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全てを失った悪党たち

1話完結ですが、前回から続く番外編の後編という扱いでもあります。

 味差(あじさし)水仙荘(すいせんそう)。それがアタシの名前。

 妙な名前だと笑われたこともあった。昔の話だ。小学校の同級生なんか、声も顔も名前も、覚える価値がない。


 アタシにとって大切なものは、金と、食材と、好き勝手できる砂場みたいな社会と、数人の仲間だけ。

 それだけあれば、死ぬまで生きられる。面白おかしく砂遊びして、退屈しらずで駆け抜けられる。そう思っていた。


 ……異世界に飛ばされるまでは。


「なんだってんだよ」


 アタシは貧乏くさい藁束の中で、膝を抱える。

 馬か何かの餌だろう。いや、この世界に馬なんかいるのか? 馬がいるとして、こんな辺境にいるものなのか? 

 わからない。何もわからない。あのクソッタレな神は何も教えちゃくれなかった。


 どうして。どうして寝る場所にも困って、汚ねえ小屋なんかに忍び込んで、夜を震えて過ごさなくちゃいけないんだよ。なんで道に生えてる雑草なんか食って、腹を誤魔化さなきゃいけないんだよ。


「あの神を殺すまで……死んでたまるか」


 アタシはあの神の汚ねえ色した肌を忘れない。

 あれを引き裂いて血の色を見るまで、忘れるわけにはいかない。


 アタシが小さな膝を抱えて丸くなっていると、外が何やら騒がしくなる。

 これでも聞き耳を立てるのは得意だ。日本の雑踏でもカクテルパーティでも、それぞれの声を正確に聞き分けられる。


「言い争い……?」


 忍び込んだのがバレた……。いや、違う。それなら突入して引きずり出すのが先だろう。この騒ぎは別件だ。


 おそるおそる、目を壁の穴に密着させる。

 暗くて何も見えない。代わりに、耳を……。


「!」


 殺気が肌を刺し、脳まで貫く。長年の勘が警告を鳴らしているのだ。

 アタシは首を引っ込める。


「あっ。違った」


 少女の声と共に、穴の奥……つまり小屋の外で、何か光る物が動く。

 先が尖った、金属の棒。見覚えがある。あれは六ツ目真希の愛用品だ。簪にも槍にも似た、特注品。


 つまり、今の気配は……そして外の騒動は、六ツ目のしわざ。


「マキ?」


 安堵による油断で、声が出てしまう。

 武器を引っ込めたということは、向こうもこっちに気づいているはずだ。あいつはどうしようもない快楽殺人鬼だけど、判断が早いし、めざといし、頼りになる。


 六ツ目は返事をすることなく、音もなく壁の向こうからいなくなる。

 まだ立て込んでいるのだろう。まあ、仕方ない。


「(こっちでも誰か殺したな?)」


 騒ぎが村での殺人だと当たりをつけて、じっと待つことにする。

 六ツ目がいるなら、この場はどうにでもなる。一安心だ。


 〜〜〜〜〜


 村で起きた事件が、一応の解決を見た。

 アタシは服についた藁を必死に落としながら、六ツ目の話を聞く。


「えっと……結構、難しい話になるよ?」

「うん? マキが暴れただけじゃないのか?」

「この村、ちょっと変なの」


 曰く。

 アタシが落ちた村は、裏儀式という怪しい邪教に汚染されていた。それで近日中に騎士団とかいう治安組織が監査に来ることになっていた。


 そんなタイミングで、六ツ目が到来。この世界でも人を殺して財と肉を奪っていたら、いつのまにか三つ巴の戦いになっていた。


「なるほど。こうするしかなかったわけだ」


 アタシは目の前に広がる赤い海を見渡す。

 騎士団と思われる、軽い鎧を着た死体。裏儀式と思われる、粗末な服の死体。そんなものが、あちらこちらに散らばっている。


 死体なんか見飽きるほど慣れているけど、流石にこの数は壮観だ。数えようとさえ思わない。わざわざ確認するまでもなく、全滅だろう。


「怪我は?」

「危なかった」


 六ツ目は日本にいた頃と何も変わらない、牧歌的でのんびりとした顔つきで愚痴を言う。


「この世界、魔法みたいなのがあるよ。神様から聞いたよね?」

「ああ。スキルとやらに、それらしい記載があった」


 最初に見た時は冗談かと笑い飛ばしたかったが、神が直々に見せてきたのだから、そういうわけにはいかなかった。

 六ツ目をして危ないと言わしめる、魔法。それを理解するまでは、迂闊な行動はできない。


「何もないところから、いきなり火がブワーって。風がふわーって。びっくりした」

「素手で、か?」

「うん。素手」


 この世界のあらゆる人間が、胸に銃をしまっていると考えよう。……いや、もっと危険か。手足を切り落としても使える可能性が高い。拷問が難しくなるな。


 アタシが藁を払うことを諦めたところで、六ツ目は何やら不満そうに、足元の死体を蹴飛ばす。


「それとね、この村の人、ひどい魔法を使ってたの。せっかくとっておいた女の子を勝手に使っちゃったの!」


 とっておいた女の子。これは六ツ目から見て美味しそうに見えたから、キープしたという意味だろう。生かしたまま拘束すれば、鮮度を保てる。

 しかし、使うとはどういうことだろう。戦争においては侵略側が村人への性的暴行に及ぶことが少なくないが……。


 アタシは蹴られた村人をチェックしつつ、尋ねる。


「使うってのは、はけ口か何かの話か?」

「違くて、えっと……たぶん裏儀式の魔法のために、生贄が必要みたいなの。だから、強そうな人が女の子の首を、こう……」


 六ツ目は首筋に手を当てて、横に切る動きをする。


 ふうん。生贄とは、ずいぶん野蛮だな。だが、それが邪教扱いされているあたり、この世界の上層部には正気が残っている。


 アタシは村人の汚らしい服の端に、返り血の痕跡を見つける。古いものと、新しいもの。この戦闘だけではなく、日常的に血を見てきた証拠だ。家畜の屠殺でも、こうはなるまい。


