〜年越しオレンジ〜
新居にて。
俺は一階にある台所を利用している。
広く、清潔で、整っている。魔法による便利な調理器具の数々は、料理好きにはたまらないだろう。
「あ、積田くん」
冷蔵庫から自分のおやつを取り出す俺に、狂咲が声をかけてくる。
「何か用か?」
「呼んでみただけ」
からかわれただけのようだ。狂咲にしては珍しい。
俺は水魔法でグラスを満たしつつ、大広間のソファーに腰かける。
ここで本を読むと落ち着くのだ。たまに工藤や馬場もここで作業をしている。
……当たり前のように、狂咲が隣に来る。
「ねえ、積田くん」
「なんだ?」
「結婚に、また一歩近づいたね」
……そうだろうか。
確かに新居は手に入れたが……まだ2人だけの空間を作れていない。
「ここでいいのか?」
「いいよ。素敵だし、防音もしっかりしてるし。ふふふ……」
……俺の感覚ではあまり良くないのだが。
俺はキャベリーの店の新作を口にしながら、水で解くタイプのジュースを飲む。
甘党にはたまらない、至福の時。今回はやや酸味が強い味わいだが、それも一興。
俺が舌と頬を喜ばせていると、狂咲は露骨に肩を寄せてくる。
「みんなは喜んでくれるかな……」
恋愛関係にあることは、皆が承知している。
とはいえ、その先まで認められるかどうかは、なんとも言えない。
「恋愛を通り越してしまうと、生々しさが出る。受け入れてくれるかどうか、わからない」
「……この家がギスギスしたら、嫌だね」
だからこそ、俺たちだけの拠点が必要なのだ。
俺は優勢と見て、ここぞとばかりに主張する。
「ちゃんとした家が必要だ。ここより小さくてもいいから、せめて家族だけの場所が欲しい」
「積田くんがちゃんと考えてくれるの、嬉しい」
そう言って、狂咲は頬を赤らめる。
無敵かこいつは。何を言っても惚気に変換してくる。がっつきすぎていて、怖い。
俺は内心冷や汗をかきつつ、そっぽを向いて表情を誤魔化す。
「知っての通り、俺は理想が高い」
「うん。今回は、積田くんの理想に共感しちゃった」
狂咲は席を立ち、笑う。
理解を示してくれて何よりだ。これで理屈が通用しない恋愛モンスターだったら、俺は今頃とんでもないことになっていただろう。
「じゃあ、そういうことで。また相談しようね」
「ああ」
俺は一安心しつつ、結婚までの道のりを考える。
家。収入。社会的地位。どれが欠けても、結婚は成らない。協力して、手に入れなければ。宙ぶらりんな関係性を卒業するために。
狂咲が去り、入れ替わりに水空がやってくる。
「かーっ、甘い。甘いもの食いながら甘い会話してやがるぜ、この男!」
「お前さあ」
水空はさっきまで狂咲がいた場所に座り、俺の頬を指先でつつく。
「ダメだろぉ、2人の家なんか持ったら。寂しい時にウチをつまみ食いできなくなるぞぉ」
「言ってて恥ずかしくならないのか?」
「なんで?」
水空は目をパチパチさせている。
正気じゃない。だが、猫魔よりはマシか。
……考えてみれば、こいつも異世界転移で弱っているのだ。気の迷いくらいはあるだろう。心を強く持ちつつ、寛容な心で大目に見なければ。
俺は相変わらず美味いケーキを食べつつ、文句を言う。
「もう少し慎みを持て。俺がなびくことはない」
「それでもいいよ。ウチは好きでこうしてるだけだからね」
「呆れるほど物好きだな……」
「ひひひ」
このままだと、せっかくのケーキの味がわからなくなりそうだ。
俺は皿とグラスを手に、2階へと戻る。
「おっと。どうぞどうぞ」
両手が塞がった俺の代わりに、水空が俺の部屋の扉を開けてくれる。
