理性の限界
ヘルモーズが去った後の会議室で、俺たちは愚痴を言い合っている。
「あのハゲ、ぶちのめしてやろうか……」
「いいね。こんな戦争、あれがなくても勝てるよ」
願者丸の怒りに同調する水空。この2人が意見を同じくするのは珍しい気がする。主に願者丸側がライバル意識を剥き出しにしているからだが。
この支部のトップに立つ男への不敬を、秘書のフォルカスは咎める。
「それは上官への反逆と看做しますよ?」
剣呑な雰囲気だ。
精神的に疲れ切っている現状、ここでの争い事は避けたい。国を敵に回してしまったら、たとえ俺たちが無事でも、グリルボウルにいるアネットたちに害が及ぶかもしれないのだ。
「願者丸。落ち着け。平和的に行こう」
「はい。あるじさま」
願者丸は自分の顔面に本気の平手打ちをして、大人しく俺に従う。
……そこまでされると、逆に怖い。自分を傷つけるのはやめてくれ。
願者丸と共に水空を宥め始めると、工藤が前に出てフォルカスに弁明する。
「申し訳ありません。我々の敵はペールであり、我々の上官はヘルモーズ様です」
「よろしい」
「……ただ、ひとつ」
工藤は大きな両手を見せびらかすように広げ、凄まじい長身でフォルカスを見下ろす。
「我々は人間です。心も体も部品にしてしまうペール国とは違う道を行くのが、政治的に正しいはずです。疑問や怒りは、実に人間的で、誇らしき我がヴェルメルらしい振る舞いだと思いませんか?」
圧力。言葉選びにも口調にも、節々に暗い圧力がこもっている。
工藤らしい。そして、工藤らしくない。矛盾する両方の感想を、俺は抱く。
フォルカスは工藤と目を合わせたまま、事務的な態度を僅かに崩した、いつもより低い声で答える。
「感情に支配されて集団としての規律を乱すのは、人間以前に野生動物じみていますが……まあ、今はその理屈を受け入れましょう。争う意思はないようですから」
……ふむ。やはり彼はインテリであり、そして誰よりも規律にうるさい男だ。
その規律が正しいかどうかは関係なく、盲目的に従っている。さながら、最近の願者丸のように。
「(相手は殴り合いを望んでいない。なら、拳を引っ込めるべきだろう)」
水空に囁くと、彼女はにっこりと微笑んでフォルカスを指差す。
「命拾いしたね」
フォルカスは自分の命などなんとも思っていないような顔で、笑顔を返した。
〜〜〜〜〜
フォルカスが去り、愚痴の言い合いは更にヒートアップする。
「だいたい、こんだけ大勝ちしたなら戦勝パーティくらい開けってんだ。わっちの禁酒は限界だ!」
「そうにゃそうにゃ!」
騒ぐ末田に、乗る猫魔。
「にゃーはスキルが便利だからって、あっちこっち飛び回って戦う羽目になったにゃ!」
どうやら馬場と猫魔は、2箇所ある戦場以外を駆け回り、各地にいるペール軍の工作部隊を潰し回っていたらしい。
騎士団も連れずにそんな無茶をやらされるとは、なんとも不憫である。やはり上の指示は俺たちの負担を考えられていないに違いない。
狂咲と願者丸も叫ぶ。
「どうか、積田くんとイチャイチャする許可を!」
「そうだ! あるじさまと相部屋にしろ!」
以前の俺なら「もっと恥じらいを持て」とか「節度を持った関係でいたい」と発言していただろう。
しかし、今は違う。俺は順調に、彼女たちに籠絡されつつある。
「(積極的に攻めてくる狂咲と、いじらしく俺を求めてくる願者丸。男という機能がある以上、理性で目を背けるのも限界が……)」
覚えている。狂咲の顔がどれだけ赤くなるのか。俺の反応でどれくらい喜んでくれるのか。生まかしい脚の温度も、綺麗に揃えた爪の長さも。
