〜ワンオペ幼女と罪な男〜
積田立志郎。17歳。願者流の下忍で、好きな食べ物はタルトととり天。
好きな人は、狂咲矢羽。
今、同じホテルの同じベッドで寝転んでいる、見目麗しいロングヘアの少女だ。
初対面は最悪だった。未知の世界で、突然の告白。ありえない状況が続き、ろくに思考を働かせることもできなかった。
今は違う。度重なる試練を乗り越え、狂咲に愛着を抱いている。狂咲と結婚し、未来を共に歩む決意を固めてしまっている。
そして、狂咲は……そんな俺に、猛烈なアタックをかけ続けている。
つまり。
俺は今、理性の限界だ。
「触るだけだぞ。触るだけだからな」
「もう。緊張しすぎ」
狂咲は顔を赤らめながらも、俺より余裕がある態度で笑っている。
「みっちゃんにからかわれるよ。『童貞だ』って」
「……その通りだな」
確かに、俺は経験がない。そして、経験がない者に特有の行動をしている。
水空はきっと、スキルで部屋を覗いている。このホテルは魔道具による防御が施されているが、水空がぶち抜けないわけがない。
今頃は俺の行動を見て、笑っているのだろう。馬鹿にしているのだろう。
「(笑いたければ、笑えばいい。俺は事実、こういう男なんだ)」
俺が覚悟を決めて開き直ると、狂咲は更にボルテージを上げて爆笑する。
「あははっ!」
何かがツボに入ったのだろう。いまいちよくわからない。
わからないが、笑えと言った都合上、笑うなとは言えない。むしろ……狂咲の爆笑を見ることができて、ラッキーだ。
俺は狂咲が落ち着くまで待ち、肩に触れる。
「……慣れてないが、大目に見てほしい」
「あたしもだから、安心して」
俺たちはゆっくりと近づく。
〜〜〜〜〜
騎士団による聴取が終わり、俺たちはホテルを後にする。
真っ先に飛びついてきたのは、水空。
昨晩からホテルの前で待っていたのだろう。疲労に飲まれそうな様子で俺と狂咲に肩を回す。
「くぅーっ! 生きてるぅーっ!」
水空は狂咲に頬擦りをし、俺にも頬擦りをし、最後に俺たちを元通りにくっつけて、離れる。
……そして、何故か今更になって赤面する。
「見てたよ」
案の定、見ていたのか。ホテルでの一部始終を。
狂咲は責める様子がない。俺もそうだ。承知の上でああいうことをしたのだ。
俺たちは無言で並び、歩く。
午後の太陽が、ひりひりと肌を焼く。
通行人の視線が痛い。
「……すごかったね」
ぼそりと、水空が呟く。
いつになく弱気な口調だ。
「キョウちゃんのあんな可愛いところ、初めて見たかも。なんというか、感動的だった……」
「そんなこと、ないよ……」
俺が見た狂咲は、滝行の後のように汗だくで、護摩行の後のように激しく呼吸していたのだが……水空にはあれが美しく見えたのか。
確かに、絵画の題材にしても映えるだろう動的な美があったが……。
水空は俯いたまま、俺に視線を向ける。
「意外だった」
何が。……そんな返しさえ、言葉が喉の奥に詰まってできない。
「積田くん、てっきり自信ないのかと思ってた。すごいじゃん、きみ」
自信はない。今でも、ない。狂咲が情けで演技をしてくれていた可能性がチラついている。
疑っているわけではないが、俺が普段使っている指にそれほどの魅力があるとは、どうしても考えられないのだ。
水空は……気のせいだろうか。俺の股間を見ているような気がする。
「男って、やっぱり、ああなるんだ……」
「怖いの?」
狂咲が、掠れた声で水空に尋ねる。
