〜実家とマイホーム〜
猫を飼い始めた。
人に変身する猫だ。
……むしろ、大半の時間は人だ。
奴は俺たちの生活空間を奪い、1日の大半を寝て過ごす。
丸まって寝る。座って寝る。腹を見せて寝る。とにかく様々な体勢で、これでもかと寝続ける。
およそ生産的な行動は何もしない。ただ寝て起きて食って寝る。今のところ、それだけの生き物だ。
奴は水空が動かす猫じゃらしに興じながら、俺たちの質問に答える。
「人になりすまして、餌を買ってたにゃ」
「なりすますもなにも、お前は人だろ」
「そうだっけ。……にゃ!」
奴は俺が着せた服をヨレヨレにしながら、床を転がる。
……つらい。見ていてつらい。外見が人そのものなら、人らしい行動をしてくれ。
俺は水空の手を押さえ、猫じゃらしをやめさせる。
「座れ、猫魔」
「にゃあ」
奴は前脚を折りたたみ、猫として座る。
人間の仕草をしろ。してくれ。頼むから。
俺が椅子を叩くと、奴は嫌そうな顔をしつつ、その上に座る。猫らしく、丸くなって。
「お前……本当に猫に……」
「うるさいにゃ」
「気まぐれだねー」
水空は微笑ましい目で見つめている。
……元の猫魔を知っているくせに、よくこんな対応ができるものだ。良くも悪くも、柔軟だ。
俺は頭痛を感じつつ、質問を続ける。
「あの家にはいつから住み始めた?」
「前からにゃ。日時は知らんにゃ」
「この世界のことは、どれだけ知っている?」
「あんまり」
「……知ろうと思わなかったのか?」
「ぜんぜん」
猫魔は眠そうにしている。
さっき起きたばかりだろうが。真面目にやれ。
俺は少女の姿をした彼をステータス画面で叩き起こす。
「起きろ!」
「にゃー!」
まさかかつてのクラスメイト相手に、一方的な暴力を振るうことになるとは。俺としたことが。
俺は気が抜けてしまい、水空に尋問を代わってもらうことにする。
「俺じゃダメだ。また殴ってしまいそうだ」
「だねー。猫を殴るのは良くないねー」
「いや、人……」
俺はもはや、否定する気力さえ湧かない。
こいつは猫だ。もう、猫でいい。
〜〜〜〜〜
その後の証言により、以下のことが判明した。
腹が減ったら虫やネズミを食い、たまに他人から奪った金で買い物をして、1日中寝て過ごす。それがこの野良猫の生態だ。
……以上である。
「ウチらも猫魔くんのこと、ぜーんぜん気づかなかったし……あんまり人のこと言えないよねー」
狂咲も水空も、彼の存在に気がつかなかった。窃盗という被害が出ている以上、そのうち気がついたはずではあるが……。
「よっぽど低頻度だったんだな……外出とか、事件とか、諸々が……」
俺はため息を吐き、猫魔を担いで部屋の一角に移動させる。
「ここで寝ろ。邪魔だ」
「にゃーご……」
猫魔は姿勢を変えて、眠りに落ちる。
どういう神経をしているんだ。ふてぶてしい。
俺は工藤を呼び、彼女に報告する。
「こいつは猫だ」
「猫魔くんではなく?」
「かつて猫魔だったものだが、今は猫だ」
愛猫家の工藤は、猫魔を眺めて、困惑する。
「人ですよね?」
「人として接したいなら、そうしろ。俺は諦めた」
俺は工藤に世話を押し付けつつ、一階に降りることにする。
もうこれ以上、変わり果てた人を見ていたくない。方向性が違うとはいえ、あいつの狂い方は篠原や難樫と似ているのだ。
「俺まで気が変になりそうだ」
猫魔が根を上げるまで、猫として接し続けよう。いつかはあいつも諦めて、助けを求めてくるさ。
奴には年単位で猫を続ける根性があるので、望み薄かもしれないが……俺はこれ以上の徒労をしたくないのだ。
〜〜〜〜〜
家の話に戻ろう。
今、俺は町長の屋敷に来ている。
俺たちは町長の許可を得て、正式にあの家を買い取ることになった。
決して安くはないが、有金を全て叩けば、ぎりぎり足りる。
「飯田くんに感謝したまえよ」
そう言って、キャメロン町長は書類に判を押す。
「大半は、私が紹介した顧客から得た金だ。そのことを忘れないでくれたまえよ」
「肝に銘じておきます」
今日の町長は機嫌が悪い。宿から離れることになったためだろうか。
しかし、その程度で怒るような狭量な男とは思えない。俺たちには窺い知れない事情があるのだろう。
俺は念のため、例の家について情報を聞き出しておくことにする。
「あの家、前の持ち主は誰なんですか?」
「例の教団に縁がある建物らしい。今は私の管理下にあるがね」
それは不吉だ。
もしかすると、あの猫も教団と関わりがあるのだろうか。気になるところだ。話してくれそうにないが。
俺は書類の控えを受け取り、お辞儀をする。
「ありがとうございます。大切に使います」
「そう恐縮しなくてもいいんだ。私としても、君たちが人並みの生活を送れるようになると嬉しいからね」
町長はそう言いつつも、納得がいかないようだ。
……この疑問は、解消した方がいい気がする。そう思って、俺は町長の内側に一歩踏み入ることにする。
「何か、問題でも?」
「……うむ」
町長は言い出しにくそうに髭を撫でた後、回る椅子ごと後ろを向いて答える。
「よその町に行ったりしないでおくれ。私はこれでも心配性なんだ……」
ああ、そうか。それが不安だったのか。
単に俺たちに、愛着が湧いているだけなのか。