覚えている。願者丸の舌の長さ。幾度となく遊んできた尻。細い体に詰まった筋肉。精密かつ的確に動く指。
2人は俺を、染め上げた。
清廉潔白とは口が裂けても言えない、灰色の脳細胞で桃色の夢を見る、不純な青年へと、染めてしまったのだ。
「(それでも、諦めて獣に堕ちるのは違う)」
たとえ頑固だと言われようとも、俺は己の中に立てた誓いを守りたい。
そんな決心のもとで、俺は発言する。
「俺も狂咲を愛したい」
直球でそう告げると、狂咲は両手で口を覆い、顔を赤く染める。
「最近の積田くん、積極的だね……」
「願者丸も、嫌いじゃない」
願者丸は目を丸くして、狂咲を立て始める。
「い、いいえ、あるじさま。この願者丸、奥様の隣に並べるほどの器ではございません」
「願者丸くんは、それでいいの?」
狂咲が願者丸の尻を揉みながら警告すると、さっきまでの忠犬ぶりは何処へやら、願者丸は年頃の少女らしい顔で訂正する。
「奥様とあるじさまさえお許しになるなら、オイラは……褒美をいただきたく存じます」
このやりとりを黙って見ていられないのは、水空と工藤である。
虎視眈々と俺を狙っている2人は、俺の性欲が増していることを知るや否や、ここぞとばかりに攻撃を仕掛けてくる。
「ほーん。じゃあウチも……」
「怖いからやめろ」
他人からの好意に寛容になっただけで、俺は好事家ではない。自戒と倹約を常とする男だ。
愛するからこそ、抱きしめる。無責任なことはしない。その一線は守りたい。
「狂咲は未来の妻だから。願者丸は罪人だから。それぞれ、受け入れるに足る理由があるんだ。お前は真っ当に生きろ」
「ちぇ。いつか罪を犯してやろうか」
「願者丸とは違う採決になるぞ」
「はー。めんど……」
膨れっ面でぶらぶらと足を揺らす水空。その肩を叩くのは、工藤だ。
「大丈夫です。私が変わったのと同じように、積田くんも順調に変わっています」
「確かに貫禄は出てきたけどさ……。相変わらずウチに冷たいし……」
「脈はあるように見えますよ。以前より、ずっと」
俺のどこに脈を見ているんだ。幻覚か?
俺は構ってもらいたがっている願者丸の顎を撫でながら、恐怖に慄く。
〜〜〜〜〜
戦いの悪夢を見ながら泥のように眠った、翌日。
流れ作業のように魔道具を整備し、あっという間に昼になり、やがて夜に。
フォルカスの号令で会議室に集められ、話を聞くことになる。
「皆様に明かせる範囲の情報を開示いたします。上が信頼できる人材と判断しましたので」
「なるほど。ありがたい」
騎士団員たちの手で、次々と作戦の書かれた紙束が舞い込んでくる。
確認できている限りの戦果。敵軍の状況。我が軍の死傷者や備蓄を考慮した、今後の予定について。
具体的な死者数や局所的な反省点など、ネガティブな内容は書かれていない。俺たちに見せる必要はないということだろう。
「(所詮、俺たちも高級な駒でしかない)」
クリファたちと同じように、無能を晒せばクビにされる立場なのだ。上の意向に従うことしかできない。
大本営発表で満たされた報告書を読み、俺はフォルカスに尋ねる。
「すぐにでも追撃を仕掛ける予定のようだが……」
「はい。神の使徒である皆様に、負傷者がおりませんので」
「騎士団や一般兵は、かなり死んだようだが」
「替えが利きますので」
非情だが、その通りだ。何も言い返せない。
猫魔たちが根をあげる中、俺は更に積み上げられた書類を読み解いていく。
「ここから先は、今後の攻撃作戦か……」
「まだ敵軍の動きを把握しきれていませんが、数日中には仕掛ける予定です」
