師匠たちは後方から見守る
——学校の教室で、ある女教師はチョークを振る。
グリルボウルの町は、エンマギアと共に発展している。
グリルボウルが農業を、エンマギアが工業を担当し、互いに足りない部分を支え合っている。
太古の昔、豊かな土地に住み着いた原始人たちが、グリルボウルの町を興した。肥えた土地に安定した気候。この国でも屈指の暮らしやすい町になった。
町ができて500年ほど経った頃、魔法が伝来する。現在に伝わる属性魔法だ。
土や水の魔法は、農業を営むうえで極めて有効だ。もちろん夜に活動できるようになる火や、雲を飛ばすことができる風も。
しかしながら、当時はノウハウがなく、安全な設備や魔導書もなかった。村の中で魔法を練習すれば、たちまち魔法の嵐となり、村が荒れ果ててしまう。
故に、魔法の練習場として森が切り開かれた。これが後のエンマギアである。
現在はエンマギアの方が他の町に近く、交通網が発達しているため、グリルボウルの方が子分のような立場だ。しかし、劣等感を覚える必要はない。グリルボウルの美食文化は、この国でも屈指のもの。どんな人間も必ず必要になる三度の飯で、誇りを抱けば良いのだ。
「でもさ、先生」
生徒の一人が、読み込まれた痕跡のある教科書を伏せたまま、疑問を口にする。
「先生たちは、王都に行ったんだろ?」
「ええ。若い頃に」
「王都はもっとすげーんだろ? 俺も王都に行きたい」
まだ幼さの残る男子生徒は、少年らしい夢を語る。
「こんな田舎じゃなくて、いろんなものがある王都で、でっかく活躍してみてえんだ! そうすれば、俺だって……」
「それは良い夢ですね。しかし、焦ってはいけませんよ。それはこれから先、知識や魔法を身につけていく中で決めていくものです」
女教師は眼鏡をクイっと持ち上げて、微笑む。
そして、王都を志す少年だけではなく、周りにいる35人の子供たち全体に向けて、私見を述べる。
「『英雄』や『神の使徒』と呼ばれようとも、結局は一人の人間でしかありません。勉学に励み、友を作り、恋に悩み、子を育てる。その適度の存在なんです」
「その程度って……。先生だって、昔はすごかったんでしょ?」
「まあ、今でも英雄と呼ばれていますが……皆さんなら、負けないくらい素晴らしい大人になれますよ。あなたにだって、期待しているんです」
女教師は長身を活かした凛とした立ち振る舞いで、教室の空気を支配する。演劇で培った声や身振りによるものだろうか。それとも、英雄としての振る舞いを続けるうちに染みついたものだろうか。
どちらにせよ、今の彼女は、この教室の頂点だ。
「皆さん。これからも学校生活は何年も続きます。なりたい自分を見つけて、夢を持ち、そのための努力を続けましょう。そうすればきっと、最高の人生が待っています」
「はーい」
少年を含め、ほぼ全ての生徒が明るい返事をする。
グリルボウルに生まれた、新しい命たち。これからの未来を担う者たち。
彼らが安泰であるのなら、英雄もまた、時代に役割を渡せるというものだ。
〜〜〜〜〜
ある託児場で、朗らかな雰囲気の女性が幼児の面倒を見ている。
共働きで子供の面倒を見られない親。病気などで伴侶を失い、生活に余裕がなくなった親。そんな彼らから子供を預かり、同世代の子供と共に遊ばせる事業をしているのだ。
女性はあぐらをかいたまま、幼児たちの服を洗濯している。
「さあさあチビたち。お昼寝タイムですよー」
午前は遊び、昼食をとり、昼寝の時間。午後は親が来るまでまた遊び、夜は閉園。
託児場の園長をしている彼女は、有り余る体力で精力的に働き、子供たちの幸福を守り続けている。
「ふう。かわいいなあ」
女性は幼い寝顔を見つめながら、頬を緩ませる。