俺は町長の憂いを晴らすべく、断言する。
「ここは俺たちのホームタウンですよ」
「そうかい。なら、もっと良い町にしないとね」
町長は人の良い笑顔を向けて、俺を見送る。
〜〜〜〜〜
年明け前までに引っ越すことになった。
家の内部に妙な仕掛けがないことは確認済みだ。もっとも、猫魔が数年暮らして無事だったのだから、妙な罠がないことは察することができる。
とりあえず、今日のところは掃除だ。
魔法学校の同級生であるオメルタも手伝ってくれるらしい。
「オレの親父、大工なんだ。言ったっけ?」
オメルタは風の魔法で微風を起こし、体についた埃を落としている。
「この辺の家ってさ……みーんな土の魔法でできてんだ。魔道具使えないと、話になんねえ」
「だから魔法学校に?」
「半分そう」
オメルタは窓を拭きながら、答える。
設計はもちろん、魔法や道具の知識も無いとこなせない。家を任されるだけの信頼も必要だ。大工というのは大変な仕事なのだろう。尊敬の念を覚える。
しかし、そんな大工と息子である彼は、あまり嬉しそうではない。
「でもオレ、継ぎたくねえ。だせえし」
「そうか?」
「そうだよ。きったねえし」
まあ、言いたいことはわかる。父親がつらそうにしているところも山ほど見てきただろう。
「魔法があれば、生きていける。親も魔法のためなら金を出してくれる。だから、勉強やってる」
「そういう動機か」
「ここじゃない、他の町に行きてえ。素駆さんみてえな、かっけえ騎士になりてえんだ」
そうか。オメルタは他に夢があるのか。ならば、強く否定はできない。
彼の両親の心情を思えば、オメルタには家業を継いでほしいところだが……。
「なあ、オメルタ」
「なんだ?」
俺はひとつだけ、彼のために忠告する。
「親に決められた生き方に歯向かいたい気持ちはわかる。騎士に憧れる気持ちも、少しはわかる。だから、やめろとは言わない」
「説教か?」
「最後まで聞け」
身構えるオメルタに、俺は告げる。
「親は大切にしろ。仕送りくらいはしろ。会えなくなってから恋しいと思っても、もう遅い」
「うーん……」
「俺の周りにも、そういう奴がいる」
工藤はたまに、親の夢を見るらしい。水空も親の話をすると露骨に話題を逸らす。
俺だって、気にすることはある。日本に置いてきた両親は、今頃どうしているだろう。町を歩いて、親子連れとすれ違うたびに、そう思うのだ。
オメルタは納得がいかないという顔で、ヘソを曲げる。
「せいせいすると思うんだけどなあ……」
「……いずれ、わかる時が来る」
俺は天井の灯りを取り外し、問答を切り上げる。
こればかりは実感の問題だ。思春期の親ほど、鬱陶しいものはない。
俺だって、日本にいた頃は……。
…………今は掃除中だ。あまり考えないようにしよう。
〜〜〜〜〜
世話になった宿屋に別れを告げ、越してきた。
新しい家。……とはいえ、中古なので風情はある。
「部屋割りは決めてあるよな?」
狂咲に尋ねると、彼女はメモを取り出して頷く。
「うん。希望通りにしてあるよ」
全員、下見で間取りを把握している。日当たりや広さを考慮して、相談しあって決めたのだ。
俺の部屋は、2階の階段からすぐそば。隣は狂咲の部屋だ。
「各人、荷物を置いて広間に集合してね」
「了解です隊長!」
いつになくウキウキした様子の水空が、テンション高めに拳を突き上げる。
宿の大部屋暮らしだった俺たちは、大した荷物を持っていない。服と小物を運んで、それで終わりだ。
これからは各人で金を稼いで、家具や服を揃えていくことになる。最低限の食事代は等分だが。
俺は家を見上げる飯田に、感謝の言葉を伝える。
「ありがとう。お前が稼いでくれたおかげだ」
「別にいいよ。俺も家、欲しかったし」
彼は俺の肩を叩き、照れ臭そうに笑う。
……どことなく、感慨深そうな顔。もしかすると、彼の中では家を持つことがひとつの目標だったのかもしれない。俺がなるべく多くのクラスメイトを助けることを目標としているように……。
「なあ、積田。今度でいいから、庭の草刈り、手伝えよ」
「バスケのコートでも作るのか?」
「まあな。雰囲気って感じだけど」
涙ぐんでいる。珍しい。
俺は彼をどつきつつ、鋼の門をくぐる。
「土の魔法に、ちょうどいいのがある」
「お、そうか。やっぱり魔法、あると便利だな」
俺たちは新居に向かい、荷物を背負い直す。
〜〜〜〜〜
俺は2階の部屋に制服やタオルなどを置き、寝そべる。
寝袋はあるが、とりあえず、綺麗な床で寝転んでおきたい。
「ふー」
広い部屋。贅沢に手足を伸ばせる喜び。
物で埋まると、これは味わえない。今だけの至福と言える。
……とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかない。
俺は起き上がり、もうひとつの目的地へ向かう。
「確か、ここだ」
俺は部屋を出て、向かい側の扉を開ける。
からっぽの部屋。何もない、清潔なだけの空間。
俺はここに、願者丸が残した僅かな私物を置く。
「ここがお前の部屋だ……」
俺はしばらく、私物が入った袋を見つめ……自分の部屋に戻る。
彼がこの部屋を使う日が来ることを祈ろう。