〜啓示とウェルネス〜
俺は積田立志郎。かつて高校2年生だった。
今は異世界で、幼女神の気まぐれに付き合わされているところだ。
おかげで人生設計がめちゃくちゃだ。ついでに、人として築き上げてきた価値観も。
「パンとワインがあれば、人は生きられる。かの書物にも、そう書いてある」
俺は悟りのような何かを頭の中に巡らせつつ、寝心地の悪い布団から起き上がる。
布団と表現したものの、実態は毛布と枕だ。床の硬さがダイレクトに伝わるため、寝起きに節々が痛む。
……この世界で、もう何度目の起床だろう。何度繰り返しても慣れないものだ。
俺は起き上がり、窓から日の出を見る。
「うん。悪くない」
今日は晴れ模様だ。
こんな日に死にたくはないな。
〜〜〜〜〜
俺は一階の食堂を片付けながら、全員の起床を待っている。
今いるのは俺と水空と飯田だけだ。他の面々はまだ寝ているらしい。
「飯田ァ。今日はずいぶん早起きじゃん」
水空が茶化した様子で声をかけると、飯田は隈のある目でぎこちなく微笑む。
「わりぃ。俺、寝てねえんだ」
日本では日常会話の鉄板だった寝てない自慢も、この異世界ではただの重苦しい現状確認である。
飯田は昨晩、元クラスメイトにトドメを刺した。きっと今でも、冷静になれていないのだろう。
水空は瓦礫を持ったまま硬直し、飯田以上にぎこちない笑みを浮かべる。
「あ、ああ、そっか。そうだよねー。ははは」
俺は知っている。水空は爆睡していた。離れているとはいえ、同室なのだ。様子はわかる。
……とはいえ、その眠りも極度の疲労によるものだろうから、責められない。
俺は無言で石ころを拾い集め、袋に入れる。
かつて家具だった木切れで手を切らないよう、手袋をしているが……これも日本の物より粗悪な出来で、掴みにくい。
「日本が恋しい」
もう何度目かわからない水空の発言を、俺はしみじみと実感する。
〜〜〜〜〜
起きてきた順番は、以下の通り。
まずは願者丸。普通に眠り、普通に起きた。特に弱っている様子はない。
次に工藤。普段は早寝早起きらしいが、ストレスが垣間見える。
続いて馬場。顔色が良くない。悪夢でも見たのだろうか。
最後に狂咲。いつも通りの笑顔だが、きっと無理をしている。
俺は狂咲の隣に立ち、気にかける。
「大丈夫か?」
「平気平気。……昨日はちょっと疲れちゃったけど、あたしはまだ立てるよ」
まだ。……そのうち、立てなくなる予感がしているのだろう。
それとなく水空の方を見ると、彼女も狂咲が心配なようだ。
「たまには弱いところも見せてほしいなー」
「そのうちね」
……まあ、今はこのくらいでいいだろう。昨日の出来事で苦しんでいるのは、狂咲だけではない。
互いに支え合って、なんとか立っている。彼女だけを特別扱いするべきではない。我々という集団に、悪い風潮を生んではならない。
言葉に迷う俺たちの前に、籠に入ったパンが置かれる。
願者丸が持ってきたのだ。
「食え。食堂のおばちゃんからだ」
この宿の従業員は、俺たちを気にかけてくれているのだろう。復興で忙しいだろうに。
「当面は保存の効くありもので誤魔化すか、他所に食いに行くことになる。どうする?」
「俺はパンでいい」
飯田はスキル『贋作』でパンを増やし、腹に収めていく。
「これができるからな」
「便利だねー。ウチもそれにすればよかった」
水空が心底羨ましそうに飯田を見つめている。
そういえば、飯田はどうしてそのスキルを選んだのだろう。バスケ部でお気楽な彼が贋作とは。
疑問を感じ取ったのか、それとも単なる偶然か……飯田はスキルについて話し始める。
「食いもんが倍になるから、これにした。異世界に行ってもどうせ人間だし、腹は減るだろうと思って」
なるほど。納得だ。
料理関係のスキルもあったそうだが、自分で作るのは性に合わないらしい。
「あの時の俺を褒めてやりたいぜ」
「代わりにオイラが褒めよう。よくやった」
願者丸が小さい体躯で背伸びをし、かなりの上から目線で発言をする。
「異世界に行っても、人は人である。異世界に行っても、人はいる。転移だろうが転生だろうが、これは逃れられない事実だ」
「ずいぶん語るなあ。思春期か?」
「そういうこともある」
願者丸は行儀悪く頬杖をつき、もそもそとパンを食べる。
口が小さく、一口も小さい。まるで小動物のようだが、指摘したことはない。怒るからな。
「オイラは忍者を目指し、このスキルを入手した」
「えっ。もっといいスキルがあったんじゃ……」
「ステータスというものがあるなら、それで補えると思っていた。成長もまた醍醐味……」
