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Dominions  作者: 川端ツキ
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始まりの夜、その手をこまねくのは

 パチン、パチン。

栄養に偏りが出ぬよう、剪定鋏で葉を切り落としてゆく。

まだまだ青いそれ。少々虫に食われたくらいでなんだと言うのだ。摘み取られ、憐れ。それが仕事であるので、無感情に葉を落とすだけなのだけれど。

 白いクリスマスローズが憎たらしげに首をもたげている。切ってしまおうか。そうも思った。



「ケイト」


 名が呼ばれ、柔らかな質の黒髪を持つ少年が振り返った。

視線の先に佇んでいるのは、ケイトの雇い主であるフランク•アーノルド伯爵である。

 ケイトはアーノルドの元で庭番をしていた。孤児であるケイトを受け入れ、育てたのはアーノルドその人である。アーノルドは頑なに、己がどのような仕事をしているのかをケイトに話さなかった。どのようにしてケイトと出会ったのかも、何もかも。


「今夜行われる夜会のドレスコードにお前が必要なんだ。一緒に来てくれるかい」


 アーノルドは今夜取り行われる夜会への潜入が仕事なのだと、ケイトに説明した。潜入する夜会がどのような物なのかは話してもらえなかったが、アーノルドには恩がある。ケイトはすぐに頷いた。


「ありがとう」

「──いえ、伯爵には恩がありますから」


 アーノルドは微笑む。ケイトの容姿は、アーノルドの愛した初恋の人と、とてもよく似ていた。髪の色こそ異なるものの、その柔らかな髪質も、猫を思わせる黄金の瞳も、顔立ちも。

 その初恋の人は、今現在、この世には居ないけれど。アーノルドはケイトの頭を撫でた。アーノルドは妻を娶っていなかったが、己に子どもがいたらこのような感じなのだろうかと、ケイトを見るたび思う。


「夜会はフォーマルコーデが鉄板だ。そんな庭いじりはもう良いからフィッティングをしておいで」

「……大して何にもしてないですけどね」

「ケイトは何もしなくて良いんだよ。ただ生きていてくれればそれで」


 ケイトは時折、アーノルドが辛そうな表情で笑うその様子が気になっていた。どうしてそんな顔をするのかと、問う事は出来ないでいるけれど。

 アーノルドはケイトが屋敷へ小走りで戻って行くのを見守っていた。アーノルドは一部貴族の裏稼業である人身売買を取り締まる仕事を請け負っている。国からの要請で密に動くアーノルドは、アーノルド専属の執事や侍女、ケイトにもその旨を伝えていない。知られてはならないのである。


「……若い男女の消える洋館、か」


 今夜アーノルドが赴く夜会は、参加した若い男女が行方不明となる謂れのある夜会であった。主催は薬屋を営む男爵家であり、アーノルドも何度か取引をした事のある家である。主であるオットマン男爵は穏やかで、やや気の弱い男であったはずだ。そんなオットマンが人身売買をしているなんて、とてもではないが思えなくて、アーノルドは頭を抱えた。








オットマン男爵家、広間にて



 アーノルドに連れられて夜会へやって来たケイトは、その煌びやかな世界に気圧されて、壁の花と化していた。着飾った貴族達が思い思いの時を過ごすその空間は、普段庭で土いじりをしているケイトには少々堪えるものであった。香水の匂いがきつい。草木の青々とした瑞々しい香り、芳醇な土の匂い、そのどれとも違う人工的なそれは、ケイトにとって毒とも思えるほどである。

 ケイトは視線を彷徨わせてアーノルドを見た。アーノルドは先程から知り合いの貴族達と談笑をしている。とてもではないが混ざれなくて、ケイトは大人しくしていた。本音を言うならば、今すぐにでも帰りたいところである。


「やあ、こんばんは」

「……どうも」


 ケイトの横に、長身の青年が並び立った。

白に近い銀髪と、スカイブルーの瞳。見目麗しいその青年は、笑みを絶やさずにケイトを見ている。見知らぬ人に不躾にジロジロ見られる謂れはなく、なんだか気まずくてケイトはつま先を見た。あまり見ないで欲しかったが、それを口に出す事はしなかった。


「この夜会はね、曰く付きだと言われている」

「……へえ」

「興味がないか。では、今宵の君が平和であるように願っているよ」


 青年の手のひらがケイトの頬に伸びる。親指で頬に何かを塗られて、ケイトは飛び上がって後ずさった。気持ちが悪い。生暖かい何かが頬にこびりついたので慌てて頬に手を当ててみたけれど、頬には何もないのか、手のひらに感触さえも残らなかった。おかしい。咄嗟に振り返って、窓に反射する己の顔を見た。ぬるりとした何かが付着した感覚があったというのに、頬には何も塗られてはいなかった。


「何するんですか?!」


 ケイトが振り返る。その先には誰もいなかった。見目麗しい青年は、まるで最初からそこに居なかったかのように姿を消している。ケイトは首を傾げた。



 広間の明かりが突然落とされた。ホールの中心に光が差し、ピアノの音色が響き始める。どうやらダンスの時間がやってきたようで、男女がペアを作り思い思いに踊り始めた。ケイトはアーノルドを探そうと視線を彷徨わせたが、どこにも見当たらない。アーノルドが迎えに来るまで壁の花でいようと、壁に背中を貼り付けた。が、ケイトの思惑はすぐに崩されてしまう。


「一曲踊って下さらない?」


 ケイトとさして歳の変わらぬように見える美しい少女が、ケイトの手を取った。ケイトは庭番であるので、ダンスの教養は身につけていなかった。踊れない事を少女に伝えてみはしたが、少女はどこ吹く風、聞く耳を持とうとしない。ワルツなど踊った事のないケイトは、名も知らぬ少女のステップに合わせて振り回されているだけだ。


「ねえ、君ちょっと強引すぎじゃない」

「……わかっているわ、そんな事。淑女らしくないって事もちゃんと」

「……君はどこかの令嬢でしょう?僕はただの庭番だ。吊り合わないよ」

「そんな事はどうでもいいの。だってあなたが良いって、言われちゃったんだもの」


 あなたが手に入らないのならば、私だって。少女がそう呟いたが、ケイトにその声は届かなかった。ケイトは怪訝そうな表情を浮かべているが、手を取り踊る少女は小難しいような、焦っているような、妙な表情をしていた。


「……君、どこへ行こうとしてる?」


 少女のステップは緩やかに、ホールの中心から離れつつあった。ケイトよりもやや背の高い少女は、ケイトの問い掛けに応える事はない。居心地の悪い間が、二人の間にまことしやかに横たわる。

 ワルツの終了と共に、少女が俯いた。繋がれた手は離される事はなく、言葉を紡がぬ少女はホールの隅へ歩いて行く。強引に引かれる手を、何だか面倒くさくなって振り払う気になれなかったケイトは少女に連れられるまま、ホールの隅へとやって来た。真紅のカーテンを少女が持ち上げて、回転扉を開く。ぐん、と強く手を引かれ、ケイトは扉の内側、薄暗い部屋へ放り込まれていた。


「……ごめんなさい、私、生きていたいの」


 回転扉が閉まる間際に見えた少女の瞳には、生きたいと生に縋り付く必死な感情の他に、罪悪感と涙が浮かんでいたような気がした。

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