しかしながら、仕事の手は止まらない。全員分の食器を片付け、水魔法で洗うのだ。
彼女はステータス画面と呼ばれる『神の掟』を取り出し、物置台の代わりにして、効率的に掃除を片付けていく。
「ふんふふーん、ふんふふーん」
利用者たちから慕われる、優しい保母。その腹部は赤子がいる証として、ほのかに膨らんでいる。
もう6人目だが、彼女にとってはまだまだ足りないらしい。自分のためなのか、それとも愛を語り合う友のためなのか。
「あ、これ矢羽ちゃんのデザインだ。へへへ」
子供の一人が持参したバッグを見て、彼女は相好を崩す。
無二の友への高評価を、自分のことのように喜べる。そんな情に厚い感性を、彼女は持っているのだ。
〜〜〜〜〜
グリルボウルにおいては、普通学校を卒業すると、そのまま魔法学校に進学する子供が多い。
魔法学校の主任教師は、山葵山という穏やかな女性だ。授業準備や安全確保などを行う主任補佐として、願者丸という小柄な女性が側にいる。
2人とも、子供たちに人気のある教師だ。一見ぶっきらぼうに見える願者丸の方は、苦手な子供が多いようだが……内側に秘める優しさに触れた者は、誰もが懐いて敬愛している。
授業風景を覗いてみよう。
場所は魔道具で作られた練習場。属性魔法の基礎を実践する授業のようだ。
「『水の指……あっ」
少女の一人が魔力を纏めるのに失敗し、周囲に水が飛び散る。
すると、練習場の隅で見守っていた願者丸教官が、自らの魔力で水を回収し、たちまちのうちに元通りにしてしまう。
「無事か?」
「は、はい……」
願者丸は立ち上がり、小柄な体格すべてを使って威圧感を放ちながら、女子生徒に歩み寄る。
失敗した女子生徒は、願者丸に苦手意識を抱いていた者だ。これから願者丸に怒られるのだろうと思い、震えている。
しかし、そうはならなかった。願者丸は腰が抜けた女子生徒を立たせて、そっと声をかける。
「怪我はないか?」
「え、あ、ありまさ、ません」
「無理するなよ」
願者丸は去り際にクールな笑みを見せ、さっと定位置に戻っていく。
女子生徒はというと……元の練習に戻らず、願者丸の方を見つめている。
「願者丸せんせい……小さいのに、素敵……」
こうしてまた、一人の女性が願者丸の虜になった。
同僚の山葵山にとっては、厄介の種でしかない。これから頭痛に悩まされることになるのだろう。
〜〜〜〜〜
少し足を伸ばしてエンマギアに向かうと、近年になって急成長した都市群が出迎えてくれる。
かつてヒューマスキンという町で起きた悲劇の後、次なる学問の集積地として、このエンマギアが注目された。そのため、今や森や山が開拓され、王都以上の都市に変貌しているのだ。
そんな街の中で、異彩を放つ独特な店舗がひとつ。魔道具専門店の『ビックオリバー・リッツ』だ。主任魔道具技師が代替わりしたことで、店名もそれに合わせて変わったのである。
店主であるオリバーは、エンマギアの街でも評判の腕っこき。職人としても、政界に顔が広い大物としても、名が売れている。
そんな彼から店主の座を奪い、店を切り盛りしているのが……『リッツ』。
すなわち、積田立志郎である。
彼は一見無表情で掴みどころがないようだが、顧客や身近な人々を大切にする人柄で知られている。
そして何より、魔道具職人としての腕前の良さも、先進都市たるエンマギアのお墨付きだ。
彼は今、新しい魔道具を作っている。
神の使徒として授かった『呪い』の力を、自らの手で作り直し、人を守る力に鍛え直した。
『慈悲』。彼が開眼した、新しい力だ。
「……どうした?」
積田立志郎は、俺に声をかけてくる。
……ああ、もう。せっかく第三者の気分になっていたのに。
なんとなく気恥ずかしく思いながら、俺は尊敬する彼に向けて、素直に答える。
