いいですか?そもそも政略とはですね。
穏やかな日常に綻びができたのは、ある子爵の庶子が最終学年始まって暫くという、あり得ない時期に転入してきたことから始まった。
その子爵令嬢は、入学するなり見目の良い男子生徒に擦り寄った。気付いた頃には幾人も侍らせ、それを元に高位貴族の男子生徒に近づいていた。
将来を有望視、または重役の椅子を用意されている様な方々は、元平民の子爵令嬢が珍しかったのか、面白がって側に置くようになり、段々と振る舞いや言動の傲慢さに拍車がかかっていった。
もちろんそれに異を唱えたのは、それぞれの婚約者であるご令嬢方だった。
しかし、注意する端から鬱陶しがり、遂には「醜い嫉妬をするな」と吐き捨て叱責する有様だ。
そうなると、そのうち元凶となった子爵令嬢を中心とし、男子生徒と女子生徒の間には修復不可能な溝が。最終的には事件へと発展していくことにならないだろうか。
それを当初は高みの見物と決め込んでいたのは、官吏を目指して爆進中の伯爵家末娘である私、リーリエ・オブセンタールである。
四人兄妹の末娘と言うこともあり、『自由に生きよ』と言われてきたため、特に政略結婚も求められなかった。
ので、女の身でどこまで文官として躍進できるかと熱意を胸に日々研鑽を積む毎日だ。
しかしである。
最終学年であるこの時期に吹き荒れた木枯らしが、もしかしたら嵐に発展するかもしれない可能性に気づいた私は、高みの見物を取りやめて、今まさにカフェテリアの一角で騒いでいる中心部へと足を進めることにした。
***
「アリサは同じ学生だ。平等である学生同士が共にいて何が悪いのだ!一々醜い嫉妬を丸出しにするなっ!」
「殿下……!」
「そもそも貴様らが、寄ってたかってアリサを爪弾きにするからこうなったのではないのか?!己の愚かな所業を棚に上げて……」
「それはその方が殿方にっ」
「ええい煩いっっ」
「ごきげん麗しゅうございます、皆様!
そしてご歓談中に、大変申し訳ございません」
「……な、なんだ貴様は!」
野次馬の生徒間を押し退けて出てきたために乱れた服装をパタパタと軽く叩いて整え、深々と礼をしてみせる。
「かような場所で不用意な発言は如何なものかと存じますので、一先ずお止めいたしました。
そして別室へのご移動を、提案しようと思ったのですが……」
「ならん。ここで申せ」
「…左様でございますか」
私は言い合い相手であるご令嬢方に向き、お任せいただくようにと頭を下げて頷いて見せる。
それから再び殿下方へと向いた。
「殿下方の言い分は拝聴しておりましたので、承知いたしました。しかし、幾分ご令嬢方との見解にズレが生じているようですので、僭越ながら代わってご説明したくございます」
「ズレ……だと?」
「左様でございます」
急に割って入った私に訝しげな顔を向けるも、言葉が引っかかったようで、この国の第三王子であるヘンドリック殿下が、偉そう…鷹揚に頷いて先を促した。
「では失礼して。
まず、殿下方は婚約者をどのようにお考えなのでしょうか?」
「……夫婦になるようにと決められた相手だろう」
ヘンドリック殿下が苦々しげに吐き捨てた言葉に、後ろにいた殿下のご友人である三人の男子生徒、そして囲むようにしていた男子生徒達も顔を歪める。
「政略の理由は、家それぞれで異なるかと存じます。事業提携、資金援助、協力関係強化などなど。子の結びつく婚約、予定状態ではありますが、そうなる前提で既に何かしら動いているものも有るかと存じます。
しかし、それはあくまでそうなる前提。今はまだ履行前でございます。しかしながら、それを本人が破るとどうなると思われますか?」
私の質問に、女子生徒はうんうんと頷き、男子生徒はお互いに顔を見合わせる。
やはり女性の方が、リアリストが多いと言うことなんでしょうか?
質問の答えを求めて、私は殿下やそのご友人方へと視線を向けた。
「……それは、既に動いているものを…引き戻すか、一時的に止めて代替案を考えるとか…」
ご友人である濃茶の髪に萌黄色の目をした侯爵子息、シモンズ・へドライド様が答える。
「左様でございますね。もっと現実的に申しましょう。
提携事業はストップが入り、事業はどうするのか、ご破算になった場合に掛かった費用はどうなるか、人材は、その人たちの補償はどうするか。内部情報やノウハウをどうするか。それについては全て違約金とは別に発生いたします。
資金援助は金額の返還。もしくは賠償金の上乗せでの返還ですわね。
協力関係では破綻。今後の付き合い、取引も一切なくなる場合もございますわね」
「……はっ、だからなんだ。今はそんなこと関係ないだろう。破綻したとしても、その原因は変に醜い嫉妬をした側であって」
ご友人その2。騎士団幹部候補と目されているライオネル・サブリュール様が、小馬鹿にしたように鼻で嘲った。
「いいえ」
「何故だ!俺たちはただ、友人であるアリサと楽しい時間を過ごしているだけだっ」
「いいえ、それぞれご令嬢方はご意見申し上げたはずでございます。実際に今も。
嫉妬という言葉で覆って、誤魔化してはなりません。これは、契約を破綻させないための、相手側からの忠告でございます。
再三なされたのであれば、聞き入れずに改善しなかった側の問題となります」
