〜良心とベトロイヤル〜
難樫は第二形態と称して、魔法と魔力変換を解禁する。
「『デットヒート・フィスト』!!」
土の魔法と火の魔法で、炎のボクシンググローブを装着。そのまま目の前の水空に殴りかかる。
「水空ちゃーん! あーそぼ!」
「ぐ……」
水空はぎりぎりで回避し、脛に蹴りを放つ。
しかし、いつのまにか風のエアバッグを内蔵した土魔法の防具が出現し、衝撃を殺されてしまう。
「壁……!」
無詠唱は強すぎる。何もかもが一手先を行く。
「っしゃあ!」
グローブが水空の顔面を捉える。
打撃音。水空の顔が、僅かに沈む。炎で焦げ、煙が起きる。
だが、その程度で怯む水空ではない。
彼女は踏み留まり、ステータス画面を振りかぶる。
「……!」
「おう!?」
難樫は同じく画面を先回りさせて、難なく防ぐ。
「あっぶねえ」
「…………ちっ」
難樫は足を止めて、水空と互角に殴り合っている。
ステータスの力によるものか。——否。
水空の身体能力と格闘センスはずば抜けている。いくらステータスの加護が高くとも、ただのハードなギャルだった難樫に対抗できるものではない。
水空が弱体化しているのだ。カエルの毒と爪の消失で。
「は……はは! すっげえ……すげえよ、裏儀式。あの水空と殴り合えてる!」
「お前、なんかに……ウチが……負けるかっての!」
「負けだよ負け負け!」
難樫は風の魔法で竜巻を起こす。
踏ん張りきれず、水空の足が浮く。
「しまっ……」
難樫のボディガードたちが、水空にローリングソバットをかます。
「ごぶっ!」
脇腹が不自然に歪む。間違いなく、骨のいくつかが折れた。
更に、難樫の殺人グローブが追加される。
「おらおらおらおらおら!!」
鼻。目。喉。口。顎。容赦のない連撃。
一撃ごとに血が噴き出し、肉が抉れ、顔の皮が剥がれ落ちていく。
だが、奴が攻める番はもう終わりだ。
俺はようやく、難樫の背後を取ることに成功する。
「とった」
「は!?」
難樫の両腕を掴んだままステータス画面を呼び出し、奴の膝を叩く。
鈍い破裂音。
「ひっ!?」
膝が割れて動けなくなった彼女を、全身血まみれの水空が狙う。
「ナイス、積田くん」
「ふぎぃーっ!?」
水空の回し蹴りを、難樫は腹筋だけで体を捻り、俺ごとのけぞりながら避ける。
続けて襲ってきた水空の画面を、同じく画面で受け止める。
硬い衝突音。
「寄ってたかって、あーしを虐めやがってぇ!」
「くそ……!」
俺はステータスの差に圧倒されながらも、難樫を止めるために必死で食らいつく。
攻撃も防御も10近い差がある。だが、水空も同じだけのハンデを抱えてここまでやれているんだ。俺もやらねば、願者流に傷がつく。
「いい加減にしろ……このクソギャル!」
「ああ、もう。面倒くせーな! やってやるよ。最終形態……!」
また魔力が荒れ狂う。
このままでは引き剥がされそうだ。……それだけはまずい。
俺は盗聴石のひとつを握りしめる。
「これでも食ってろ!」
土魔法で呼び出された砂を、目の前にある難樫の口に詰め込む。
詠唱と魔導書を省けるのは、裏儀式だけの特権ではない。
願者丸の盗聴石を経由して、外から詠唱を唱えてもらうことで、大きく弱体化するものの、魔法を使用できるのだ。
「頼む!」
「『土の腕』!」
石の向こうには、山葵山。彼女ほどの実力者が唱えれば、それなりの効果は出る。
難樫の口に詰め込まれた砂が固形化し、猛烈な勢いで喉の奥へと突き進む。
「ぐ、ごーっ!!」
気が逸れた難樫は、最終形態への移行を中断させ、俺を投げ飛ばす。