 大して偉そうでもないのに、裏儀式とやらの魔法を使えたとなると……この世界は危険だな。魔法が一部の権力者だけに許された特権なら、まだ動きやすかった。


「もう最悪だよ。この世界の人、みんな脂肪が少なくてムダ毛の手入れもしてなくて、ほんとにまずそうなのに、まだマシそうな子まで台無しにされちゃった」

「不潔な世界だな」

「もうやだ。冷蔵庫もないし、食べきれないよ……もったいない……」


 人間ひとり解体するだけで、何十キロもの大量の肉が手に入る。故に、冷蔵庫がないと消費しきれない。そう言いたいのだろう。

 相変わらず、食い意地が張った狂人だ。手綱を握る役が必要だな。


 アタシは自分の腹が鳴くのを抑えつつ、六ツ目によ寄り添う。


「魔法があるなら、きっと保存もできるさ。探してみようか?」

「うん。いっしょに行く……」


 この村の文化レベルでは、期待はできない。ここを調べて、アタシがこの世界を知るための時間だ。ついでに六ツ目を慰めて、行動理由を与えただけ。


 とりあえず、アタシは久方ぶりの食事と、魔法とやらの知識を探すことにする。


 〜〜〜〜〜


 この世界は地獄だ。

 村の財を奪い、とりあえずの飯を食い、制服ではない目立たない服を着て、知識を得て……。

 そうして手に入れた結論が、これだ。嫌になってくるな。


 アタシは騎士団や裏儀式が保管していた書類を読み解き、六ツ目に告げる。


「どちらかを利用する必要がある」

「……ごめん。どちらかって、どれとどれ?」


 六ツ目は人肉を捌く手を止める。

 こいつはずっと村中の調理場を漁っていた。冷蔵庫があるかどうか確認したかったのだろう。涙ぐましい悪あがきだが、ついでに調味料を漁ってくれたのはありがたいね。


「騎士団か、裏儀式だ」

「どっちも敵じゃないの?」

「冷蔵庫が遠のくぞ」

「それは嫌!」


 奴らは文化を持っている。

 騎士団は「四属性の魔法」とやらで、なけなしの秩序を保とうとしている。この国に守護された技術体系であり、都会ならそれなりの文化水準があると期待できる。

 ……いや、むしろ騎士団が正式採用している魔法でダメなら、この世界に冷蔵庫は無いと見るべきだろう。


 一方、裏儀式は血肉を使った魔法を使える。出力が高く、攻撃的。人間の血と骨に含まれる魔力を使い、ある生物を別の生物に変えたり、体を変化させたり……。若返りの秘宝なんてものも……。


 まあ、アタシとしては一択だ。


「ステータス画面があるということは、アタシらも神の使徒だろう。これを武器に、騎士団にすり寄るぞ」

「え、えっと、なんで?」

「技術体系が真っ当だからだ。医学や生物学、人体工学に偏っていない。冷蔵庫のような工業製品を作っているとすれば、騎士団たち……そして、属性魔法の使い手だ」

「うーん……」


 六ツ目は異議がありそうだ。聞いてみよう。


「裏儀式の方が、日本で使()()()()()人たちに近い感じがするから……そっちの方が楽な道、だと思う」

「む。一理ある」


 既に国に庇護され、立場が確立されている騎士団は、賄賂でも恨みつらみでも、簡単には揺らがないだろう。内情を察せるほどの知識はまだ無いが、六ツ目の観察力をあてにするなら、騎士団の統率は優れている。


「騎士団に擦り寄ったとして、どういう扱いを受けるかは……神の使徒の価値次第か」

「え、えっと、たぶん私たちだけじゃないよね?」


 六ツ目は一見ぼんやりとした顔で、何やら思案を始める。


「教室がふっとんだ時、クラスメイトはみんな死んだはずなの。見てたから」


 目が潰れるほど眩しい光の中で、それを確認していたのか。ほんの一瞬の出来事で、アタシなんか記憶に残ってさえいないのに。やっぱりこいつは非凡だ。


「先生も死んだ。ぜったい。だから、最低でも36人はいるよね?」

「全員が使徒になるとすれば、そうだな。……いや、教師は抜いて35人だ。そう聞いた」


 神の言い分を間に受けるなら、大人や他のクラスの者は違う扱いになるらしい。地球の神との取引の都合だそうだが、詳しくは知らない。


 六ツ目は物憂げにぶつくさと話し続ける。


「35人もいたら、あんまり特別感ないよね」

「……希少性は薄くなるな」

「特別じゃないってことは、神の使徒ってだけじゃ、騎士団の人、信用してくれないよね……」

「……無理、かもしれない」


 神の使徒という名称がすっかり根付いているならば、世界を跨いだ人材投入は今回が初めてではない。アタシたち以外にも、地球ではない世界からここに連れてこられた奴らがいるかもしれない。


 ならば、すぐには信用されないな。日本の県を跨いだだけで価値観が変わるというのに、世界が違えばどんな歪みが生じるか、わかったものではない。アタシがこの世界を信じられないのと同じように、向こうも信じてはくれないだろう。


