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朱月のノクターン  作者: 傘下陽
第一幕:夜の始まり
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第一夜:暁にさよならを

──私の歩んできた道は、正しかっただろうか。間違っていなかったと、そう言えるだろうか。それはもう、わからない。わからないけれど、別にいい。

 君の隣にいて、共に歩んで、私の意志で選択した未来。正しかろうが、過っていようが、その決断に悔いなんてなくて、胸を張って私は大丈夫だと言える。この世界も、案外悪くはなかったと、そう思える。

 でも、思い残すことがないわけじゃない。


 君は本当に、これで良かったのだろうか。私のエゴに、君を付き合わせていないだろうか。それだけが、唯一の不安だ。

 明るい場所を歩けなくたって、構わない。君がいてくれるなら、私はそれでいい。

 でも君は? 私は本当に、君の生きる理由足り得るの? 私がもっと早くに気づいていれば、せめて君だけでも……。


 私の勝手な決断と覚悟に、君を巻き込んでしまったのかもしれない。私はいつも、君に背負わせてばかりだ。思い返せば始まりの日も、始まりの夜も、こうだったっけ──



***



「なぁ、ミア。真面目に聞いてもいい?」


 少年は隣を歩く容姿端麗な少女、ミア・クラールに、いかにも真剣そうな表情をして問いかける。


 少年の名はアルバ・クラール。ミアと同じ姓を持つが、黒い髪や夜明け色の瞳は、彼女と似ても似つかない。

 ミアとは義理の家族にあたり、アルバは孤児だったところを、良家である彼女の両親に従者として拾われた。一応主人である彼女を呼び捨てるのは、そうしろと本人が言ったからだ。


 ミアは少し面倒くさそうにしながらも、いいよと頷いた。アルバの方へは向いてくれない。彼女がどこかそっけないのは、いつものことである。


「ミアって、もしかして僕のこと好きだったり?」


 渾身の言葉に返ってきたのは、痛いほどの静寂。正直、アルバはわかりきっていた。家族の一員としてはともかく、異性として見られている気は全くしなかった。ただほんの少し、淡い期待を抱いてみただけだ。

 仄明るい月の光に照らされ、長いブロンドの髪を揺らしてミアは歩みを進める。その足取りは心做しか軽い。

 街のシンボルとなっている大きな時計塔の針は、八時が過ぎたことを示している。煉瓦造りの通りは、夜に加えて満月ということもあり、既に閑散としていた。

 自分の左耳を触りながら、ミアは一呼吸置いて口を開く。


「……月が綺麗だね」


 ちらりと、見上げる月のように澄んだアイスグレーの瞳が、アルバのことを見た。その目は決して冷たいものではなく、好意的とまでいかずとも、信頼とそれに伴う少々の気怠さがそっと込められている。

 アルバはほっとした。質問は完全にいなされ、あしらわれてはいるようだが、嫌いだと言われなかっただけで彼は安堵していた。

 そして、いつもの調子で話を続ける。


「夜道だし、手でも繋ぐ?」


 荷物を持っていない方の手を差し出し、アルバは言った。キザな軽口に思えるこの言葉も、彼は至極真剣に口にしている。良くも悪くも平静で真面目、そして大胆。これがアルバ・クラールという少年なのである。

 一方当のミアは、差し出された手に黙って自分の荷物を持たせ、ありがとうとだけ言って歩みを進める。悪意などはなく、ただアルバを信用してのことだ。良くも悪くも淡白で強か、そして奥手。これがミア・クラールという少女なのである。

 アルバもアルバで、渡された荷物を素直に預かって隣を歩く。一人で本を読み耽るミアも、夜空を眺めてぼうっとするミアも、こうしてあしらいつつちゃんと話してくれるミアも、彼にとっては大切で親愛なるミアだ。


「ミアって普段何読んでるの? 僕も読みたい」

「異国の古記。アルバには難しいよ」

「他には? もっと何かあるでしょ」

「ゴシックホラー。よく聞く噂の、吸血鬼が出るやつとか。アルバには怖すぎるんじゃない?」

「まさか。何が出ても、ミアは僕が守るさ」

「ありがと。置いて逃げるね」


 まるで弾丸のように、絶え間ない会話が過ぎ去る。一見すると手厳しいこのやり取りも、彼ら二人にとっては平常運転。至って平和な日常の一環だ。

 その後も、夢や行きたい場所など、他愛もない話を繰り返し、気づくと二人は家にたどり着いていた。


「ただいま」


 そう言って扉を開け、屋敷の中に入る。クラール家の邸宅。ミアの実家であり、アルバの帰る場所だ。

 普段ならそんなことはないのだが、今日はどうしても買い物に行きたいと、ミアが言って聞かなかった。日中は来客があって中々外出できず、遅くなってしまったというわけだ。

 一人では不安だということでついて行き、用事を済ませて帰宅したのだが、すっかり夜となってしまった。平和とはいえ、何かと物騒な世の中だ。こんな時間になるのでは付き添って正解だったと、アルバは内心胸を撫で下ろしていた。

 二人は日頃から、運動も兼ねてと護身術のようなものを教わっていたため、いざという時無力ではない。だが、ミアをそのような事態に晒すことは、アルバにとって最も避けるべきことなのである。


 それに、嘘か誠か、夜は吸血鬼たちの時間だと、小さい頃からそう聞かされてきた。また、満月の日は外に出るべきではないとも。もちろん、現実問題危険なのは犯罪者や事故などであって、アルバがミアを一人にしないのもそういった意向があったからだ。

