〜スピニング水空〜
俺は町に繰り出し、この世界における世間一般の様子を勉強している。
願者丸の言いつけ通りに、石ころを服の内側に詰め込み、走り込みをしながら。
「犯人、黒髪だったらしいぜ」
通りすがりの町人から、噂話が聞こえてくる。
「警吏から聞いた話だとよ……2人とも黒かったんだとさ」
「そりゃ異世界人で決まりだねえ。あぶねえなあ」
「この辺にもいたはずだ。確か、そう、あそこで走ってるあいつみたいな……」
俺は不審者として扱われながらも、無視して走り抜ける。
話しかけてもいいが、俺は会話が上手くない。
「(狂咲がいれば……)」
口が上手い彼女なら、悪評も覆せるのだろう。
俺に今できることは、鍛錬と……神のお告げを受け取るための努力だけだ。
〜〜〜〜〜
数日経った。
俺は結局、幼女神と会えていない。
体を限界まで疲れさせる日々が続いているものの、望んだ夢を見ることは不可能なようだ。
ステータスも伸びていない。鍛錬では伸びないことがわかった。
それでも、鍛錬は習慣として続けていこう。自分とクラスメイトを殺さないために。
「おつかれー」
ランニングから帰ると、水空が出迎えてくれる。
クラスメイトを捜索していない間、彼女は町の探索やヘリの整備をしている。
今日は町を通る上下水道の中を覗いているようだ。魔法の応用による設備が整えられているらしい。
「地下を見るのは面倒くさいね。あくまで『鳥籠』だからかな?」
「そうか」
彼女に見える範囲は、空と地上が主らしい。
屋内や地下は無理矢理覗き込むような格好になるため、やや苦手だそうだ。
「うっげえ……ゴキちゃんがいる。積田くんってゴキ平気な人?」
「得意ではないな。見つけたら退治する」
「ウチも。ちなみに、キョウちゃんは笑顔でスリッパ叩きつけるタイプ」
意外だ。悲鳴を上げて逃げ出すかと思っていた。
……よく考えてみれば、そんな性格ならレベル11にはならないはずだ。納得はできる。
俺は水空から受け取ったタオルで汗を拭い、着替えをするために上の階に向かう。
「ああ、積田くん」
工藤は相変わらず机に向かっている。今日は世界史のようだ。
俺は彼女の邪魔にならないよう、回り道をして自分の荷物に向かう。
「ちょうどいいところに。飯田くんからお土産があるんです。私は食べないので、あげます」
彼女は机から遠ざけるように置かれているフライドポテトらしき物体を指差す。
飯田の入れ知恵で、食堂のおばちゃんが作ったのだろう。確かにあれを手に取っては、紙に染みがつく。
俺は細長いものをひとつ摘んで、呻く。
「まずい」
「そんなに?」
工藤は興味を惹かれたようだ。
少し悩んだ末、手を後ろに回し、こちらにやってきて口を開ける。
「あーん」
「……仕方ない」
俺は雛鳥の世話をする親のように、工藤の口の中にじゃがいもを放り込む。
工藤は何度か咀嚼した後、虚ろな目つきでしきりに頷く。
「油が古いですね。美味しくないのに、舌にべったり残って気持ち悪い。お芋も妙に柔らかくて、ティッシュを噛んでいるかのような食感です」
「具体的で生々しい感想だな……。俺もそう思う」
「同じ意見で安心しました。これはお店で出しても売れませんね……」
まずさを分析しつつ、工藤は席に戻る。
「飯田くんがあんな顔をして持ってきた意味がわかりましたよ。残飯処理を押しつけたかったんですね」
「残飯……。まあ、そうだな」
芽が出たじゃがいもと、鍋に残った油で作ったのだろう。ほぼ残飯だ。
顔をしかめる俺の横で、工藤はくすりと笑う。
「同じ部屋で寝泊まりして、面白いことをして。なんだか合宿みたいですね」
確かに、部活動の合宿に近い雰囲気なのだろう。工藤は演劇部に所属していたはずだ。似たような経験があるのかもしれない。
日本に帰りたい彼女なりに、価値観と世界観の妥協点を見つけて、この世界に溶け込もうとしているのかもしれない。
