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ここは楽園ですか



 その扉が開かれて、目に飛びこんできた光景に私は息を飲んだ。

 ああ楽園かしら。

 控えめな装飾、わざと粗い目の木板を腰壁として部屋すべてにぐるりと設え、毛足の長すぎない絨毯が広く敷かれている箇所と石の床の箇所が分かれている配慮。

 窓は高い位置にあってその近くに梯子はない、脱走防止ね行き届いているわ。


 目に見える範囲に天使が三匹。

 灰色ちゃんと、黒白ちゃんと、シマシマちゃん。

 もう二匹と一人は、これはソファと呼ぶのかしら? という広さのソファで身を寄せ合ってお昼寝中だった。


 安眠を妨害する気などこれっぽっちもないけれど、天使の寝顔を見てみたくてそおっと近づいた。

 横向きで丸まるように眠っている天使の、お腹あたりに黒ちゃん、膝の裏あたりに白ちゃん、この部屋には五匹と一人の天使がいた。

 画家を!今すぐ画家を呼んで!!

 と、叫びたい気持ちを抑えるために両手で口をふさぎ、絨毯に靴の底を埋めながら細心の注意でもうちょっとだけ近づいた。


 天使の一人は亜麻色の毛並み。

 ふわっふわの巻毛で触ったら指がふかぁ…と沈むのだろうと想像できてもう悶える。眠っているというのになんて整ったお顔なんでしょう、天使は違うわ、すうすう寝息をたてている唇が砂糖漬けの薔薇みたいにピンクだ。

 そして何と心得た服装なのか。毛のつきづらい光沢あるシャツやハリのある下衣は、天使の悪戯によって糸がつったり細い穴が空いていたりする。よく見ないとわからない程度だけど、天使の気まぐれどんと来いという気概が感じられた。

 本当に天使たちを愛してるのね。


「姉上も大概ですがね……」


 私だって完全装備で来たかったけれど、前提として登城するという関門があったからせめて生地は毛を落としやすいようにと考えた。縫いつけのフリルはまだありだけどリボンや紐が装飾として表立ってはダメ、一瞬でほどかれるわ。

 独り言なのか呆れた様子の弟も同じようなものだ。彼の服を仕立てる時にやたら口を出してくるから今からこれじゃあ将来は面倒…じゃない洒落者になるわねと母と笑ったけれど、まさか天使のためとは。

 我が弟ながら、天使への愛が深い。


 そんな弟は、誰に対してなのか呆れたような溜息を吐いてあろうことか亜麻色の天使を起こしにかかった。

「グイード! 天使の午睡を邪魔するなんて!」

「姉上、何しにここへ来たのかお忘れですか」

「それは天使と戯れに」

「は?」

「……王子殿下との顔合わせです」

「はい、だから一方的に寝顔を見て天使だったとかで終わらせないでください。我が家が終わります」

 どこもかしこも全部正しくてお姉ちゃんは黙りました。

 確かに、このまま観賞だけして家で両親に亜麻色の髪の天使は天使でしたわ!とか言ったら卒倒させてしまう。私には少年趣味もなければ王子妃になる気もないのだから。


「殿下。起きてください」

 弟が横向きの肩を軽く叩いて呼びかけると、ううんと唇が動いて、両手を顔の前にやる仕草をした。意識がちょっと覚醒して眩しかったのね、よくやるよくやる。

 それでもめげずに亜麻色の巻毛をぽんぽんした弟にちょっと嫉妬した。それ絶対手触りいいでしょう羨ましい。

 やがて諦めたのか、ぼんやり瞼が持ち上がって見えたのは青。

 いいえ青味がかった緑色かしら。仔猫の時だけ見られる希少な青みたいで、整った造形のお顔をちょっと幼く見せた。

「……グイード」

「はい。グイード・バッソにございます。姉と共に登城いたしました」

「あね……ルチア嬢?」


 ねーぼーけーてーるううぅぅ。

 かわ、可愛いか、天使だからかそうか可愛いのね仕方ないわ。


 どうにかソファに腰かける格好になった天使と添い寝していた天使二匹は、居心地悪そうにしつつも二匹で互いに寄りかかるようにして再び眠りについた。白黒混じってるーなにもうここは楽園確定ですー。

