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Dominions  作者: 川端ツキ
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白い悪魔が笑った

 回転扉が閉まり、仄暗い室内にケイトだけが取り残されていた。目が闇に慣れない内に動くのは得策ではないと、暫くじっとその場に立ち尽くして、耳をそば立てる。ケイトのいる位置よりずっと後ろ、衣擦れの音と、ほのかに水音がしたような気がした。それになんだか鉄臭い。そう感じて初めて、ケイトは己の置かれた状況があまりよろしくない事を悟った。死ぬかもしれない、と、そう思ったのである。


「濡羽色の髪と黄金の瞳、まるで高貴な黒猫のようじゃないか」


 聞き慣れぬ声が聞こえて、ケイトはバッと振り返った。先程よりいくらか目が闇に馴染んだのか、部屋の奥に人の様な影が見える。その影の足元には、人が倒れている様な群れが見えて、ケイトは後ずさった。トン、と、壁に背中がつく。


「この部屋はね、外からしか開かないよ」


 暗に逃げられないと宣告されて、ケイトは息を呑んだ。落とされていた明かりがバッと一斉に点灯して、ケイトは目を細める。明るさに目が慣れた時、真っ先に目に入ったのは、鮮やかな赤。──血の海、であった。



「っ、」


 鉄の匂いはこれであったかと思うと同時に、胃液が迫り上がる。佇む男の足元には切り刻まれた人であった物と、首元から血を流す人が無造作に転がされていた。ぐちゃぐちゃに潰された体、飛び散る肉片。転がっていた目玉と目があって、ケイトはいよいよ胃液を留めておくことが出来ずに、えずいた。びしゃ、と迫り上がった胃液が大理石の床に散る。ケイトは緊張で昼餉から何も口にしていなかったので、吐き出されたのは消化液のみであった。


「僕はねえ、長い時を過ごす事に飽きてしまったんだよ。だからこうやって遊んでる。赤は綺麗だから」


 ケイトは男が何を言っているのか、わからない。見てくれは人間と違わぬその男。ケイトが人殺し、とか細い声で呟いた時、男は笑った。愉快そうに、笑った。


「人殺しは人間の業さ!僕は人ではない、君達が祀り上げる天使だもの」


 男は己を天使だと曰った。天使は人が作り出した想像上の存在である。そんなものがこの現実に存在しているとは思えなくて、ケイトは怪訝な表情を隠さない。男は人間ではないから、人を殺しても罪にならないと楽しげに語っていた。


「僕は見目麗しい若者を貪るのが趣味なんだ。君は一体どんな表情を見せてくれるのかな?どんな声で叫ぶのかな?」


 男がケイトに歩み寄る。

バサ、と、男の背中に灰色の羽が現れて、男が本当に天使であることを知った。男は見目麗しかった筈であるのに、羽が現れた途端に悍ましい姿へと変貌していた。これが本当に天使であるのかケイトは疑問を抱く。ケイトの想像した天使とは異なって、異様な姿をしていた。

 男の手がケイトの首元へ伸びる。首を掴まれて、息が詰まった。男はニヤニヤと嫌な顔をして笑っている。苦しむケイトを見て楽しんでいるのだ。露骨にそれがわかって、ケイトはより一層恐怖した。よもやこんな所で己の死に直面するなんて思うまい。



『──生きたいかい』


 そりゃあ、誰だって死ぬ事は怖い。こんな所では死にたくないと、ケイトは強く思った。脳に誰かの声が響いていたが、それが誰なのか、どこから話しかけているのかはわからない。わからなかったが、イエスと答える他なかった。


『──では、君が死ぬ時その身体を私に差し出してくれるかい』


 なんでもいい、生きられるのなら。この苦しみから、恐怖から逃れられるのならば、死んだ後どうなろうが知った事ではない。ケイトはまばらな息が漏れる声帯で、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。死にたくない、生きたい、と。



「こんな身体で良いなら、あげる」


 そう口に出来たのか、心で思っただけであるのかは、わからない。わからなかったが、脳には確かに、声が響いてきた。嬉しそうなその声。ケイトはその声に聞き覚えがあった。


『契約成立だ。私は君を守る、君が永遠の眠りに着くまでは』




 いよいよ意識が飛ぼうかという所で、ケイトの気道が確保された。灰色の羽の男は吹き飛ばされ、ケイトの喉元から手が離れたのである。轟音と、壁が崩れる音。ケイトは咳き込みながらぼんやりする頭でその音を聞いていた。


「……っ、は、マーキング済みか」

「この子は私の器だよ。そしてお前は私に消される。悪魔になる前に」


 ケイトが顔を上げた。隣を見上げる。

ケイトの隣に立っているのは、先程頬に触れた青年であった。光を透かす銀の髪、薄青の瞳。青年と灰色の羽の男が話している事は理解出来なかったが、青年がケイトを守ろうとしている事だけは理解出来て、ケイトは青年のスラックスを掴んだ。


「……あーーあ、興醒めだなあ。邪魔が入るなんて」

「お前は知らないね?天使が天使を狩るなんて、当たり前なのに」


 下級が、青年が吐き捨てた。聞き捨てならぬ言葉であったのか、灰色の羽の男は激昂して青年に飛び掛かった。男の手が鋭い刃物の様に光る。ケイトは短く息を漏らして、身を縮めた。


「大丈夫、守るよ」


 青年がケイトの側にしゃがみ込んで、目線を合わせた。バサ、と、先程聞いた音が再び聞こえる。青年はケイトの頭の上を見ている。視線が交わる事はなかった。



「しろ、上級か」


──バシャ、だとか、そんな様な音であったと、ケイトは思う。恐る恐る振り返ると、真っ白で大きな羽がケイトを守る様に、輪を作っていた。じわじわと、白い羽に赤がシミを作る。何が起こったのかなんとなく察したケイトは、言葉を紡げずにいた。


「……し、んだの」

「死んだ、とは少し違うな。魂が消えた、と言った方が正しいかもね」


 輪を作っていた真っ白な羽が、青年の背中へ戻ってゆく。灰色の羽の塊と、赤い血。床に残された二つのそれ。男の身体はすべて羽に変わっていた。魂が消されたからそうなったと、青年は言う。


「……痛、」


 ケイトは肩甲骨の間に痛みを覚えて、俯いた。耐え難く叫ぶ程の痛みではなかったが、それなりに痛みが強く、膝の上で拳を強く握っている。


「これで本当に契約成立だ。後で背中見てみると良いよ」

「……わけわからない、ちゃんと、説明して」

「了解。後で詳しくね。」


 とりあえず、おやすみ。青年がケイトの瞼に手を翳して、目を閉じさせる。されるがまま目を閉じると、意識がスッと遠のいて行くのを感じた。争う事なく、それに従う。ぐらりと揺れた身体が支えられた所で、ケイトの意識は完全に切り離された。

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