〜甘い葡萄と酸っぱいチェリー〜
魔法の街での決戦後。
俺はしゃがみこんで、倒れている狂咲に向けて声をかける。
「無事か?」
「ごめんね、積田くん。心配かけたね」
狂咲は横たわったまま、血で汚れた服を気にしている。
かなり大きな穴が空いている。よく持ち堪えたものだ。……冷や汗が出る。
「味差さん、何か言ってた?」
「ああ」
俺は彼女から聞いた全てを教える。
彼女の目的。教団の動き。願者丸の行方。
狂咲の隣で治療に当たっていた巫女名が、ぴくりと震える。
彼女は願者丸のことを隠していた。問い詰めたいところだが、それは後回しだ。
狂咲は巫女名をじろりと睨みつつ、考え込む。
「裏儀式の教団の中にも、色々な人がいる。本気で教えを信じてる人もいれば、ただ操られて入信した人も。入れ替わることも、あったはず」
「俺たちの手に負えないな」
教えを疑い、操られた信者。きっかけは操られたことだが、後に教団の考えに同調した者。
俺たちには、区別できない。誰がどんな思惑で動いていたのか、知らないまま殺してきた。
……任せよう。騎士団たちに。
俺たちに背負いきれる事件ではない。
「立てるか?」
俺が手を差し伸べると、狂咲は立ち上がる。
魔法の余波により、今も崩壊が続いている。街の隅まで移動しなければ。
俺は巫女名と山葵山を連れ、街の外まで歩く。
無理に呪いを引き出したためか、疲れが溜まっている。倒れる前に、やるべきことを……。
〜〜〜〜〜
俺は応援を待ちつつ、共に戦った人々と情報を交換している。
まずは、オリバーとアネット。胡散臭さしかないあの男が、何の目的でアネットの頼みを聞いたのか。
「単なるお得意様ですよ」
そう言って、オリバーは腹黒さを隠すことさえない邪悪な笑みを浮かべる。
では、どうして地下の配管をいじることができたのか。
「下水工事を任されたこともありますし、地下構造は把握しておりましたので」
「オリバーさん、怪しいだけで悪い人じゃないから」
アネットがそう言うなら、拳を下ろそう。
次に、寝転んでいる猫魔に話しかける。
そもそも、何故ここにいるのだ。
「委員長に説得されたにゃ。戦えって」
どうやら工藤が何日もかけて説き伏せたらしい。
猫魔は少女の姿で顔を洗いながら、爆風で少し焦げた毛をいじっている。
「あんなハイレベルにも気づかれないなんて、にゃーはすごいんだにゃ」
「スキルの恐ろしいところだな」
俺の『呪い』も、猫魔の『猫又』も、通用した。レベル差に関わらず。
流石は神から直接授けられた加護。この世界の法そのものなのだろう。凶悪だ。
次は工藤だ。猫魔を連れて、話しかけてみる。
「ありがとう、工藤。助かった」
工藤はヘリを操縦し、バズーカを撃った。今までろくに戦ったことがないというのに、ずいぶん派手に暴れたものだ。
工藤は壁にもたれ、ぐったりとへたれこんでいる。流石に疲労の色が濃い。
「積田くん……」
工藤は俺の姿を見ると、這うように近づいて、縋り付いてくる。
「私、お役に立てましたか?」
「ああ。工藤の援護がなければ、死んでいた」
「みんなと並び立つのに、相応しい人ですか?」
彼女はずっと、日本に帰りたがっていた。この世界の価値観に染まらずにいた。
今もきっと、俺たちと異世界の住民を分けて考えている。『クラスのみんな』を一段上に置き、それ以外を寄せ付けずにいる。
しかし。工藤はきっと、変わる。
街を救ったのだ。この世界が放っておかないだろう。
俺は工藤の肩に手を置き、落ち着かせる。
「お前はずっと、俺たちの一員だ。今も昔も、これからも」
「……よかった」