それがいい。俺たちが持つスキルやステータスについて、情報を共有されている可能性がある。それらへの対策を確立される前に叩いてしまうべきだ。
灰原と末田に関しては、ペール国も知っているだろう。だが新たに参加した俺たちについては、顔と戦法を一致させるのが精一杯だ。
「派手に暴れた水空は、警戒されるだろうな」
「ええ。ペール軍には、視覚共有の魔道具があります。眼球をくり抜いて作る、邪悪な代物ですが……グンダリ神殿の誰かが、戦場の一部始終を見ていたことでしょう」
人を素材にした魔道具で盗撮とは。相変わらず趣味の悪い国だ。
俺は目を失った人々の苦痛を想像し、吐き気がするほどの悪感情に襲われる。
ペール国、迅速に滅ぶべし。
「積田くん。この場で暗記する必要はないですよ」
目眩を起こした俺を気遣い、工藤が背中をさすってくれる。
「私が覚えて、みんなに内容を伝えます。これなら負担になりませんよね?」
「いや、俺も読む」
工藤の善意は理解している。ありがたいとも思っている。だが、目の前で行われている生死のやり取りを詳しく知らなければならない。
「戦場で後悔はしたくない。準備でも何でも、やれるだけやっておきたいんだ」
「……努力家ですね。私も見習わないと」
「2人とも、真面目だねー」
彼女自身、真面目に書類を読み込んでおきながら、水空は工藤と俺を茶化す。
「次の戦いは、こっちが攻める側。もしかしたら、本国まで突っ込んじゃうかもしれないよ?」
水空の発言通り、次が正念場となる可能性は非常に高い。敵の動きをまだ把握できていないが、もし前線を大きく下げて守りを固めているようなら、そこに攻め入る形になる。
敵国近くに拠点を置くわけにもいくまい。そのまま本国に突入して制圧戦になるだろう。
「作戦もへったくれもない乱戦になりそうな予感がぷんぷんするんだよねー。女の勘ってやつ?」
「オマエの場合、野生の勘だろ」
願者丸の辛辣なツッコミに、水空は笑顔で返す。
「へへへ。ゴリラウーマンですから」
「ゴリラどころじゃないだろ。ゴジラウーマンだ」
「野生のゴジラ。いいね。突然変異って感じ」
大怪獣の水空と、上忍の願者丸。武闘派だが、性格や方針の違いで、以前はよく喧嘩していた。
しかし、グンダリ神殿での戦闘後は、何やら仲が深まったように見受けられる。協力してドラゴンを倒したと聞いているが……。
俺は工藤に背中をさすられながら、ぼやく。
「みんなで仲良く過ごす時間が欲しい……」
すると、皆が一斉に俺の方を見る。
真っ先に同意してくれたのは、馬場だ。
「あの家での時間は、宝物だった。今になって実感しているよ」
「その前の、宿屋暮らしも……悪くなかったよ」
水空は天井を仰ぐ。
「あの頃はいっぱいいっぱいだったけど、よくよく考えてみれば、いろんな人のお世話になりっぱなしだからね……。町長さんとか、魔法学校の人たちとか」
「……アネットたちか」
願者丸の呟きを、狂咲が拾う。
「農家を継いだアネットちゃん。銭湯を継いだアマテラスちゃん。留学に出たキャベリーちゃん。騎士団に入ったオメルタくん。みんなどうしてるかな」
「知りたいですか?」
狂咲の言葉を聞き、フォルカスが不敵な笑みを浮かべる。
何故お前が、俺たちの町の住人を知っているんだ。嫌な予感しかしない。
「我が国の徴兵は、現在家長ではない若者たちの中でも、戦闘技能に優れていると目される人物を引き抜くものです。選考は各地の騎士団が行っていますよ」
「……まさか」
俺は嫌な予感の正体に勘づく。
まさか、フォルカスは。いや、騎士団は……。
