〜諦観とヴァンダリズム〜
辻斬りが死んだ。
俺の呪いを受けて、一撃で力尽きたのだ。
やはり、このスキルは狂った性能をしている。歴戦の猛者と思われる大の男が、武器に掠っただけで死に至るなど、あまりにも常軌を逸している。
「は……?」
篠原の筆が止まる。
相棒の死を受け止めきれていないようだ。
そこにすかさず、水空が畳み掛ける。
「こっちだ!」
素早く振り上げるような蹴りだ。ステータス強化の無い生身で食らったら、一撃で昏倒するだろう。
だが、篠原は自らのステータス画面を出して防ぐ。
洗練された無駄のない動作。ほとんど脊髄反射だ。戦闘経験の多さが感じられる。
「ちっ」
まだら模様のステータス画面に防がれ、水空は次の攻撃に移る。
水空もステータスを出して、フルスイングだ。
「ふんっ!」
ステータス同士がかち合う轟音。恐るべき強度を持つ異界の物体が、悲鳴をあげる音。
今まであらゆる攻撃を受け止めてきたステータス画面だが、画面同士をぶつけ合わせたら、いつかは壊れるのではないか。
画面を失えば、俺たちの戦力は大幅に弱体化する。クラスメイトの救出もままならない。
それでも、手加減はできない。もどかしい。
「みっちゃん!」
止められた水空を庇うため、狂咲が追撃する。
花柄のステータス画面で、反対側から体当たりだ。
「畜生。水空……!」
篠原は距離を取りながら、正面に構えた筆を振る。
「流れろ……生み出せ……俺の命よ!」
彼に呼応し、足元の絵の具が動き出す。
狂咲は足を取られ、突進を止められてしまう。
やはり地下室全体が奴のテリトリーだったか。大規模な攻撃が来るだろう。
俺は辻斬りの死体に乗り、挑発する。
「こいつも巻き込むつもりか?」
「なっ!?」
「まだ生きているかもしれないぞ?」
篠原は一瞬だけ絵の具の操作を止める。
奴は死地を抜けてきた強者。最終的に死を確信し、死体ごと巻き込む決断をするだろう。
だが……今は数秒稼げればいい。
俺は辻斬りの死体を物色し、刀を奪おうとするものの……失敗する。
固く握られている。死してなお、放そうとしない。
「(刀に当たった呪いが体まで侵食したのも、一心同体だったからか……?)」
あれだけ強い斬撃を飛ばしてきたというのに、今は魔力が感じられない。もしかすると、刀が特別製だったわけではなく、彼自身の魔法によるものだったのかもしれない。
「仕方ない」
俺は生身で攻撃することに決める。
一発限りの呪いを使ってしまった以上、もはや肉弾戦しかできない。武器が無いのは心許ないが、このまま狂咲と水空に任せるわけにはいかない。
狂咲はステータス画面を盾にしながら、再度篠原に突撃する。
「積田くんに……危ないことしないで!」
「ぐっ!?」
篠原は絵の具で足元を固めて抑えようとするも、受け止めきれず、ずるずると押されていく。
すかさず水空が、ローキックで篠原を狙う。
「そこ!」
篠原の膝裏に命中し、奴は転ぶ。
折れたような音がした。もう立つことはできまい。
「のわっ!?」
篠原はそのまま狂咲のステータス画面に押し込まれる。
自らの画面ごと地面に押さえつけられ、動けなくなったようだ。
「これが篠原くんのステータス……」
狂咲が上に乗った姿勢のまま、篠原のステータスを覗き見る。
俺には見えないが、おそらく高い数字が並んでいるのだろう。3年も人を殺し続けたのなら、レベルも上がっているはずだ。
俺は後衛の馬場と飯田に声をかける。
「大丈夫か?」
「俺は無事だ。馬場は動けない」
飯田はスキルで扉を複製し、床や壁を塞いでいる。
馬場は絵の具に巻き込まれて、行動不能だ。やはり運が無い。
俺が馬場のもとに駆け寄ろうとすると、篠原が恨みの篭った声で呟く。
「そうか。やはり死んでいるな。……ならばもはや、加減は無用だ!」
直後、別の部屋から霧がなだれ込む。
篠原の被造物だったか。ただの霧ではないのか?
