〜工事とマジック〜
銭湯の奥にある、従業員用のスペース。倉庫と休憩所を兼ねた、あまり広くない場所。
そこで水道工事の作業員たちから、調査報告を求められる。
「どうでしょう。水漏れは見つかりましたか?」
俺が帰ってきたことで、何か進展があると思ったのだろう。魔法のヘルメットを被った中年男性が、テーブルの上の資料から目を離し、俺に声をかけてくる。
俺は自分のぶんの椅子を探しながら、正直に答える。
「まだです。構造が入り組んでいるので、手間取っているようです」
俺の発言に、作業員は期待はずれと言わんばかりの露骨なため息を吐く。
「まあ、そうですよね……。結局いつも通り、しらみ潰しにやるしかないんでしょうね」
「いえ、もう少しあれば、特定できます」
「本当だな?」
水道工事の男性は、部下と思われる男たちの方を見て、また深い感情のこもったため息を吐く。
よほど仕事がつらいのだろう。スキルでも何でも、楽にしてくれるならそうしてほしい。そんな疲れが見て取れる。
狂咲が俺のために席をあけて座らせながら、解説をしてくれる。
「あたしたちを推してくれたのは、町長さんだよ」
「へえ」
俺は町長の意図を考える。
おそらく、俺たちを懐柔して町のために働かせたいのだろう。ステータスの加護による身体能力上昇や、スキルによる特異な能力は、腐らせておくにはもったいない。
もうひとつは……俺たちが悪であるという噂を、どうにかして払拭するため。
「俺たちが頑張れば、悪い噂は消えてなくなる。町長はそう考えているようだな」
「もちろん。あたしもそう思うよ」
狂咲は俺の両肩を掴んで、屈託のない笑みを浮かべる。
……確かに、人々のために努力していれば、それなりにファンを増やすことができるだろう。直接助けられた者は、だいたい好印象を抱いてくれるはずだ。
しかし、町全体の印象を塗り替えるには、途方もない努力が必要になる。この町は人口が多く、人の出入りも多い。地道な活動で支持を得るのは大変だ。
そして、そんな涙ぐましい努力さえも、辻斬りのような悪が現れれば、一気に水疱に帰す。
「……積田くん?」
悩む俺の顔を覗き込み、狂咲は頬を突いてくる。
「顔が怖いよ。笑って笑って」
「水空にも笑えと言われた」
「じゃあ、尚更笑わないとね!」
狂咲は手本として自分の頬をぐいっと持ち上げ、わざとらしい笑みを見せる。
「にへーっ」
「バカっぽいぞ。やめてくれ」
「ひどーい! えへへ……」
狂咲は俺とのやり取りが楽しいようだ。俺がどれほど素っ気なく返しても、笑顔で返答してくれる。
なんという得難い友だろう。
いや、もはや……友でもないのか。恋仲になりかけの、複雑な関係だ。
俺は狂咲と目を合わせるのが恥ずかしくなり、周囲の様子を見る。
作業員たちは地下の地図や工事用の配管図と思われるものを眺めて、頭を抱えている。
「それ、見ても大丈夫なものですか?」
「え? ああ……水場には持ち込み厳禁だけど、見るだけなら平気だよ。秘密もないし」
「みっちゃん、あっさり覚えちゃった。すごいよね」
地下を見ているはずの水空が持っていないのは、そういうことか。
俺はその図を見ながら、何が問題なのかを尋ねる。
「俺は来たばかりなので、よくわからないんですけれど……そもそも、何が問題なんです?」
「例の辻斬りが放った、とんでもない一撃。その影響は地上が大半だが、地下にも少し及んでいる」
そうだったのか。
