〜告白〜
異世界の秋は、美味しい。
収穫した実りを料理に変え、音楽や踊りも共に楽しむ。冬の前の、最後の祭りである。
俺は毎年恒例らしい豊穣祭に参加し、狂咲と共に見て回っている。
「積田くん。こっちこっち」
狂咲は花輪を被り、白く薄いワンピースをひらめかせる。
清楚。そう呼ぶのが相応しいかもしれない。思い返せば、初手告白と銭湯でのキスだけは面食らったが、それ以外は比較的まともな行動しかしていない。
「本当に、俺に対してだけなんだな……」
曖昧な態度を取り続ける自分を、恥ずかしく思う。
もしや俺は、複数の女性に言い寄られて、いい気分になっているだろうか。だから返事を先延ばしにしているのだろうか。そんな考えさえ浮かんでしまう。
「……決着をつけよう」
俺は狂咲の誘いに乗り、踊りに参加する。
簡単だが、全身を使った楽しい振り付け。
「あははっ!」
喜びを舞う狂咲の笑顔を、俺は眩しく思う。
〜〜〜〜〜
踊り疲れて、ひと休み。
俺は祭の隅でお茶を飲む。
「もう秋なんだね……」
狂咲は感慨深そうに呟く。
俺も同感だ。この世界に来て、もう半年近く経とうとしている。信じられない気分だ。
「なあ、狂咲」
「なあに?」
俺は周囲の目を確認し、隣に座る彼女に近づく。
狂咲は母性を滲ませた目でこちらを見ている。
「どうしたの?」
秋はもちろん、冬にも夏にも似合うだろう。そんな穏やかな美。
それはそんな美を、貶めようとしている。俺という無感動な鈍色で染めようとしている。……罪深い。
しかし、それでも。狂咲が望むなら。
「もし、お前が許してくれるなら……俺は……」
「ふふふ」
狂咲は俺に肩を寄せ、押し倒す。
もう察しているようだ。気が早いな……。
「いいのか?」
「積田くんらしくないムードで察しました。ふへへ」
狂咲は顔を近づけてくる。
やはり彼女は、積極的だ。
「じゃ、いいよね?」
「お前こそ、こんなところで……」
「衆人環視。望むところだよ」
狂咲は俺の唇に人差し指を当て、閉じさせる。
俺は彼女の指に押され、それ以上の会話をやめる。
もう言葉はいらない。
「んっ」
狂咲は俺の唇を奪う。
押し当てて、数秒。柔らかく、温かい。信じられないほどの多幸感が、俺の心に去来する。
「ふーっ。……んんっ」
狂咲は一度離れて、息継ぎをして、もう一度向かってくる。
……積極的どころか、情熱的だ。これでいいのか?
俺は注目を浴びる前に、彼女を引き剥がす。
「待て。これ以上は……」
「あ、そういう感じ?」
狂咲は何を勘違いしたのか、立ち上がって暗がりへと誘ってくる。
茂みを抜け、木の裏側。祭りの喧騒がやや遠い。
……嫌な予感がする。どこまでやる気だ。
「積田くん。積田くん」
狂咲は口を開け、舌を動かす。
長い。そして、よく動く。若干触手のようで、肉肉しい。
「あーーーん」
「底なしか、お前は」
「何年もかけて溜めたからね。もう限界」
俺は人目につかない薄闇の中で、狂咲の期待に応えることにする。
……これは将来、大変なことになるのではないか。そんな危機感を覚えつつ、俺は舌に慣れない動きを強いる。
……みかん味だ。
〜〜〜〜〜
狂咲曰く。
俺に惚れたのは、小学生の頃。
彼女は学級委員長として、日々苦労していた。
やんちゃ坊主に、泣き虫少女。毎日のように喧嘩が起き、誰もいうことを聞かない。
Aさんがクラスで飼っている金魚の世話を忘れた。Bくんが箒を振り回していた。Cちゃんが内緒でラメ入りのペンを使っていた。Dくんが階段の手すりを滑り台にしていた。
