〜忍者と大和撫子〜
俺は願者丸の付き添いで、共に激しいトレーニングをしている。
具体的には、ランニングだ。
「悪い脂肪を燃やし、良い汗を流せ。時代は筋肉だ。世界は筋肉だ。さあ、もっと走れ、積田よ!」
そんな標語を並べたてながら、願者丸は俺の背中をバシバシと叩く。
背負ってもらっている立場だというのに、なんという鬼教官だ。願者丸の押しの強さが、今は恐ろしい。
俺はこの世界のごわごわした服の内側に、尋常ではない量の汗が溜まっていくのを感じる。
「はあ、はあ……」
「いいぞ。いい呼吸だ。その調子で肺をでかくしろ。血管に酸素を送れ!」
願者丸はスパルタだ。しかし、ただ指示を出すだけではない。自分でもトレーニングは積んでいる……らしい。
……本当だろうか。彼の細い体では、今ひとつ説得力に欠ける。
河原まで来たところで、彼は俺の背から降りて、ストレッチを始める。
「今日は盗聴石の改良を行う。雨音を拾ってしまう問題を解決するため、川に来たのだ」
俺は無酸素運動による筋力のトレーニングをしながら、願者丸による石の試験に付き合う。
スクワット。プランク。願者丸を背中に乗せて、腕立て伏せ。
「ふむ。ふむふむ……。そうか」
詳しいことはわからないが、足音を検知する機能が悪さをしていることがわかったそうだ。
どうやって判断しているのだろう。願者丸にとっても、スキルは未知の分野のはずなのだが。
「振動だな。人が歩いた時の振動を検知させよう。おい積田。帰りも走るぞ」
俺に拒否権は無い。素直に頷くことにする。
「元からそのつもりだ」
「ふん。良い心構えだ」
願者丸は機嫌を良くしたようで、腕組みをしてニンマリと笑う。
——そんなことをしているうちに、もう昼前だ。
俺は運動後のタンパク質補給として、この世界特有の干し肉を食べつつ、願者丸と話し合う。
「ステータスはどうなっている?」
「オイラは変わらん。レベルが上がる気配がない。戦わないとダメだな。前線に出たい」
願者丸は何処からか持ってきた丸薬を飲み干しながら、俺に情報を催促する。
「積田はどうだ? 2人倒したなら、ずいぶん成長しただろう」
「合計2レベル上がった」
俺は現在のステータスを見せる。
積田立志郎 レベル4
【ステータス】 【スキル】
攻撃…7 呪い
魔力…16
防御…8
魔防…9
速度…9
願者丸は怪訝な顔になり、俺の顔とステータス画面を二度見する。
「高い」
「……そうだな。レベルの割に高い」
「ずるいぞ」
俺も薄々気が付きつつある。
レベルの割に初期ステータスが高く、レベルアップに伴う上昇も多い方だ。
幼女神の「加護が多い」という発言は、このことなのだろう。
俺は以前戦った篠原のステータスを思い出す。
篠原 創画 レベル21
【ステータス】 【スキル】
攻撃…11 億号
魔力…23 魔力変換
防御…8 黒魔法信仰
魔防…12
速度…14
俺と同じく、魔力偏重のステータスだが……俺のレベルが21になる頃には、全ての項目で大幅に追い抜いていることだろう。
篠原の努力を嘲笑うかのようで、あまり良い気分ではないが……神に貰ったものは活用させてもらおう。
「ずるい。ずるいぞ」
願者丸は再度恨み言を言い、俺の肩をどつく。
痛い。彼は非力だが、殴り慣れているようだ。的確に痛覚を刺激してくる。
「俺に言われても困る」
「だからムカつく。感情を持っていく場所がない。殴られろ。サンドバックになれ」
俺は願者丸のサンドバックを遂行しつつ、折角なので実地訓練を積むことにする。
要するに、殴り合いだ。
「大人しく殴られてやる道理はない」
「いいだろう、弟子よ。抵抗してみるがいい」
願者丸は鬼教官らしい威圧的な様子で距離を詰めてくる。
鋭いステップだ。ほとんど足が浮いていない。武道を嗜んだ者の気配がする。
俺は一歩下がって願者丸の拳を避け、掴みかかる。
体重差があるため、押して攻めれば勝てるはずだ。
「それは隙だぞ」
願者丸は小柄な体躯を活かして俺の腕をすり抜け、密着してくる。
「こうだ」
願者丸は俺の肩に手のひらを撫でつけてくる。
……いや、違う。単に撫でつけたのではない。関節を外したのだ。
「ぐがっ!? 痛い!」
肩が熱い。腕が上がらない。もはや殴ることなどできやしない。