俺はそう考えて、彼女と共に笑うことにする。
「あ、そうだ。飯田くんといえば、最近制服を複製したみたいですよ」
「やっとか」
俺は部屋の隅にある物置に飛びつく。
そこには、ずらりと並んだ制服が。サイズも飯田から願者丸まで、勢揃い。
寝ている間に、余った使用回数でやってくれたのだろう。感謝してもし足りない。
……俺もスキルの使用回数を増やす手段を見つけたいものだ。
「制服は最強の服だ」
「ふふ。私もそう思います」
俺たちは、また笑い合う。
彼女とも気心が知れてきた。寝食を共にして仲を深め合うとは、彼女の言う通り、まさに合宿のようだ。
俺はこの世界のスポーツウェアもどきから、制服に着替えることにする。
〜〜〜〜〜
飯田が夜なべして作った、男女兼用の狭い更衣室に入る。
更衣室という肩書きではあるが、外見も実態も服屋の試着室そのものだ。
「この宿もずいぶん充実してきたな……」
俺は手作り感溢れる木製ハンガーを使用しながら、快適な暮らしを求める皆の努力に感激する。
ただ生きているだけで、周囲から恩を受け続けている。規模が違うだけで、実際には日本でも同じことなのだが、それでも実感が伴うのは重要なことだ。
俺は新品の制服を着て、外に出る。
「積田くん積田くん」
いつのまにか、狂咲と水空が外で待っていた。
何か用事があるようだ。今のところ暇を持て余している俺としては、絶対に断れない。
「何かあったのか?」
「実は、あの銭湯が困ってるみたいで……」
いつも通っている、あそこか。狂咲が混浴を仕掛けてきたこともある。
俺は気まずいので狂咲から目を逸らし、隣の水空に尋ねる。
「営業できないほどか?」
「排水溝がダメになったらしいの」
狂咲が無理やり俺の頭を掴み、目線を向けさせる。
「ちょうどいいから、みっちゃんに付近の水道を見てもらおうと思って」
「そうか。いってらっしゃい」
「積田くんも来なきゃダメ!」
頭にかけられた両手に力が入る。
痛い。ステータスの加護によるものか。痛い。頭蓋骨を砕かれてしまうかもしれない。痛い。やめてほしい。痛い。
俺は狂咲に正当な理由を問う。
「俺が行って、何をするんだ」
「それは……えっと」
「魔法だよ」
隣にいる水空が、わざとらしい笑みを見せる。
「あそこは魔法でお湯を出してるから、魔法の勉強に最適。理由はこれでいいね?」
「そう、それ!」
狂咲が便乗し、片手を離して拳を振り上げる。
俺はその隙を突いて抜け出し、叫ぶ。
「嫌だ。狂咲は絶対に……」
「積田くん」
「つーみだくーん」
狂咲が正面から、水空が背後から襲いかかる。
ステータス画面を開き、挟み撃ちにする陣形だ。
……この2人のコンビネーションは強力だ。俺では争う術がない。
俺は怪我をする前に降伏し、捕虜となった。
〜〜〜〜〜
銭湯の番人である子供が、俺たちを出迎える。
「いらっしゃーい」
家族経営のこの銭湯における、看板娘。彼女に対して料金を誤魔化すような不届き者はいない。
そして彼女もまた、計算ミスのような初歩的な失敗はしない。賢い子だ。
狂咲は先に店の奥に行き、彼女の両親たちと会話している。町の水道を管理している人々も、工事のために来ているらしい。面倒くさそうな顔で図面と睨めっこしている。
「他の民家に影響がないなら、ここがズレたんじゃないか?」
「いや、断定はできないな。ここからここまでの何処かに……」
「絶対漏れてるだろうな……。魔力足りるのか? やってらんねえ……」
そんな彼らに向けて、水空は胸を張る。
「ウチのスキルがあれば、暗い中でも丸見えですぜ」
「ああ、噂の異世界人。……なるほど。頼った方が早く済みそうだ」
「水漏れの箇所だけでも頼む。中は暗い。照明にも魔力が要るが、今は温存したいんだ」
彼らに許可を得てから、水空は素足になって風呂場へ。
ついでに、俺も掃除のためという名目で風呂場へ。