狂咲はまともだった。人並み外れて早く、人並みになってしまった。故に、子供の群れに囲まれて、つらい思いをしていた。
そんな中、一際目立って見えたのは……俺だった。
静かで、問題を起こさず、勉強もできる俺。
他の子とは違う。みんながああなら、きっと平和になる。そう思い、観察していた。
比べて、眺めて。見れば見るほど、好きになった。
……やがて、皆は分別がつくようになり、俺は少しずつオタクに偏り。俺は決して模範的な生徒ではなくなっていた。
それでも狂咲は、俺の変化を受け入れた。
気がつけば、俺を基準に物事を判断するようになっていたのだ。
それが狂咲が言う、俺に惚れた理由だそうだ。
「たっぷり時間をかけて、積田くん好みになったの」
「いや……怖いな」
今の狂咲は、別に俺の好みではない。社交性は羨ましいと感じるが、異性としては何とも言えない。
狂咲は終わりに近づく祭りを眺めて、俺に尋ねる。
「じゃあ、どうなってほしい?」
狂咲は俺の太ももを摩ってくる。
……生理的欲求というものは、耐えるのが難しいものだ。距離を取るほかない。
俺は立ち上がり、きっぱりと断る。
「そういうことをしないでほしい」
「そっか。今はこれで勘弁してあげる」
狂咲は非常に名残惜しそうな顔をしている。
……これでいい。学生のうちに結婚や妊活をするのは気が早い。皆で支え合って生きている以上、俺だけの問題では済まないのだ。
俺はほのかな罪悪感を振り払い、ヘタレとして一本の筋を通す。
「就職して、家を持ったら……期待に応える」
「!」
何年かかるかわからないが、必ず狂咲を迎えてみせる。幸せな家庭を築いてみせる。
そのために、俺は一時の快楽に身を任せず、普通の人間として、当たり前の我慢をする。
「一緒に生きよう」
「よっしゃあ!」
ガッツポーズをする狂咲。
俺と狂咲は恋人になった。
〜〜〜〜〜
狂咲と手を繋いで、帰路を歩く。
宿が近づいたところで、水空が現れる。
スキルで覗いていたのだろう。予想通りだ。
「飯田は祭りの打ち上げ。馬場くんは酔っ払いに巻き込まれて介護中。工藤さんは……ま、いいか」
水空は狂咲に抱きつく。
親友同士、言いたいことは山ほどあるだろう。しかし喜びが大きいように見える。
「おめでとう」
「ありがとう。みっちゃん、ずっと応援してくれてたからね」
中学校に進学してから、水空は狂咲のサポートを始めたらしい。
狂咲が忙しい間、代わりに俺の動向を探る。要するにストーキングである。
そんなことをされていたとは、まったく気が付かなかった。俺はやはり、鈍いのか。
狂咲は水空に向けて、一旦は笑みを見せるものの、後に真剣な表情を作る。
「ねえ、みっちゃん。積田くんのこと、奪いたいと思ってる?」
俺に色仕掛けをする水空に対し、疑問を抱いているようだ。
水空はニタニタといつも通りの企み顔で、当たり前のように答える。
「奪うとかじゃないよ。ちょっとだけ分けてほしい。積田くんの人生を、ケーキみたいに」
「……みっちゃんって、変だよね」
狂咲はそう言いつつも、相変わらず近い距離感を保っている。
嫌いにはなれないらしい。何年もかけて恋人になった相手を、つまみ食いされても。
「あたし、変な人を好きになっちゃう人なのかも」
「だと思うよ。ウチが言うのもアレだけど、キョウちゃんもだいぶ変わってるし」
水空は笑い、俺に一歩ずつ蟹歩きで近づいてくる。
恐怖に駆られ、俺は一歩ずつ距離を取る。
「おい。なんでこっちに来るんだ」
「どこまでなら許されるかなーと思って」
なんなんだお前は。狂咲を試しているのか?