「騎士団に与するのは、少し待った方がいいか」

「うん。騎士団は正義だから、一緒にいると人を食べにくくなっちゃう」


 六ツ目の本音はそれかよ。本当に食い意地が張っている。


 他のクラスメイトはきっと騎士団を信じてついていくはずだ。周りにクラスメイトがいたら、六ツ目は動きにくくなる。それも含めて、騎士団は食人鬼の敵だ。


「(六ツ目はこの世界でも通用する)」


 まだ新鮮な死体の山を見て、そう思う。


 アタシは六ツ目を戦力として高く見積もっている。騎士団を敵に回してでも守る価値はあると思っている。

 信じられないものばかりのこの世界で、唯一手放しに信じられる存在。それが六ツ目の食欲と、腕っぷしだ。


「わかった。騎士団に味方するのは保留だ。とりあえず、情報収集が必要だな」

「叶ちゃんも助けたいね」


 難樫叶。アタシの手駒のひとつ。大して優秀ではないが、わかりやすい奴だから、まあまあ使える。あいつの悩みを解決してやったことも、結構な回数ある。恩を売れば、ちゃんと返してくれる奴だ。

 そうか、あいつもこの世界に……。可能なら、拾っておこうか。


「よし。荷物をまとめろ。面倒なことになる前に、ここから離れるぞ」

「お肉、厳選しないと……」


 物言わぬ死体を踏みつけながら、アタシたちは逃避行へと踏み出す。


 〜〜〜〜〜


 いくつか村を訪ねて聞き周り、時には滅ぼしたりもして、少しずつこの世界に対する理解が進んでいく。


 騎士団は相当よくできた組織だ。大した情報端末もないくせに、人を血流のように回して、国を生き物のように動かしている。アタシも組織運営の真似事をしたことがあるから、その労力は理解できる。


 魔法は万能ではないが、火を起こして水で洗うような原始的な生活を営む上では、それなりに便利だ。儀式とやらを受けなければ出力がカスのままだが、魔導書と詠唱を揃えるだけで、ライターくらいの火は出せる。神の使徒の特権かもしれないが。


 ステータス画面とやらは、かなり頑丈だ。鈍器として信頼できる。よくある「無人島にひとつだけ持っていけるとしたら」という問いに、今度からこれを答えることにしよう。


 ——そんな知識が積み重なったところで、ようやくアタシの視界は開けてくる。


「裏儀式の国か……」


 10ほど村を転々としただろうか。

 アタシは殺した村長の家で、裏儀式についての情報をまとめている。


「裏儀式と呼ばれているのは、この国のスタンダードではないからだな。ペール国とやらでは、属性魔法の方が邪道扱いだ」

「そのペールって国に行った方がいいのかな?」


 六ツ目はさっきまで村長の娘だったものを片付けながら、尋ねる。


「ここってヴェル……なんとか王国でしょ?」

「ヴェルメル」

「あ、それ。神の使徒って、他の国に行けば大事にしてもらえるんじゃないかな?」


 外国に行くという選択も、一考の余地がある。

 だが、ペール国は論外だ。


「裏儀式は身内の結束が固く、規則違反者とよそ者と異教徒に厳しい。神の使徒が信頼されるのは難しいだろう」

「じゃあ、ペールは敵なんだ……」


 少し調べてわかったことだが、神の存在そのものが彼らの教義に反するるしい。ならば、神の恩恵を受けるアタシらは敵だ。


「よっぽどカリスマがある奴じゃないと、神の使徒が裏儀式に入るのは無理だろうよ。ましてや、利用しようだなんて……」

「えっと、私は味差ちゃん、カリスマあると思う」


 六ツ目は血抜きをした肉を野菜と共に炒めながら、アタシを褒め称える。


「カッコいいし、美人だし。それに、頭も良くて頼りになるし……。だから、そんなに弱気にならないで。元気出してね」

「お前の主観でしかないだろ」


 今のアタシは、弱気に見えるのか。

 実際、二の足を踏んでいるところはあるが……こいつに言われると、なんだか癪だな。


 六ツ目はしょぼくれた顔をしつつ、アタシの分まで皿を並べる。

 ちゃんと品は分けてある。もちろん、調理道具も違うものを使った。六ツ目は趣味嗜好の違いに配慮できる奴だ。


「ほんとに尊敬してるのに……」

「それは知ってる。ただ、武器になるほどのカリスマじゃない。過大評価だ」


 アタシは料理人として、六ツ目が作った簡素な炒め物を評価する。


「100点満点中……20点」

「だよね……。ごめんね」

「別にいい」


 今は非常時だ。味くらい見逃してやってもいい。

 何より、アタシの口に入るものを作れるのは、アタシ自身を除けばこいつだけだ。


「お前……」


 お前の作るものなら、食ってやってもいい。光栄に思え。そう言いかけて、やっぱりやめる。


「毒がないなら、構わない」

「あ、それは大丈夫だよ!? ちゃんと調べたし」

「知ってるから、唾を飛ばすな」

「飛ばしてないもん……」


 0点の食材でできた料理を、アタシは喉の奥に押し込む。


 〜〜〜〜〜


 大きめの街道に出たところで、難樫が見つかった。

 道端でしょうもない強盗をして、騎士団に捕まっていたのだ。


「馬鹿だなあ、あいつ。襲う相手を選べよ」


 袋叩きにされている姿を遠くから見守りながら、アタシは悪態をつく。


 ステータスの効果はまだわからないが、少なくともレベルが低いうちは、過信できるほどじゃない。おそらく今の難樫も、鎧を着た集団から金を巻き上げられるほど強くなってはいないのだ。