工藤は俺に抱きつき、激しく頬擦りをしてくる。まるで人形を相手にするように。
何故か猫魔もすり寄ってくる。猫のように。
「積田くん……」
「にゃー」
勘弁してくれ。適切な距離感を保ってくれ。
〜〜〜〜〜
俺は狂咲と共に、巫女名に会いにいく。
願者丸の話をしなければ。彼は何処にいるんだ。
「巫女名」
回復スキルで怪我人の治療をしていた彼女は、びくりと震えながら振り向く。
後ろめたいなら、さっさと吐いて楽になれ。俺はそう思い、彼女に掴みかかる。
「願者丸はどこだ?」
「う、うぐ……」
巫女名は目をきゅっと閉じて、あらかじめ用意しておいただろう言葉を並べる。
「いたのは、2月初頭までです」
「俺たちが来たから、逃げたのか」
「そうです」
案の定、正月の初詣のときは、宿舎にいたらしい。孤児院で子供たちの世話をしていたそうだ。
「何故、俺たちに会わせなかった?」
「それは……」
巫女名が目を逸らしたので、俺は肩を揺さぶって強く問う。
「言え! どうして願者丸は……」
「言えません!」
巫女名は彼女らしくない頑なな表情で拒む。
「言えません。『言えません』以外を言ったら、口を割っちゃいそうなので、言えません」
「……願者丸には、秘密があるんだな?」
俺は味差が最期に見せた笑みを想起する。
彼女も秘密を知っていたのだろう。聞き出せていたら、今頃は願者丸を探しに……。
巫女名はスキルを起動し、怪我人の治療に戻る。
「誰を尋問しても無駄です。あの件は……誰も何も言いませんよ」
「本当にそうか? ……いや、ここまでにしておこう。諦めは肝心だ」
俺の頭に「孤児院の子供に聞く」という手段が思い浮かんだが……それはやめておく。
巫女名たち『影法師の里』は、人に優しく、信頼されている組織だ。仲違いしたくない。
代わりに、狂咲が巫女名の良心に訴えかける。
「ねえ、澄子ちゃん。願者丸くん、何か言ってなかった?」
「それは……」
「お願い。無事かどうかだけでも、知りたいの」
狂咲の泣き落としにより、巫女名はたった一言だけ教えてくれる。
「会いたがっていました」
「……俺も会いたいよ」
俺の呟きに、巫女名は涙を落とす。
願者丸の身に、余程のことがあったのだろう。彼が何を隠しているのかわからないが、まだまだ捜索は続きそうだ。
〜〜〜〜〜
俺たちは騎士団や警吏たちの尋問を受け、この街に留まることになる。
街全体を巻き込んだ、大規模な事件。聴取が1日で終わるはずもなく。
用意された宿は、かなり上等なものだ。かつて俺と狂咲と水空が泊まった部屋よりは、数段上のランクだろう。
街でも最大のビルにある、高階層のホテル。設備は魔道具の街のあらゆる最先端技術を駆使した、最上級のもの。
唯一、文句があるとすれば……。
「なんで狂咲と相部屋なんだ?」
俺は大きな窓から外を眺めつつ、後ろにいる狂咲に尋ねる。
「男女を同じ部屋に押し込めるのは不健全だ」
「へ、部屋が、足りてないんじゃない?」
狂咲は椅子を持ってきて、俺の隣に座る。
「いろんな人が家や職場を失って、宿に避難してるから。たぶんそうだよ、うん。きっとそう」
「なんだ、その口調……。怪しいぞ。俺に言い聞かせてないか?」
「こんなにいい部屋を割り当ててもらえて……幸せを感じちゃうね。不謹慎に聞こえるかもだけど、良かったことは前向きに受け取らないとね」
狂咲は俺の腕を掴み、身を寄せてくる。恋人らしい仕草だ。
確かに、こんな状況ではあるものの……どことなく幸福感が心の隅にある。俺たちは苦難に慣れすぎたのだろう。