当の狂咲は、水空の首を後ろから掴み、握りしめながら尋問する。
「みっちゃん。正直に答えて」
「うっ」
狂咲は大きな瞳をカッと見開き、狂気を滲ませた顔で水空を覗き込む。
「積田くんとキス、したい?」
「したい」
「交尾、したい?」
「したい」
「……ここまで言われて絶交しないあたしって、なんなんだろうね」
狂咲は両手で絞め始める。
水空の顔は青を通り越して白い。血の気が完全に失せている。
水空は悪いことをした。しかし、流石に殺すのはまずい。親友だぞ。どうなっている。
「待て、狂咲。俺は水空と結ばれる気はない」
「知ってる」
「流石にこれ以上は可哀想だ。やめてくれ」
「大丈夫。こういうこと、よくあるから」
狂咲は『思慕』のスキルで水空を治療する。
水空は地面に崩れ落ち、力の入らない上半身でミミズのように這う。
「ほ……お゛……」
「ほら、治った」
どうせ治せるから、怪我をさせても良いという考えなのか?
よくわからない。ただの嫉妬にしては、ずいぶんと入り組んでいる予感がする。
「おい……『思慕』を拷問に使うなよ。複雑な気分になる」
「暴力的で、ごめんね。あたし、こうやって生きてきたから……」
生き様に暴力が染み付いている。
だが、人を殺した経験値で生きる俺たちは、全員同じだろうに。卑下するようなことでも……。
……いや、ちょっと待てよ。
「(暴力で生きてきた。それは……この世界でのことだろうけど……)」
狂咲のレベルは高い。普通に森の魔物を狩るだけではどうやっても8までしか上がらないというのに、俺を助けた時点で11もあった。
つまり、魔物以外の、もっと大量の経験値をもらえる何かを殺してきている。
人間だ。
「……狂咲」
俺は既に狂咲の恋人となってしまった。将来の伴侶のために、責任を負う必要がある。
少々重い恋愛観かもしれない。だが、俺はこういう人間だ。
「お前、過去に何があった?」
「……察した?」
「ああ。教えてくれ」
俺は狂咲を気遣うように、なるべく優しい声色を作って問いかける。
狂咲は……水空の様子を見ながら、項垂れている。
「共犯に、なりたい?」
「なる」
狂咲が俺のことを信頼できないと言うのなら、仕方ない。この場はそれで納得しつつ、いつか話してもらえるように努力する。
だが……今聞けるなら、聞いておきたい。
単に、狂咲に寄り添いたいからだ。
「こっから先は、ウチが言う」
狂咲ではなく、水空が声を上げる。
首をさすってはいるが、狂咲を恨んでいる様子ではない。
どういう精神状態なんだ、こいつは。首を絞められたんだぞ。
「キョウちゃん。いいよね?」
「怖い」
「そっか。でも、こうなったら誤魔化しきれないよ。言っちゃおうぜ」
「………………うん」
水空は立ち上がる。
そして、俺に耳打ちする。
「飛田は、ウチが殺した」
……そういうことか。
〜〜〜〜〜
ヘリのスキルを持つ飛田廻人は、万能感に酔った男だった。
異世界に転移し、スキルを手に入れた。彼はこの出来事を「『チート無双』が始まった」と称していたらしい。
新たに手に入れた力に酔い、彼は数々の魔物……そして人間を殺していた。
「あいつは喧嘩を売ってきた人間を殺した。ヘリに連れ込んで、空から落として殺したんだ」
「なんだそれ!?」
宿のメシ屋で男とぶつかり、少しモメた。飛田はぶつぶつと文句を言い始め、男を追いかけて捕まえた。
バレないように森まで進み、そこで男を落とした。経験値が入り、飛田は笑った。
「『俺つえー』だってさ。もっと言うことあるだろ。あいつ、ほんと倫理観が死んでる。……まあ、ウチらが言えたことじゃないか」
確かに水空たちも人を殺している。生きるために殺し、経験値を得ている。
しかし、自罰意識の有無は大きい。強さだけが人間の価値ではない。自らを戒め、より高潔であろうとする努力こそが、獣と人間を分つ柵だ。
狂咲は自らの髪をぐしゃぐしゃにかき乱し、悲痛な叫びを上げる。
「飛田くんは強かった。あの人と協力すれば、もっとたくさんの人を助けられると思った。それなのに……それなのに……!」
飛田は裏切った。クラスメイトたちが助からないことを望み、自分のレベル上げに熱心になった。
「レベル100を目指すって言って、聞かなかった。この辺の魔物を倒すだけじゃ、8までしか上がらないのに」
「それってつまり……」
「いろんなところを旅して、竜にも挑んで、人も100人くらい殺すってこと。イカれてるよね」
恐ろしい男だ。素駆は知っていたのか?
