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未達の大目標

 俺たちは家族になった。

 家を持ち、役割を持ち、生活をやりくりしている。小さな小さな社会を、滞りなく回している。


 そんな中でも、変化は起きる。

 水空が妊娠したのだ。


「ありがとう、りっくん」


 夜のひととき。

 まだ何の変化もない水空の腹を撫でながら、矢羽が嬉し涙を流す。


「本当にありがとう」


 まるで自分のことのように喜んでいる。

 当たり前だ。矢羽と水空(みずから)調(しらべ)もまた、家族なのだから。


 矢羽は優しく頬擦りをしながら、調に尋ねる。


「予定はいつになりそう?」

「割とすぐ気づいたから、9ヶ月後かな。つわりもまだだよ」


 調は身体能力が高く、探知のスキルも持っている。それらの合わせ技で、赤子の存在を察知したのだという。


「今ならスキルの進化、いけるかもね」

「うん。人生観、変わった気がする」


 調は矢羽と口付けをして、誇らしげにサムズアップをする。


「おう、願者丸。母親はあんただけの専売特許じゃねえから」

「くっ……」


 願者丸は俺の膝の上で、悔しそうに拳を握りしめる。

 しかし、俺が宥めるまでもなく、次の瞬間には怒りが融解していく。


「オイラと違って、水空は丈夫だ。元気な子が生まれてくるだろうよ」


 自らの腹にできた痕を撫でながら、願者丸は意気消沈する。

 皮膚と脂肪が割れた痕跡。かつて腹が急速に膨れたせいで、組織が壊れてしまったのだ。


 俺は願者丸と手を重ね、傷跡を隠す。


「大丈夫。今は俺たちがいる。今度こそ、何ひとつ悔いを残さず、母親にしてみせる」

「……えへへ」


 願者丸は耳を赤くしている。今更照れてくれるな。俺とお前の仲だろう。


 ——ひと通りイチャついた後、調は願者丸の頬を撫でながら、呟く。


「出産まで、行為は控えた方がいいよね?」

「まあ、そうだな」


 厳密には、安定期というものが存在するらしいが……俺たちは医学に明るくない。今日は昂ぶってしまったが、これから先は何もしないでおくのが無難だろう。


 調は願者丸を足で撫でつつ、また自身の腹を摩る。


「不思議だなあ。結婚してない人と結ばれて、お母さんになっちゃうなんて」

「それでいいと思うよ」


 本日誰よりも気合いが入っていた矢羽は、汗だくになった体を拭きながら、穏やかな笑みを浮かべる。


「あたしたちは、全員で家族だから。日本では夫婦の形にこだわらないと生活できなかったけど、ここは手続きとか無いし、周りからも何も言われない。これで生きていけるなら、これでいいの」