「それこそ詭弁だ。醜い嫉妬を忠告と称しているだけだ。それに最終的に結婚するのであれば問題ないだろう。交友関係に四の五の言われる筋合いはない筈だ」
ご友人その3、伯爵家の次男であるカルロス様がそう宣った。
しかし、これまでのご説明で、不安に駆られた取り巻きの男子生徒の大半は、音を立てずにそっと離れていきましたけどね。
「筋合いが…関係がないとおっしゃいましたか、カルロス・シュタイゼル様」
「…ああ、だからどうした」
「殿下方、同じご意見でいらっしゃいますか?」
ヘンドリック殿下を含めた四人はそれぞれ頷き、オロオロしながらも、しかし瞳には明らかな愉悦を浮かべたアリサ様を安心させるような手つきで撫でる。
「では、その理論でいくと、こちら側もどうしようが関係ございませんね?」
「……どういう意味だ」
不穏なものを感じたのか、ヘンドリック殿下はアリサ様から視線を外し、こちらを睨むように見た。
「そのままでございます、殿下。
忠告は不要。関係がないと言うのであれば、こちら側にも同じ主張をする権利が発生する―ということでございます。
まさかそれはならぬと、どうなろうと関係ないと言い切った口で、此方にはその権利が発生しないなどと、この平等たる学舎で申されませんよね?ということでございます」
「…………ああ、無論だ」
「ありがとう存じます。
では、説明の枠を少々超えてしまいましたが、これにて失礼いたします」
私は深々と再度礼を執ると、今度は令嬢方へと向き直った。
「差し出口、大変失礼致しました。
今後について、私から意見がございますので、別室にてご説明させてくださいませ」
私は令嬢方の顔を見回し、反対意見が出ないことを見た上で、先導するように先を歩き、一番近い空き教室へと向かった。
***
ついて来た全ての女子生徒が入室し、着席したことを確認した後、私は教師のように壇上に立ってから、口を開く。
「途中で割って入り、申し訳ございませんでした。しかしながら、一計ございますので、宜しければお聞きになってくださいませんでしょうか?」
「いえ、オブセンタール様。あのままでは堂々巡りでしたわ。第三者からすっぱりと言ってくれたこと、感謝していてよ」
優雅に微笑みそう返してくれたのは、公爵家の一人娘であり、ヘンドリック殿下の婚約者、ジョゼフィーヌ・マクガリー様。
プラチナに近い、金の豪奢な巻き毛が大変美しい。
「此方が何度言っても…このまま行くと、あの子爵令嬢へ直接お話し合い。聞かない場合は処分もあり得ましたもの」
おっとりと怖いことを話すのは、侯爵子息シモンズの婚約者、伯爵家の長女であるミラルダ様。真っ直ぐな深い青の御髪、柔らかな目元から覗くすんだ湖面のような瞳で、常に物静かで穏やかな印象を受けていたが、内面は異なるようだ。
「しかし、どうしたら良いか……そんなにまで嫌われてしまったのかな…」
切なく瞳を揺らすのは、辺境伯家の末娘であるルシルアータ嬢。カルロス様の婚約者であられる。
栗色のフワフワとした髪が愛らしいが、女性の中でも背が高く、吊り目がちなので中身に反してキツく見えてしまい、誤解されがちなのが可哀想なところである。
「皆さま、まず一つ認識を変えていただきたいことがございます」
騒めいていた室内が静まり返るのを見て、続けた。
「政略結婚とは、様々な形がございましょうが詰まるところ、双方家の合意を持って結ばれた契約。法律行為でございます。
では、指し示す法律行為の起点が結婚であるならば、現時点は起点前でございます。
であれば、契約履行前に問題が発生した場合、どういったことが行われるのでしょうか?」
お分かりになる方は?と水を向けると、ジョゼフィーヌ様が軽く手を挙げた。
「問題の改善に努め、履行に問題ないかを双方で確認し、問題ないならそのまま履行に。あればそれを加味した上で再契約、又は白紙撤回……ですわね」
「その通りでございます。
では、此度の政略結婚……いえ、契約結婚におきかえると?」
私の質問に戸惑ったような顔で考え込むご令嬢方。
その中でミラルダ様が、口を開いた。
「両家、又は自身の家に問題を報告して、問題がないと判断されればそのまま。ありと判断されれば契約の中身を変えるか、撤回。ということかしら?」
「ええ、その通りでございます。
皆様が何度も忠告したにもかかわらず、聞き入れないというのは、改善に努めるべきところを放棄する……それは契約に対し不誠実であり、契約の根幹を揺るがすこと。それは契約に値しない相手であるということに他なりません」
そうでしょう?と同意を求めると、気持ちはどうあれ、頷くのが見える。
「まず、契約主であるお家に事実と再三忠告した事実、それを相手が蹴った話をご報告してくださいませ。次に契約主の判断を仰ぐのが一番でございます。
ここで通常対処期間が幾分設けられますが、それでも改善されない場合は、契約の見直しや変更、撤回が必要となります。
あくまでも契約上で成り立った婚約でございます。
しかもゆくゆくは、相手が家の代表として立つ、もしくは何らかこちら側と関わる立場であるはずです。
あの増長した人たちが、此方を侮り家の利益に成らぬことをしないと何故思えましょう?