「迷いの霧よ! 夢想に包め!」
俺たちは霧に覆われ、瞬く間に全てを見失う。
〜〜〜〜〜
俺は霧の中にいる。
ほぼ真っ白な霧。ところどころに、青や黄色の斑点が見える。
「あの部屋じゃない」
どう見ても、地下の空間より広大だ。
足元の絵の具も消えており、床が不明な白い素材に変わっている。
霧によって異空間を形成する能力か。
思い返せば、地下室への入口も奇妙な作りだった。侵入した直後の部屋も、霧まみれ。
俺たちが入った地下そのものが、まがい物だったのだろう。
スキルによるものなのか、それとも魔法なのか。どちらかはわからないが、厄介だ。
「早く出よう」
俺は正面に駆け出す。
しかし、進んでも進んでも出口が見当たらない。
「闇雲に走っても無駄か」
俺はステータス画面を取り出し、振ってみる。
霧は僅かに揺らいだものの、また元通りに満たされる。
「床はどうだ?」
足踏みをしてみるが、硬いことがわかる。俺ではどうしようもない。
ひとまず、俺は解決策を探すべく、自分のステータス画面を見ることにする。
積田立志郎 レベル3
【ステータス】 【スキル】
攻撃…7 呪い
魔力…15
防御…7
魔防…8
速度…8
レベルが上がっている。辻斬りの分か。少しタイムラグがあったのは、どういう理屈によるものだろう?
「あの辻斬りを倒した割に、1レベルしか……」
俺はメイセカとは違うレベルアップ方式に、目眩を覚える。
色々な理由が考えられるが……おそらく、一度に得られる経験値に上限がある。どんな強敵を倒しても、レベルは1ずつしか上がらない。
やはり、この世界はあのゲームではない。違う仕組みがミックスされているようだ。
「一気に強くなっていれば、解決できたかもしれないのに」
俺は落胆しつつも、呪いの項目を見る。
呪い(1/1)
溜まっている。何故だ。
相変わらず条件がわからない。敵を倒せば溜まるのだろうか。それとも見えない経験値量に応じて?
わからないが、今はこれを使うしかなさそうだ。
「頼ろう」
俺は呪いの力を何処に向けるか、見当をつける。
「辻斬りの剣に当てれば、辻斬りごと倒せる。ならば霧に当てれば……」
俺は霧の濃い場所に、指を向ける。
相変わらず背筋が凍るような呪いを起動し、霧が晴れることを願って……撃つ。
「……うん?」
呪いが霧に溶け込み、周囲が毒々しい色に染まる。
〜〜〜〜〜
霧が瞬時に晴れる。
元の部屋に投げ出されたような形だ。
「うおっ!?」
俺は着地しつつ、周囲の様子を見る。
狂咲は呆けながらも、俺と同じく周囲を確認している。
水空はファイティングポーズのまま、油断なく構えている。
「今度はなんだ!?」
飯田は叫んでいる。
馬場は相変わらず絵の具に捕まったままだ。
「貴様! 我が空間に穢れを……。許さん!」
俺が殺気を感じて振り向くと、篠原が怒りに駆られた形相で突撃してくる。
我を忘れた、狂気の顔。巨大なカブトムシよりも、空を飛ぶワイバーンよりも、遥かに恐ろしい威圧感。
「はっ……!?」
俺は退き、たじろぐ。
あまりの恐ろしさに一瞬思考が止まり、ステータス画面を出すのが遅れてしまった。万事休すか。
しかし、横から水空が割り込む。
「死ねよ!」
水空のドロップキックを受け、篠原は壁まで転がっていく。
「ごぉふっ!?」
篠原は壁に衝突し、ダンゴムシのように丸くなる。どうやら頭を打ったようだ。
そんな篠原に、水空は容赦なく追撃する。
「キョウちゃんも、積田も、お前のせいで、死ぬとこだったぞ!? 聞いてんのかクズ! 死ね!」
爪先での蹴り。蹴り。蹴り。執拗な、蹴り。
一発ごとに、篠原の体が歪んでいく。肉と骨がありえない姿に変わっていく。
「(人間の蹴りで、あんな威力が出るのか?)」
篠原もまた、ステータスによって強化されているはずなのに。
流石に見かねたのか、狂咲が背後から止めに入る。
「みっちゃん。もうやめて」
彼女に両腕を押さえられ、持ち上げられる水空。
顔は憤怒に塗れている。納得していないようだ。
正直なところ、俺も水空と同感だ。狂咲はあまりにも優しすぎる。
