正義の心(中)
放浪しながらアイロは、その剛力を使って正義や人助けを行なうようになった。
憧れていたティダーみたいに正義の人になるのだ。
でないと彼らに顔向けができない。
だがアイロは頭が良くない。正義に努めても、うまくいかないことが多く、結果としてどこにも定住できないままだ。
そして現在……。
「大丈夫?」
できる限り優しい声と顔で少女に話しかける。少女は身を固くして部屋の隅に逃げる。
かわいそうに、すっかり怯えてしまっている。
ライグン一家に対する義憤が、アイロの心中に湧き上がっていた。
「何をしている!」
料理仕込み中だったライグンが、巨大肉切り包丁片手に怒りの登場。
「早くその扉を閉めろ!」
悪人が正体を現したな! その刃物でおれを襲う気か? アイロは、少女を後ろにかばうようにしてライグンと対峙。
「今ならまだ間に合う! 閉めろ!」
包丁で扉を差し示すライグン。アイロには、自分に刃を向けているように見えた。
「脅しは効かないぞ!」
ライグンの様子が、凶悪というより激しい焦燥であることにアイロは気がつかない。
「早く閉めるんだ!」
そのライグンのセリフはほとんど悲鳴だ。
間の空間が歪んだ。ぐにゃりと曲がって、一人の人間を産み落とした。ワープ魔術だ。
それは、骨と皮ばかりに痩せた魔術師。
ライグンの顔が絶望に青ざめる。
「こんなところに、未処置の国民がいたんだね」
魔術師は部屋の中を覗き込んで、ニヤァリと笑った。
「いけないな、隠してたなんて」
骸骨の笑いだ。
アイロはその顔を見て激しい頭痛に襲われた。片膝をつく。
魔術師は彼を見て、
「お? どこかで会ったかな?」
一瞬のフラッシュバック。
この魔術師が、仰向けのアイロを見下ろして笑っているシーン。確かにアイロは彼を見たことがあった。
だがいつ、どこでだ?
頭が痛い……。
魔術師もアイロを思い出せなかったらしい。すぐにアイロから興味をなくして、部屋の隅で怯える少女を捕まえた。
「待ってくれ!」
ライグンの哀願。
「大丈夫、すぐに戻してあげるよ。じゃあね」
空間が歪みはじめる。
少女がライグンへ手を伸ばす。心配させまいとしてか、笑顔を浮かべて。
「おとうさん……!」
その言葉を最後に少女は魔術師とともに消えた。
おとうさん?
アイロは痛む頭を振りながらライグンを見やる。
何か、よくわからないが、何か取り返しのつかないことを引き起こしてしまった感覚。
「貴様! 貴様が!」
ライグンが殴りかかる。彼の目には涙があった。
「開けるなと! 何度も!」
「お、おれはただ……」
言い訳は無益!
「私たちの娘を!」
アイロは殴られながらライグンの口から事情を知った。
ライグンは、娘を魔術師の目が届かないように、ひっそりと隠して育てていたのだ。一〇年もの間、細心の注意を払って、魔術師の注意を引くことなく。
それを、アイロが騒いだせいで気づかれてしまった。
なんという愚行!
一切抵抗せずに殴られ続けるアイロ。
暴れるライグンを妻が止めた。悲嘆に暮れる二人を見て、アイロは先ほどの魔術師の言葉に希望を見た。
「でも、すぐに戻してくれるって言ってたよ」
「ああ、その通り、すぐに帰ってくるだろうさ。心臓を抜き取られてな!」
先ほどの魔術師は心臓愛好家。国の住民全員の心臓を抜き取り、居城に飾っている。住民は心臓無しでも生活できるが、魔術師の気まぐれで心臓を廃棄されればその場で死亡だ。
先日の肉屋の突然死は、この国ではごく日常の光景である。
ライグンらも、その胸郭の中に心臓は入っていないのだ。
「せっかく……! いつかこの国を脱出させようと育ててきたのに!」
ライグンは再び激して絶句した。
アイロは自分が何をしたかを思い知った。ライグンの将来にかけた一縷の希望を断ち切ってしまったのだ。
これは正義でも英雄でもない。
「いや」
アイロは頭が良くないのと同じく、諦めも良くなかった。
「魔術師の城を教えてくれ。取り返しに行く」
「無駄だ、一般人間が魔術師に勝てるか!」
アイロは落ちていた巨大肉切り包丁を取り上げると、指の力だけで包帯みたいにくるくると鋼の刃を巻いてみせた。剛力!