「痩せてるね……」


 茂みの裏から、六ツ目は哀れみの目を向けている。


 確かに、難樫はボロボロになっている。栄養失調と汚れと怪我で、浮浪者のような有様だ。どんな生活をしていれば、ああなるのやら。


 とりあえず、アタシは六ツ目に指示を出す。


「難樫以外、全部やれ」

「馬も?」

「そうだな。やれ」


 六ツ目はおとなしい小動物のように騎士団に近づき、話しかける。


「あの、何かあったんですか?」

「マキ!!」

「あっ」


 難樫に話しかけられてしまったので、気まずそうな顔をしつつ、六ツ目は騎士団3人の首を掻き切る。


 本当に難樫は馬鹿だなあ……。無関係を装って不意打ちを仕掛けたのに、台無しにしやがって。六ツ目じゃなかったら反撃されていたぞ。


「マキ!! マキっ!!」

「叶ちゃん、落ち着いて……」

「もうダメかと思った! よかった、よかったよぉ……死んじゃうかと思ったぁ……」


 少ない語彙で、必死に思いの丈を述べる難樫。たった数秒でよくあれだけ泣けるものだ。


 ……それにしても。


「神の使徒とはいえ、こういう扱いはされるんだな」


 難樫はステータス画面を見せていた。しかし、騎士団は特別扱いをしなかった。あくまで大罪人として接し、その場でできる最大限の罰を加えた。


(くみ)し易い方を選ぶべきか……」

「戦争ちゃん! 生きてたぁ!」


 勝手なあだ名で呼びながら、縋りついてくる難樫。

 ぐずぐずの鼻水を垂らす、あまりにも哀れで、矮小な存在。

 それでも、あの憎たらしい神の加護があるならば……もしかすると、誰よりも利用価値のある女に化けるかもしれない。


 少なくとも、騎士団や教団よりも、こいつの方が信頼できるのは確かだ。見知っているというメリットは大きい。


「落ち着いたら、情報共有だ。この世界で何を見聞きしてきたのか。それと、スキルの話もしたい」


 とりあえず、アタシは旧友を手駒として再度加える。


 何もかも失ったと思っていたが、案外すぐに取り戻すことができた。この調子なら、昔のように面白おかしく生きることも不可能ではない。そう信じて。


 〜〜〜〜〜


「ふうん。やはり、人の血が一番らしい」


 軽く実験してみた結果、裏儀式は人の血液や体組織を使用した場合に、最も効率が良くなるとわかった。理由は知らん。


「神の使徒でも、裏儀式とやらを使える。なら、ますます教団に取り入るしかないな」

「やっぱりそうなる?」


 六ツ目は仕留めたばかりの竜の上で、退屈そうにあくびをしている。

 比較のために野生動物と魔物をいくらか狩ってもらったが、六ツ目は戦闘そのものには興味がないため、ずっと嫌そうにしていた。後で埋め合わせをしなくては。


 アタシは金策兼コレクションとして飛竜の鱗を剥ぎながら、荷物持ちの難樫に命じる。


「おい。さっきの奴に声かけてこい」

「襲われてた人ね。了解」


 よりにもよって飛竜に狙われた運のない男。実験はついでであり、今回用があるのはこいつだ。


 アタシはフードを被った旅姿の男に向けて、単刀直入に要件を告げる。


「お前、教団員だろう?」

「なんのことやら」

「神の使徒に話すことはない。そう思っているんだろう?」

「…………。」


 こいつは末端の構成員だ。故に、迷いが見える。帰属意識が今ひとつで、思想も染まりきっていない。おおかた、軽はずみな理由で手を出してしまっただけなのだろう。


 マカリ教団はペール国や騎士団と違って、一枚岩ではない。神の使徒でも、同盟くらい結べるはずだ。

 うまく立ち回れば、神の使徒を認める分派だって作れるだろう。その長として、我々が君臨することも……。


「安心したまえ。ちょっと興味があるだけだよ」


 アタシは六ツ目のスキルで生み出した糸を指に巻き、少しだけ血を流し、覚えた裏儀式を扱ってみせる。

 体内の魔力を制御し、変化させる。表皮の硬化と、傷の自然治癒促進。


「それは、俺の娘を治した力……!」


 男は唐突に聞いてもいない身の上話を始める。

 属性魔法で他人を治癒するのは難しい。しかし、裏儀式なら簡単にできる。故に、病気の娘を助けるために手を出してしまった。よくある話だ。


 彼に魔法を教えた存在も、芋蔓式に引き出してやろう。そう目論見つつ、アタシは笑顔を作る。


「神の使徒だって、教団の味方になれる。我々が前例になってやろう」


 恩を売り、強さを見せつけ、親しげに近づく。こうすれば、どの世界でも人は骨抜きだ。


 〜〜〜〜〜


 3年ほど経った。

 地道に貢献してきた甲斐があり、教団からのお墨付きを得て、地方で活動する許可を手に入れた。

 これから裏儀式を広めていけば、そいつらは全員アタシらの手勢だ。久しぶりの組織運営に、胸が高鳴る。


 そういうわけで。

 アタシはエンマギアという都市の地下に作った寝ぐらで、六ツ目や難樫とパーティをしている。


「拠点完成、おめ!」


 難樫が持ち込んだビスケットの山の前に、アタシはソースやジャムを並べていく。

 パサパサした味気ない麦の味だからこそ、料理人の添え物が輝くのだ。愚民の価値観を塗り替えて統率するアタシに相応しい。


 まずは一口。淡白なハムと新鮮な玉ねぎを薄くスライスして、上品に乗せて、サクッと。


「……うん」


 50点。アタシが作った部分は70点だが、ビスケットが想定より粉っぽい。

 だが、0点のものばかり食べていた頃を思い返せば、これだって宝物だ。


「ようやくここまで来れた」

「戦争ちゃんが笑ってくれるなら、あーし、なんだってやるよ」


 落ち窪んだ目をギラギラと光らせて、難樫は笑う。

 肉付きは戻ってきたものの、代わりに狂気が芽生えつつあるように見える。アタシへの忠誠心が高まっており、命令であれば死さえも受け入れそうな気配を感じる。


 手駒が従順になる分には良いはずなんだが、なんだろう、この胸騒ぎは。まさかアタシは、変質した難樫を乗りこなせる自信がないのか?