危険をあらかじめ切り捨てて何の問題がございましょう?」
私は畳み掛けるように訴えたが、それに乗る者と、揺れる者に分かれたのがわかった。
「でも、お父様やお兄様達が何というか……」
ふるふると震えるのは、ルシルアータ様。仕草だけは正に小動物のそれである。
しかし、私はそれこそ不敵に笑って切り返した。
「……そういった方々に、ご提案でございます」
***
あのカフェテリアでの日を境に、学園での様子が変わって行った。
まず、アリサ様を中心とした男子生徒の集団は、日に日に数を減らし、今や殿下方を含め数人だけとなった。
離れた男子生徒は、挨拶くらいは交わしている様だけど、以前の様に取り囲もうともチヤホヤして騒ぐこともない。
次に、学園内の予約制サロンにて完全招待制の交流会が毎週開催された。これの主催は公爵家のジョゼフィーヌ様と、副主催で伯爵家のミラルダ様。私は補佐に回っている。
そして手の空いている講師へ特別授業枠の依頼である。
これにより、婚約者からの横槍がなくなったアリサ様を取り巻く面々は、しめしめと浮き立ったのだが、それも長くは続かなかった。
逆に静かすぎる婚約者が気になり始めたのだ。
ヘンドリック殿下とアリサ様、そしてご友人三人は、ちょうどお茶会が開催されていたサロンの出入り口で騒ぎ立てた。
あまりの煩さに、私はジョゼフィーヌ様に一言告げてからそっと抜け出すことにした。
小さく開けた扉からスルリと身を出すと、警備員とサロン専用使用人に囲まれた一団がすぐに見える。
完全に扉を閉め切ると、私は揉めている一団へと向かって声を発した。
「ご機嫌よう殿下方。お元気そうで何よりでございます」
騒ぎが不意に収まり、ヘンドリック殿下は眉間にシワを作ったままに答えた。
「貴様はカフェテリアでの……
おい、貴様で良い、ここを通せっ!」
私はキョトンと瞬きをして、小首を傾げて見せる。
「何故でございましょう?」
殊更不思議そうにそう言えば、馬鹿にされたと思ったのか、ヘンドリック殿下の後ろのライオネル様が吠えた。
「貴様!殿下へのその態度、許されると思ったか?!」
「―ええ。質問しただけで激昂されるとは、解せませんねぇ。ではライオネル様にならよろしいのですね?何故此処に貴方を通さねばならないのでしょうか?」
「ここで茶会を開いているのだろう!」
「ええ。そうですね」
こっくりと頷く私を見て、ライオネルはアリサ様を振り返る。
「アリサが一度も招待されないと、爪弾きにされ虐められているのだと言っていた……
そこで現状を改善させるために、殿下と共に急遽参加しに来たのだ!」
「……成程」
「ぐずぐずせずにさっさと通せ!」
「あ、無理ですね」
「「「「「はぁぁ?!」」」」」
心情たっぷりに苦しげに語ったライオネル様を片手の平を向けて、バッサリ切り捨てた私は、こちらの番だとばかりに、淡々と説明することにした。
「まず、此方は予約制のサロンであり、主催者は招待する対象を事前にリスト化して提出する必要がございます。そうして、施設管理主である学園側からチェックが入った上で、利用が認められての開催と相成ります。ご存知でらっしゃいますか?」
取り囲んでいた使用人や警備員は少し距離を置きつつ、私の施設利用についての手順説明にコクコクと頷く。
「リストにない方の利用は、いろいろな観点から、そもそも認められていません。ので、殿下であろうとも、熱意をいくら燃やそうとも、平等たる学舎の中では学園で定められたルールを遵守しなければなりません」
周りからの頷きの圧に、殿下御一行は「うぐぅっ」と声を漏らしながらたじろぐ。
「しかしっ!アリサが……!」
「殿下いいの、私が悪いのっ優しい皆を独り占めしちゃっているから……」
フルフルと目を潤ませながら、縋り付くアリサ様を抱き留めながら、ヘンドリック殿下は「そんなの関係ない」と言って頬をするりと撫でた後、苦しげに私を睨み据える。
そんな茶番を平坦な目で見返しながら、私は説明を続ける。
「ご参加されたいのであれば、主催者への参加の打診、参加したいお茶会の種類の選択、そして設けられた講義の受講、試験の合格が必要となります」
「は??選択?試験??」
「我らは学生でございます。お招きするお客様に失礼があっては主催者への、引いては学園側へ泥を塗ることとなります。
お招きする方々に合わせ、合格ラインは時々によって異なりますが、門戸は学生であればどなたでも開かれております。どうぞ挑戦なさってくださいませ」
にっこりと微笑み説明を終えれば、呆気に取られた一団は困惑の色を顔に浮かべ始める。
「今後の茶会の趣旨と、伴う試験というのは……」
侯爵子息シモンズ様が、おずおずと尋ねる。そこで私は近くの施設専用使用人へ預けていたファイルを持って来てもらい、行われるお茶会の予定表のコピーをペラリと渡した。
「皆様にお配りしている、直近2ヶ月の予定表でございます。
現在、他国の使節団が来られているので、他国使節団の方を数人ずつお招きしてのフェアーとなっております。
基本マナーに加えてその国の共通語、NGマナーとスラングが試験、異文化マナーの講習数回が必須条件となっております」
その予定表を覗き込んだ一団は、お茶会の内容を凝視して益々困惑の色を深めた。
「お疑いの様でしたら、見えない所からそっと覗いてみます?
代表してお一人どうぞ?」
敵情視察を敵から勧められたと言いたげな微妙な面持ちで、一団は顔を見合わせると一人前へと進み出る。
視線会議で選ばれたカルロス様は、困惑と疑いの色を浮かべた顰めっ面で近寄って来たので、私は「お静かに、声を上げません様」とだけ伝えて開催されているお茶会の扉を薄く開いて見せた。
漏れ聞こえる楽しげで流暢な異国語、一角に広げられた独特な色彩の織物や工芸品、珍しい茶器で淹れられるお茶。
カルロス様は隙間からさえ感じるハイクラスなやりとりに、目を見開き喉を鳴らす。
――コレは単なる茶会じゃない……!
