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豊穣の蜘蛛(前)

 田園風景。

 その土地は肥沃であった。

 畑。牧場。果樹園。どれも素晴らしい収穫が期待できる。川も森もあり、魚や獣が手に入る。

 無数の食材!


 が、その風景に交じって働く人々は完全なる灰色だ。目が死んでいる。労働への喜び、大地の恵みへの感謝、そういったものは彼らの顔からは一切感じ取れない。

 穀物の穂は黄金に輝き、果実はつややかに光沢を放っているというのに。

 いったいなぜ、彼らの顔は暗いのであろうか?


 田園風景の道を、あからさまに異質な人影が歩いている。

 黒い、男であった。

 マントが黒い。ズボンが黒い。ブーツが黒い。左手にはめた手袋が黒い。そればかりか、頭髪までが黒いではないか。

 太陽に照らされながら、陰で覆われたような異様な冷気を纏うその姿。


 黒の男は、のそのそと草を刈っている労働者を呼び止めた。

「この女を見たことがあるか」

 懐から取り出したのは、この世界には存在しないはずのガジェット。

 スマートフォンである。

 労働者にとっては、奇妙に平たい板としか理解しえないであろう。


 男が見せたのは、スマホの裏。透明スマホカバーの中に挟まれたプリクラの写真である。撮影時に多数の加工が施され、元の顔とはかけ離れてしまっているが、他人に見せる手がかりとしてはこれしか残っていないのであった。

 女。

 若い女の顔。

 もはや存在しない女の……。


 労働者は力なく首を振る。

 ――またハズレか。

 と、馬のいななき!

 蹄の音を響かせて向かってくるのは、片手で棍棒を振り回す荒くれ騎手だ。

「そこの貴様! 動くな!」

 黒の男を棍棒で指し示す。


 荒くれ騎手は棍棒を振りかぶり、駆け抜けざま問答無用でフルスイング! 当たれば即昏倒の一撃だ。

 それを、黒の男は左手でキャッチ! すると馬だけが走り去り、荒くれ騎手はその場に宙ぶらりんで残された。

 常人では考えられない膂力に、荒くれの顔に怯えが走る。

「まさか……魔術師様で?」


 男はまず腕を一振り! 荒くれは脳天から地面に叩きつけられ、即昏倒。

「魔術師じゃない」

 聞こえないことをわかっていながら、質問に返答してやった。

「あわわわわわ」

 見れば労働者が、高速で振動していた。恐怖による震えである。

「あんた、なんてことを……! 美食様への叛逆ですぞ!」


「それが、この地の支配者の名か?」

 だが労働者は、もはや言葉を交わすことすら恐ろしいとばかりに、畑の中へ逃げ込み労働を再開した。黒の男のことは完全無視だ。

 間違いない。美食様というのが、この地を支配している魔術師の名だ。労働者の恐怖がそれを雄弁に物語っている。

「アンタ、すごいな」


 声をかけてきたのは若者だ。先ほどの労働者とは違って、目に光が、肌に艶が、髪にキューティクルが残っている。労働をサボっている証拠だ。

 荒くれはまだ昏倒している。

「すごい強さだ。おれはダダン。アンタは?」

 黒の男は名乗ったが、それはこの世界では発音しにくい文字列のようであった。


「リオーダ……リオーダか」

 訂正はしない。もはや彼を本名で呼んでくれる者はこの世界に存在しない。ならばリオーダでもかまわないではないか。

 ダダンもプリクラに心当たりはないと言った。

 荒くれはまだ昏倒している。

「おれの家に来なよ」

 ダダンの家に行った。


 竪穴式の粗末な家に入るや否や、ダダンは平伏。

「アンタの強さを見込んで、おれを鍛えてくれ! おれは犬になりたいんだ!」

「他のみんなみたいに働かなくていいのか?」

「はっ、あんな仕事!」

 さも軽蔑したようにダダンは嗤った。

 この国の民は地位が二つだ。食料を生産する蚯蚓。それを監督する犬。


 リオーダを襲撃した荒くれ騎手、あれが犬である。

「おれは犬のほうが向いてると思うんだ。あんな蚯蚓の仕事なんかじゃなくて」

「やめとけ」

「なんだよ、ケチだな」

 抑圧的ヒエラルキーの中間層は、自らの鬱憤を下位の者に吐き出すようになる。蚯蚓の仕事を軽蔑するこの男ならなおさらだ。


 夕食の時間になった。ダダンは外へ出た。そのへんの土を掘り起こすと、なんということか、それを口へ運びはじめた! これが蚯蚓の食事なのだ! これほど豊作の国で、自ら作った作物を、一口たりとも食べることを許されていないのだ! この国で取れる食べ物は、全て美食様のものなのであった。


 ここで、魔術師とは――について説明しておこう。

 天地万物あらゆるものに遍在する魔力クォークを励起することにより、奇妙不可思議驚異的な現象を引き起こすことができる才能の持ち主、それが魔術師である。

 全世界に存在する魔術師は、それぞれの地域において絶対的支配者として君臨している。


 彼らにとって、魔力クォークの励起ができない一般人間は、ただの下等生物にすぎず、どう扱っても問題のない私有物なのだ。支配域の住民全員に魔法をかけて、土を食うだけで生存に必要な栄養が摂取できるように体の構造を改造するなどは、簡単なことなのであった。


「犬になれば、土以外の物も食っていいようになる。美食様の残した腐敗物や、美食様の吐き戻した食べ物が食えるようになるんだ!」

 土を食い、汚泥をすすりながらダダンは叫んだ。

 それを見下ろすリオーダの、黄昏に沈む黒い瞳にいかなる感情が映写されているか、それは誰にも見えなかった。


「見つけたぞ!」

 先ほどの荒くれ騎手が、仲間を一〇騎引き連れて登場!

「魔術師ではない一般人間が我ら犬に逆らうとは、許せん」

 だが、先ほどのリオーダの実力に怖じ気づいたように、一定距離から近づこうとしない。

「ちょうどいい」

 リオーダは静かに言った。

「美食様のところへ案内してもらおう」


「お、おれがこいつを引き留めてたんです! 功績ですよね!」

 ダダンがいきなりリオーダを売った。

「どうかおれを犬に! 美食様にお目通りを!」

 這いつくばる。

 面倒だからか、犬どもはリオーダとダダンの二人を囲んで連行することにした。

 目的地は、広がる田園風景の中心地に建つ宮殿だ。


 今は夜に近いが、昼間に空を飛んでみればわかる。田園風景の中を走る道は宮殿から四方八方に放射状に伸び、さらにそれらが横道で繋がっているのだということが。

 さながら田園に広がる蜘蛛の巣。中心の宮殿は、じっとかがまっている食人蜘蛛だ。リオーダはその蜘蛛の顎へと連れられていく。

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