 喜びに打ち震えそうになったけれど、半分寝ぼけているとはいえ殿下の御前。私は今まで十五年培ってきた淑女教育の成果を遺憾なく発揮して礼をした。

 持ち上げたドレスの裾に反応して灰色ちゃんが寄ってきた。くっ、撫でたい。


「殿下。初にお目にかかります。ルチア・バッソにございます」

「エルベルト・フロンティーニだ……」

 頭撫でくり回したいな。


 天使を起こすためにソファの前に膝をついていた弟が、私を確認するように見た。うーん、我が弟ながら天使の前に控えていて違和感がないわ、むしろいい感じよ、やっぱりこの瞬間を絵に残しておかなければ後悔する。

 なんて考えていたのが見透かされたかどうかわからないけれど、天使は、第一王子殿下は近くにと私を呼んだ。返事をして、私も弟と同じように膝をついた。殿下がソファに腰かけてるからね、絨毯ふかふかだしドレスがあるからいいだけどね。

 それを寝床だと思ったのか、足元に寄ってきていた灰色ちゃんがぴょんと私の膝に乗った。


 もう一度言いましょう。膝に、乗りました。

 ああああ落ち着かないで可愛いからゴロゴロいわないで可愛いからああああああくびしたぁぁ。


 どうしようと動けなくなってしまった私を笑ったのか、くすりと小さな声がして、ソファから立ち上がった殿下が灰色ちゃんを抱き上げた。

 助かったけど余計なお世話ですと思っていると、ふんふん匂いを嗅がれた。

 灰色ちゃんにでなく、殿下に。


 えっと、エルベルト・フロンティーニ第一王子殿下。御年10歳。

 亜麻色の巻毛をした天使は、石のように固まった私の鼻に自分の鼻先をこすりつける猫挨拶をしてから、ちゅと頬にキスしてくれた。


「これからはずっと一緒だからね。さみしがらないで、ルチア」




 それから、畏れ多くも王妃殿下が用意くださったお茶会が庭園のガゼボで開かれた。薔薇が綺麗でした。

 参加したのは妃殿下、第一王子殿下、私と弟。

 灰色シマシマをお膝に乗せた王妃殿下の、小鳥のように心地よく朗らかな声に聴き惚れていたからあいづちしかしてなかったけど失礼はしてなかったと思う。

 それよりも気になるのは、借りてきた猫のように大人しく可愛らしく妃殿下の横にちょこんと腰かけている王子殿下である。何事もなかったかのように澄ました顔でやはり妃殿下の話にあいづちをうっていた。

 さらに気になるのは、別れ際に妃殿下が


「ルチア嬢のような子がいてくれて嬉しいわ。どうぞ気軽にいらしてね」


 などと楽園への招待をしてくださったことである。嬉しい。嬉しい、けれど。

 お二人は眠そうな灰色シマシマと一緒に退席され、その時に一瞬だけ振り返った亜麻色の天使が祝福のような神々しい笑顔を置いていかれた。うわあ可愛いわいや可愛いで言い尽くせない語彙を失うわ。

 それらをふまえ、私と弟は我が家の馬車に乗って動き出したのを確認し、互いに深呼吸してから。


「なに、なになに何だったのーーーー?!」

「姉上! 手拭きをどうぞ今からでも遅くはないかもしれません!」

「あなたけっこう殿下に厳しいわね! ありがとう借りるわ!」


 向かいからグイードが素早く手渡してくれた清潔な布を頬にあてる。何がどうって訳ではないけど、お茶会の間中、頬がむずむずして仕方なかったので気持ちの問題だ。

 薔薇色の唇にキスされてから眠い猫のようにぐりぐりされてしまった。天使に、美少年に、第一王子殿下に。

 どうしてそうなった。

 呆けている私を見て、天使と並んで違和感がないほどの可愛い弟グイードが舌打ちをした。

 え? 舌打ちした?