驚愕の表情で固まったカルロス様をよそに、私は音を立てずに扉を再度閉め、愕然とした顔のカルロス様を促して一団の群へと放してやった。
「なんだ、どうしたカルロス」
「大層なことを書いていても実際は違ったのだろ」
「……カイくん?どーしたの??」
「殿下、これは……単なる茶会ではありません。異国間交流会です。誰も此方の言葉を話していませんでした……。それに外交官も、先日王宮で見かけたことがあります……」
「……はっ?」
私は引き上がりそうな口角を懸命に堪えて、淡々とした口調のまま続けた。
「試験は先生方の公平な立場から採点されます。是非お試しくださいませ。
まぁ、それでも無理に…と仰いますと、下手すれば外交問題、宰相様や陛下方へ報告も必要となりますかねぇ」
顎に指をかけて独り言の様に溢せば、殿下方は分が悪いと感じたのか、身を翻して帰って行った。
とりあえず見送り、ふぅっと息を吐いて、周りの使用人や警備員に、協力を感謝しながら持ち場に戻ってもらう様に言い、茶会へと戻った。
「ご苦労だったわねリリ。貴方の手際は流石ね」
「ジョゼフィーヌ様にお褒めいただき光栄でございます」
お茶会終了後、ジョゼフィーヌ様の労いを貰いながら無礼講状態で、余った菓子を摘みながら応える。
「後問題がある家はどのくらいかしら?」
楽しそうにそう問うたのは、副主催のミラルダ様だ。
「大半はお家からの勧告、現実をちゃんと見た子息は土下座し和解。関係の再構築。無視しようとした子息は再教育のために、領地へと強制帰還させられて一時休学しているそうです。
一部では兄弟や親戚筋から代替を立ててそちらを熱心に教育しているとか。
残るは……」
残っているのは、第三王子ヘンドリック殿下、侯爵子息シモンズ様、伯爵家次男カルロス様と騎士団長子息で幹部候補のライオネル様だ。
それ以外は、遠巻きに眺めるだけとなっている。
「我が家は相手が王家だけれど、そもそも婿入り。タネをあっちこっちに撒く素行を婿入り前に見せつけられては、お父様も良い顔をしませんわ。まだ様子見ね」
ジョゼフィーヌ様は、何でもない様に内情を話す。愛娘と誰憚ることなく公言するほど溺愛している一人娘のお相手の素行に、公爵閣下は相当お怒りなのだろう。酷いことにならずに事前に対処できそうで、紅茶を飲みながらほっと息を吐く。
「我が家はシモンズ様に拘りはありませんの。調査次第で変更もありえるかしらねぇ」
と、美しい青髪を肩に払いながら言うのはミラルダ様。カフェテリアでの一件以降、緊張感が解れ、ほんわかと漂う雰囲気が見た目と相まって、最近では癒しの女神と評されている。
…中身を知らないというのは、幸せなことである。
彼女の家、伯爵家は外交官を多く輩出しており、財務大臣、農林大臣など、内系の高位文官を多く輩出する侯爵家が打診したと聞いた。
次女であるミラルダ様に白羽の矢が立ったが、幾分過去の話である。外交官の目で情勢を見、より繋がりを得たい相手ができてきたのなら、挿げ替えは当然だろう。
「いいなぁー。ウチはまだ返信が来ていないの。遠いから仕方ないんだけど…お返事に困っているのかな」
可愛らしく搾りたての葡萄ジュースを口にするのは、辺境伯の末娘ルシルアータ様。何故かワインに見えてしまうのは気のせいだろうか。
誰だ、足付きのグラスに態々入れたのは。
「検討中…ということでしょうか?それにしても幾分時間がかかっていると感じますが。
因みにどの様なお手紙を?」
カフェテリアの一件から早2週間だ。いくら辺境といえども、返信が来ていてもおかしくないはずなのだが。
「んー、そのままだよ?カルロス様が、転入生の子爵家の女の子とお付き合いをしているみたいで、止めても邪険にされて…どうしようもなくって悲しいって……」
「それは……」
その時、私はもしやと考えを巡らせ、ジョゼフィーヌ様は扇で思わず口元を隠し、ミラルダ様は遠い目をして紅茶を啜った。
何故なら、以前お互いの状況確認も含めて、相手家との関係と令嬢側の家族構成を聞き取っていた時に、ルシルアータ様は恥ずかしそうに言っていたのだ。
『父上と母上は忙しくて、たまにしか会えないんだけど、その分兄様たちが構ってくれてたから寂しくはなかったかな。こんな私でも、“かわいい”とか“世界一”って常に撫でくりまわされたよ。私に気を遣ってくれてたんだと思う。え?領内で男の子から意地悪されたこと?…無いかなぁ?でも偶に私を見て顔色悪くする人が居たから、何か気に障っていたのかもしれないね』
だとしたら申し訳ないなぁと、眉尻を下げて微笑む彼女に、成程と察したものだ。
辺境伯の三人の兄は、シスコンじゃないかなと。
「お手紙は辺境伯当主様宛に、出されたのですよね?」
親展扱いの書簡に、まさか家族であろうが手を出すまいと、そう思って聞いたのだが、
「え〜っとどうだったかな?いつもの近況報告の手紙と一緒に出したから……」
「そうですか」と、やや日数計算を行いながら返事をすると、ミラルダがボソリと呟いた。
「嵐の訪れは、明日か明後日辺りかしら」
私は同意を示すために、はっきりと頷いてみせたのだった。
***
翌日、予想通りの嵐を一旦鎮めた他は、概ね従来通りと言えた。
殿下方は、こちらの言い分通りに試験を受けたが、軒並み不合格を言い渡された。
「何故不合格なのだ!」と食って掛かれば事細かに説明が入る。その上、相手が教師では、下手に便宜を図れと強要もできない。何故なら王国立の学校である。
しかも公爵家が全面的に費用を出している為、講習や、マナー試験の監視の目は一層厳しく、細かく王家や公爵家に報告されると目に見えているのだ。
ややこしくなることが目に見えている。
「くそっ」と、悪態をついてから、何を思ったのか自分たちでお茶会を開こうということにしたらしい。
しかし、招待した高位爵位の子息令嬢達からは軒並み断りを入れられ、仕方なく参加させられた下位爵位の令嬢や子息達は、話が合わずに盛り上がりにかけ、早々に殿下達主催のお茶会ブームは、幕引きとなった。
そして2ヶ月が経ち、定期試験も無事終えた学園は一部集団と微妙な隔たりを残したまま、夏季休暇へと突入した。