篠原はまだ、戦う意志を捨てていない。奴の目は、狂気に光ったままだ。
「ダメだ!」
俺はステータス画面を持って走り、壁との間に篠原を挟もうとする。
奴はまだら模様のステータス画面を壁と垂直に立てて、高らかに笑う。
「ははは。ふはははは!!」
篠原は毛量が減った筆を振る。
そうか。あの空間に満ちた俺の呪いを筆先だけに集め、切り離して押し付けたのか。器用な真似を……。
「筆はもういい。スキルなど、ただの手段でしかないのだ。芸術とは……俺そのものだァ!!」
直後、篠原は絵の具を吸い込む。
部屋に満ちた、ドロドロとした薄汚い絵の具を、口から体内に取り込んでいく。
「うげっ!?」
飯田は青ざめて叫ぶ。
あまりの気色悪さに、生理的嫌悪を覚えているのだろう。
俺も予想外だ。奴がここまで狂っているとは。
「芸術とは、生きざま! 絵画でも小説でも、芸術を世に出すことは、己の心を晒すことと同じ! ならば今更、何を恥じるというのか!」
篠原は明らかに自棄を起こしている。
顔面はどぎつい色の怪物に変わり、もはや元の彼とは似ても似つかない。服の内側はぶよぶよの体で埋め尽くされ、まるで出来の悪い泥人形のようだ。
「何の因果か迷い込んだ、地獄の如きくだらぬ世界。せめて生き恥、残して見せよう!」
篠原だった絵の具の怪物は、巨大化して襲いかかってくる。
〜〜〜〜〜
太い腕の猛攻を、俺は画面で防ぐ。
「ぐおおっ!」
俺の胴より太い腕。蛇のようにしなる腕。
一撃が重い。耐えきれない。画面の盾の裏側まで、衝撃が響いてくる。
防戦一方の俺を、狂咲が援護する。
「どうか、積田くんに力を……!」
『思慕』の力で、俺の防御力が上がったようだ。腕に感じる負担が軽減されている。
だが、筋力は変わらない。押し返すことはできそうにない。
「こんちくしょう!」
水空が篠原に画面をぶつける。
だが、びくともしない。絵の具がへこみ、また直っただけだ。
「うそ……」
水空は蠢く絵の具に巻き取られ、動きを封じられてしまう。
「こんな、ことが……?」
まずい。主戦力がやられた。
俺は焦りつつ、飯田に檄を飛ばす。
「飯田! 援護してくれ!」
「わかってる!」
飯田は辻斬りの死体に向かっている。何か策があるのだろう。
しかし、かつての相棒の死体を放置する篠原ではない。飯田は奴の注目を浴びてしまう。
「触るな!」
絵の具の体から触手のような何かが伸びる。
そんなこともできるのか。もはや人間ではない。
だが、触手の動きは何者かによって止められる。
馬場だ。何故か篠原に埋まっている。
「ぷはあ。はあ、はあ。よかった……息できた……」
さっきまで絵の具で拘束されていた馬場は、吸引と同時に巻き込まれたようだ。篠原の体から顔を出し、触手に縋り付いている。
「邪魔するなァ!」
篠原は沼の怪物じみた顔を震わせて叫ぶ。
その時、馬場の懐から声がする。
「なるほど。馬場がピンチだな? よし。巻き込んだらすまん」
願者丸だ。盗聴石を通じて、俺たちの様子を窺っていたようだ。
彼の声と共に、工藤から渡されたクマの人形から、けたたましい音が鳴る。
「ピリリリリリリ!! バチバチバチ!!」
音だけではない。電流だ。護身用のスタンガンだったのか。
馬場と篠原は、揃って絶叫する。
「ぎゃああ!!」
怪物と化した篠原にも、これは効くようだ。絵の具の内側から放ったためか?
そして、辻斬りの死体から戻ってきた飯田が、ふらふらとした足取りで立ち向かう。
「これなら効くだろ……!」
その手には、日本刀。
死体の手にあるものは、失われていない。奪わずにコピーしたようだ。
なるほど。それなら手から離れなくとも関係ない。
「うおおおおおっ!!」
飯田は渾身の力を込めて、篠原だった絵の具の怪物を突き刺す。
ずぶり、と鈍い音。
深く、深く、鍔まで刺さっていく。
「お、わ……」
篠原は溶けていく。絵の具が溢れ落ち、力が失われていく。
「まだ……俺は……」
馬場と水空が解放され、刀の刺さった篠原が残る。
どうやら、終わったようだ。