〜ワンオペ幼女と怒り狂う顧客〜
篠原は絵の具を撒き散らしながら、倒れ伏す。
「まだ、終わらない……俺の、芸術は……」
うわ言のように何かを主張しているが、もはや虫の息だ。
刀が腹部を貫いている。まもなく死ぬだろう。
俺は絵の具まみれの馬場と水空を庇いながら、彼との会話を試みる。
「篠原。いい加減にしろ」
篠原は虚ろな目でこちらを見上げる。
死に逝く体だというのに、まだ生気に満ちている。生き足りないと言いたげな、強い目つきだ。
俺はそんな彼の強さに懸けてみる。
「この世界に来て、他人を排除して。お前の人生は、それで良かったのか?」
「悔いはない」
「本当にそうか?」
俺は腰を下ろして、目線を彼に近づける。
「お前の過去を知る者は、俺たちしかいないだろう」
「そうだな。そうに違いない」
「何を見た? 何を知った? 何がお前を、そうさせた? 真に分かち合える者は、もう俺たち……クラスメイトしかいないぞ」
「よく言うよ」
篠原は辻斬りの死体を見ようとして、諦める。
体が起き上がらなかったのだ。もう限界が近いらしい。
「あいつの顔を見たか?」
「いや……」
辻斬りは顔を包帯で覆っている。故に、人相がよくわからなかった。
中年の男性であり、太い声をしている。俺にはそれしかわからなかった。
……俺は唐突に、嫌な予感に襲われる。
「まさか」
「今更気づいても、もう遅い」
篠原は血の混じった唾を吐き捨てる。
「あいつは『串高是吾郎』。聞き覚えがあるだろう?」
クラスメイトの名前だ。両親の影響で古風な物を好む、物静かな男子生徒。
……あの辻斬りが。
狂咲が半ば放心しつつ、呟く。
「出席番号8番の、串高くん」
「その通り」
篠原は狂咲の表情に、どこか罪悪感を覚えた様子でそう返す。
「彼は30年前に飛ばされ、俺以上の絶望を味わってきた。この国のために働き、絶望して他国に渡り、他国にも失望し……そして、全てを諦めた」
「そんな昔に……」
「特別に仲の良かった俺だけを、覚えていた。俺だけが、彼に寄り添えた」
篠原は大きく息を吸い、目を閉じる。
昔を思い出しているのだろうか。もう戻れない、あの日々を。
「俺たちは、もうクラスメイトじゃない。このくだらない世界に生きる他人同士だ」
「だからって、あたしたちを斬るの?」
「そうとも。彼は斬ることしか頭に残っていない。老いの中で疑心暗鬼に陥り、せめて辻斬りとして、世に生きた証を刻み込もうとしていた。俺は彼の願いを叶えることしか……」
篠原は苦しそうに呻き、急激に弱っていく。
「クラスメイトを名乗れるのは、今のうちだ。そのうち世界に塗り潰される。この世界の、価値観に……」
「だとしても、お前にはならない」
俺はたまらず、遮る。
情報を得るつもりだったが、我慢ならなかった。許してくれ。
「俺たちは、お前にはならない」
「ふっ。そうだろうな」
篠原はほんの僅かに、目を開ける。
俺を見ている。俺の顔を、見ている。
「俺にも、もっとたくさんの仲間がいれば……」
それが遺言となった。
篠原は、死んだのだ。
〜〜〜〜〜
篠原創画。
狂咲曰く、彼のステータスはこうだったらしい。
篠原 創画 レベル21
【ステータス】 【スキル】
攻撃…11 億号
魔力…23 魔力変換
防御…18 黒魔法信仰
魔防…8
速度…14
魔防が低いが、防御は高い。飯田があの剣をコピーしなければ、攻撃が通じなかったかもしれない。
きっとあれは、ゲーム的な表現をするならば、魔法武器だったのだろう。
……だとすると、水空の蹴りが通じたのはどういうことだ?