「父さんが昔言ってた、ビデオって奴を作ろうと思うんだ」
「動画投稿者になりたいのか?」
よくわからない概念が飛び出した。
日本という地で生まれたからか、積田立志郎……つまり俺の父さんの口からは、たまに意味のわからない言葉が漏れ出る。
俺は言葉の意味を聞くべきかどうか迷い、今は聞き流すことに決める。
「よくわからないけど、それじゃないよ。大したことじゃないんだ」
俺は肩に乗せた魔道具を担ぎ直す。
父さんが作った映写装置。映像の記録もできる、優れものだ。世界に数台しかない。
「俺はこれで……記録を残してたんだ」
「何の記録だ?」
何の、と言われても……特に理由もなく始めたので、うまく答えられない。
俺が言葉選びに迷っていると、父さんは仕事の手を止めて、不器用な表情をこちらに向ける。
「氷魚凛。お前は優しい子だ。だから、わかるよ。家族の記録が欲しかったんだろう?」
……そうかもしれない。
こんな凄い魔道具があるんだから、もっと使いたい。もっと使って、もっと残したい。今のみんなを。学校に通っている兄弟姉妹や、子供の面倒を見ている母さんたちの姿を。
父さんは強い手で俺の長く伸びた前髪を払い、目を合わせてくる。
「出来上がったら、見せてくれるか?」
「……うん」
それだけ言って、父さんは仕事に戻っていく。父さんにしか作れない魔道具を作り、みんなの役に立ち続けている。
そして、そんな偉い人なのに、俺に大切な魔道具を預けてくれている。俺なら正しく使えると、信じてくれているのだ。
「よし」
俺は来月、魔導書を授かる。魔法学校を卒業し、一人前になるのだ。
この記録は、そうなる前の……子供としての自分の視野を、残しておきたかったのかもしれない。
「みんなの今を、俺の今で、撮る……」
水空氷魚凛。あるいは、積田氷魚凛。
俺は『神の使徒』に負けない何かになれるように、願をかけながら……魔道具で記録を続ける。
〜〜〜〜〜
『神の使徒』は俺の父さんたちに付けられた異名だ。
天から見守っている大いなる神。その人に、力を授かったらしい。
大いなる、なんて大袈裟な言い方をしていたけど……たぶん大したことない人だと思う。俺たちの一番上にいる双子のお兄ちゃんとお姉ちゃんも、神様だって聞いたことがある。あの人たちも、なんというか抜けてるし。
俺は家に帰って、今いる家族たちを撮影する。
まずは高嶺姉ちゃんと天見兄ちゃん。
「おやおや。おねえちゃんをはりうっどすたーにしたいのかい?」
「お姉ちゃん。ハリウッドはこの世界にはないよ。あっちの世界を観測しすぎ」
愉快な姉弟だ。2人には勉強でとてもお世話になっている。
けれど、なんとなく奇妙な雰囲気が漂っていて、会話も微妙に噛み合わないことが多い。こういうところが『神』と呼ばれる理由になっているのだろうか。とにかく、不思議な人たちだ。
俺は双子を視野角から外し、次に同い年の妹に向ける。
「何?」
「なんとなく、撮影してる」
願者丸志月。母親は違うけど、俺の妹だ。
志月は細く長い足で床の上に胡座をかいて、刃物を磨いている。
日本刀、というらしい。天使寄という父さんの知り合いが、飯田という人に増やしてもらって、ここに届けにきたらしい。父親の世代の努力が、今の俺たちの力になっているわけだ。
志月は刀につけた油を丁寧に取り除きながら、こっちを見ずに答える。
「おにいちゃん、そういうの好きだよね」
「ああ、好きだ」
「オイラも刀が好き。お似合いだね」
母親から願者流を継ぎ、更なる高みへと導いていく。願者丸サスケが届かなかった剣の高みに、自分の手で到達する。そんな意気込みと共に、彼女は「オイラ」と自らを呼ぶ。
刀の整備をしばらく見守り、俺は2階へと向かう。




