマテラス。
彼女は特に変わらず、銭湯の番台のままだ。
しかし、何やら彼女なりの計画があるようで、いつも通りののんびりした顔に、ほんのりと企みを乗せている。
「ふふふ……。せんきゃくばんらーい」
今後も毎日のように顔を合わせる仲だ。よからぬ出来事に巻き込まれないよう、見守るとしよう。
……学友たちの様子は、まあ、そんなところだ。
一方、俺と狂咲は勧誘の嵐を蹴り続けている。
王都の騎士団や魔道具連盟など、かなりの大物から声をかけられたものの、今はそれどころではない。俺は願者丸を探さなければならないのだ。
とはいえ、折角のコネを逃すのは痛い。というわけで、狂咲の会話術で好印象を残してもらう。
「お近づきの印に、スキルによる人形をどうぞ」
工藤が作った、精巧だが可愛らしい人形だ。手入れに手間がかかるため、金持ち向き。
価値がわかる者たちは、思わぬ拾い物に大喜びしている。きっと大切に扱うだろう。
客間に飾るのか、娘への贈り物にするのか、はたまた研究材料にするのかは不明だが……俺たちのことは忘れないに違いない。名刺も受け取る事ができた。
「困ったら連絡を取ろうね」
そう言って、狂咲はビッグネームたちの連絡先を鞄にしまう。
交渉次第では、今後の捜索の力になってくれるかもしれない。まこと、持つべきものはコミュ力である。
——さて。
一応、俺の就職先は既に決まっている。
エンマギアにあるホームセンター。すなわち『堆肥と重機のビックオリバー』である。
俺は卒業式に姿を現した男と、会話をしている。
「ククク……。なかなか良い面構えですねえ」
胡散臭さを限界まで煮詰めたような店員……もとい店長のオリバーは、俺を見てニヤけた悪人顔をする。
「うちの商品は、多様かつ高度な魔法で管理する必要がありますからね。実力のない店員は雇えないのですよ」
「ふん。道理で従業員がいないわけだ」
「同期がいなくて寂しいのですか? そのうち慣れますよ。ククク」
そう言って、彼は全ての黒幕さえ裏切りそうな悪役の背格好で去っていく。
業務をほったらかしにして、冷やかしに来たのか。まったくもって、信用ならない奴だ。
俺は去っていく彼にファイティングポーズを取り続けながら、見送る。
「アネット、うれしい。また会える」
得意先に俺がいることに、無邪気な笑顔を見せるアネット。
あの男が無垢な少女を傷つけることがないよう、これからも見張らなければ。
〜〜〜〜〜
卒業式からの帰り道。
俺たちはくたびれた様子の素駆と遭遇する。
「ああ」
彼は見るからにやつれた様子で、俺たちに向けて手を振る。
面倒な任務を押し付けられたと言っていたが、解決したのだろうか。
俺は久しぶりに会った彼に近づき、返事をする。
「調子はどうだ?」
「良くはないな。ただ、新人が入ったのはありがたい」
オメルタのことだろう。彼は発想力に乏しいが、目の前の困難に対して労力を惜しまない。きっと体を張る騎士団には向いているだろう。
俺は学友として、オメルタを持ち上げてみる。
「あいつはいい奴だ。振り回しても怒らないぞ」
「だろうな。良い人材だ」
そう言って、素駆はまた情報を箇条書きにした紙を手渡してくる。
話す時間が無いのだろう。忙しい大人は大変だ。
「ありがとう」
「いや、いいんだ。仕事のついでだからな」
彼はコートを翻し、去っていく。
……少し猫背になっただろうか。疲れが溜まっているように見える。
俺は紙に目を落とし、内容を確認する。
「『樽港豪は滅多に町にいない。用があるなら漁業組合に顔を出せ』」
そういえば、以前にもそんなことを言っていた気がする。
「『願者丸の行方は不明』」
そうか。『影法師の里』でも派手に暴れている様子ではなかったので、海の町でも器用に潜伏しているのだろう。
「『オリバーはこの国でも有数の魔法使いだ。弟子が多く、騎士団にも顔が効く。しっかり学べ』」
そうなのか。あの薄気味悪い作り笑いの男が。
まあ、俺も薄々そう思っていたからこそ、就職したわけだが。
「『クラスメイトは、天使寄雪刃の情報が入ったところだ。探しに行く』」
天使寄か。雪女のような雰囲気の、不思議な女子生徒。今まで見つからなかったのは謎だが……まあ、俺たちにはわからない事情があるのだろう。
……だいたい、こんな内容だ。
薄味だが、欲しい情報はちゃんと載っている。クラスメイトが見つかるのは良いことだ。
「この調子で、全員見つかるといいな」
俺は未来が明るいことを信じ、社会人としての明日に胸を輝かせる。
素駆や山葵山に、負けてはいられない。俺も世界に認められる魔法使いになり、なるべく多くの魔法使いとの再会を果たすのだ。