「ぐっ」
「ぶへーっ! へっ、ぐひっ……」
難樫は砂を吐き出す。どうやら呼吸困難に陥っているようだ。苦肉の策だったが、効果はあった。
「…………っ!」
水空がトドメを刺そうとしている。
その後ろに、ボディガードの男たち。
水空は気がついていない。殴られすぎていて、聴覚が危ういのか。
俺はステータス画面を盾にして、取り巻きの男たちに向かう。
風の魔道具を取り出す彼らにステータス画面をぶつけ、投擲を封じる。
「……任せる」
水空は振り返ることなく進み、彼らの相手を俺に預ける。
俺も難樫を任せよう。
俺は敵が落とした魔道具を起動して、奴らの足元を崩す。
「くっ!」
振り向きざまに殴られながら、彼らの肩にしがみつく。
狙うは、首。
「願者流っ!!」
両腕とステータス画面、更に俺の全体重をかけて、ようやく男の首を折る。
「(死んだか?)」
しかし、目の前の人物の死を確認する暇もない。2人目が刃物を取り出し、俺に向かっている。
「ぐっ!」
刺突を回避。刃がすれ違い、二の腕が薄く切れる。
俺は男の手にステータス画面をぶつけ、刃物を落とさせる。
怯んだ隙に、手に残った砂で目潰し。そして、首にステータス画面の縁を叩きつける。
男は転倒する。だが、まだ息がある。
「うおおおおっ!」
倒れた男に、俺はステータス画面を振りかぶる。
直撃。
鈍い音と共に、頭部が割れる。
殺した。殺してしまった。明確に、自分の意思で。
……罪の意識に苛まれるのは、まだ早い。生きて帰ってこそだ。
「水空……!」
俺が顔を上げると、水空の様子が目に映る。
おぞましい量の血液を垂れ流しながら、ステータス画面を振り下ろしている。
「……お」
糸が切れたように倒れ伏す難樫。死にかけの虫のように手足を蠢かせ、失禁している。
「終わった」
水空も片膝をつく。とっくに限界だったのだろう。
……俺は、ほんの一瞬だけ逡巡する。
「(難樫はまだ生きている。……殺すべきか?)」
相手はクラスメイト。極悪非道とはいえ、厄介な杖は壊したので、捕縛まで持っていけそうな流れだ。
しかし、こいつは魔法学校を潰そうとした。生徒たちを襲撃し、水空を暴行し、反省の色はない。殺すしかないのではないか。
1秒にも満たない迷いの末、俺は結論を出す。
「(初志貫徹。安全をとって、殺そう)」
『混沌纏い』がある以上、拘束が意味をなさない可能性は高い。
「俺が守るべき命は……」
俺はステータス画面の角を、難樫の首に乗せる。
そのまま真っ直ぐ持ち上げて……。
「ごめん、な、さい」
難樫は虫の息で、遺言らしきものを遺す。
懺悔の言葉だろうか。彼女にも、罪の意識があったのだろうか。
「もっと、やくにたちたかった」
「……うっ」
「きょうだん……おおきく、なったのに、な……。かみさまには、とどかない、か」
頭の割れた難樫は、もういない相手に向かって語りかけている。
「おとうさん……おかあさん……おんなじあのよにいけなくて……ごめんなさい……」
「それだけか?」
俺は難樫の理性が残っていることに期待して、声をかける。
難樫は地面を這う姿勢のまま、僅かに光が戻ったような澄んだ声で、呟く。
「あーしの経験値、ちゃんと食えよ?」
「ああ」
俺は生きる気をなくした彼女の願いを聞き届ける。
……またレベルが上がった。
〜〜〜〜〜
戻ってきた素駆は、戦いの跡を見て愕然とする。
「水空!?」
血の池の中で倒れている水空に、素駆は駆け寄る。
