〜怪しい臭いがする部屋〜
俺は今、何やら偉そうな町長と対面し、緊張で冷や汗が止まらなくなっている。
「うおっほん!」
彼は立派な髭を撫でながら、ふんぞりかえって太鼓腹を揺らす。
肥えた富裕層のテンプレみたいな奴だが、俺たちにとって都合が悪い奴かどうかは、話してみなければわからない。
狂咲がお世話になっているのだから、悪党ではないと信じたい。
「(まずは、俺たちとの関係性について聞くか)」
何故忙しいはずの町長が、俺たち異邦人に構っているのか。何かしらの用事があって来たはずだ。
「俺はこの地に来て日が浅いので、恐縮ですが、町長様のことを……」
「そう、それだよツミダくん。そのために来た。半分はね」
俺の話に割り込みながら、町長は店員に椅子を持ってこさせる。
「私は君たちに、この世界の知識と、宿を与える。その代わり、私は君たちのスキルを研究し、把握しておきたいのだ」
「……研究?」
「おっと、構えないでくれ。君たちの輝かしい未来に投資しているだけなんだ」
町長は重い体をどっかりと椅子に下ろし、窮屈そうに座る。
「ふう。やっと座れた。……さて、キョウザキくん」
彼は太い人差し指で狂咲を示す。
「君の体験を話したまえ。それが楽だ」
「はい」
狂咲は町長との間にあった出来事を語る。
——曰く。
狂咲がこの世界に来た時、この町の中心近くに落ちた。
助けを求めている間に、ステータス画面やスキルの存在に気がついた。
使い方を学び、元の世界に帰れないことを知り、さてどうしようかと困っているうちに、町長の娘と出会った。
町長の娘は怪我をしていた。すぐそばで事故に遭ったのだ。怪我した脚は、骨が見えるほど深くまで切れていた。
狂咲は迷わずスキルを使い、その脚を治療した。後から来た会長は感謝し、狂咲に宿の一室を与えた。
——そんな馴れ初めらしい。
「というわけで、私はキョウザキくんと懇意にしていてねえ。その件とは別に、スキルの研究なども依頼しているのだよ」
「すごくお世話になってる人なんだよ。積田くんも困った時は町長さんに頼ってね」
どうやら狂咲は、彼を深く信頼しているようだ。
だが俺としては、まだ心を許すには早いと感じている。人間不信かもしれないが、警戒して損はないはずだ。
「(異国では詐欺師に気をつけるべし。それは異世界においても同じはずだ。常識が違うのだから)」
ネットの片隅で見た文言を胸に、俺はキャメロン町長に尋ねる。
「もう半分の理由とは、なんでしょう」
「これだ」
キャメロンは狂咲に向けて、色のついた紙切れを渡す。
書かれている文字は、日本語だ。なるほど。言葉が通じるのは、そういう理由か。
何故異世界で日本語が通用するのかは疑問だが、今は便利でありがたいと思っておくことにしよう。解き明かすには、きっと壮大すぎる。
「これは娘の演奏会のチケットだ。特等席を用意したから、ぜひ来るといい」
「キャベリーちゃんの!」
狂咲は椅子から立ち上がって礼をする。
「ありがとうございまふ!」
「君がいなければ、中止になっていたところだ。これくらい安いものだよ」
そう言って、キャメロンは用事は済んだと言わんばかりに踵を返し、手を振りながら帰っていく。
「頑張れよ。キョウザキくん」
「はい!」
俺はなんとなく精神的に窮屈な思いをしつつ、水空の様子を見る。
彼女は不服そうに、膝の上を指で叩いている。
「まだ信じきれないねえ……」
「オイラたちには何も無かったしな」
そういえば、新入りの俺はともかく、他の面々には声もかけなかった。
彼は用件しか言わない人間なのだろうか。それとも狂咲を狙っているのだろうか。
前の席にいるバスケ部の飯田と帰宅部の願者丸が、険しい顔でひそひそと声を交わす。
「おい。あいつにスキルのこと教えていいのか?」
「娘をダシにして関係を持とうとしている可能性も考えられるな」
「だよねえ。ウチ、キョウちゃんの親友として見張るよ」
3人のじっとりとした視線の前で、狂咲は右手をゆらゆらと揺らし、能天気に笑う。
「大丈夫大丈夫。キャベリーちゃんはいい子だし、あの人にも変なこともされてない。悪い人じゃないよ」
……取り越し苦労で済めば良いが。
〜〜〜〜〜
町長の乱入があったが、俺たちはまだ最も重要な話し合いを終えていない。
食べ終わった夕食を前にして、会議の続きだ。
「俺はこの先、どうしたらいい?」
飯田と願者丸が資金調達。狂咲と水空がクラスメイトの捜索。
俺はどちらに配属されるのだろう。スキルは役に立ちそうにないが。
