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雄猫は女の子に懐くんだよ



 私は王子殿下の婚約者には、ならなかった。


 王命であれば断れるものではないけれど、私の気持ちを知っているお父様とお母様が妃殿下にも陛下にもきちんと話してくださったからだ。

 それでも恐縮ながら妃殿下が私を気に入ってくださり、何より第一王子殿下の強い希望があったので婚約者候補として残ることにはなった。

 正式な場には出ないけれど、準ずる扱いをされるということだ。


 王室絡みの礼儀作法を学んだり国内の情勢を把握するためのちょっと詳しい勉強をしたり、そういうのを頑張りますという誓約をする。同時に与えられる許可だったり権限だったりがあるのでそれの確認とか。候補になるだけでなかなか大変だ。ほとんど公式の場に出ないってだけかな。

 登城の制限が解除されて手続きも簡略化されたり、殿下方の猫部屋へ立ち入り許可をもらったり。

 猫部屋への、立ち入り許可とか。

 はっ嬉しくて二度言ってしまったわ。

 最終的に署名した誓約書の内容ともらった許可項目を熟読して、その部分をしばらくじっと見つめ、お父様と王城からの使者様の顔を二度見してしまった。素直でごめんなさい。だって王立図書館や内廷の庭園への許可より嬉しかったので仕方ない。


「我が家としては特別推挙はしないけれど、悪い話ではないと思うのだがね」

 使者様を見送って、ちょっと書斎においでとお父様に呼ばれてみればそんなことを言われた。

 私だって悪いとは思ってませんよ。

 ただ、まだ、難しいなあと思うだけで。

「グイードの側近候補の話も、こちらとは関わりなく考えてくださるというのですから。我が家としてはそれでいいではありませんか」

「いやグイードの件は置いておいてだね。なあルチア。むしろ、正式でない候補としていつまでもいるようでは、他の縁談も組めないんだよ?」

「承知しております。殿下に相応しい正妃ができましたら、そうね、弟の言葉に甘えて領地の端っこあたりに小さな家をもらいましょうか」

「……ルチア」

「グイードの縁談は気合い入れてくださいな。我がバッソ家の嫡男ですもの。弟に素敵なお嫁さんがきて、お父様のお仕事を継いで、私に小さな家をくださるように」

 お願いすると、お父様は深い深い息を吐いてから私を呼んだ。だからそっと近づくと、抱きしめられて励ますように背中を叩かれた。ちょっと優しすぎるお父様は、とっても優しい。


 その後で、お母様に頬がぺったんこになってしまうわってほど激しく両手で挟まれて、たくさんのキスとたくさんの愛してるをもらった。素敵なお母様は、この日も情熱的だった。

 最後に弟が寝室にやってきて、人生で最後だからと言い訳をして一緒のベッドに入った。グイードは憶えているかしら、一緒に寝たのはあなたが8歳の頃以来ねと言ったら、憶えてないと上掛けを頭からかぶってしまった。五年ぶりよドキドキするわと告げて、私は夜の深い時間まで子守唄を歌った。可愛い弟は、きっと格好よくなってしまうんだろう。


 愛してるわ。私の愛してるはこの三人で手いっぱいなの。

 もうこれ以上持てないの。


 持ちたくないの。




「ルチアは私のことが嫌いなの?」


 でもね、そんなことを拗ねた顔で尋ねてくる美少年に何の非がありましょうか。いやない。

「いいえ。大好きですよ、殿下」

「せめて名前」

「エルベルト様」

 納得がいかないと言葉が顔に書いてあるみたい。可愛い。猫だったらピンと伸びたヒゲが揺れてるみたい。


 エルベルト王子殿下の猫部屋そのニは、雄猫ばかり三匹がいました。黒シマシマちゃんと、茶白ちゃんと、長毛の灰色ちゃん。長毛の子は耳の先が白いかしら。

 雄ばかりなので、それはもう元気よく追いかけっこしたり暴れたり、今の子達はケンカはしないようだけどとにかく普段はとってもヤンチャらしい。

 でも私は勢いづいてしまった追いかけっこくらいしか見たことがない。三匹とも元気だけど人懐こい甘えっ子でよく鳴く。うわーんうわーんと大きな声でよく主張してくる。

「お前たちも男か……」

 私の顎の下に狭い額ををぐりぐりすり付けていた茶白ちゃんを、エルベルト様に取り上げられてしまった。ああ重みが、茶白ちゃん一番大きくて重くていい感じなのに。


「あー重い。お前また太ったな。誰かにこっそりオヤツもらってないだろうね?」

 両脇を持たれて、ぶら〜んと足を下げた格好の茶白ちゃんはさほど抵抗しなかった。そんなことないよと目を逸らしている。正直に言わないと放り投げるぞって、ぶらぶら、茶白ちゃんを揺するから下で黒シマシマちゃんがその尻尾を狙っていた。

 長毛ちゃんが、のし、と私の膝に乗ってきた。


 ここは楽園です。


 亜麻色の美少年が猫を持ち上げて戯れていて、その足元で獲物を狙う仕草でおしりをフリフリしてる猫がいて、それらを微笑ましく見守っている私の膝に猫がいる。


 ここは、楽園、です。


 長毛ちゃんの肉球を親指と人さし指でぶにぶにつぶしていると、嫌だと前足を引っこめられたので、もう一度つかんでぶにぶにしたら両方の手を体の下に隠されてしまった。その体勢で落ち着いたらしく喉が鳴っていた。