何がしたいんだこいつは。だが、感謝はしよう。
「ありがとう」
「どういたしまして」
俺は扉の閉まる音を聞く。
水空が去る足音はわからない。魔法でかき消されているのだ。
「思春期における個室のありがたみが、よくわかる」
俺と狂咲の家には、子供部屋を確保しよう。
〜〜〜〜〜
年が変わる日が近い。
俺たちは魔道具のコタツに脚を突っ込み、蜜柑らしき柑橘類を食べたり、本を読んだりしている。
「年末の大売り出し、何かいいのあったか?」
眠そうな飯田の問いに、狂咲が答える。
「家具も服も、なーんにもない」
「逆に何があったんだよ」
「本と灯りと、ポットと……茶碗?」
「冬籠もり用品の売れ残りか……?」
俺たちはしばらく、沈黙に任せる。
この世界における一年の終わりは、だいたい日本のそれに近い。
蕎麦が無い以外は。
「なあ、狂咲。年末は何を食べる?」
俺が尋ねると、狂咲はもぞもぞと隣まで寄ってきて答える。
「お蕎麦は無いから、うどんとか?」
「うどん、あるのか?」
「無い」
実のない会話だ。
すると、もふもふのセーターに包まれた工藤が、本から目を離す。
「そういえば、最近は麺類を食べていませんね」
……言われてみれば、この世界に来てから麺を見ていない。今まで気にしたことがなかったが。
俺はコタツを抜け出し、狂咲を誘う。
「嫌な予感がする。キャベリーに聞こう」
「食の町に、無いってことはないよね」
俺と狂咲は、心の内側から冷えこむ気分を感じ、青ざめる。
まさかとは思うが、まさかな。
〜〜〜〜〜
キャベリーに麺の存在を尋ねてみると、流石に存在は知っていた。
しかし。
「ずいぶんマイナーな調理法をご存知ですのね」
この世界の麺は、あまり普及していないらしい。
マカロニやペンネくらいの太さがメインであり、細く長いものを食べる習慣がないそうだ。
店の従業員の格好に身を包んだキャベリーは、気の毒そうに答える。
「作ることはできますけれど、少々割高になります」
「うん……そこまでするほどじゃないかな……」
俺たちは魂が抜けた顔でガッカリする。
大金を払うほどではないが、無いと言われると残念な気持ちになる。人間は割り切れない生き物なのだ。
俺は狂咲と目を合わせて、気の抜けた笑いを零す。
「いつの日か、毎日麺を食えるようになろう。腕のある料理人を雇うか、自分で作れるようになるか、あるいは……」
「そうだね。ここならきっと、いつの日か……」
俺は結婚のためではなく、麺のため決意を新たにする。
金は必要だ。なるべく多く稼ごう。より良い食生活のために。
〜〜〜〜〜
一足早い新年の抱負をよそに、年が明けようとしている。
俺たちは蕎麦の代わりとなるそこそこのご馳走を囲み、ゆったりと過ごしている。
「宿のメシ屋も美味かったけど、工藤の手料理も絶品だなあ!」
飯田は盃を掲げて大喜びだ。
彼の言う通り、最近の食事は工藤が担当している。プロにも劣らない素晴らしい味だ。家庭的な煮物からお洒落なフルコースまで。
工藤はいつもより緊張した様子で笑顔を返す。
「もともと趣味だったんですけど、宿の人にも習ってました。皆さんのお役に立ちたくて……」
「真面目だねー」
水空はつみれ汁を飲みながら、ほっこりしている。
しかし、工藤はうかない顔だ。
「本当は、お蕎麦を打ちたかったんですけどね」
麺を一から打つのは手間だ。趣味の範疇で行う者もいるが、古今東西を広く浅く学んできた工藤にとっては、出来合いを買った方が早い。
馬場は沈んでいる工藤に励ましの言葉をかける。