「(誰が不利益を被ったわけでもなし。詮索は、別にいいか……)」
俺は狂咲の体重を受け入れ、夜景を眺める。
エンマギアは夜遅くまで灯りがついている。
「綺麗だ」
「うん」
人々はかつてない大災害に見舞われつつも、あっという間に復興しつつある。
魔法による大規模かつ迅速な工事により、インフラは数分で復旧し、建物も半ば元通りになっている。
失われた人命や財産は戻らないが、取り戻せるものはすぐに回収される。
人間は、強い。
「なあ、狂咲」
俺は物欲しそうな顔の狂咲に告げる。
「すまなかった」
「何が?」
「お前を守りきれなかったことだ」
キョトンとした顔の狂咲。
気にしていない様子だが、俺の良心が咎める。
「狂咲が致命傷を負ったのは、俺の責任でもある。将来を誓い合った伴侶として、守るべき義務があると思っているからだ」
「あ、そういうこと? 別にいいのに」
狂咲は少しだけ悩む仕草を見せ、キングサイズのベッドに腰かける。
柔らかい。白い。そして、美しい。寝台としてこれ以上のものがあるかどうか。
狂咲は自らの服をめくり、腹を出す。
「もう平気。負い目なんか忘れちゃっていいよ。なんなら、まだ傷が残ってるか、確かめていいよ?」
「誘惑するな」
「ただの確認だから。ね?」
……俺には負傷させてしまった負い目がある。この場における権利の行使者は、狂咲だ。
俺はやむを得ず、狂咲の腹部を注視する。
「傷は無いな。よし」
「こらこら。もっとよく見て」
俺は顔面を掴まれ、また腹部に目線を戻される。
狂咲の肌は、艶がある。磨き抜かれた珠のようだ。
辛い毎日だというのに、美を諦めていない。狂咲のたくましい精神力が窺える。
「鍛えられているな」
「積田くんほどじゃないけど、運動してるから」
俺は狂咲の両手で、顔面を腹部に押しつけられる。
「ほら。お腹だよ。あったかいよ」
「やめろ」
「この奥で赤ちゃん作るんだよ。皮と肉を挟んだ向こうに、世界で一番神秘的なお布団があるの。折角だし、そこも触ってみる? 棒か何かで」
「やめろ。口を閉じてくれ。本格的にきつくなってきた」
俺は願者流の体術で抜け出す。
狂咲は服を更に持ち上げ、胸まで見せようとしている。相変わらず危ない奴だ。
俺はテーブルクロスを掴み、狂咲を縛り上げる。
こうしておかないと、何をしでかすかわからない。
「セクハラ成立だ。大人しくしていろ」
「きゃー! 暴漢だー!」
きゃっきゃとはしゃぐ狂咲をベッドに放り投げ、俺は別室で寝ることにする。
「生まれてくる子供に不自由をさせたくない。まだ当分はお預けだ」
「ふぐう」
狂咲は不貞腐れながらも、納得したようだ。諦めてベッドで丸くなる。
——俺は彼女が寝入るまで見届けつつ、拘束を解いてから別室に移る。
狂咲は死を実感した。巫女名が間に合わなければ、あのまま命を落としていた。
だからこそ、焦っているのだろう。俺との関係を進めようとしているのだろう。
「早く足場を固めないとな……」
俺はソファで横になり、結婚に向けてのプランをぼんやりと練る。
〜〜〜〜〜
次の日。
俺たちが泊まっている部屋に、水空がやってくる。
厳重なチェックを受け、荷物を預けさせられ、魔力に制限もかけられている。更には監視付き。
「飯田くんは、念のためオメルタくんと待機してる。アミーちゃんは普通に実家」
そう言って、水空は狂咲に抱きつこうとして、監視の騎士団に止められる。
「ふーん。警戒心の強い騎士団だことで。ハグくらいさせてくれてもいいだろうに」
水空は恨みがましい目で監視の男を見つめる。
面倒ごとを起こさなければ、明日には解放されるはずだ。数日くらい落ち着いて待っていてほしい。