……知っていたら、あんなに嘆くことはなかったはずだ。
俺はかつてプレイしていた『メイセカ』の件を持ち出しつつ、怒りに震える。
「この世界は、俺がプレイしていたゲームに似ている。それでも、違いが山ほどある。ここにいる人々は生きているし、メシに味がある。同じじゃないんだ。同じ物差しで測っちゃダメなんだ……」
その辺りの分別がつかない、子供だったのだろう。
いや、子供はもっともっと単純だ。死への忌避感くらいはある。それさえ踏み越えて他者を蹂躙していた飛田は……人とは思えないほど悪辣だ。
狂咲は、そんな彼を思い返して、泣いている。
「あたしは殺した。ヘリに閉じ込められて抱かれたくらいで、一番やっちゃいけない罪を負ってしまった。あの人は間違いなく人だったのに。……最低でしょ?」
詳しいことを聞かなければ、判断できない。
俺は実行犯と思われる水空に、事情を聞く。
「水空。何をした?」
「別に。大切なキョウちゃんが股を開いてたから、ヘリの扉をこじ開けて、アイツを殴っただけ」
「あたしが悪いの。みっちゃんの方を見た隙に、お股を蹴っちゃったから……だから……」
「あいつ、飛んで逃げようとしたね。……ミスって落ちて、死んだけど」
地上に逃げた2人から、飛んで逃げた。
股を蹴られた飛田は、操縦席に移動しようとして、開け放たれた扉から落ちた。
現実のヘリとは違うからこそ、起きた事故だ。わざわざ移動しなければ。飛ぼうと念じなければ。そもそも、蹴られるようなことをしなければ。
……そういうことか。それで2人に経験値が分配されたということか。
……それ以前にも、飛田の協力者扱いで経験値が入ることもあったのだろう。でないと11までは上がらない。
狂咲は俺から目を逸らす。
「幻滅したでしょ? あたし、割とすぐ手が出るよ」
「そんなことはない。2人は被害者だ」
「……積田くんにそう言ってほしかった。面倒くさい女だなあ、あたし」
背負うものが大きすぎるだけだ。解消するのに手間がかかって当たり前だ。1人の人間のキャパシティを遥かに超えている。
俺は狂咲の手を握る。飛田と同じにはなりたくないため、慎重に。
「狂咲。大変だったな。水空も……一応、狂咲に依存する理由はわかった」
「そう?」
水空はおどけてみせる。
飛田の死体を共に埋めた仲だ。文字通り、一連托生の気分でいたのだろう。だから俺という異分子が現れた時、試すようなことをした。
「一緒に殺しまでした仲間の狂咲が、俺にばかりかまっているのが我慢ならないんだな?」
「積田くんのことが好きってのも、ちゃんとあるけどねー」
そんな水空を横目で見つつ、狂咲は項垂れている。
「飛田くんを一緒に殺して以来、あたしとみっちゃんは、その……結構ドロドロした関係なの」
「首絞めなんて、しょっちゅうだよ。爪立てたり、噛んだりもするよ」
ただならない関係、ということか。
恋路はないようだが、肉体関係も……おそらくあるのだろう。
「ウチは3人で暮らすのもアリだと思うけど、どうしてもダメ?」
「みっちゃん」
狂咲は泣きながら笑う。
「みんながびっくりするから、ダメ」
「ちぇー」
……みんながびっくりしないなら、良いのか?
周りが許すなら、3人もアリなのか?
「狂咲を娶ると、水空も付いてきてしまうのか?」
「関係を整理できないままだと、たぶんそうなっちゃうね」
もしかすると、俺はとんでもない人を恋人にしてしまったのではないだろうか。
……俺は水空を引き剥がすことができないまま、宿に帰ることになる。