「蕎麦なんて、言われるまで忘れてたよ。来年以降でいいんじゃない?」
「……馬場くん」
「ウチも同感。美味しいからよし!」
水空はつみれ汁を飲み干し、次の標的に移る。
それを見て、工藤は感無量といった様子で涙ぐむ。
楽しい年越しになりそうで、何よりだ。
〜〜〜〜〜
コタツで本を読んでいる。
他の面々も同じ様子だ。馬場と猫魔は寝ている。
「にゃーご……」
猫魔が寝息を立てた直後、時計が鳴る。
……新年だ。
「お」
今までに売ってきた宝石や人形の一覧を眺めていた飯田が、真っ先に声を上げる。
「あけまして、おめでとうございまーす!」
ルービックキューブに似た手のひらパズルをしていた水空が、反応する。
「あけおめー」
眠気を堪えながらこの瞬間を待っていた狂咲も、ふにゃふにゃとした声で答える。
「あけおめぇ? なった? 新年、なった?」
「ああ」
「おめでとう。おめでとう積田くん……」
狂咲は空気が抜けた風船のようにのびていく。
お疲れ様、と言おうと思ったが、恥ずかしいのでやめておく。
好きだった映画のシナリオを書き起こしている工藤も、穏やかな顔で挨拶する。
「あけましておめでとうございます」
「ことよろー!」
水空が返事をして、パズルに戻る。
馬場は寝ている。
まあ、いいか。起こすほどのことではあるまい。
俺たちはなんとなく起きてだらけつつ、好きな時間に部屋へと戻っていく。
コタツは魔力を食う。暖房も調理器具も魔力に依存するため、なるべく温存したい。
「積田くーん。キョウちゃん持ってってー」
水空に押しつけられ、俺は狂咲を部屋まで担いでいくことになる。
水空がやればいい……と言いたいが、たぶん言っても聞かないだろう。
俺はステータス画面に狂咲を乗せ、運ぶ。
「はーい救急1名入りまーす」
茶化す水空を無視して、俺はゆっくり狂咲の部屋へと歩いていく。
「よいしょ」
扉を開けると、中には……。
……殺風景な部屋が。
「おいおい……」
絨毯も壁紙も、何もなし。傷んだベッドを除けば、安物のタンスと化粧台くらいしかない。
「俺でももう少し物があるぞ」
もっと可愛らしい内装に仕上がっていると思っていたのだが。
俺が驚くと、狂咲は寝ぼけ眼を擦りつつ、とろけた笑みを零す。
「お化粧はしてるよ……」
「起こして悪い」
「いいよぉ」
俺はベッドに彼女を寝かせる。
木製の脚が軋む。どこからか拾ってきたような品物だ。そのうち壊れてしまうだろう。
……放っておけない。
……彼女が寝入るまで、そばにいることにする。
「男の子は、楽だよね……」
狂咲は薄いマットレスの上で、つぶやく。
「髪の毛もお肌も、宝物じゃないんだもん」
「俺の場合は、まあ、そうだな」
俺は化粧をしない。服装にも健康にも無頓着だ。それで生きていけるのだから、当然だ。
しかし狂咲は違う。人と出会い、交流している。俺たちがその役割を押し付けている。
女だから。男だから。そうした性別以前の問題だ。実際的な死活問題として、狂咲の美貌はそこにある。
「ねえ、積田くん。あたし、きれい?」
口裂け女の前口上。
しかし、その口元は赤く、潤っている。
「きれいって、言って」
「綺麗だ」
「わあ……」
俺が即答すると、狂咲は子供のようにきゃあきゃあとはしゃぐ。
……守りたい。いや、守ろう。
俺は彼女を、守っていこう。誰よりも優先して。
「今年もよろしく」
「ああ」
俺はベッドに腰掛け、狂咲が眠るまで待つ。
……気づけば、安堵でうとうとしてきて。
俺もまた、眠りに落ちてしまう。