何をしていたんだ、この頼りない大人は。彼も必死に戦っていたとはいえ、心の中で文句を垂れたくもなる。
俺は難樫の首を見せつつ、報告する。
「首魁は死亡。水空は運ぶのも危ない状態だ。願者丸に頼んで、狂咲を呼んだ。もうすぐ来る」
「……すまない」
素駆は役に立てなかった自覚があるようだ。
なら、もはや何も言うまい。騎士団の一員としての仕事さえしてくれれば、それでいい。
俺だって、水空がこんなになるまで戦わせてしまった。責める権利なんか無い。
「ごぼっ」
水空が血の塊を吐き出しながら、俺に手を差し出してくる。
俺は難樫の頭をそっと床に置き、彼女の手を握る。
「死ぬな」
「死ぬわけないでしょ」
水空は陥没した顔を歪め、笑顔らしきものを作る。
「ウチを誰だと思ってんの?」
「強いな、お前は」
「へへ。キョウちゃんの分まで戦うのが、ウチの役目だから」
……それが強さの理由なら。
俺ももっと、強くあるべきだ。
〜〜〜〜〜
狂咲の『思慕』により、水空の顔が治った頃。
俺たちは異変を検知する。
「地震……?」
日本人特有の感覚。足の裏や体幹がブレる、日常茶飯事。
しかし、それが異世界の塔で起きているのなら、話は別だ。
「まずい。崩れるぞ!」
素駆はバイクを呼び出し、ステータス画面を真横に合体させる。
「即席サイドカーだ。乗れ!」
俺たちは彼のバイクで地上まで一気に降りる。
バイクが何故飛べるのか、狂咲は疑問に思っているようだが……俺も同じ気持ちだ。
それより、今は塔だ。
何故かひび割れ、崩れている。まるで孵化する寸前の卵のように。
「地震ではないな。地上は揺れてねえ」
素駆の言う通り、地面に異変はない。となると。
「塔に何かいる……?」
俺の発言を受け、皆に緊張が走る。
これ以上の強敵は勘弁してほしい。そう言いたげな顔で。
「しゃーない。もっかいやるか」
そう言って立ちあがろうとする水空を、狂咲が死に物狂いで止める。
「やめて。体力がどうなってるかもわからないのに、これ以上戦わないで」
今の水空は、どう見ても限界だ。顔の傷が塞がったとしても、血を流しすぎている。疲労の色も濃い。
俺も水空を止める。
「やめておけ。どうしてもと言うなら、俺たちが倒れた後に出ろ」
「やだね」
「みっちゃん!」
言い争いをする俺たちの前で、塔が完全に崩れる。
吹き荒れる砂埃。その向こう側に見える……何か。
人のようで、人ではない。人に翼は生えていない。
人はあんなに、巨大ではない。
「気分、いいなあ」
翼の生えた何かは、砂を払って正体を見せる。
ジュリアンだ。魔法学校の、同期。
「やっぱりそうなんだ。経験値って、美しい。魔物は神秘だ。世界は虹色だ!」
彼は龍のような鱗を全身から生やし、筋骨隆々とした姿に変貌している。
太い腕。鳥のような脚。長い尻尾。光沢のある角。
それでいて、顔だけは……元のジュリアンのまま。
狂咲は彼に向けて、大きな声で話しかける。
「ジュリアン! 無事……だったんだね!」
無事とは言い難い外見だが、元気そうではある。
しかし、彼は口が裂けるほど大笑いをし、俺たちに指先を向ける。
「参ったなあ……美味しそうで仕方ないよお!」
彼は大きく開けた口の中の奥から、凄まじい光を覗かせ……光線として、解き放つ。
「いっただきまぁす!」
極太の光線が、地面を抉りながら飛んでくる。
「備えろ!」
俺と狂咲と水空は、かつて飛ぶ斬撃を防いだ構えで耐える。
凄まじい光と衝突音が、俺の五感を奪っていく。
「ぐっ……!」
ほんの1秒ほどで、魔力の奔流から解放される。