「(そんなはずない。アタシは強い。現にこうして、文明に満ちた生活を取り戻したんだ)」


 難樫の前に肉汁たっぷりのソースを差し出して勧めながら、六ツ目に話しかける。


「マキ。この世界に来てから、本当に世話になった。これからもよろしく」

「えへへ……。味差ちゃんは、こんな私に優しくしてくれるから、ずっとずっと、仲良しでいたい」


 六ツ目のために用意した、特製シチュー。多様な食材が溶けそうなほどとろとろに煮込まれており、赤黒さの中には旨みがたっぷりだ。


 六ツ目は嬉しそうに柔らかな肉を頬張り、悲鳴をあげる。


「んー!」

「美味しいかい?」


 わかりきっている。今のアタシができる全力で調理したんだから、美味いに決まっている。


 当然、六ツ目は激しく首を縦に振る。

 だろうな。六ツ目の好みを把握して、ちゃんと妊婦を狙ってきたさ。軽く拷問して、食生活が万全であることも、できてから何週目かも確かめた。文句なしの一品のはずだ。


「そういえば、人を殺してもレベルは上がるらしい」


 せっかく3人揃っているのだから、最近気がついたことを共有しておこう。そう思って、アタシは隣町のグリルボウルから仕入れたジャムを口に運びながら、雑談を始める。


「マキのそれを仕入れた時、レベルが上がった」

「まあ、私のレベルが高いのは、たくさん食べてるからだと思うし……。味差ちゃんなら、とっくに気づいてると思ってた」

「それだよ、マキ。そこが重要だ」


 六ツ目が大きな塊を口に運んだのを見計らって、アタシは推測を口にする。


「マキの異様な上がり方は、数々の殺しによるものじゃない。殺すだけでもレベルは上がるが、食うと効率よく上がるんだ」

「へー」


 六ツ目は興味なさそうにビスケットをシチューに入れてパクパクしているが、隣の難樫はしっかりと驚く。


「え? じゃあ、あーしも食わないとダメ!?」

「そこまでは要求しない。時間をかければ、どのみち上がるんだ。手っ取り早く強くなりたいなら、やっておいた方がいいが……」

「よかったぁ。あーしはそこまで強くなくていいし」


 だらりと上半身をテーブルに投げ、安堵する難樫。こいつはカニバリズムに理解があるが、自分でやろうとは思っていないからな。


 だが、アタシは違う。

 アタシはバケットを開け、小さなグラタン皿に乗ったシチューを取り出す。


「まさか、戦争ちゃん……」


 難樫は驚愕に目を見開き、六ツ目はまるで動じずに食べ続ける。


「肉はない。まだ慣れないから、煮込んだ汁だけだ」

「うーん。それじゃ、レベルアップは……」

「しない。だから、これは……覚悟の証だ」


 ここは新たな拠点を手に入れた祝いの席。そして、更なる躍進を目指して第一歩を踏み出す場でもある。


 アタシは熱い皿を素手で掴み、スプーンで中身を掻き込む。

 美味い。味見をしていないというのに、我ながら大した出来栄えだ。

 これからはちゃんと、味見できる。たとえ人だったものの成れの果てが入っていようとも。


「六ツ目。お前と同類だ」

「好きになった?」


 それはまだわからない。いや、金輪際無いと言い切れる。人は雑食であり、肉が臭い。それに、食用に品種改良されてきたわけでもない。他の家畜を差し置いて食うほどの魅力を感じられない。