あれだけの威力の、飛ぶ斬撃だ。余波だけでも十分な被害を受けることになるだろう。
作業員は何度目かわからないため息と共に、頭を抱える。
「剣を振っただけで、窓どころか家が割れる。恐ろしいもんだよ、神の加護ってやつは」
「我々は味方ですよ」
「知ってるけど……ほんと、頼むぜ。見た感じ、普通の青少年っぽいけどよお……」
彼らの中にある『異世界人』は、強力なスキルを持った黒髪。これから俺たちは、篠原たちのやらかしの尻拭いをしなけれらならない。
俺は彼らに、優しい声を心がけて励ます。
「俺たちは……こんなことができる奴らを、理解できません」
「お前らも一枚岩じゃねえってことか。人間だから、そういうこともあるよな……」
今はこれくらいでいいだろう。
俺たちもまた、同じ人間である。その意識を持ってくれたなら、きっと仲良くなることだって……。
沈黙した俺の隣に、狂咲がやってくる。
「宿の修理も、水場を優先したみたい。そうしないとトイレも使えないし」
だから俺たちが瓦礫を片付ける羽目になったのか。
ひとりの作業員が狂咲の方を見て、机の上に突っ伏し、中年太りに片足を突っ込んだ二の腕を晒す。
「ああ、君たちの宿か。あの時はもう、あり得ないくらいの仕事量でさ。配管が複雑すぎて、パズルを解くみたいな気分だったよ。めっちゃ長くて、複雑で、責任重大なパズル。それを一日中ひたすらやってんの」
「大変でしたね……」
「ようやく全部元通りだと思ったところに……ここの不具合のせいで、連勤だ。あー、もう、嫌になっちゃうね!」
作業員は仕事に嫌気が差しているようだ。
辞めればいい、とは簡単には言えない。俺たちはこの世界の就職に事情に詳しくないのだから。
他にはない魔法が使えるから、水道工事を任せられているのかもしれない。そしてそれは、潰しが効かない類かもしれない。
『呪い』という汎用性のかけらもないスキルを得た俺のように。
「あー……。スキルでも異世界人でもなんでもいいから、早く何とかしてくれ……」
「汚ねえし魔力減るし、残業なんか懲り懲りだ……。薄給に見合ってねえよ」
作業員たちの叫びに、俺は深い悲しみを覚える。
日本でなくとも、苦しむ社会人が存在する。生きるという苦行を強いられる社畜が存在してしまう。
「日本じゃなくても、変わらないね」
狂咲が呟く。
俺はハッとして、彼女の方を見る。
水空が口癖のように言っている「日本が恋しい」とは真逆の概念だ。
もしかすると、狂咲は……。
「日本が恋しいとは、思わないのか?」
「思うよ」
狂咲は悲しげで自嘲的な笑みを浮かべつつ、俺に何歩か近づく。
「あたしだって、日本に帰りたいと思うことはある。だからみっちゃんの言うことも、ちょっとわかる」
ちょっと、なのか。
やはり狂咲矢羽は……覚悟を決めている。この世界で生きる覚悟を。
「でもね。日本人でも異世界人でも、人がいるなら、なんとかなると思う。だってあたし、人を信じてるから」
性善説。そんな単語が俺の脳裏に浮かぶ。
「利用してくる人もいると思う。だけど、いい人だって必ずいる。人を見る目に自信があるから、ちゃんと見分けていけばオッケーだよ」
「危なっかしい」
俺は率直な感想を告げる。
狂咲の考えは楽観的すぎる。異世界人の歴史は日本とは違う。肌の色による差別があるかもしれない。男女の役割が明確にされているかもしれない。人が人を食う文化があるかもしれない。
この世界がおかしな場所だったとしても……それでも、人さえいれば生きていけると言えるのか?