「これ、魔道具ってヤツ。ごらん」
水空が排水溝の蓋を指差す。
銀色の金属製だ。日本で散々見たものと似ている。しかし、雰囲気が違う。わざとらしい輝きをまとい、不自然に周りから浮いている。コラージュされた画像を見た時の印象に近いかもしれない。
「水を吸い込む機能があるらしいよ」
「この質感……願者丸の盗聴石に似ているな」
「似たもの同士だね。あれって、魔道具を参考にして作ったのかも」
願者丸の器用さの秘密か。彼のスキルは盗聴のみならず、異様に汎用性が高く、おかしいと思っていたところだ。
魔道具とやらに興味が湧いてきた。俺の呪いも、もっと使いやすくなるなら……。
「もっとみんなの役に立てる」
「お」
思わず口に出てしまった俺の決意を、水空は聞き逃さない。
「積田くんは殊勝だねえ」
「からかうなよ」
「褒めてるんだよ。素直に受け取りたまえ」
水空は目を細め、明らかに俺をからかっている。
彼女の性格は未だに掴めない。何がしたいのか、よくわからない。
俺は排水溝の蓋を取って眺め、水空はその奥を覗き込む。
「ふーむ……。案の定、汚い」
「だろうな」
「変な臭いがする。覗きたくねー。洗剤取ってきて」
「はいはい」
俺は雑用として働くことになる。
受付の子供から、洗剤と掃除用具の場所を教えてもらう。
俺は質の悪い洗剤と素朴な掃除用具を手に、ぬめりのある何かを取り除き、回数式のシャワーから水を出して洗い流す。
その間に、水空は土下座のような体勢になって周辺の水道を確認する。
「通り道はちゃんとしてるね」
「奥の方は町が管理してるんだよな?」
「らしいねー」
水空は特に詳しくないらしい。
まあ、水空は中を見るだけで、工事そのものは専門家任せだ。詳しくなる必要性がない。
俺は手持ち無沙汰になり、水空に提案する。
「ここにいても、魔法の情報は得られない。狂咲の方に行きたい」
「了解。ウチはここからスキルで覗いてみる」
水空は既に集中している。俺のことが目に入っていないようだ。
俺は濡れた床に注意しつつ、外に向かう。
「おきゃくさーん! シャワー使ってるー? あれって回数あるからー!」
「おっと!?」
俺は小走りで来た受付の子供と激突しそうになり、一歩後方に退く。
「あっ」
足を滑らせる。
子供に怪我はなさそうだが、このままでは俺が怪我をしてしまう。
俺は尻餅をつき、洗剤と水で濡れた床で後方につるりと倒れ込む。
受身を取ろうと、後方に手を伸ばす。
「おぶっ」
土下座姿勢の水空に衝突する。
「て、敵襲!?」
焦った水空は体勢を立て直そうとして、俺と同様につるつると滑って倒れる。
咄嗟に俺の体を掴もうとして、俺もまた転倒する。
「掴むなよ!?」
「立たないでよ!?」
2人揃って駒のように回り続ける。
尻を軸にして、ぐーるぐる。マヌケである。
「お……」
「おおお……」
回転が止まったところで、俺と水空は、お互いに顔を見合わせる。
「積田くーん。真顔で回ってんじゃないよー。シュールすぎてギャグみたいだぜ」
「笑った方がいいか?」
「うむ。……ここだけの話、キミには笑顔がよく似合うと思うよ」
水空は快活に笑い、這って排水溝に向かう。
服が濡れてしまっている。特に尻が透けそうだ。
「(見てはいけない)」
俺は咄嗟に振り向き、目を逸らす。
見られたことに気づいたのかわからないが、水空はニヤけながら、またからかってくる。
「キョウちゃんのとこ、行っといで」
「ここは頼んだ」
おろおろしながら身を案じる受付に案内され、狂咲のところに向かう。
……誰かと銭湯に行くと気まずくなるジンクスが、俺の中に生まれつつある。やはり風呂は一人に限る。
工藤さんは2メートルの超長身。演劇部では存在感が浮きすぎるため、合う役が無いこともあったそうな。
1番のハマり役は、ジャンヌダルク。普段の静かな彼女からは想像もつかない声量で、圧倒的な演技を披露したとか。