「私は好きだから食べてるの。無理しなくていいよ」


 同好の士が増えても、六ツ目は喜ばないらしい。

 これはディスコミニケーションだ。六ツ目の性格を見誤ってしまったな。


 しかし、アタシの覚悟は揺らがない。たとえまずかろうと、人を食い物にして生きると決めた。便利で楽しい生活を取り戻すために。


「人を食えば強くなれるなら、アタシは食う」

「えっと……それじゃあ、美味しいお肉の見分け方とか、教えてあげようか……?」


 難樫も交えて、その道のベテランによる稀有な講座が開始される。

 穏やかな顔の六ツ目から飛び出す物騒な殺人術に、驚く難樫。難樫の正直な反応を見て、控えめに笑う六ツ目。これもまた、気の置けない友との団欒の形だろう。


 アタシは皿で焼けた指を裏儀式の応用で治し、久方ぶりにまったりとした時を過ごす。


 〜〜〜〜〜


 エンマギアの地下に拠点を置いたことで、属性魔法の知識も入ってくるようになった。

 ここは騎士団が強い街だが、同時に浮浪者や落伍者も多く、混沌としている。故に、落ちぶれた魔法使いを教団に引き入れることが容易だ。


 念願の魔法式冷蔵庫を手に入れて、アタシと六ツ目の食い道楽は加速していく。


「あのねあのね! 裏儀式を料理に使えば、もっといろんな食感を楽しめると思う!」


 日本にいた頃よりわくわくした様子の六ツ目。最近のこいつは、どうにも調子が良さそうだ。

 レベルもずいぶんと上がっている。最近手を出したカジノのおかげか、質の良い肉が入ってくるのだ。


 アタシは縛られた男のそばで調理を続けながら、六ツ目に答える。


「ちょうどいい。今、試しているところなんだ」

「ほんと!?」


 キラキラした笑顔の六ツ目。男とは対照的だ。


 この男は債務者。エンマギアの技術競争に負けてヤケになり、財産も家族も失った落伍者だ。

 どうせ都会の片隅で腐り果てる命。新鮮なうちに刈り取らせてもらったまでだ。感謝してほしいね。


 男は隈の深い目元に涙を貯めて、懇願している。


「許してくれ。借りた金は返す。ダメなことしたなら謝る。タダ働きしてやってもいい。だから命だけは、命だけは……」

「クズってのは、どうしてこうも上から目線なんだろうな」


 削いだばかりの指に裏儀式をかけて実験しながら、なんとなく思いついたことを喋る。


「自分の価値を高く見積りすぎている。人の命なんて大したもんじゃない。わざわざ助けるだけの労力に見合ったものにはならない」

「だったら! こんな拷問するのも労力ってもんじゃねえのか!? ええ!?」


 上辺だけの謝罪が早速剥がれ、男は喚き散らす。

 往生際が悪い。そうやって暴れ散らすだけのパワーを建設的なことに使わないから、こうして命を落とす羽目になっているんだろうが。


「今、骨を柔らかくして食べられるようにする実験をしているんだが……ああ、また失敗だ。次は左手を使おう」

「やめろ。やめてくれ。せめて痛いのはやめてくれ!」

「どの口で言ってるんだ、それ」


 六ツ目は気まずそうに棒立ちになっている。

 三桁に達する人間を殺してきたというのに、今更拷問を嫌がるたちでもあるまいに。


「マキ。解かれると面倒だから、君のスキルで拘束してくれないか?」

「いいけど……」


 六ツ目は『威糸』というスキルで糸を呼び出し、男の動きを完全に封じる。

 普段使いからワイヤートラップまで、なんでもできる便利なスキルだ。アタシのスキルと組み合わせれば、より強いシナジーを発揮する。


 アタシは採取した血液を飲んで、『契約』を発動させる。


「自分の指を、自分で折れ」

「ひっ」


 黙らせても良かったが、こっちの方が愉快だ。


 右手がない男のために特注の拷問器具を差し出すと、男はそれを口で咥えて、入り口に左手を突っ込む。


「ぎっ! ぎひーっ!」


 歯茎から血が出るほど食いしばりながら、覚悟を決める間もなく起動。風の属性魔法によりスムーズに指が切れ、裏儀式の応用で速やかに出血が止まる。


 うむ。我ながら見事な魔道具だ。やはり属性魔法と裏儀式は相性がいい。


 アタシは膝の上に落ちた魔道具を返してもらいながら、男の耳元で囁く。


「次は舌だ」


 男はようやく口を閉じる。歯の裏側でも舐めて、舌との別れを惜しんでいるのだろう。


 楽しい。いたぶるのは楽しい。昔からそうだったが、ここ最近は特に。


「クズにはクズの末路を与えてやらないとな。く、くくく」

「その理屈だと、私たちも……」


 六ツ目は何故か青ざめた様子で立ち尽くしている。

 悪魔でも見たような顔をして、どうしたのだろう。


 六ツ目は喉の奥に何かを飲み込んで、言い直す。


「味差ちゃん。私たちはどんな末路になると思う?」

「んん?」


 末路。考えたこともなかったな。先の予定を立てるのは得意だが、終わりまでは意識したことがない。


 アタシはあまり深く考えず、収穫したばかりの指を器に乗せる。


「きっと桃源郷でも築き上げているんじゃないか?」

「そうかな? 私は別に、クズの終わり方でもいいんだけどな……」


 六ツ目は寂しいそうに背を向けて、去っていく。

 来たばかりだというのに、どうしたんだろう。用事でも思い出したか?


 少し気になるところはあるけど、アタシは実験で忙しいから、追わないことにする。


「六ツ目。明日は何が食べたい?」

「その人はダメ。美味しくなさそうだし、ヒゲの処理が面倒くさそう」

「了解」


 結局のところ、いつも通りに別れてしまった。

 六ツ目への違和感を解消しないままに。


 〜〜〜〜〜


 更に数年。

 教団はどんどん大きくなり、今やエンマギアの騎士団の目から隠しきれないほど大きくなった。仕方ないので、一部は港町やグリルボウルに送り込んで、それぞれに仕事を任せることにする。

 隠れ潜む身として、大所帯は邪魔なだけだ。優秀だとしても、目立ちすぎる人材は切っていかなければ。


「クソっ……! あの山が邪魔だ……!」


 近くにある、魔導書を授かる儀式をする山。人生をかけるほど熱心な信者の中には、あそこを目の敵にしている奴が多い。

 彼らの意気込みを無視していると、徐々に不満が溜まっていくだろう。不満が溜まれば、離反される。離反されれば、待っているのはアタシを潰すための密告。

 しかし、ガス抜きのために山を襲えば、裏儀式の存在がバレる。調査されれば、拠点なんてあっさりバレてしまう。バレれば捨てなければならない。人が多く、研究に有利なこの地を。


「邪魔だ。邪魔だ邪魔だ邪魔だ! どいつもこいつも煩わしい……! アタシの言う通りに動いてればいいんだよクソ共が!」


 組織運営には自信があった。しかし、今回フロントにした裏儀式の教団は、アタシらを覆い隠すには黒く、主張が激しすぎた。

 ちらほらと影に生きてきた馬鹿どもが、頭を得た瞬間にこれだ。このままでは、奴らのワガママで組織が滅ぶ。


「いっそのこと、全員『契約』で縛ってやろうか。命を握れば、少しは使いやすくなる……!」


 研究を進めた結果、アタシの契約は裏儀式を日常的に使用する者への効果が極めて大きいことがわかっている。神が仕込んだマスクデータだろう。神を認めない裏儀式を絶対に潰す、という敵意が見て取れる。

 だが、アタシは裏儀式とスキルを混ぜ合わせて使う。血を変化させ、魔力を取り出し、肉体にも影響を及ぼす裏儀式。血を飲むと魔力的な繋がりが生まれて相手を契約で縛れる『契約』スキル。この2つは非常に相性がいい。

