祝祭の女神(前)
その国は巨大な城郭都市であり、都市全体を囲んだ壁の中に、耕作地どころか森林や池まで含まれていた。
リオーダがその国に到着したのは秋の夜であった。三重月が三つとも満月に近づいており、月光が白く地上を照らしている。周囲は明るい。
リオーダは道なりに城門へ到達。門衛が二人立っている。
厳しい入国審査を覚悟したが、意外にも門衛はフレンドリーだった。
「旅の人かい。いい時に来たな! うちの国は今、三重満月が近いってんでお祭りムードさ」
「旅人さんは大歓迎。楽しんでってくれよ!」
満面の笑顔だ。
城壁内は常夜灯が並び、店々の明かりも眩しい。人の姿も多く賑やかだ。
天上の月光に対抗するかのような地上の明るさ。幻想的な光の洪水。管弦の音色、人々の喧噪。ここは本当に魔術師に支配されている国なのか? と疑うような、楽しさと喜びにあふれた光景であった。
「旅人さん、うちの宿に泊まってくれよ」
客引きだ。
「お代はいらねえよ、めでたい祭りだからな」
「おいおい、抜け駆けはいけねえ。まずは宴会場に案内だろ」
別の男が客引きを咎めた。客引きはばつが悪そうだ。
「旅人さん、まずは宴会場ってとこで好きに飲み食いしてくんな」
「魔術師にはどうしたら会える?」
二人の笑顔が一瞬強張った、というのはリオーダの錯覚だろうか?
「ライカー様は三重満月の祭りの夜にお出ましになるんだ」
「それまでは祭りを楽しもうじゃねえか、旅人さん。な?」
強い勧めもあり、他に行く当てもないリオーダは、宴会場とやらへ連れて行かれた。
途中、祭りの夜にはふさわしからぬものを見た。ボロを着て、路傍の暗がりに立っている浮浪者だ。
よく見れば若い女のようだった。女はじっとリオーダを見つめていた。
広場の真ん中にでっかいテントが張ってある。あれが宴会場だ。
中に入るとテーブルが長く並べられ、そこにずらりと旅人が座っている。
テーブル上には珍味嘉肴、濁酒清酒。配膳係が忙しく走り回っている。
リオーダは端の席に座った。
旅人たちはこの振る舞いにご満悦。食って、飲んで、女を触ってとやりたい放題。だが住民は笑顔で接待している。
「ささ、新しい方もどうぞどうぞ」
香辛料のかかったチキンレッグみたいな肉を食う。
美味い。
「おうあんちゃん、お前さん今日着いたのか?」
隣のゴロツキ風が酒臭い息で話しかけてきた。
「おれなんかこれで六日目よ」
「なんでこんな歓迎を?」
「旅人が主役の祭りってことらしいぜ。ほれ、あっちで話してる奴らがいるだろ? あれはこの町の各地区の代表だ。お前さんが泊まる宿をどこにするのかの相談だぜ。それぞれの地区で少なくとも一人は旅人を泊めるならわしなんだってよ」
「お前さんももう少し早く来りゃ長く楽しめたのにな」
「祭りはいつだ?」
「明日さ。三重満月の夜」
ならばそれまでは周囲の流れに任せよう。リオーダが用があるのは魔術師だけだ。
話し合いの結果、リオーダの宿は、西井戸第四区に決まった。
どこでもいいけど。
西井戸第四区はスラム街で、リオーダを宿に案内した地区代表の男はやたらと恐縮していた。こんな場所に泊めるなんて申し訳ない、と。
「ただ、旅人さんを泊めてないのがこの地区くらいしかなかったので……」
リオーダは気にしなかった。全体がこのスラムよりひどい状態だった国を知っている。
意外にも、いかにも悪そうな若者や、無知な旅人を食い物にしてそうなギャング連中までが歓迎ムードでリオーダを迎えた。
宿までみんなついてきて親しげに声をかけてくる。宿でも下にも置かぬ待遇を受け、逆に居心地が悪いくらいだった。
柔らかいベッドでリオーダは眠った。
そして祭り当日になった……。
「旅人さん、おはようございます!」
昨晩の地区代表がにこやかに迎えに来た。
「今日は町をご案内しましょうか?」
「魔術師は夜まで来ないんだな?」
「え、ええ」
「ならそれまで寝ている」
「……わかりました。では夕方に迎えにあがりますので。朝と昼のお食事はお部屋に届けさせましょう」
夕方になり、代表の男に案内されてリオーダは宿を出た。昨晩のテントで宴があるという。
途中、昨日見かけた浮浪者の女が立ちふさがった。
女はリオーダに向かって石を投げた。とっとと帰れと言わんばかりだ。いくつも投げてくる。
「こらっ、何をする!」
案内の男が拳を振り上げて女を追い払う。
女は逃げたが一定の距離を置いてリオーダを見ている。
「おれが何か嫌われることでもしたのか?」
「いえいえ、あのファルアというのはまともな人間じゃないので。お気に障ったなら申し訳ありません」
だがファルアという女がリオーダに送る視線には、何らかの明確な意志があるように見えた。
テントは今日も料理が山盛りだ!
すでに他の旅人は席に着いていて、リオーダが最後の一人だった。
「おせえよあんちゃん」
昨晩のチンピラ風が待ちかねたという様子だ。全員が揃うまで飲食はお預けだったらしい。
テントの中に魔術師の姿はない。まだ夜にはならないからか。
「それでは皆様、どうぞお召し上がりを!」
テントの入り口が騒然とした。どうしたかと思ったら、さっきの女ファルアが乱入してきた。
一番近いところにいたリオーダと目が合う。
やはり彼女は愚者とは思えない。何か切羽詰まった事情があるかのようだ。
ファルアを引きずり出そうとする連中を押しとどめる。
「何か言いたいことがあるなら聞こう」
「言いたいことも何も、旅人さん、こいつは口が利けないんですよ」
ファルアを取り押さえている男の一人が下卑た声で言った。この男の下劣さは、取り押さえるのにかこつけて彼女の乳房に手をやっていることでも知れる。
口が利けないというのならなおさら、彼女の行動には何らかの理由があるに違いない。
「おいおい、そんな汚え女さっさと放り出しちまえよ」
うんざりした様子のチンピラ風が言いながら、料理に手を伸ばした。
拘束から抜け出したファルアは何を思ったか、テーブルの上に飛び乗った! めちゃくちゃに暴れる! 料理が散乱! 悲鳴、怒号がテント内に響き渡る。
リオーダもソースをかぶった。
ファルアは激高した旅人の一人に殴られ、他の奴に蹴られ、倒れたところを町の住民に取り押さえられた。
さらに攻撃を加えようとする連中。
「もう十分だろう」
リオーダが止めた。
「抵抗できない女を殴って楽しむ趣味でもあるのか」
それで一同はしらけた。
ファルアは縛られて脇に転がされた。
宴が再開した。飲んで食って歌って踊る乱痴気騒ぎだ。
リオーダは静かに料理を食いながら、ファルアに視線をやる。彼女の目が訴えているのは怒りでも狂気でもない。深い悲しみを湛えているようであった。
少し気になるが、今は魔術師が現れるのを待つ時だ。
ライカーと言ったか。さあ、出てこい。
リオーダは異変に気づいた。気がつけば宴会のボリュームが徐々に下がってきている。酒量が特に多いわけでもないのに、昨晩に比べてダウンしている人が多い。
警戒心が働く、が、遅かった。
リオーダにも襲ってくる眠気!
気を失う前に見たのは、こちらをじっと観察するような目の住人たちだった。