願者丸……なんて奴だ。俺が知るクラスメイトの中でも、特別危険なオーラを感じる。
「無理に動くな。戻せなくなる」
願者丸は再度俺の肩に触れ、脱臼した肩をはめてくる。
人体から出てはいけない凄まじい音と共に、俺の骨が元の機能を取り戻す。
「いてぇ!」
肩の奥がまだ痛む。願者丸への恐怖と共に、ダメージが芯に刻み込まれてしまったようだ。
俺は運動で熱くなった体が一気に冷えていく感覚に震え、願者丸から目を背ける。
「お前……何故こんな技術を……」
「忍者になるためだ」
願者丸も目を逸らす。嘘ではないのだろうが、更に深い理由がありそうだ。
ただ、それを聞くには時期尚早だ。願者丸との関係はそれほど進んでいない。
そのうち、彼とも仲良くなりたいものだ。これ以上殴られないためにも。
〜〜〜〜〜
午後。
俺は工藤と共に、勉学に励んでいる。
正確には、高校時代の復習だ。
「書きにくいですね」
工藤は引っかかりの多い紙と滲みやすいインクに対し、怒りを露わにしている。
紙とインクの質の悪さに関しては、俺も同感だ。書き損じが生じやすく、ただでさえ安くない紙代が嵩んでしまう。
俺は工藤が書いた日本の歴史を眺めながら、丁寧に整理していく。
「よく覚えているな……」
俺はずらりと並んでいる年号や用語を、感心しながら読んでいる。
俺もどちらかというと文系だったが、これほど堂に入った強者ではなかった。圧巻だ。
工藤は紙と向き合いながら、短く呟く。
「覚えていたいから」
忘れたくない、ではなく……覚えていたい。
少しだけ、日本の思い出に対する工藤の意識が変わったようだ。
「(この世界に対して、前向きになった気がする)」
工藤は紙を一枚埋めたところで、手を止める。
「あちらとこちらを比べることは、私にしかできません。帰還を諦めたわけではありませんが、この世界の一員にもなれるよう、頑張って生きようと思います」
工藤の意識を変えたのは、誰なのだろう。
ムードメーカーの狂咲だろうか。それとも、幼馴染の馬場だろうか。
紙を受け取ってインクを乾かす俺に対し、工藤はその答えを告げる。
「あんなことがあったのに、誰も生きることを諦めていない。それなのに、私が折れるのはおかしいでしょう。私、学級委員長ですから」
特定の誰かではなく、俺たち全員が変えたのか。
……確かに彼女は、委員長だ。俺たち全員を平等に見て、集団としての性質を把握している。
俺たちが不屈の集団である限り、彼女もまた不屈なのだろう。
新しい紙に記入を始める工藤。
勤勉な彼女に対し、俺は感謝する。
「ありがとう。工藤が無事なら、俺たちも嬉しい」
「なんですか、それは」
工藤はこの世界に来て、初めての笑みを見せる。
大和撫子。思わずそんな感想が浮かぶほど、可憐な笑顔だ。
〜〜〜〜〜
夕食。
俺たちはある程度片付いた食堂で、買ってきた食べ物を食い漁っている。
燻製肉。塩漬け肉。パン。肉とチーズの何か。根菜と豆のスープ。
「サラダはどこ……?」
狂咲の涙が光る。生野菜が好きなのか。
この町において、新鮮な野菜は珍しい。他の町なら食べられるようだが、ここは中途半端な都会であり、あまり農地がない。
中世くらいの文明レベルなら、王都だろうと周りに農地が広がっていたはずだが……やはりこの世界は、地球の中世よりは進んでいるのだろう。
特に生野菜にこだわりがないらしい願者丸たちは、狂咲に意見を述べる。
「サラダでなくとも、野菜は取れる。栄養バランスはまあまあだ」
「味も……まあ、いいんじゃないか?」
「ウチは好きだけどなー、ここの料理。毎日だって食える」
皆の慰めを受け入れ、狂咲は黙って頷く。
……豊かな食生活のために、農家をやるのもありかもしれない。
俺がそんな決意を固めたところで、外から何者かが侵入してくる。
様々な意味で太っ腹の町長だ。
「うおっほん!」
「う……」
うわ、出た。思わずそう呟きそうになり、俺は慌てて口を塞ぐ。
俺たちに宿や職を提供してくれている町長に対し、失礼な態度は厳禁だ。個人的に苦手でも、付き合っていかなくては。
キャメロン町長は、俺たちのそばに椅子を持ってきて座る。
「すまないね。食堂の復旧はまだ先になりそうだ。町を元通りにするのが最優先だからね」
もっと人を増やせば、並行して工事できるんじゃないのか?