ライグン夫妻は唖然。
「おれは、ただの一般人間じゃないから」
彼の顔に決意漲る。
絶対に助けるという思いを胸に、弾丸のようにアイロは駆ける。脚力も三倍だ。
前方にドーム型の居城。門は鉄柵で封鎖されている。
体当たり! 鉄柵を破壊。そのまま突進し、ドームの入り口を突き破って内部に進入した。
アイロは愕然とした。
そこは心臓の展示会場だった。
広い空間に無数の展示台。一つの展示台に一つの心臓がガラスケースに入って陳列されている。心臓はそれぞれ脈打って動いている。
悪夢のような光景であった!
その中に、失神したライグンの娘を抱えた魔術師の姿があった。娘はまだ無事みたいだ。彼女の心臓が入るであろう展示ケースはまだ空だ。
「魔術師、その娘を返せ!」
「んん……んん~?」
骸骨魔術師はアイロを見て怪訝な顔をしたかと思うと、
「思い出した! 失敗作じゃないか。なつかしいね。ほらほら、ボクだよ! キミを人体実験してあげたボクだよ」
さっきの頭痛がまたアイロを襲う。両手で頭を抑えてうずくまった。
――それと同じ瞬間に、アイロが破壊した城門の前に立った男がいる。鋭い視線でドーム型の居城を見据えている。
全身が黒い。髪の毛まで黒い。異様な風体であった。
男は、躊躇なく居城へ向かって歩を進める……。
記憶の奔流。
アイロは、ついに思い出した!
アイロの記憶は決起前夜へ遡る。
ティダーに促されて眠りに行ったアイロは、その途中でこの骸骨魔術師にさらわれたのだ。
どこかへ連れて行かれ、身体を切り開かれ、何かの処置を受けた。
痛みはなかった。麻酔魔術だ。これは人道的な観点ではなく痛みで暴れられると面倒くさいということなのである。
その後立たされて走る飛ぶ持ち上げるなどのテストをやらされたが、記録に不満だったらしい骸骨は軽蔑したような目をアイロに向け、手をかざした。アイロの意識は途絶え、次に目を覚ましたのが行進に遅刻した翌日だった。その夜の記憶はなくなっていた。今まで。
アイロは頭を振って立ち上がった。
「おまえが……!」
「てっきり失敗だと思ったけど、その様子だと時間差で身体能力向上には成功していたみたいだね。きちんとした評価には継続的な観察が必要なのだなぁ」
こいつさえいなければ遅刻せずに、国の皆に後ろ指をさされずに済んだのだ……!
怒りが湧く。
怒りのまま突進!
「おっとそこの心臓は誰の物かな? この子の親かも?」
アイロはたたらを踏んで停止。おそらく展示ケースを壊すと死んでしまうのだ。下手に動けない。
展示台はそこかしこにある。
そうだ、個人的な感情じゃなくて少女を助けるために動かねば。
一方的な戦いだ。
少女を抱き展示心臓に隠れるように動く骸骨魔術師を、アイロはなかなか攻撃できない。
反対に骸骨は自由自在。好き勝手に動き、ガラスが割れケースが壊れるのも気にかけない。すでに数十もの心臓が展示台から落ちている。町では数十人が死んでいるということだ。
骸骨の動きは鋭い。アイロの人体実験から数年、身体能力向上の実験は成功し、すでに自らの身体に施している。
今の骸骨はアイロをしのぐパワー&スピードの持ち主なのだ。アイロは殴られ、蹴られ、反撃は心臓と少女に阻まれる。
まだ相手は魔術も使っていないというのに、アイロはもはやボロクズのようにされ床に這いつくばっている。
「さすがボクの実験体、タフだね。そろそろ死にそうだけど」
あちこちの出血。顔面の腫れ。左腕はどこかが折れている。満身創痍だ。
やはり一般人間は魔術師には勝てないのか? ヒエラルキーは絶対なのか?
アイロは正義にも英雄にもなれないままここで犬死にしてしまうのだろうか?
彼はほとんどふさがった視界の中に黒い死神を見た。
いや、死神ではない!