ここまで来ると、もう私が関わる必要もないだろうと、安堵のため息を漏らしたのだけど。
何故か私は今、公爵家王都屋敷へとお呼ばれ中である。
四人がけの大理石で作られた丸テーブルの右側には、ジョゼフィーヌ様が、レモンの飾り切りが美しい、お気に入りのアイスティーを傾け楽しんでらっしゃる。
ジョゼフィーヌ様の私室のバルコニーを開放してセッティングされた場所は、確かに風が抜けて涼しく過ごしやすい。
しかしである。
問題は、先ほど急に現れて気さくな態度で挨拶をし、「ちょっとだけ」と言いながら向かいに座ったジョゼフィーヌ様の父上。マクガリー公爵閣下ご本人様である。
「南国のフルーティな茶葉に青レモンとは、流石だねジョゼは」
始終ニッコニコな色気滴るダンディなおじ様に、ポカンである。
「……さて、君のことはジョゼから聞いているよ。良いお友達だとか」
「えぇ、はい…恐れながら」
「あの小僧を理路整然と説き伏せ、最後通告を言い渡してくれたとか?助かったよ」
「とても素晴らしい切り口でしたわ。お父様にもお見せしたかったくらいだわ」
「お褒め頂き?ありがとう存じます。あれは最後通告などでは……大袈裟でございます」
自分に向けてでは無いと分かってはいるが、一瞬吹き荒れた殺気に、思わず背筋が凍りつく。
「あの定期開催お茶会も中々良い案だ。向こうの使節団も小さいが幾つか商談もできてホクホク顔と聞いている。主催としても大満足の結果だ」
少し気になっていた結果だけあって、私は公爵閣下のお言葉に、安堵と達成感が湧き上がる。
「結果が出せて、安堵いたしました」
「本当に心配性なのね。お父様に抜かりはなくってよ?」
うふふと微笑むジョゼフィーヌ様は、どこか緊張感が抜けて、美しさに磨きがかかった様に思えた。
***
度々、学友達に招かれて赴く以外は平穏な日々がすぎ、あっという間に夏期休暇は終わってしまった。
久々の学園へいつも通り馬車で向かい、馬車止めで降りてから、建物へと向かう道途中にある広場に人だかりができていたので、素知らぬ顔をしながら近づいた。
「ジョゼフィーヌ!貴様どういうことなんだ!婚約を破棄されたからと、王宮にまで手を回して私や母上にまで嫌がらせをするなどと!」
「ミラルダ、気を引きたいからと解消をチラつかせるなんて、君も落ちたものだ」
「ルシル!婚約者の変更ってどうなっているんだ!!お前、浮気していたのか!!」
わーぉ。
貴族教育とは?と首を傾げさせる醜態を晒している面々に、驚きの言葉しか出ないくらいである。
怒鳴られた側である女生徒は呆れ顔で、ゴミ虫でも見るような目を無言で向けている。
私は何とか野次馬の輪に入り込み、前へ前へと体を割り込ませていると、輪の中心に居たミラルダと目が合い、親しげに名を呼ばれた。
「リリ、ご機嫌よう。ルシィのお茶会以来ね」
「まぁリリ、ご機嫌よう」
「リリィ、この間は来てくれてありがとう〜」
夏休み中の交流の結果、愛称呼びをされるまでに至った。彼女らからも愛称呼びを許可されたけれど、私からは私的な場のみにさせていただいている。
視線の先に気づいた野次馬の方々が、空気を読んでささーっと道を開けてくれた。
「皆様、おはようございます。清々しい朝と思ったのですが……」
ペコリと頭を下げてから、チラッと騒ぎの根源へと目を向けると、いきり立った面々が睨みつけている。その中心で目をウルウルとさせながら、プルプル震えながらヘンドリック殿下の制服の裾をちょこんと掴むという、ひっそりと存在アピールに勤しんでいるアリサ様の姿も見えた。
「殿下方もおはようございます。このような場所では目がありますし、通行の妨げとなります。放課後別途場所を設けては如何でしょうか?」
至極当たり前のことを進言してみたのだが、聞く耳を持たないヘンドリック殿下達の言葉が飛びまくる。
「いいや、浅はかさ、腐り切った性根の悪さを今こそ詳らかにし、ここで処断してくれる!」
「そうです、悋気を起こして親に泣きつき縋るなど、醜悪以外の何物でも無い!」
「他に通じていた者がいたとはっ!貴様が淑女とは、聞いて呆れる!」
これはどうしましょうか?とジョゼフィーヌ様に目を向ければ、「ここでやってしまいなさい」と、無言でクイッと顎で示された。
このままでは、あらぬ悪評や要らぬ憶測が飛びかねないので、抑えておく必要があるのも確かではある。
「では失礼して、行き違いがあるようですので、この度の件に少なからず関わった者としてご説明申し上げます。断罪云々は、その後でも宜しいでしょうか?」
私に見覚えがあったのか、ヘンドリック殿下が眉間に皺を寄せたまま、渋々と言った体で先を促した。
「では、失礼しまして。
まず、ヘンドリック殿下。此度の契約は、王家からの打診により、最終的には公爵家への婿入りということで契約が結ばれておりました。ご存知でしょうか?」
「はっ、何かと思えば」
「では、生まれて間も無く結ばれた理由についてですが、母君のご生家の負担の軽減、第三王子殿下の後ろ盾でございましたね」
「……ああ、私は何かと口を挟まれ、窮屈な思いをしてきた。一生そうやって生きていかなくてはならんとは、我が身を呪うばかりだったのだ。
その上、心優しく美しいアリサと仲良くしたからと嫉妬に駆られて騒ぎ立て、挙句学園での一時の自由さえ奪おうとし……昨日からは公爵家の権威を使って嫌がらせまで。さぞ満足であろう!」
「ヘンドリック可哀想……そんなのおかしいわ!人を縛るなんて間違ってる!心も、想いも、愛も自由であるべきだわ!」
「あぁ、アリサ……!」
両手を握り合い、お互いを見つめ合い始めた二人。その茶番をバッサリ切るように、咳払いをして続けた。
「コホン……殿下が自由を求めた結果、陛下と公爵家との話し合いが入り、白紙撤回となったことに何の不服があるのでしょうか?」
「その後、あの女が手を回したのだ!私と母上の使用人を全て下がらせ、家具や装飾品も全て粗末なものに入れ替えさせるとは、嫌がらせもここまで来ると……本当に性根の腐った女だ!