「積田くんのこと、嫌いになった?」
「んなわけあるかい。ウチもぐっちゃぐちゃにされる気で挑まないとなーって、腹括ってたところ」
水空はまだ、俺に抱かれるつもりでいるらしい。どういう神経をしてるんだ、こいつは。
……俺たちは、また沈黙の中で歩いていく。
いつのまにか、黒猫が並んでいる。猫魔のはずだが、何故か確信が持てない。スキルのせいか。
「にゃおーん」
猫撫で声。猫語はわからないが、嬉しそうだ。
続いて、工藤がやってくる。
ガンショップからバズーカ砲を譲り受けたらしい。巨大な武器を担いだ姿が、さまになっている。
「積田くん。狂咲さん」
彼女は高い上背を生かして、俺たちをまとめて抱擁する。
捕食されているような気分。どうやら工藤は、この事件を機に一皮剥けたらしい。
「また会えましたね」
「……うん」
「いいんちょ。そのくらいにしてやって」
水空によって、強引に引き剥がされる。
……次に合流したのは、馬場だ。
何故か気まずそうな顔をしている。
「ごめん。全然役に立てなかった」
「そんなことはない」
ヘリを動かしていたのは、馬場だそうだ。工藤は慣れないバズーカの操作で手一杯だった。
しかし、彼はヘリを落としてしまったことで意気消沈しているらしい。
「大事なヘリを、あんな使い方して……」
「たぶん直せるだろ。ここは魔道具の街だぞ」
ヘリは半壊した状態で警吏に護衛されている。
魔道具の街としての誇りをかけて、無料で修理してくれるそうだ。……そのままこの街の防衛機構の一部にされてしまいそうだが、仕方あるまい。
「馬場のおかげで、俺は生きている」
「よかった。怒られるかもと思って、びくびくしてたよ。ようやく助かった気分だ」
最後に、俺たちはキャベリーとアネットを迎える。
死闘に慣れていない2人だったが、警吏の補助として文句ない活躍をしてくれた。
「先生は、まだ忙しいって」
アネットは俺に駆け寄り、大きな身振り手振りと共に伝えてくれる。
「帰ろ。いっしょに!」
「ああ」
確かな友情を感じつつ、俺たちは帰路に着く。
ヘリはないが、ゆっくり帰ろう。俺たちの町へ。
〜〜〜〜〜
家に帰ると、飯田がドタバタと駆け寄ってくる。
「話は聞いたぞ。怪獣映画みたいじゃねえか」
エンマギアの防衛機構は、他所からでも観測できたらしい。数十年に一度の大事件ということで、様々な町で大騒ぎになっているそうだ。
飯田はグリルボウルでの情報を教えつつ、俺たちに尋ねる。
「ところで、猫魔のやつ見なかったか?」
「いるぞ」
俺は猫魔の脇を掴んで持ち上げる。黒猫形態だ。
重力に負けて垂れ下がり、胴が伸びている。
「にゃ」
「いた。お前、黙って参戦するなよ」
「書き置きを残す猫がどこにいるにゃ」
「お前が第一号になれ」
連絡くらいしてから動け。
俺は猫魔を抱いたまま、ソファに座って飯田と会話する。
事の顛末について。味差と六ツ目について。キャベリーとアネットも魔法使いになれたことについて。
飯田は険しい顔になり、両手で顔を覆う。
「マジか……。味差と調理実習で一緒になった時、すげー助かったんだけどな……。そっか……」
味差は料理上手だったらしい。
……彼女なら、この世界に無い蕎麦も作れたかもしれないな。
俺は失われた才能を残念に思いつつ、膝の上で丸まっている猫魔を撫でる。
「なあ、積田」
飯田はコソコソと周囲を窺い、小声になる。
何事だろう。話しにくい事件でもあったのか?