3人でも、どうにか耐えられた。俺たちのステータスが上がったためか、それとも連携が強化されているのか。
光線が止んだ瞬間、素駆がバイクに乗って反撃に打って出る。
「どいつもこいつも無詠唱か。びびってると死ぬぞ。覚悟決めろ!」
俺たちに発破をかけながら、エンジン音を大地に轟かせる。
発進。突撃。
「俺は円卓騎士団の素駆だ! お前は何者だ!?」
「ジュリアンだった! 今は知らない」
ジュリアンは爪を振る。当たり前のように風の魔法を纏い、斬撃が吹き荒れる。
素駆はぎりぎり手が届かない距離でバイクを周回させている。様子見だ。
「両親はどうした。人間を辞めさせられたのか!?」
「やめる? 潰れた。ミンチだよ! 晩ごはん!」
ジュリアンは適当に腕を振り続けている。自分の力に戸惑っているようだ。あるいは、理性が消えかけているのだろうか。
素駆は交渉の余地があると判断したのか、大人ぶった声で提案する。
「その手を止めてくれ。話がしたい」
「えー?」
「攻撃しない。約束する」
「嘘ばっかりだからなあ」
ジュリアンは尻尾を何回か地面に叩きつける。不機嫌そうだ。
「学校、通えるって言ったのに。魔物博士になれるって言ったのに……」
ジュリアンは精神が不安定のようだ。言葉遣いが怪しい。
「絶対嘘だ。嘘つき。国が嫌いなだけだ!」
「何の話だ、ジュリアン。俺たちは……」
「だから手紙を出した!」
素駆のバイクに、ジュリアンは怒りをぶつける。
喉の奥から、眩い光。ジュリアンはそれを、地面に向けて薙ぎ払う。
「僕が出したんだ! クソ親も、クソ女も、みんなみんな、バラバラにしちゃえ!」
そうか。あの手紙は『マカリ』が出したものではなかったのか。
考えてみれば、教団にあれを出す理由は無い。建材に放火するほど過激派の組織なら、予告状など出さずに、突然襲撃して潰すのが定石のはずだ。
俺たちはステータス画面で流れ弾を防ぎながら、ジュリアンに呼びかける。
「俺たちに戦ってほしかったのか。信頼してくれてたんだな、ジュリアン!」
「うるさいなあ。チカチカするよ!」
ジュリアンは一瞬だけ俺に意識を向け、光線を放とうとする。
しかし、素駆のバイクに気を逸らされる。
「そんなもん向けんじゃねえ! 友達なんだろ!?」
素駆はバイクを巧みに操り、攻撃を避け続ける。
しかし、これではジリ貧だ。こちらで攻撃を引き受けるべきか否か。狂咲と水空に聞こう。
「どうする?」
「ちょっとずつ、近づいてみよう」
「おけまる」
俺たちはステータス画面を盾にしながら前進し、彼の心に圧をかけてみる。
「ジュリアン! 学校のみんなが待ってるよ!」
「大丈夫。お前ならまだ間に合う!」
「君がいない間に、ウチら宴会やったんだぜ。お前のために、もっかい開こうかー?」
視界の隅に、後続の飯田と馬場が見える。光線が町に届かないよう、必死に走り回り、受け止め続けている。
……しかし、手が足りない。巻き込まれた人々が、悲鳴を上げて逃げ惑っている。
「化け物だ! 塔から化け物が出たぞ!」
「あのバカ連中、ついにやりやがった!」
そうだ。そのまま逃げてくれ。俺たちが戦っている間に。
しかし、俺の願いは儚くも潰えることになる。
「魔力……魔力だ!」
ジュリアンはついに、理性を崩壊させて食欲に飲まれ始める。
「人間……人殺し……知るかそんなもん! 腹が減ったら、食う! 食う! 食いもんだから、食う!!」
素駆も俺たちも無視して、ジュリアンは走り出す。町の住民たちに向けて。