 ああ癒し。はあん可愛い。

 茶白ちゃんを毛足の長い絨毯に下ろそうとした瞬間に、黒シマシマちゃんがすごい勢いの体当たりをして殿下が床に転がっていた。我が国の第一王子でさえ遠慮のない頭突きをもらってます。

 猫最強。


 ここまでゆっくりした時間というのは、実は珍しい。

 エルベルト様12歳のお誕生日行事が終わって、今日は一日お休みなのだそうだ。


 王室の方の誕生日は、多くの国民にとってお祭という認識だと思う。

 殿下宛に貴族たちからたくさん贈り物は届くけど、王室の方々が還元するのは国民にだ。王城の外苑を解放して庭園の散策ができるようにしたり、成人前の殿下が国民に姿を見せて直接挨拶したり、街で行う催事など事前に申請して認められれば補助金が下りる。

 人や物の流れを一気に流す機会というか名目というか。

 ご家族でお祝いはもちろんするそうです。でもやっぱり目の回る忙しさらしく、婚約者候補でしかない私は公式のご挨拶で一緒にいることはできないので、こうやって休日に呼ばれて癒しをもらっている。いえ私がもらってどうするの。


 あれから二年近く経って、殿下は12歳になりました。天使と見まごうほどの美少年は、人の輪郭を得て人々を惑わす魔性の美少年になりました。こわい。

 可愛い撫で回したいいや触れたらいけないかしら神々しい、から。

 まあ何て可愛らしい……可愛いいえ確かに愛らしいけれどあら、まあ、美しい、に。変化しました。

 こわい。


 弟のグイードが殿下の二つ上、14歳になるのでこっちは少年ぽさがどんどん抜けてきて残念である。造形ではなく可愛い度合いで。残念。まだ子供ではあるけどちょっと男性ぽさを出してきてお姉ちゃんは淋しいです。

「はあ、ご期待に添えず申し訳ありません」

 なんてさらに可愛くないことを言うので、格好よくなってしまったわと肩を落としたら全力で逃げられた。私の言葉に照れているようではまだ子供ね。可愛い。


 エルベルト様が、黒シマシマちゃんに体当たりをもらって床に転がったので、私も長毛ちゃんを抱えてえーいっと絨毯に横になった。基本的にこの部屋には猫と私たちしかいない。

「ルチアは、僕が、嫌いなの?」

 未婚の男女というか、婚約者候補というか、やっぱり子供とお姉ちゃんというか。

 私たちしかいなくて。

 最近自分を「私」と呼んでいたエルベルト様の言葉がちょっと戻ってしまっている。

「大好きですよ」

 寝転がっているから、距離はあっても向き合う目線の高さは同じ。


「ではどうして、婚約者になってくれないの?」

「そうですね。殿下が成人するくらいには、今は可愛いだけの幼女も素敵なご令嬢になるんじゃないでしょうか?」

「ルチアがいい、ルチアが好き、一緒にいよう」

「嬉しいです。こんな楽園に招待くださる殿下は本当に天使です」

「対外的なことを言っても、君は充分に資格を得ているよ。学習面でも礼儀作法でも何でもとても順調だ」

「皆様方を煩わせることがなくてよかったです」


「ルチア。愛してるのに」


 ありがとうございますと笑ったのに、エルベルト様は茶白ちゃんのお腹に顔を埋めてしまった。

 天使からの愛してるは何度か聴いたことがあって、でも、どうして最初から私を気に入ってくださったのかは聞いたことがない。

 それは重要かと質問されたら、あまり、と答えるしかないので。追求したことはなかったかな。

 妥当なのはグイードから話を聞いて興味を持った、とかかしら。弟は口が回るけれど猫についてはさらに饒舌になるから、猫好き一家の長女を面白おかしい事実として語ったのかもしれない。


 うん、でも、最初がなんだっていいのよ。

 月に一度二度くらいの頻度でこうやってお会いして、この亜麻色の天使がやっぱり天使じゃなかったと知れたので。

 エルベルト王子殿下は、頭の回転が早いので学習面は優秀で。だからちょっと他の人を振り回すというか振り落とすというか自分を基準に考えているけれど、それも長所的な我の強さといえる程度だ。基本的にやわらかいので色々得をしていると思う。

 話す言葉とかその語調とか仕草の基本とか全体的な雰囲気とかが、やわらかい。しなやか。

 だから対人関係もするりと相手に寄り添っていく。外交と考えれば頼もしいけれど、女性関係と思えばやはり魔性なのか。天使の闇堕ちこわい。


 エルベルト様は猫みたい。

 だから可愛いって思ってますよ。本当ですよ。


 お腹に顔を埋められて嫌がっていた茶白ちゃんが、どうにかもがいて脱出すると亜麻色の巻き毛がくしゃくしゃになっていた。目を閉じて、寝てるかな? 寝そうかな?

 そんな殿下を見ていたら私もあくびをしてしまって、そうしたら長毛灰色ちゃんも大きなあくびをした。

 殿下やっぱり忙しかったんだなあ。この位置からだと腕を伸ばしても前髪を撫でられないや。これはちょっと眠っても大丈夫かな。

 なんて気軽に考えて私も瞼を下ろしてしまった。


 もちろん、しばらく後に猫部屋にやってきたグイードにものすっっごく怒られました。

 声もちょっと低くなってきたかしら。お姉ちゃん淋しい。


 あ、ごめん。反省はしてる。




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