撤回?醜悪な貴様と結婚しなくて良いとは清々するっ!貴様などに私が愛を与えることは無い!わかったら直ちに手を引くんだな!」
アリサ様を胸に大事そうに抱き寄せ、憎々しげにジョゼフィーヌ様を睨んで吐き捨てるヘンドリック殿下に、私は視線の先を私へ変更させるよう手のひらを向けて軽く上げる。
「あ、それは違います、殿下」
「は?違うだと?そのもの通り、性格の悪さが露呈する所業だろうっ」
「ええ、先ほど申し上げました通り、母君の生家の負担の軽減が、契約を撤回したがために無くなったことが原因でございます。
ご存知かと思いますが、王家といえども際限なく税金は使えません。国の運営しかり、王家の皆様それぞれにも予算というものがつきます。
しかし、我が国では側妃様ならいざ知らず、妾妃様への予算を、そこまで大きく割くことはできません」
「貴様……!」
「これは法務部で定められた文言を元に、財務部で予算を割り当てておられますので、貶める発言ではございません。悪しからずご容赦ください。
それで、基本的に不足分はお妃様のご生家が援助なさいますが、それを憂慮された陛下が、先んじて公爵家に打診し、契約を以て全てにおいて援助していたというわけです」
「は……?全てにおいて……?」
やっと当初の勢いが削がれたヘンドリック殿下に、ため息をこぼしたジョゼフィーヌ様が広げていた扇子をパチリと閉じて口を開いた。
「殿下の身の回りの世話をする使用人、体面を保たせるための服飾、宝飾、家具、美術品といった装飾品、食事、公爵家に入るための知識を授ける教師と言った全ての費用ですわ。
契約が白紙となったらそれらが全て無くなるのは当然ではございませんの?」
「今後はそれらを含めた費用は、契約以前のように妾妃様のご生家が負担なさいます。仰る通り、契約相手であった公爵家からの忠告もございません。全て妾妃様、もしくは財務部の担当文官へご確認ください」
「なっ、昨日からの待遇が通常というのか?!」
「まぁ、今までかかった費用全額を返金する様に言い出さなかっただけ、我が公爵家の温情を感じてくださいな。未来の公爵という道も無くなった今、考えることは多いと思いますし、今後のご活躍をお祈り申し上げますわ」
クスッと品よく微笑み、ジョゼフィーヌ様はヘンドリック殿下へとどめを刺した。
愕然とするヘンドリック殿下をおいて、次にシモンズ様へと向く。
「シモンズ・ヘドライド様、一般的に約束を結ぶ前に相手に問題があった場合、如何いたしますか?」
「……契約を検討するだろうな。一般的には。しかしそれとこれとはっ」
「もちろん『一般的には』そうでございます。しかし契約する約束をして、不都合があればそれを締結前に是正するのは当然です。
是正しようとも、上の爵位が相手となれば口に出すのも恐れ多いことでしょう。ですが、相手側に明らかな瑕疵があれば、その限りではありません」
「瑕疵……だと?」
そこまで言い、私はミラルダ様に振り向いて、これ以上言ってしまって良いものかと、尋ねるように見つめると、ミラルダ様はスッと前へと出て真っ直ぐにシモンズ様を見据えた。
「我が伯爵家が長年地道に広げてきた各国との繋がり、外商との伝や、情報網に目をつけた侯爵家からの申し入れでしたわ。
それをどこぞの女に貢ぐために、我が家と懇意の外商を、さも当然の顔で呼びつけて無理を言い、欲しい物を奪うように持っていき、あまつさえその支払いの名目を婚約者への贈り物などと虚偽申告するとは、あるまじき行為ですわ。我が家は、人との繋がりを大切にいたしますの。そのような傲慢で偽りの多いお相手ではどんなに爵位が高かろうが、お断りですわね。まだ契約破棄はしておりませんが、父からの最終通告は受け取りましたのね。ようございましたわ」
これが同爵位、もしくは下の爵位であれば既に白紙となっていたのだろう。侯爵家であったがために、「あんたんとこのボンボン、何してくれとんじゃ、ワレ?しかも娘宛にプレゼントやと?野花の一本も貰ってないんだが?」で止まっているのである。これで侯爵家が「はぁ?下っ端風情が」と蹴散らす様ならオジャンとなり、「愚息がすまんかった!何なら挿げ替えるから許して!」と言うなら「誠意見せろや。話はそれからだ」で再交渉の余地ができるのである。
一息に言いたいことをぶつけたミラルダ様は、幾分スッキリとした面持ちで、冷ややかな笑みをシモンズ様と、ヘンドリック殿下が頭を抱えて項垂れたことにより、その腕から抜けてシモンズ様の背中にピットリとくっ付きながらこちらを覗き込むアリサ様へと向けた。
そのアリサ様の髪を飾るのは、隣国の一部の地域でしか産出しない、美しいオパールの髪飾り。そして胸元には大小、濃淡を変えた縦に3粒連なるピンクオパールのネックレスがシャラリと揺れている。
明らかに身分不相応な装飾品は、侍っている男性からのものだろう。
その視線に気づいたシモンズ様は、慌てて弁明する。
「こっこれは、違う!そのっ」
「何が違うか分かりかねますが。私の名を使った数々の使途不明金についての弁明と、今後の先行きについて、侯爵家でじっくり話し合ってくださいませ」
“数々”と強調して、過去遡って侯爵家の支払い履歴が洗われていることを匂わせたミラルダ様は、頭を抱え出したシモンズ様を凍てつくような目で見据えている。