「俺は……そこまで覚悟できない」
俺の発言に、狂咲は頷く。
「やっぱり、積田くんもそうだよね。わかってた」
「俺も……」
ああ、そうか。かつて狂咲は『普通』がわからないと言っていた。
これもまた、普通からのズレということか。
狂咲は悲しそうに微笑みを湛えている。
愛した男と価値観が違うというのは、どんな気分なのだろう。俺にはわからない。
俺はまだ、狂咲が俺なんかに惚れた訳さえ知らないのだから。
「ほーい。だいたい見てきたよーん」
疲れた様子の水空が、部屋に乱入してくる。
そして、ほんのり濡れた手で俺と狂咲の肩を掴む。
「おふたりさーん。お疲れくらい言ってよー」
「おつかれ」
「お疲れ様」
すると作業員がやってきて、俺たちから水空を引き剥がす。
「教えてくれ! 欠陥はどこだ!?」
「地図出してください」
2人は俺たちにはわからない高度な会話を始める。
……水空は本当に、あの見取り図を暗記したというのか。
数分ほどやり取りをした後、作業員は合点がいった様子で目を見開く。
「そうか。浄化魔法が機能していないのか」
「よくあるミスっぽく聞こえますけど」
「普通、定期調査で発見されて、こうなる前に解消されるけど……。衝撃で魔道具にガタが来たかな」
「これなら交換すれば済むな。再発注の必要もなさそうだ。今日中に終わるぞ」
作業員たちは、もはや戦勝ムードだ。予想よりずっと楽な作業だとわかったためだろう。
この空気ならいけると踏んだのか、水空は軽い調子でお願い事をする。
「あのー、職場見学とか、していいですか?」
「職場は危ないからダメ。ただ、魔法と魔道具を見せる許可はあらかじめ貰ってるよ」
「ひゃっふー! よかったねえ、積田くん。無駄足にならなくて」
俺は反応に困りつつ、2人に近づく。
狂咲も付いてきて、にこりと微笑む。
「キミたちも見たいかい? 俺の魔法」
「よろしくお願いします」
この世界に来て、ようやく魔法とご対面だ。
非日常感。異物感。それらが期待へと昇華され、俺の心をくすぐる。
「楽しみです」
俺は興奮で鼻息を荒くしながら、本場の仕事ぶりを見学することにする。
〜〜〜〜〜
他の作業員が意気揚々と地下に潜っていく中、一番の下っ端と思われる青年が、俺たちに魔法を見せてくれる。
「俺の得意属性は、土と水だ」
属性なんてものがあるのか。いや、耳に馴染みのある単語ではあるが、まさかここでも聞くとは。
俺はプレイしていたゲームとの関連性を考えつつ、男の話に集中する。
「土はかなり鍛えていて、ちょっとくらいなら金属の修理もできる。水は……濡れてるのをなんとかするくらいかな……」
「すごいですね!」
狂咲が目を輝かせて賞賛する。
俺も同感だ。先程濡れたばかり故か、濡れた物をすぐに乾かせるというだけで価値を感じてしまう。
作業員は得意げに胸を張り、調子よく喋る。
「属性魔法を覚えるには、魔法学校で資格を得る必要があるからね。水道局の作業員はすごいんだ」
「へー。ウチらの世界とは全然違う……」
「折角だから、この工具でやってみよう。ちょうど錆がついてきたから……こうして……」
作業員は特に詠唱などを唱えることなく工具の形を変え、錆だけを取り除いて元の形に戻す。
魔法の力にかかれば、金属さえぐにゃぐにゃの豆腐になってしまうのか。強力だ。ぜひ覚えたい。
「どうやったら覚えられるんですか!?」
いつになくテンションが爆上がりしている俺に、作業員はやや困惑している。
「魔法学校とか専門機関とかに頼んで、ちゃんとした儀式をしないといけない決まりなんだ」
「なるほど」
まあ、当然と言えば当然か。
使い方によっては世界に混乱をもたらすことができる力だ。公に管理されていて然るべきだ。きっと資格試験も必要なのだろう。
作業員は落ち込む俺に向けて、慰めるように話題を変える。
「でも、キミたちはキャメロン町長に気に入られているから、ちゃんと働けば学費を出しくれるかもしれないよ。うちの水道局も、魔法を取得するための補助金が国から出てる」
「えっ」
まさに資格試験と同じではないか。
なるほど。魔法があるなら、それを得るための制度もしっかりと整備されていているのが当然か。
この異世界、やはり侮れない。文明が進んでいる。
俺は狂咲と意見を交わし合う。
「魔法を覚えよう」
「絶対役に立つよね。……でも、この町には魔法学校が無いね」
町から離れるのが怖いらしい狂咲が、残念そうに俯いて俺の手を握る。
「町に無いなら、他所に行くことになるよね。そしたら、町長さんが困るし……みんなも困る」
狂咲はこの町の居心地が良いと言っていた。
俺も最近、宿の改修をありがたく思った。
「(……もう少し、考えてみるべきか)」
俺はその手を握り返して、魔法を見せてもらったお礼を告げる。
この世界は魔法があるため、特殊な職業や設備が発生しています。
町によっては、魔物を追い払うための結界や、防衛兵器を備えていることもあります。
今回出てきた水道局はというと……給料が少ない割に魔力の消費量が大きい(=自由に使える魔力が無い)ため、魔法職にしてはかなり地位が低い部類です。残念。