俺の発言を受けて、狂咲が叫ぶ。
「捜索班! 捜索班においでよ積田くん!」
「えっ」
俺が当初掲げた目標は『生き残ること』だ。
3人だけで未知の土地に突撃している現状が健全だとは思えない。
それでも、2人だけで俺を助けたのだから、何とかやっていけるのだろうか。算段があるなら乗りたいところだが……。
俺が尻込みしていると、飯田は尖った歯を剥き出して威嚇してくる。
「おい。あっちは女子2人しかいないんだぞ。お前が行ってやれ」
じゃあなんでお前が行かなかったんだ。そう言いたくなるが、ぐっと堪える。彼は既に、みんなの役に立っているのだから。
願者丸も飲み干した後のコップをゆらゆらと揺らしながら、首を縦に振る。
「スキルやステータスの力で男女の身体的格差は埋まっているものの……不安なものは不安だ」
「ま、そういうわけで、さ」
水空が俺に詰め寄ってくる。
「行こうぜ。彼氏くん」
「やっぱり彼氏扱いなのか、俺」
飯田と願者丸が唖然としているが、俺はまだ認めていない。
「交際するのは、人となりを知って、生活の基盤を固めて、家族……は、もういないが……2人の間に色々あってからじゃないか?」
「意外とプラトニックだな」
飯田は呆れたように肩をすくめている。彼の長身でそんな動作をされると、オーバーリアクションにも感じてしまう。
俺の言い分は、そんなにおかしなものだろうか。だんだん自信がなくなってきた。ストーカーに対するものとしては優しい方だと思うのだが。
「狂咲相手に不誠実なことをする気はない。今のところは命の恩人だからな」
「おー。よかったよかった」
水空は拳をトンと机の上に乗せ、不敵な笑みを浮かべる。
「キョウちゃん泣かせたら、ぶん殴るから」
乱暴な仲人は、俺の肩を叩く。
異様な力強さ。水空は案外、腕力があるようだ。
……恐ろしい。突然告白してくる狂咲も、圧のかけ方が尋常ではないコイツも。
〜〜〜〜〜
夜。
俺は大部屋に戻る前に、注意事項を確認している。
「いいかい、積田くん。女子はあっちで男子はこっちね。仕切りはまだ発注してるとこだから、こっちのプライベートを常に気にして、神経をすり減らして生きたまえよ?」
水空は飯田と願者丸がトランプで遊んでいる横で、俺に説明を続ける。
「それと、明日の朝は調査に出るから、なるべく早起きね。時計、ここにあるから……」
水空は木製の壁掛け時計を指差す。
アンティークの雰囲気が漂う代物だが、おそらくはこの世界では標準的な品質の品だ。新品特有の艶がある気がする。
薄汚れた部屋に比べて不釣り合いなので……わざわざ買ったのだろう。
「午前6時までには起きて。朝食はパンと水で我慢。段取りは当日に教えるから。何か質問は?」
俺はとりあえず、酒場にいた時から気になっていることを尋ねることにする。
「着替えは無いのか?」
水空も狂咲も飯田も願者丸も、ろくな服を持っていない。まともなものは制服くらいだが、かっちりしすぎていて、部屋着にはできない。
どういうつもりで服を仕入れていないのか、確かめておかなければ。
俺の質問に、水空は一瞬たじろぎつつ、気まずそうに答える。
「ウチらだって、いきなりこんな世界に来て、焦ってて……。時計とか買ってたら、足りなくて……」
困らせてしまった。ほとんど反射的に、俺は謝る。
「責めてはいないんだ。俺も金策、手伝うから……」
「毛布とか、鞄とかはあるんだけど……ごめんね。森帰りなのに」
俺ははっとして、自分の袖に鼻を押し付け、思いっきり嗅ぐ。
臭いだろうか。植物や巨大カブトムシの臭いがするのだろうか。慣れてしまって気がつかなかった。
なんとなく悔しい。理不尽だ。おのれ幼女神め。
「……積田。俺、頑張って稼ぐわ」
飯田に慰められながら、俺は部屋の隅に寝転がる。
今日はもう寝よう。
水空調 (みずから しらべ)
水空はかなりのナイスバディ。顔も整っており、一見するとファンが多そうである。
しかし、高校生時代、誰も彼女に近寄ろうとしなかった。
「数々の伝説を打ち立てた怪物女」という噂が立っていたからである。
噂の真偽は、異世界で明らかになるのだろうか?
願者丸サスケ (がんじゃまる さすけ)
忍者を目指して修業を積んでいるという。格闘技もゲームもその延長線上にあるため、積田とは話が合わない。
高校生とは思えないほどの低身長だが、狂ったチワワのように周囲に吠え、因縁をつける。つまりヤンキーである。
小柄な容姿で侮った者たちは、暗殺術『願者流』によって、地面を舐めることになる。