シモンズ様の先行きは、誰の目から見ても厳しい物であると確信できてしまったようだ。
シモンズ様が沈黙してしまったことを見て、私は最後の男子生徒へと口を開いた。
「では、最後にカルロス・シュトーレン様。
辺境伯を詳しくご存知でしたか?」
「当然だっ。国でもあらゆる分野で屈強な猛者が集まる、最強の辺境騎士団を有する―」
「いいえ、そういうことではなく。
辺境伯一族についてご存知でしたか?」
「―は?そんなもの知る必要ないだろ。あの女を押し付けるのに都合が良く、剣の腕のある俺に目をつけたんだろ。それをベタベタとすり寄って、思い通りにならないからと、他の男に擦り寄るとは―」
「ご存知ないのですね。ではそちらからご説明します」
罵倒が延々と続いていきそうな言葉をバッサリと切り捨てて、私は横入りの隙を与えないように、続けて口を開く。
「辺境伯一族は代々男系一族でございます。
それは家系図を過去遡って確認したところ、女児が誕生したのは直近でも4代前でございます。そこに久々に授かった女児が、辺境の地の姫である、ルシルアータ様でございます」
「それがどう」
「確かに、程よく領地も近く、そこそこ腕があり、人当たりも見目もそこそこ良い、爵位の継承権も貴族の独特なしがらみも少ないから選ばれましたが、何よりルシルアータ様が否と言わなかったというのが決め手だそうです」
思っていたのと事実が違ったのか、カルロス様はポカンと口を開け始めている。
「本人と話し合いもせず、他の女性にうつつを抜かすなど―」
「そんなの鬱陶しいそいつが悪いんだろう!大して振れもしない剣に、知ったかぶりして気を逆撫でするわ、口を開けば辺境のことばかり。アリサのように俺を癒せもしないくせに―それを、新しい男ができたから用済みは黙ってろと?!」
「何か勘違いされてますね。
シュトーレン様が婚約者でもない他の女生徒に侍った。ルシルアータ様は邪険にされ、どんなに傷付いても忠告をし続けました。それを払い除けたのは貴方様ご自身です。
ご兄弟のみならず、両親、親族、引いては国一番の猛者が集まるという辺境騎士団といった多くの方々全てに大事に扱われている、ルシルアータ様が傷ついた。解消事由はそれで十分なのです」
元々辺境伯優位で結ばれた婚約でしたので、その解消事由も辺境伯家の心次第。
『唯一の姫が傷ついた』これ以上の理由が必要だろうか?
「それに、元々ルシルアータ様は引く手数多。解消を聞きつけ、こぞってその席を手に入れようと、この夏期休暇中、熾烈な勝ち抜き戦が行われた結果、新しい婚約がまとまったということです。
決して浮気などと、事実無根な不名誉なことは口にしない方が……」
私の言っている意味をやっと理解したのか、カルロス様は、目を見開いたまま固まり、スゥッと顔色を青色に。
勝手に決まったことと、詳しく知ろうとしなかったのだろうか?
婿入り先のことを知って欲しくて、話題に出すのは当然でしょうし、屈強な騎士団を間近で見てきたのだから、話が弾めばと気を遣って剣について口にしたのだろう。ルシルアータ様が最終的に「是」と言ったが為に結ばれた婚約。引っ込み思案な可愛い内面を持つルシルアータ様は、頑張ってできる限り気を使ったのだろう。
しかし、カルロス様の所業はあらゆる分野で優秀な猛者が、全て調べ上げて、辺境伯に属する全てに情報が回っている。
新しい婚約者の選抜戦が領地で開催されたが為に、彼はまだ無事と言える。
決まった今、どのような制裁が表から、裏から加えられるのか正直誰にも予想がつかない。一応「殺すな」とだけは辺境伯から命じられてはいるが……
「―物理的に、命が惜しいでしょう?」
私ができる忠告は、ここまでだ。
カルロス様は、頭を小さく振って、絞り出すような声で言い募ろうとした。
「っは、そんな出鱈目が通用するとでも言いたいのかっ。あんなデカ女に―っっ!!!」
その瞬間、ビシィッとカルロス様の額中央に何かがクリーンヒットした。
「っっかはっ!」
「キャッッなに?!カイくん!大丈夫?!!」
額を押さえて愕然とするカルロス様は、顔色を青から白へと変える。何が起こったのか分からないのか、アリサ様は最後の砦とばかりにカルロス様へと縋り付くように抱きつく。
「―以上で、双方の行き違いについてご説明を終わります。
皆様納得されたようですし、始業時間が迫っております。ここは早々に教室へ移動いたしましょう」
周りへそう声を大きくして伝えると、ジョゼフィーヌ様方や、野次馬の生徒は気を取り直して移動を始めた。
後には呆然とする殿下達と、どうするのかと焦るアリサ様だけが残っている。
「―ボゼール子爵令嬢、アリサ様」
私はその場で足を止めて、アリサ様に振り返って呼びかけた。
「な、なによ!」
ビクッと肩を震わせて此方を見る風貌は、確かに可愛らしく、庇護欲をそそる物があった。
「契約破綻の原因については、各家が調査して把握済みでございます。間も無く子爵家には正式な抗議文が届くことでしょう。このまま突き進むも、慎むも貴女様の自由ですが、広まりつつある噂は止めようがありません。どうぞ、よくよくお考えください」