「なんだ?」
「狂咲、変じゃね?」
飯田は俺の肩をつつき、窓側で黄昏ている狂咲を指差す。
「無口すぎる。普段はずっとニコニコしてんのに」
「そういう日もある」
「なんだよ、その余裕。彼氏ヅラか?」
からかいながらも、飯田は何かを察したようだ。立ち上がって猫魔を奪い、去っていく。
「そうか。また一歩、先を行かれたな」
そんなつもりはないのだが、周りの攻撃力が高すぎるのだ。猛攻を防ぎきれていないだけだ。
……俺はどっと疲れを感じたので、部屋に戻ることにする。
〜〜〜〜〜
空。
雲の上だ。
なるほど。久しぶりに幼女神のところに呼ばれたらしい。
肉体的・精神的に疲労がピークに達したとき、ここに呼ばれる。その推測は間違いではないようだが……余程の危機を経なければいけないらしい。
「いつぶりだ?」
「去年の夏ぶり」
幼女神はポーズをとりつつ、初手からテンション高めに挨拶をする。
「強い人間さん代表、積田くんよ。今回は時間がないから、お告げを最初にやる!」
「毎回、最後に慌てて付け加えてたからな」
「学んだ。えらいでしょ?」
幼女神は両手を広げ、早口で告げる。
「願者丸サスケは近くにいる! さっさと会いに行ってあげなさい!」
「意外だな……。ずいぶん局所的というか……」
まさかこの神が人間個人に興味を示しているとは。それほど細かい視点で物事を見ているとは思わなかった。
俺が指摘すると、幼女神は何故か呆れた顔で睨みつけてくる。
「えー……。にぶちん」
「何故だ。何故非難されなければならん」
「お告げやめようかなー。やめちゃおうかなー」
願者丸は特別な存在……たとえば、よくあるジャパニーズファンタジー的な世界観における勇者なのだろうか。性格的にはそうは思えないが、実は俺たちに隠れて冒険の旅に出ているのかもしれない。
俺は願者丸のことを想いつつ、尋ねる。
「近いとは、どの辺りだ? 神の尺度で近いと言われても困る」
「魔力がいっぱいある街にいるでしょ。その……ちょっと上」
「ちょっと?」
「むぐぐ。海のそば!」
海。そうか。
エンマギアから北に行ったところに、海の街があるらしい。そこにいるのか。
願者丸のことだから、もっと離れたところまで逃げていると思っていたが……本気で距離を取る気はないのだろうか。
俺は首を傾げつつ、神から説明書を受け取る。
時間が許す限り、ステータスの仕様を理解することに努めよう。
「なあ、えーと……『ふにふに』だったか」
「そう。名前、ふにふに」
「裏儀式って、なんだ?」
説明書に載っていない概念だ。
今までも、これからも、裏儀式は俺たちの前に立ちはだかるだろう。そんな予感がする。
しかし、神はそっぽを向いて唇を尖らせる。
「しらなーい」
神でも知らないことがあるのか。
……いや、違う。知っていて、わざと言おうとしていないのだ。相手にしたくないのか?
「教えてもらわないと困る」
「だって……うーん……人間さんで言うとね……」
幼女神は露骨に言葉を選んでいる。
「お料理、台無しにされた感じ」
「ミキサーに入れて混ぜたりとか?」
「うん。フランス料理をぬか漬けにしたような魔法だから、話したくない。あんなの見たくもないし」
道理で神が怒るわけだ。
たまに新しい発見に出くわすこともあるだろうが、基本的には腹を下すようなものしか出来上がらないだろう。
すると、神との距離が離れ始める。
今回はいつにも増して早いな。まだ全然読めていないのだが……。
「あー。まだ話したいこと、いっぱいあるのに」
神も残念そうだ。無論、俺も残念だ。
「願者丸のこと以外も、色々と知っておきたかったんだがな」
「ふーん。じゃあ、お告げじゃないけど……」
幼女神は意味深な表情になり、あまり気乗りしない様子で叫ぶ。
「教えとか宗教とか色々あるけど、好きにやっていいからね!」
ざっくりしている。確かに、お告げとは言い難い。
……だが、それくらいの調子で生きた方が楽なのだろう。この世界は、真面目に受け取るにはつらいことが多すぎる。
俺は神の言葉を胸に、しっかりとした意志を持ちつつも、柔軟に立ち回ることを検討する。
〜〜〜〜〜
翌日。
願者丸の居場所を皆に伝える。
「『ハモンド』の街だね」
記憶を頼りに、狂咲が答える。
知っているのか。いや、知らない方がおかしいか。狂咲は俺よりずっと多くの人々と会話して、情報を得ているのだから。
「クラスメイトの樽港くんがいるって、素駆くんが言ってたよ」
樽港豪。実家が漁師の男子生徒。この世界でも海に生きているのか。
とりあえず、当面の目的は決まった。エンマギアを超えて、次の街に勢力を広げるとしよう。