前向きな発言の割に、その顔は暗い。
願者丸のスキルは『諜報』。物に魔力を付与して、盗聴や遠隔操作ができる。
手裏剣でも作ろうとしたのだろうか。忍者も願者丸もよく知らないため、あまりピンと来ない。
彼が考えなしに動く人間ではないという確信だけはあるのだが。
「ところが、だ。この世界のステータスが何を指しているのか、最近わかった」
「ほう!」
願者丸の発言に、飯田が目の色を変える。水空と狂咲も。反応しないのは工藤だけ。
俺も気になる。非常に気になる。前線に出て戦うことが多いため、知っておかなければならない。
願者丸は水を口に含み、リスのように頬で転がしてから飲み込む。
「補正だ」
「……もう少し、わかりやすく」
「元の身体能力に、数値の分だけ付与される。たぶん加算式だ。どれくらいかは……知らん」
そうか。完全にステータスに依存した能力になるわけではないのか。なら、体を鍛えることも無意味ではないのか。
「神の加護……。そういうことか」
あの幼女神の発言が腑に落ちた。
あくまで、元の人間に後付けで強化しているだけ。まさしく加護だ。
「オイラ、ちょっとは期待したんだけどな。こっちならモノホンの忍者になれるかもって」
願者丸は自らの短い手足を見て、ため息をつく。
飯田のような恵まれた身体は、才能だ。そんな才能の枷から外れ、自分の理想を実現できる世界を、願者丸は望んでいたのか。
俺はあの神に対して、期待したことがなかったのだが……皆が必ずしもそうとは限らないのか。
「あの神、忍者とか知ってんのかな……」
「知ってるんじゃないか?」
「ほう」
水空が目ざとく俺に詰め寄る。
「積田くん。何か知っている様子だね」
「ああ。神の話が出たところで、夢のお告げとやらを共有するか」
「お告げ!? なにそれ!? 積田くんこそが……選ばれし者ってこと!?」
テンションが爆上がりしている馬場は、ひとまず置いておくとして。
俺は夢の内容を皆に伝える。
「へー……」
「ふーん」
狂咲は目を輝かせて喜んでいる。
一方、水空はあまり面白くなさそうだ。
なかなか対照的な反応だ。この2人は仲が良いが、このような場面が時たま見られる。
俺はまず、所感を話してみる。
「単純な言い方しかできないが……神はやはり強い。そして善性も併せ持っている。なるべく利用するべきだろう」
「創作ではお決まりの、陰謀は無いのか?」
願者丸の質問に対し、俺は正直に答える。
「あの神は……そんなことに頭を使う性格じゃない」
「お、神を馬鹿にした発言。天罰が落ちるかもよ」
「それもない。逆に、これ以上の加護もない」
「ちぇー」
水空はまた退屈そうにそっぽを向く。
彼女が不満そうにしている理由も、聞かなくてはなるまい。およそ推測はできるが……。
「水空。言いたいことがありそうだな」
「いやー……今回得られた情報、あんまり役に立たないなー……と、思ってさー……」
水空は神に文句を言いたいのか、遥か上を見上げて愚痴る。
「神の名前……『ふにふに』と、ステータスの名前。確か『掟』。正直、心底どうでもいい」
「俺もそう思う」
「あ、積田くんもなんだ。へー。じゃ、あのクソ神様のミスか」
急激に罰当たりになった水空は、少し機嫌を直して足を組む。
テーブルの隅で、工藤も揺れ動く。
「神の赦しを得られたら、帰れるかもって……思ってたんですけどね……」
「工藤さん……まだ帰る気でいたんだ」
「当たり前でしょう!?」
工藤は明らかに正気ではない目つきで、机を叩く。
……俺は幼女神との交流を経て、少しだけ絆が深まったような感触を得ているが……他の面々はそうではないのだ。肝に銘じておこう。
「体感で、だいたい5分から10分くらいの面談だった。今後もあまり長くは話せないだろう。そもそも、次があるかも怪しいが……」
「飯田ァ。積田くん、何時間寝てた?」
水空のヤンキーじみた恫喝を、飯田は慣れた様子でさらりと受け流す。
「積田が寝てたのは……6時間? いや、7かも」
「1時間につき1分と考えよう」
俺だけではわからない客観的な観測を話してくれるのは、非常に助かる。
水空の発言に、願者丸が付け加える。
「待て。睡眠の質に左右されるかもしれない。肉体と精神を限界まで疲れさせてはどうだ?」
人の体だと思って、なんという提案を。
願者丸と工藤が、ぎらついた目でこちらを見る。
「積田。ものは試しだ。明日から特別メニューを課してやろう。体を酷使させて、神に近づけ」
「積田くん。学校の勉強、覚えてるうちに書き出しておきたいの。体だけじゃなくて、頭も使おうね」
……どうやら明日から、安息日はなさそうだ。