「―はぁ?あんたに関係ないでしょっ。よくよく考えたらヘンディもカイも自由になったのよ?今いないけどライも相手はいないわ。もしかしたら妃になれるかもなのに諦めるわけないでしょっ」
可愛らしい顔を、欲に塗れた表情で歪ませると、素材が良くとも醜悪だなと、心でそう評しながら、現実を知らないお子様へと簡単に説明する。
「残念ながら、殿下には継承権はございません。卒業後早々に王族籍から抜けて臣籍降下が元々決まっております。実力がなければ、公爵家を興すことなく妾妃様のご実家に入られることでしょう。
シモンズ様はこの一件で後継となるかは……
シュトーレン様は元々辺境近くの伯爵家次男。辺境伯騎士団幹部への道が断たれた今、自身で身を立てる道を模索しなければなりません。しかし、辺境伯の影響ある役職にはつけないでしょうね。
最後に、ライオネル・サブリュール様は騎士団長様に叱責され、領地の一般兵見習いとして厳しい監視の元、教育し直されることが決まったそうです」
やはり詳しくは知らなかったようで、アリサ様は口を大きく開けている。
「でもまぁ、確かに先行きは不安ですが、婚約者の席が空いたのも事実。窮地の今こそ手に手を取って支え合うのが、貴女の言う『愛』なのでしょう。頑張って(?)ください」
では。と軽く礼をして他の生徒と同様に、教室へと急ぎ足で向かった。
残された面々は暫く蒼白な顔で固まり、巡回に来た警備員に発見され、移動を促されるまでそのままだったそうだ。
***
あれから日は過ぎて、あっという間に卒業式。
ヘンドリック殿下は、やっと現実が見えたのか、暫くはジョゼフィーヌ様へと「君が真実の愛だったんだ!」と追い縋ったが、各所から叱責を受けてからは、今後を見据えて必死に勉学に励み、何とか王宮文官の仕事を得られた。
シモンズ様は多額の使い込みが露見し、後継者から外されることに。頭の良さは認められていたために、卒業後は領地の補佐官として頑張るそうだ。
カルロス様は辺境伯からの影響を恐れた伯爵家から、切り捨てるように廃籍が決定し、平民として辺境伯の影響が少ない領地へと移り、兵に志願して腕を振るうらしい。
ライオネル様は遂に今年度の卒業は見送り、来年新たに最終学年をやり直す予定だとか。
アリサ様は、子爵家から呼び出しを受け、叱責を受けた。暫くは様子見をしていたのだが、変わらずに他の男子生徒へと擦り寄ろうとしたのが早々にバレて、最終的に修道院送りとなった。
最終学年で一騒動あったものの、参加が認められた生徒たちは、穏やかにこの日を迎えることができた。
白いスイートピーや薔薇が各所に飾られた卒業式は、とても清廉とした華やかさで満たされている。そんな中、最後に学園長からの祝辞を聞き、学園の講堂から前庭へと出て学友達がそれぞれ最後の言葉を交わしている。
「リリ!こっちよ!」
眩しい日差しの中で呼ばれた方へと向くと、ジョゼフィーヌ様達が、微笑みながら手招きしてくれていた。
「ジョゼフィーヌ様、ミラルダ様、ルシルアータ様。ご卒業おめでとうございます」
「ふふ、リリもね」
微笑むジョゼフィーヌ様は、最近艶やかさが増したようだ。2歳年下の公爵子息と縁談が決まり、彼の卒業とともに結婚が予定されている。
「ミラルダ様はいつ頃ご出発に?」
「そうねぇ、ほぼ準備は終わっているから、1週間後くらいかしら」
「寂しくなるわ、ミラ。行く前に最後にお招きするわね」
ミラルダ様は、結局侯爵家との縁談は破棄。お茶会で知り合った外交官と縁談がまとまり、卒業後はお相手の国へと赴く予定だとか。
「ルシィも来てくれるわよね?」
「もちろん!…良いよね?ジェフ??」
背中に張り付いた熊のような大男を振り仰いだルシルアータ様は、夏季休暇で行われたトーナメントで優勝を勝ち取った、6歳年上の辺境騎士団の実力者である背後の彼と婚約。熊のような外見と違い、すごく優しく過保護でロマンチストな彼とは相性がいいのか、ルシルアータ様のお顔はいつも幸せそうに輝いている。
「リリも来られるわよね?」
「はい。1ヶ月は準備期間が有りますので、問題ないかと」
「法務官だなんて、お堅いところだけどリリなら難なくやっていけそうよね。何かあったらお父様になんでも言うのよ?」
私の目をしっかり見つめて言い聞かせるように言ったジョゼフィーヌ様に、私は苦笑を漏らす。
私は興味のあった法務部から内定を貰っていた。
狭き門ではあったが、最後の面接で番号を呼ばれて入ると、マクガリー公爵が白いローブを纏ってニコニコと、法務大臣というプレートの席に座っていたのだ。
「あれ?大臣って面接するんだ?」と驚きで真っ白となった頭の片隅でチラッと考えたが、直ぐに面接が始まってしまい、考えはどこかへと追いやられてしまった。
面談後に一礼して部屋を退出したところで、ジョゼフィーヌ様の言葉が脳裏で再生された気がした。
『お父様に抜かりはなくってよ?』
確かに。と心底実感するに至った。
そうこうしている内に、内定をいただき、卒業後は王宮内の文官向け女子寮へと居を移し、1ヶ月後には法の番人の一員となる。
12/9 日間総合ランキング2位
12/10日間総合ランキング1位 Σ(`・□・´*)
稚拙な作品を読んでくださり有難う御座いました!
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