水空本人の脚力によるもの……いや、まさかな……。
「魔力が高いな。スキルの扱いも、魔力に依存するのか……?」
ステータスの機能を、俺を考察する。
既に見慣れてきているというのに、未だに全貌がわからない。魔防とは何を指すのか。数値が1上がるとどう変わるのか。何もわからない。
わからないなりに、考えるしかない。
「『魔力変換』と『黒魔法信仰』はなんだ?」
「わからない」
首を振る狂咲。
しかし、盗聴石から願者丸が声を出す。
「町で聞いたことがある」
「教えてくれ」
「帰ってからにしろ」
それもそうだ。考え事は、この状況をどうにかしてからにしよう。
俺は2人の死体を見て、どうしようない無力感に襲われる。
「殺してしまった」
人を。それも、クラスメイトを。
これで本格的に、日本人ではなくなってしまった。いや、思い出に縋り付いているだけで、とっくに日本から離れてはいるのだが……気持ちの問題だ。
飯田が静かに動き、隣に立つ。
「日本にいれば、殺さなくて済んだ……」
そうだ。日本で暮らしていれば、まともに生きていけたはずだ。
こんなことをしなくとも、まともな飯を食い、まともな仕事に就き、まともな人生を……。
視界の片隅で、また飯田が歩き出す。
辻斬りの死体に近づき、包帯を取り除いている。
「ああ……面影がある。それもそうか。本人だし」
飯田の言う通り、包帯の下には、串高の顔がある。
ろくな人生を歩まなかっただろう、険しい顔。歯が抜けて、鼻が潰れて、肌は荒れて……。
まるで、落武者。
「嫌だな……」
飯田の言葉に、俺は万感の思いと共に頷く。
嫌だ。そうだ。こうなるのは、嫌だ。
狂咲が泣きながら手を合わせる。
「死んで神様に会うなら……どうか伝えて」
どうしようもない悲しみを漏らし、呟く。
「もう二度と、こんなことをしないでって、言ってあげて。あたしたちみたいな人を作らないで。お願い」
……次に声を発する者は、いない。
全員黙って、その場を離れる。
俺からは、何も言うべきことはない。
少し考えれば、あるのかもしれない。だが、考えることができない。
今日はもう、疲れてしまった。
ゆっくり休もう。
〜〜〜〜〜
夢の中で、俺は幼女神と再会する。
「ちょっとだけ、お告げできます」
「どのツラさげて出てきやがった……!」
俺は小さな神に掴みかかる。
軽い。片手で簡単に持ち上がる。
「お前のせいで、人が死んだぞ!」
「人は死にますよ……?」
「はぐらかすな! 責任の話をしてるんだ! お前のミスが、死の原因だ!」
篠原を3年前に……そして、串高を30年前に飛ばした理由を、聞かなければならない。
「何故2人を遠い過去に飛ばした? 言い訳があるなら聞いてやる」
「だいたい同じ場所に飛ばしたのに……。時間も、生きてる間にちゃんと会えるくらい……」
空いた口が塞がらない。
神の感覚は大雑把すぎる。
「ぴったり同じ町、同じ時間に飛ばしてくれないと困る。俺たちは神じゃない。弱いんだ。団結しないと生き延びられない」
「でも、人間さんは『国』をつくってるって、おじいちゃんが言ってた……」
同じ国に飛ばせばいいと思ったのか。
しかし、30年も経っているなら……よその国に移り住んでいる可能性も高い。
「飛ばした全員の場所を教えろ。今すぐに」
「わかんない」
「責任取れよ!」
「わかんないよお……」
俺が恫喝すると、幼女神は俺が悪いと言わんばかりに泣き始める。
「だって人間さん、ちっちゃいんだもん」
お前ほどじゃない。そう言いたいが、こいつは神なのだ。見た目通りの年齢ではないし、見た目通りの大きさとも限らない。
……外見のせいで暴力をためらっていたが、もはや我慢ならない。
「お告げとやらを言え。ついでに今言えることを全部言え。片っ端から、全部!」
俺は幼女神の胸ぐらを掴み、雲の床に押しつける。
罰当たりかもしれないが、コイツに文句を言う役割は絶対に必要だ。誰かが指摘しなければ、延々と被害者を生み続ける。
幼女神は雲の中に消えて、すぐそばに現れる。
「わたしの名前は『ふにふに』です。地球におじいちゃんがいます。おとうさんとおかあさんは、違う世界にいます」
コイツの家族構成はどうでもいいが、ようやく話し始めたところを遮るわけにはいかない。黙って頷くとしよう。
幼女神はステータス画面を出して、説明する。
「えっと……これ、『掟』って言います」
掟、か。
ステータスの方がわかりやすいが、正式名称として覚えておこう。
幼女神は小さなステータス画面を振ってみせる。
「『掟』は、神の加護の内訳をわかりやすく示したものです。これを持ってる人は『使徒』になるって、おじいちゃん言ってました」
「加護……。いつでも没収したり、与えたりできるのか」
幼女神は残念そうな顔で首を横に振る。
「無理……。あげるの、簡単じゃない。とっちゃうのは、もっと無理。ごめんね」
「そうか」
「神の力、ちぎるの、つらいから……」
神にも不可能なことはある。それを知ることができただけでも、収穫だ。
クラスメイトの人数分『掟』を用意しただけ、この神にしては頑張った方なのだろう。
とはいえ、まだ物足りない。この機会に、もっと知らなければ。
「『掟』にある数字はどういう意味だ?」
「えっ」
神は明確にうろたえている。
「一番わかりやすい書き方なのに……」
「そうでもないぞ。説明書がほしい」
「ええ……。じゃあ、次までにがんばる……」
次はいつになるだろうか。30年を直近と称する神のことだ。期待しない方が良いだろう。
更なる質問をしようとしたところで、俺は自分の姿がうっすらと消えかけていることに気がつく。
目覚めが近いのだろう。なんとなく、勘でわかる。
幼女神は慌てた様子で叫ぶ。
「あ、お告げ!」
そうだ。呼び出されたからには、何か重要な用事があるのだろう。それを聞かなければなるまい。
俺は遠のいていく声に、耳を傾ける。
「死んだ使徒さん、2人だけだよ!」
「篠原と串高のことか!?」
「そう!」
なるほど。他のクラスメイトは、全員生きているということか。
正気かどうかはわからないが、探しに行くべきだ。少しやる気が戻ってきた。
「あとね……。きみの『掟』多すぎた! 最初に作ったから、ちょっと間違えちゃった! でもとっちゃうのは、つらいから無理!」
「……どういう」
「ちっちゃい人間さんの、おっきい方だから! また呼べるかもしれないねー!」
神の力を多く分け与えられたということか。
そんな気はまったくしないが。
「そんなに強いなら、なんで俺は……篠原と串高を、救えなかったんだ」
「がんばってねー!」
俺の声は、もう幼女神に届いていない。
彼女は俺の目が覚めるまで、小さな手を振りながら声をかけ続ける。
「もう二度とこんなことしないでって、狂咲ちゃんに言われたの、わかったからー!」
健気な奴だ。少し強く当たりすぎたかもしれない。次からは協力者として、ちゃんと話し合おう。