 それもそうだ。……と、軽く返せるように、俺もなった。

 すっかり日本の規範から外れてしまった証だ。だが、この世界ではそれでいい。


 俺は調に対して伴侶と同等の愛情を捧げるべく、優しく唇を塞ぐ。


「ずっと一緒だ」

「あひゃひゃー。しあわせだー」


 照れ隠しのつもりか、両手で表情を覆い隠す。

 目と口を遮っても、その仕草こそ、幸福に包まれている証だろうに。


 〜〜〜〜〜


 穏やかな日々が過ぎていき、調の腹部が少し目立ち始めた、ある日。

 日本の歴史を学んでいた天見が、不意に空を見上げる。


「日本に行きたい……」


 無理だ。反射的にそう答えそうになったものの、ふと気がつく。

 双子は神だ。俺たちをこの世界に送り込んだ幼女神と同質の存在。ならば、いつか世界を渡る術を見出すのではないか。


 ……まあ、人の身に囚われている俺では、はっきりとしたことは言えないな。

 可能かどうかはさておいて、とりあえず理由を聞いてみよう。


「日本に興味があるのか?」

「うん。だって、知らないところだから」


 天見は遊んでいる高嶺に同意を求める。


「お姉ちゃんも行ってみたいよね?」

「もちろんさ。ぶーんぶーん、なのだよ」


 高嶺は自動車を模した木彫りの模型を、床の上で左右に動かしている。

 この世界に自動車はない。隣に置かれている美しい流線型の飛行機もない。……もちろん、ヘリもない。

 それらの実物に触れたいならば、日本に行くしかないのだ。


「ふふふ。いつか“にっぽんいち”になってみせるのだよ」


 辿り着けさえすれば、すぐにでもなれるだろう。なにせ2人は神という種族なのだから。


「やーれんそーらんそーらん……」

「ソーラン節の“ソーラン”ってなんなんだろうね」

「ふふふ。きっとゆうきのあいことばさ」


 俺は双子のままごとを、微笑ましく見守る。

 人として育てているうちは、我が家にいてくれるだろう。だが、そのうちきっと、自らの権能の大きさに気がついて巣立っていくに違いない。

 その時まで、どうか……。


 〜〜〜〜〜


 天見と高嶺は、生まれ持った神としての土台を存分に活かし、すくすくと成長していく。

 見た目や性格は変わらないものの、知識がどんどん積み重なっていくのが、傍目で見ていてもわかる。


「神さまの話だと、他の世界から魔力を譲り受けたらしいから、パパたちの中に日本由来の異質な魔力があるはずなんだよ」

「くんくん。……わからないねえ」

「嗅いでも無理だよ、お姉ちゃん。人種によって魔力の質とか性質が変わるかどうか検証して、精査するところから始めないと」

「ふうん。さんすうのおべんきょうということか」


 日本に渡る。大きな目標を手に入れたためか、2人の勉強にも俄然やる気が篭っていく。

 1ヶ月。2ヶ月。3ヶ月。時が経ち、ますます知恵がついてくる。


 俺はもう高校生だった頃に学んだ内容が朧げになっているが、忘れないように努力していた工藤はまだまだ現役だ。


「原子……。魔力が存在できる余地があるとしたら、もっと小さい単位のはず……」

「おとうとよ。おはしってむずかしいな」

「素粒子? まだ習ってないの……? ママたちでもわからないなら、ちょっと難しそうだなあ……」

「おやおや。きれいなおまめさん、にげないでほしいのだよ」


 目標があるというのは、良いことだ。

 これから何度も壁にぶつかるだろう。俺たちでも解決できない難問が立ちはだかり、迂回を余儀なくされることだろう。


 それでも……目指すべきゴールが見えているなら、諦めずに努力を継続できる。


「…………。」


 俺は双子たちの邪魔をしないよう、こっそりと部屋を出る。


 外で待っていたのは、矢羽だ。

 最近は互いに忙しくなってきたため、共に過ごす時間が減りつつある。しかしながら、それを不幸だと思わないくらいには、夫婦円満だ。家族のためにやれるだけのことをやっているからだろう。


「ねえ、りっくん」


 いつぞや宿屋に置いていたものに似たデザインの時計から目を離し、矢羽は開口一番に切り出す。


「騎士団の人たちから、クラスメイトの居場所が送られてきたの」

「ずいぶん久しぶりだな」


 幼女神の言い分を信じるなら、俺たちの後に送られた者は誰もいないはずだったが、ずっと潜伏していたのだろうか。


 俺の中に生まれた疑問を察したのか、矢羽は一階に向けて歩きながら、受けた報告を要約してくれる。


「出席番号33番、山内籠女(かごめ)さん。ずっと山の中に引きこもってたらしいの。髪もボサボサで、酷い状態だったって。何年前に来たのかも、数えてないみたい」


 なるほど。……俺も一歩間違えればそうなっていたかもしれないと思うと、恐ろしい。

 あの日見た巨大なカブトムシを思い出しながら、俺は報告書を受け取り、さっと読む。


「ギンヌンガが保護してくれたのか。ありがたい」

「どうする?」


 矢羽の言葉を受けて、俺は少しだけ考え込む。

 見つかった場所は、国の西部。知らない土地だ。行って帰ってくるとなると、大変な労力が……。


「りっくんはお人よしだから『クラスメイトを助けたい』なんて言い出すと思う」

「いや……」


 そんなことはない。旅に出るという選択肢はありえない。妊娠中の調と願者丸を置いていくわけにはいかない。それに、戦争で植え付けられた旅への忌避感もある。子供の教育も……。


 俺が頭の中で拒否する理由を並べていると、矢羽は静かに笑う。


「聞いちゃったからには、見捨てられない。そういう人だよ、りっくんは」

「……どうすればいい?」


 俺の口から出たのは、現実と理想のすり合わせを望む言葉だった。

 理想。……そうか。俺にとっての目標は、救える範囲を全て救うことだったな。


 しかし、それは同時に掲げた大目標のための、手段でしかない。人を救えば味方が増えるという打算でしかない。


 大目標。それは、生き抜くこと。


「俺は安全に生きていきたい」

「うん」

「だが、助けられる命を素通りすることもできない」

「欲張りだね」


 蠱惑的な笑みを浮かべる矢羽。

 俺の強欲さは、誰よりもわかっているはずだ。妻である彼女を差し置いて、何人も女をたらし込んでいるのだから。


 思考が混線するほど悩んでいると、突然視界の片隅に猫が現れる。


「猫の手も借りたいにゃ?」


 認識の隅を駆け抜ける猫。猫魔だ。

 俺は猫状態の彼を抱き上げて、進路からどける。


「危うく蹴るところだったぞ」

「猫は魔女の使い魔として有名にゃ。野良も気楽でいいけど、そろそろ刺激が欲しくなってきたにゃ」


 猫魔は伸縮性のある体をくねくねと曲げながら、矢羽の足に頬を擦り寄せる。

 人の妻に対して、ずいぶん人懐っこい野郎だ。体こそメスだが、中身はオスだろうに。


「魔女になってみにゃいか?」

「猫魔くんが行ってきてくれるの?」

「にゃ。見てくるだけにゃ」


 猫魔は理想と現実の間を埋め合わせてくれるらしい。

 ずいぶんと都合がいい。しかしながら、猫魔は案外そういうことをする奴だ。命が惜しいと言いながらも、エンマギアでの動乱や戦争についてきてくれた。

 元ヤンで大勢の配下を引き連れていた経験による仁義なのだろう。情に厚い、昔ながらのワイルドな不良だ。


 俺は友として、猫魔を見込んで夢を託す。


「長旅になるが、頼めるか?」

「にゃーがやりたいからやるにゃ。頼まれなくても、勝手に行くにゃ」


 そう言って、猫魔は俺たちの意識から消えていく。

 近頃はまたスキルの腕を上げて、簡単に姿を消すようになった。こんな消え方をされると、二度と会えなくなるのではないかと、不安になってしまう。


 猫魔が床につけた足跡を拭きながら、矢羽は笑う。


「ネコ様バンザイ」


 神とネコは似ている。そんなくだらないことを、平和な家でふと思った。

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