「……ちっ。あの可愛い猫の皮をかぶった畜生が」

「びっくりしたーちゅうされたわーそして弟の発言に今びっくりしてるわー」

「普段からよく寝る方なんですよ。だから寝起きが悪いのは知ってましたし、メイドたちの話でも朝はそうとうぼーっとしているようですし。けどあれは、確実に、起きてましたからね。姉上が候補になるまでは仕方ないと思ってましたが、マナーを無視してくるならこっちにも考えが」

「待って待って。驚きはしたけど怒ってないし、ギリギリ子供のしたこと、で片付けられる範疇でしょう。それよりあなたが側近候補を外れる方がダメよ」

「僕はどうでもいいんですよ。父上の仕事継ぎますから」


 いやあお姉ちゃん良くないと思うよ。

 確かに父は問題なく領地運営していて税もちゃんと納めてるから、王家からの印象は悪くないでしょうけど。たとえ父の後を継ぐまでの間だとしても、殿下の側近として王城で働ければ後々利になることは多いはず。面倒な人間関係とか勢力関係とかついてくるけど。

 私はどこか適当にお嫁にいけたらなと思ってて、それが家のためになったらいいな、くらいは考えていた。


 でも王子妃はいきすぎなので、ぜひ遠慮したいです。


 今回私に声がかかったのは、弟がお世話になってます姉ですくらいの意味だろうと思ってた。だけど軽い気持ちで了承したらお父様があからさまに目を逸らすので問いつめたら、第一王子と同年代もしくはちょっと下のご令嬢たちがみんな撃沈したと白状した。

 いやいるでしょう。お人形みたいに素敵可愛いちょっぴりワガママな幼女がきっといるはず。

 男性がとっても年上の結婚なんて王侯貴族では珍しくもないけど、私はもうすぐ15歳、亜麻色の天使は10歳、殿下が成人なさる年に私がいくつになってるのか指を折って数えてしまったじゃない。普通に切ない気持ちになったじゃない。


 いくら王妃殿下をはじめ王室の皆様が大の猫好きとはいえ。

 まさかそれが最優先なわけない。だって王子様よ? 陛下がまだ後継を指名していないとはいえ第一王子よ?

 ちなみに私より一つ上の王女殿下と、亜麻色の天使より三つ下の第二王子殿下がいらっしゃいます。皆様それぞれ猫部屋をお持ちです。今日私と弟が通されたのは第一王子殿下の猫部屋その一だそうです。


「雄雌を一緒にしておくと繁殖してしまうから。あの部屋にいたのはみんな雌猫ですよ」

 なんと、あの子たちみんな女子だったのか。そんなところで優雅に午睡とか、王子殿下は異国のハレム状態だったのね。

「姉上、何を考えてます?」

「あんな美女に囲まれて無垢に眠っていた天使を反芻してます」

「……それに何をされたかもう忘れたんですか」

「忘れてないわ。でも妃殿下に好印象持たれて悪いことはないし、本当に私が候補に入るはずもないし、だったら思い出のひとつとして刻んでおこうかなあと」

 しっかりしてると思えば妙に楽観的なんだからと、グイードはぶつぶつ言っていたけど本当に、私が選ばれるはずないし。万が一があっても全力で遠慮したいし。

 大丈夫よと弟の頭を撫でたら、難しい顔をしてるくせにゴロゴロ喉を鳴らしそうな様子だったから気の済むまで撫で回しておいた。ウチの弟が可愛いです。


 そうして一週間ほど経って、王妃殿下から改めてご招待をいただいた。妃殿下の猫部屋に案内くださるんですって! 何を着て行ったらいいかしら!

 なんて、浮かれていたらまたもお父様がそおっと逃げようとするので、お母様と二人で圧をかけたらすぐに白状した。


 正式な婚約打診の書状も一緒に届いたそうだ。

 夢かな。




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