 今ならカニバリズムのおかげでステータスが上がっている。配下の全て……更には債務者の全てを操ることも、苦もなくできそうだ。


 自分勝手に動く部下なんか、もういらない。


「く、くひひ。ひひっ。そうと決まれば……」

「味差ちゃん」


 地下の実験室に六ツ目がやってくる。

 血の臭いがする。また誰かを殺して来たのだろう。


「会って早々説教で悪いが、最近は物騒だから、任務以外で人を殺すのはやめておけ」

「そ、そう?」


 六ツ目は困惑している。

 能天気な奴め。お前が自分勝手な殺しをすればするほど、アタシの首が締まっていくんだよ。アタシの邪魔をするなと言ってるんだ。昔はもっと察しが良かっただろうに。


 アタシは仲間に怒りの感情を向けないよう、背中を向けて実験に戻る。


「で、何の用だ?」

「えっと、近くに辻斬りが来てるみたいで……。殺した方がいいのかなって」

「ああ。……その話もしておくか」


 辻斬り。そいつの噂は、信者を通してある程度届いている。仮面で顔を隠した男性らしい。神出鬼没で、ふらりと現れては消えていくそうだ。


 何年も前からこの辺りに網を張っているアタシでさえ捕捉できないのだから、間違いなくスキルで隠密してやがるな。クラスメイトの誰かだろう。


 ……おそらく、かなりの脅威となりうる人物だ。積極的に人を狙っているということは、人間を殺すのがレベルアップの近道だと知っているということ。そして、強さを得るために貪欲だということ。

 このまま街から離れないようなら、対処する必要があるだろう。最優先事項として。


「辻斬りの被害はどれくらいだ?」

「えっと、私が殺したのも辻斬りのせいにされてて、合わせると今月だけで……10人、くらいかな……」

「ふうん。罪を押し付けるにはちょうどいい相手か」


 六ツ目と辻斬りが遭遇したら、どちらが勝つだろう。

 考えるまでもない。六ツ目が勝つ。レベル40に達し、これより先には上がらないことを証明した彼女が勝つ。ステータスにあぐらをかいた愚者ではなく、天性の才能を持ち、今なお研鑽を欠かさない強者なのだから、負ける道理がない。


「六ツ目。辻斬りを探れ」

「やだなあ……美味しくなさそうだし」


 ……こいつ、嫌だと言ったか? 

 六ツ目は昔から戦うのが嫌いだった。だが今が教団の危機だということくらい、わかっているはずだろう? 食べたいかそうでないかを考慮するまでもなく、排除するべきだ。


 まさかこいつ、アタシに意見をする気なのか?


「やりたくない、か。他の奴がやるべきだと?」

「うーん。どうだろう。剣が掠った跡を裏通りで見つけたけど……あれはちょっと、私以外じゃ無理そうだよ?」

「なら、なんで行かないんだ。お前が斬れば済む話だろうが」

「……通り過ぎるのを待つのじゃ、だめ?」


 六ツ目曰く、ここで起きた殺しの全てを辻斬りに押し付けて、騎士団の目を誤魔化せる。辻斬りは主に騎士団を狙っているため、都合がいい。やり合うのは得策ではない……とのことだ。


 一理あるが、まだ足りない。辻斬りを放置した場合に想定されるイレギュラーの数々を考えると、とても釣り合わない。


「教団員もやられている。放置するのは危険だ」

「それはそう……。でもあの人たちは自爆してくれるから、私たちに繋がるものは残ってないよ」

「各地に分派を作ったばかりだから、今本部から人が減ると問題なんだ。機能不全を起こしちまう」


 トラブル続きでイライラしているためか、口調が荒くなってしまう。

 こうならないように気をつけているんだがなあ。まずい肉を食いすぎたせいか、ブレーキが弱くなっている。


「クソっ。アタシが作戦を練って、マキはアタシの下で動くのがいつもの流れだろうが。どうして崩そうとしやがる」

「だって、今の味差ちゃん、なんだか変だし……」


 アタシは背筋に何か冷たいものを感じ、振り向く。

 殺気、ではない。しかし、とてもよく似た感覚。


 軽蔑? 失望?

 確定はしていない。だが怖い。もし六ツ目から敵意を向けられているとしたら、アタシでは……。


「味差ちゃんのこと、大好きだよ。でも、最近はちょっと、乱暴というか……いらない拷問したり、なんだか悪趣味だよ……」


 悪趣味?

 お前がそれを言うのか。人を食ったその口で。


 イライラが増していく。人を食って得た血が、煮えたぎる。

 ムカつく。ムカつく。六ツ目が。能天気そうな顔で指を口元にあてている六ツ目が。幼児性のままに人を殺し、強いせいで逃げ切り、アタシの庇護下にあるから隠れ続けられる、バカな六ツ目が。