 しかし、この家の当主にしてミアの父親であるジン・クラールは、大真面目な声で二人に言っていたのだ。夜の者には気をつけなさい、と。

 とはいえたった今のように、彼自身が夜に家を開けることもあり、あまり信じてはいないのが二人の本音だった。この街では、似たような噂が古くから語られている。言い伝えや御伽噺の類なのだろう。


「父さんは……仕事かな?」


 ジンは最近、何やら忙しくしており、仕事で帰りが遅くなることも珍しくなかった。また、母親のメイは、二人が幼い頃に他界してしまっている。

 そのため、静寂を特に気にすることもなく、二人はそれぞれの寝室へと向かった。いつものように、朝になれば仕事を終えたジンが、疲れた顔で帰宅すると信じて疑わなかった。



 二人が次に目を覚ましたのは、バタバタと押しかけてくる声に起こされた時だった。

 数人の男たちが、まだ夜明け前だというのに玄関で何やら呼んでいる。寝覚めの悪いミアに代わり、アルバが慌てて対応した。客間に呼んで一人話を聞くつもりだったが、その報せはすぐに彼女を起こすこととなった。


「父さんが……亡くなった?」


 その時アルバが目にしたのは、常日頃から気丈に振る舞い、飄々としていたミアの初めて見せる、絶望的な表情だった。正確には、母親の死以来久しぶりに見せる、だろうか。

 何かが瓦解したようにミアは立ちすくみ、沈黙する。無理もない。仕事で忙しく、母親が亡くなってからは特に関わりの薄かった父親だったが、それでも彼女にとっては唯一の肉親。血の繋がらないアルバを除けば、たったひとりの家族だったのだ。

 それを今、何の前触れもなく失ってしまった。いくら人一倍大人びていても、たった十六歳の少女。何ともないわけが、あろうはずもなかった。


「……父様は、一体何が原因で?」


 鉛のように重たい空気を吸い込み、アルバは男たちに訪ねた。ジンの知り合いなのか、彼らもまた、受け入れ難いという顔をしている。

 一人が前に出て、アルバとその隣でうなだれるミアに問いかける。


「ジンさんの……お父様のお仕事はご存じですか?」


 ジンはよく、危険な仕事だからとミアの世話をアルバに言いつけていた。内容までは話さなかったが、きっと警察などの公安職だと、アルバは勝手に解釈していた。

 アルバはゆっくりと、だが、己の無知を噛み締めるように首を振った。まさか、半ば聞き流していた非現実的な話が、こんな形で真実として叩きつけられるなど、夢にも思っていなかったのだ。


「夜族、という言葉は聞いたことがあるでしょう。この街では話題の絶えない、有名な噂話です。吸血鬼、と言った方がわかりやすいかもしれません。あれらは噂などではなく、紛れもない本当の話なのです」


 突拍子もない話を、真剣に語り出した男。普段なら世迷言をと一蹴できたであろうそれが、今は奇妙なまでの現実味を帯びていた。

 男はひとつひとつ説明するようにして、話を続ける。


「我々は、夜に潜むそれらの驚異から、人々を守る仕事をしています。ジンさんは、その代表の一人でした。正確には、あなた方クラール家が、でしょうか」


 そこまで言うと、二人の顔を見回して男は口を噤んだ。何かに迷っているのか、言いにくそうに下唇を噛んでいる。

 すると、後ろにいたもう一人の男が、手に持っていた何かを差し出してきた。大きめの箱のようなものを開け、鈍く光る中身を取り出す。

 ひとつは複雑な装飾の施された、いかにも剣といった風貌の刃物。そしてもうひとつは、ペンダントのようなものに収められた、淡い月色に煌めく宝石だった。

 仕方がないという様子で、手に持ったそれらを見せながら彼らは再び話し始める。


 黙って聞く二人にとって、まるで小説か何かのようなその話は、まとめるとこうだ。


 まず、人知れず夜族と戦う者たち、騎士隊というものが存在すること。明かした通り、クラール家はその代表とも言える家系のひとつであること。

 今見せた二つの物品は、その家系に代々受け継がれてきた戦いの道具であり、ジンの用いていたそれは、しきたりに則れば息女であるミアが継承者に当たる。そして、継承は同時に、今の生活を捨てるという意味を持つ。

 決断を急ぐ必要はなく、あくまでミア自身が決めればいいとのことだった。突飛な話で信じられないのは承知しており、断るのであれば二度と巻き込まれることのないように手配もすると、男たちは言っていた。


 正直なところ、アルバはミアに断って欲しかった。仮にこれらの話全てが本当だったとして、どんなに大切なしきたりであれ、彼女には平穏な日々を生きてもらいたかったのだ。

 何があろうと、ミアの命と幸せを守る。それが、アルバが亡くなったジンと交した、最初で最後の契約だ。他人の安全よりも、まずは彼女自身に真っ当な生活を送らせてあげたい。そう願った。

 しかし、ミアは迷っていた。確かに、いきなり戦いなどという仕事を与えられて、命を賭けるのは怖い。だがそれ以上に、もう失うものすらないという虚無感と、父親の納得のいかない死に対する静かな怒りが、彼女の恐怖と不安を鈍らせた。



 結局、暫くは考える時間が欲しいということで、その日は帰ってもらった。

 静寂を増した暗い部屋の、その窓から覗く空には、いつの間にか朝日が姿を見せ始めている。二人は何も言わず、その光を背に俯いていた。

 あなたは最愛の人のために、命を賭すことはできますか。

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