見計らったように、扉が叩かれる。
軽い音。迷うような音。間違いなく、ここの軍人ではない。
「お入りください」
フォルカスが入室を促すと、扉の向こうから少女が現れる。
アネットだ。
ピンク色の髪。ふりふりの派手なドレス。細い体に可憐な美貌。
豪農の娘であり、俺たちと同じ魔法学校で学んだ、この世界における同志とも言える存在。
それが、目の前に立っている。
「あ、どもー」
アネットの後ろから、アマテラスも出てくる。小さな天才魔法使いであり、やはり俺たちの盟友だ。少し背が伸びたようで、のほほんとした雰囲気の中に大人っぽさが僅かに含まれ始めている。
……2人が何故、ここに。
言われるまでもなくわかってはいるが、俺の思考はショートしてしまっている。
2人はまだ子供だぞ。徴兵するのは非人道的で、理不尽だ。
「やりやがったな」
俺はフォルカスを睨む。
彼は涼しげな鉄面皮で、勧誘に至った経緯を説明する。
「優れた魔法使いであるという噂が、エンマギアの騎士団内部にて広がっていました。こちらの耳に届くほどに。故に、その力を国のために活かしていただくべく、招致いたしました」
「……役目は炊事か? それとも洗濯か?」
「戦力です」
俺は拳を握りしめ、殴りかかる。
俺たちを殺した痴呆神。異界に送り込んだ幼女神。狂ってしまったクラスメイトたち。したくもない人殺しをさせる国。
ストレス。ストレス。ストレス。ストレス。
溜まりに溜まった鬱憤が、弾けたのだ。
「ざっけんな!」
俺の拳がフォルカスの鼻を折る。
全力ではない。こいつもまた、国に動かされる駒でしかないからだ。
真に殴るべきは、駒を動かす頭と手を持った、為政者たち。
だが、そう思って我慢できる限界を超えてしまっている。
この場で当たり散らさなければ、俺は狂ってしまうだろう。
理性だけが、俺の全てじゃない。
「いい加減にしろよクソが! 俺たちがいなくても勝てるんだろう!? 実際、ドラゴン以外はどうにでもなりそうだった! それなのに、守るべき民さえ戦地に出して、俺たちが戦う理由さえ奪って……何がしたいんだお前らは!」
「待って」
俺を止めたのは、アマテラスだ。
か弱い腕に力を込めて、健気に微笑んでいる。
「だいじょーぶ。あんまり前に出ない予定だから」
「その言い方は……後方支援でさえないのか」
ああ。うんざりだ。何もかもうんざりだ。
守るべき相手がそばにいれば、俺たちが本気でやる気を出すと思ったのか。
逆効果だ。いや、ある意味やる気は出ているが……同時に怒りも湧いている。
「俺たちを縛りつける鎖を、お前たちは自分の手で緩めてしまった。後悔しても遅いぞ」
「承知の上ですよ。時間を与えると、あの国は魔の巣窟と化します。さっさと落とさなければならないのです」
ああ、そうかい。勝ちを焦ったのか。追い詰められたペール国が、国民全員の命を捧げ、ドラゴン以上に危険な魔物を召喚するのを恐れて。
——この国も、似たようなもんだろうが。
「少女2人を生贄にするのか。まるで太古の部族だな」
フォルカスを視界から外し、俺は吐き捨てる。
「寝る。後のことは……みんなに任せる」
「はい」
部屋に戻りかけた俺に、工藤が返事をする。
……結局、工藤の言う通りになってしまった。もしかしたら、俺の疲れを見抜いていたのかもしれない。
俺は後ろ手で扉を閉めて、うずくまる。
殴ってしまった。水空を止めた手で。任せてしまった。偉そうなことを言ったのに。
「弱くなった気がする……」
力ではなく、心が。
——しばらく、動きたくない。