——かなりの時間をかけて、俺たちは積もる話を終える。
「味差と六ツ目かあ。あの2人、なんでか仲良かったんだよねー。六ツ目は普通を極め抜いたような見た目なのに、なーんか非凡さが漂ってて……そのへんが味差の琴線に触れたのかねー?」
水空は頬杖をつき、クラスメイトだった頃の彼女らについて語る。
「難樫もグルだったなら、完全にいつものグループじゃん」
「難樫……。先に死んだ彼女も、教室でもつるんでいたのか」
「そうそう。味差の机で、いっつも……」
水空はかつての日本を語ろうとして、不意に泣き顔へと変わる。
「また死んじゃったかー。歳をとると涙もろくなって困るわー」
「みっちゃん……」
「日本の名残りが、どんどん消えていく。何もしないままだと、今日より酷い明日になる……」
水空は天井を見上げ、止まらない涙を手の甲で塞ごうとする。
「ウチがいない間に、キョウちゃんが死にかけた。ちょっとミスがあったら、積田くんも死んでた」
「すまない」
「謝るくらいなら、幸せな未来を早く見せてよ」
水空はさっと涙を拭い、唐突にあけすけな話を始める。
「ねえ。危機感、煽ってやろうか?」
「なんだ?」
「ウチとキョウちゃん、ヤッたことあるんだ」
「ちょっと、みっちゃん!」
トップシークレットだったのだろう。狂咲は監視の目を気にしつつ、大慌てしている。
まあ、想定の範囲内だ。それくらいの間柄だろうとは思っていた。
おそらく、深いところまで進んだのだろう。狂咲が俺への恋慕を自覚するまでの間に。
俺は顔色ひとつ変えない自分に驚きつつ、狂咲をフォローする。
「俺が最初の人でなくとも、別にいい」
「大丈夫。キョウちゃんの初めては大事にしてるから」
そういう話ではない。シモから離れてくれ。
「ウチはあげちゃったけどね。そのうち喧嘩とかで擦れて消えちゃう前に、と思って……」
「みっちゃん!」
……この2人はお似合いなのだろう。社会との向き合い方が違うだけで、根の部分は似ている。
今後の人生で幾度となくこんな会話が繰り広げられると思うと、少し覚悟が必要になるな……。気を引き締めなければ。
俺は咳払いで強引に流れを打ち切りつつ、水空に尋ねる。
「それがどうした。俺は狂咲の旦那になる男だ」
「はー。いい啖呵だ。いつまでも手を出さない日和見野郎とは思えないね」
「生憎、下半身と脳が直結しているタイプの人間ではないんだ。タイミングくらい待てる」
「大した根性だよ、まったく……。死にかけておいてよく言うよ……」
下手なタイミングで結ばれれば、未来の子供を殺すことになる。それを避けたいだけだ。
……本音を言えば、手を出すのが怖いという部分もある。俺は女性に慣れていないのだ。
狂咲は窓の外の景色をぼんやりと眺めている。
「死ぬ前に、あげたいな……」
まだその話か。
……しかし、どことなく気が咎める。初恋の中にいる彼女にとっては、間違いなく死活問題なのだ。
最大限の対策を打った上で、前段階までは踏み込んだ方が良いのかもしれない。彼女に愛想を尽かされたくない。
俺は勇気を振り絞り、おそるおそる提案する。
「触るくらいなら……」
狂咲と水空と、ついでに監視の騎士団員が、一斉に振り向く。
「行為に踏み込まないなら、今夜にでも……」
「しゃあっ!」
「やっっったぜおらぁ!」
狂咲と水空は大声で叫びながらガッツポーズをし、監視の男は背中を向けてぐっと拳に力を入れる。
……これで良い。俺だって、彼女たちの価値観に歩み寄らなければならない。
一歩ずつでいい。大人にならなければ。