そう尋ねたいが、きっと事情があるのだろう。
ここは田舎町らしい。工事をするにしても、人が足りないのかもしれない。
「いえ。それより、犯人についてですけど」
「ああ。キミの言う通り、酒場に転がっていたよ。何やら濃い魔力が漂っていたから、除染に苦労したらしい」
どうやら、篠原たちの遺体は既に回収されているようだ。
この世界の流儀に則り、犯罪者や身元の未明の死者は共同墓地に送られる。俺たちもきっと、死んだらそうなる。
町長は暗くなりかけた雰囲気を戻すためか、髭を撫でながら明るく振る舞う。
「警吏に任せてもよかっただろうに。キミたちの手で始末をつけた勇敢さには惚れ惚れするが、少しは大人を頼ってくれてもよいのだよ?」
「あの攻撃を防ぐ手段がなければ……また誰かが犠牲になると思ったんです。私たちには、神の加護がありますから」
「理にかなっているが……戦うことを生業としている警吏たちは、キミよりずっと聡く、心が強い。気にしなくてもいいんだ」
町長は彼なりの価値観で、狂咲をフォローする。
「キミたちはまだ若い。娘がいる身としては、あまり若人に体を張ってほしくないね。どうにも他人事とは思えない」
そういえば、彼の娘と狂咲は知り合いなのか。話題にならないため、忘れかけていた。
俺たちは誰も口を開かないまま、顔を見合わせる。
町長は人が良い。だが、俺たちとの間には何枚か壁がある。
年齢の壁。異世界の壁。経験の壁。そして、立場の壁。
彼と俺たちは違うのだ。良い意味でも、悪い意味でも。
「(どことなく、俺とあの神との関係性に似ている。アレと俺は、価値観も見た目も……およそアイデンティティと呼べる全てが違うが、同じ方を向いて、取引をしている。町長も、また……)」
町長は空気を察したようで、席を立つ。
「そろそろお暇しようか。腹を空かせているのではないかと、心配だったよ。風向きは良くないが、そのうち解決するとも」
「はい。待っています」
「元気でな。キミたちの働きに期待している」
町長はまだ物足りない様子だが、外に待たせていた従者を連れて帰っていく。
町長の背中が宵闇に溶けた後、俺は狂咲に尋ねる。
「風向きが悪いと言っていたな」
「まあ、うん。……ちょっとね」
狂咲は宿の外を一瞥し、語る。
「ほんの一瞬だけだけど……噂になったの。あの風の斬撃は、宿から出たんじゃないかって」
「逆だろ!?」
飯田が声を荒げる。
「俺たちが被害者なのに、なんでそんなこと言われなきゃならねえんだよ!?」
「あの瞬間を見てない人には、そういう跡に見えたんだって」
町を砕いた痕跡は、八百屋から宿まで一直線に伸びている。昔からある八百屋より、俺たち異世界人が泊まっている宿の方が怪しい。そういう理屈か。
狂咲は申し訳なさそうに俯く。
「町長さんのおかげで、誤解は解けたんだけど……」
「僕たち、怪しまれてるんだね……」
馬場の発言に、狂咲は頷く。
……そうか。ただの外国人以上に理解不能な俺たちの存在は、町にとって異物でしかないのか。
今後のために、なんとしてでも評判を覆さなくてはならないようだ。
「(この世界の人間がどうであれ、きっとわかり合えるはずだ)」
俺は日本人のイメージアッププランを考え始める。