「昔の味差ちゃんは、もっとスマートなカリスマだったのに……」

「今はそうじゃない、と?」

「うん」


 ああ。そうか。こいつは昔の惰性で付き合ってくれているだけなんだ。共に教団の運営を手伝ってくれる気はないんだ。

 今のアタシと方針が食い違えば、その武器を……その武力を……アタシに向けてくる存在なんだ。


 殺される。敵対したら、殺される。勝ち目はない。


 死にたくない。

 死にたくない。


「(やるなら、今しかない)」


 気がつけば、アタシは笑みを浮かべていた。

 染みついた作り笑顔だ。攻撃のための表情だ。弱者を貪るための武器だ。唯一、六ツ目に勝るもの。


「そうか。そうかそうか。それなら、仕方ないな」


 アタシは六ツ目にハグをする。

 もっと幼かった頃は、よくこうやっていたな。元気いっぱいな朝。風が強い昼下がり。悲しいことがあった夕方。雷が降る夜。


 大好きだ、六ツ目。

 だから、殺さないでおいてやる。


「わかった。お前を辻斬りにぶつけるのは、やめておこう。アタシはマキが大事だからな」

「えへへ。……で、でも、がんばれって言われたら、ちょっとはがんばるよ?」


 敵意に敏感な六ツ目は、何かを感じ取ったらしい。

 誤魔化すために、アタシは六ツ目と唇を触れ合わせる。


「ふむぃ!?」


 六ツ目は目を見開いて驚きつつも、口の中まで舌を受け入れていく。


「ん……」


 普段から人を食っている女だというのに、唾液はずいぶんと淡白な味がする。まるで温室育ちの野菜だ。肉肉しさなんか、かけらもない。


「あ……味差ちゃん、そういう人だったんだ……。私別に、そういう趣味じゃないんだけど……あっ、趣味って言ったのは、味差ちゃんのこれが本気に見えないとかそういうのじゃなくて……」

「今から寝室に行こう」

「えっ。えっ、えっ? ご、ごぅご、強引だね……」

「嫌か?」


 六ツ目はカッと顔を赤く染め、幾度となく血を吸ってきた武器を仕舞う。


 よし。今ならまだ、六ツ目を動かせる。彼女の中に、アタシへの信頼と好意が残っている今のうちに……。


 〜〜〜〜〜


 どうしてこうなった。

 信じられなかったからだ。

 どうして信じられなかった?

 わからない。


 どうして。どうして、大切な仲間を……。


「ああ……」


 やってしまった後で、激しい後悔が襲ってくる。

 思慮が足りていない馬鹿の行動だ。そう、今のアタシは馬鹿そのものだ。


 ベッドの上で、蜘蛛の魔物と化した六ツ目が気を失っている。

 人間だった頃の上半身を残し、後はすっかり別物に変わり果ててしまった。知能も落ちて、アタシのスキルで補助しないと、ろくに動けない。


 もう、あの頃の六ツ目は戻ってこない。のんびりした性格で、笑うと温もりが感じられて、手放しで信頼できる彼女は、もういない。人だった頃のあいつの名残は、アタシの口に残る味と、指先の湿り気だけだ。


「もう後戻りできない」


 アタシは人を介して、難樫に指令を出す。

 辻斬りを監視せよ。可能なら、排除せよ。


 ——帰ってきた返事には、こうあった。

 辻斬りは隣町に行ったらしい。


 徒労感が、アタシの肩に重くのしかかる。


 〜〜〜〜〜


 全てを失ったアタシは、抜け殻のようになった。

 熱を持った抜け殻。不甲斐なさと、喪失感と、それでもまだ苛立ちを抑えられない心臓が、ここに残っている。


 難樫は死んだ。隣町で、神の使徒に負けた。

 六ツ目の現状を知られないようにするために、隣町に派遣したわけだが……今生の別れになるとまでは思わなかった。

 思えば、辻斬りを倒した連中なんだから、難樫を倒す可能性も十分にあった。


「あーーーー…………あ゛あ゛あーーーー…………」


 アタシはツノの生えた頭を掻きむしる。


 悪魔。悪魔の体。裏儀式と属性魔法の研究の末に生み出した、魔物を超えた体。


 この世界に来て、得たものはある。間違いなく、昔のアタシより強くなっている。腕っぷしも、鋭敏な感覚もある。人を操るスキルだってある。

 だというのに、どうしてこうも虚しいのか。


「あぁーーーー。あーああーーー」


 わかっている。アタシはそんなもの、いらなかったからだ。

 腕っぷしの強さは六ツ目が持っていた。人を惹きつける魅力は難樫が持っていた。それでよかった。満足していたんだ。


 だというのに、恐れてしまった。自分の一部になっていたものを、手放してしまった。

 自分で自分を、破滅に追い込んだんだ。


「あー、あ゛、あ゛、あ゛!!」


 頭を振る。壁を引っ掻く。よろめきながら耳を塞ぐ。

 叫びたい。心の中の吹き溜まりを、口から全て放出したい。

 それさえできない。無駄に賢しいから。


「クソがっ!!」


 頭をぶつける。髪を引っ掻く。流れ出た血は、魔物のそれ。

 魔物はいい。強く、たくましい。だから魔物になろうと思った。なろうと思ってしまった。一人でできることなんか、限られているのに。


「六ツ目ぇ……難樫ぃ……」


 地面に額をこすりつけながら、かつて仲間だった者たちの名を呼ぶ。

 敵だと思ってしまった。信じきれなかった。突き放してしまった。そのせいで、今のアタシにはもう、本当に敵しかいない。


 誰かいないのか。誰もいない。

 孤独。自業自得の末路。自分勝手に生きてきた罪の精算が、訪れようとしている。


「死にたくねえ……死にたくねえよぉ……」


 ぐちゃぐちゃになる。頭の中が。

 それでいい。人らしい思考を捨て去ってしまえば、どんなに楽になるか。


 ——シュトラウスの《変容》が響く。

味差が理性を失い、狂っていくまでの物語でした。

末路は本編の通り。口調も性格も荒くなり、大暴れの末に死んでいきました。あの戦いで六ツ目の腕を自身に接続していましたが、どういう想いがあったのでしょうね。申し訳なさ、あるいは彼女とひとつになりたいという歪んだ憧れや慕情もあったかもしれません。


六ツ目もなかなかの末路ですね。たまたま強かったから捕まらずに生きることができていた。でも強すぎたせいで仲間に警戒され、純情さえ弄ばれて裏切られた。カスの最期としては、こんなものでしょう。

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