影
part-i
歩き続けた先は教会のような場所だった――礼拝堂といえるような立派さはなかったが、それは厳かな霊験さと確固たる雰囲気を保っている。入り口の扉の足下から生えた赤いカーペットは祭壇まで続いており、さらにその先にある壁には天然の石灰質――ちょうど鍾乳洞と同じ成分であろうそれが、自然の十字架を造りあげている。
「ミオはここで育ったんだ。施設に収容されるまでの、生まれて五年間を過ごした」
「ここで……?」
「そう。他にも四十人くらい子供たちがいた――ミオはその中でも、一番おとなしく優しい子だった。だけど、彼は誰とも触れ合おうとしなかった」
「……」
「『人は他者を傷つけずには生きていけない』。高名な哲学者の言葉だよ。ミオは誰かを傷つけるのに恐怖し、同時に畏怖した。他者に痛みを与えるなら自分に、とね」
そして数年後、ミオを残した全員が抹消された――
レーは向き直ると、アルビノ特有の紅い瞳でトモカを視た。
「いまから、きみは世界の真実を見る。かつての愚者たちが残した、『完全なる完成された世界』の真実だよ」
岩壁が欠けるような音。パキパキといっていた軽い音は、やがて重量を孕みはじめる。動いた十字架の向こうへ、再び暗い廊下が進んでいた――。
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「あちゃー。完ッ全にヤられちゃってるわね、これゃ……」
場所は艦内にある格納庫。レナは呆れ果てた表情で、自分の愛機を見上げていた。
深紅の機体〈アクトラントクランツ〉――全高二十メートルを誇る人型の機動兵器は、いまや子供の悪戯にあったみたいな様相である。もっと具体的にいうと、あちこち部品が外されていたりケーブルが飛び出していたり――果てはガムテープで『触ったら罰金百万円』とかいう貼り紙まで用意してある。小学生かよ。
レナは溜め息まじりに貼り紙を剥がしてクシャクシャ/ポイと放り捨てると、近くにいた整備員に事情を聞いて廻りはじめた。話によれば、彼らはレゼアの提案に反対したらしいのだが――ことごとく跳ね退けられてしまったようである。
(まさかこの改造、アイツ一人でやったんじゃ……)
話を訊き呆れたミオも、つられて〈アクト〉を見上げる。
これだけの作業を一人でこなしたのなら、その労働量は人間の限界を突破しているだろう――ぶっ倒れるのも仕方ない。……ってか、それ以前にヤツは人間なのか?
ケーブルが伸びきって届いた台の上、ミオは電子端末を見つけて歩み寄った。おそらくレゼアの物だろう。
「ネオバスター、……計画? なんだこれ」
勝手にページを送っていると、レナが横から覗き込んできた。
画面をタッチ/操作していくと、次々と現れる新しいプログラム、兵装、出力や重量など――は、明らかに現在のものと異なっている。
「なにこれ。機体データ?」
「……だろうな。レゼアはこれをやろうとしてたに違いない」
「ふぅん。じゃあ試験も兼ねて、ちょっとだけでもやってむる?」
ニヤニヤ笑うレナはこの上なく魅力的だったが、ミオはもう二度とこんな目で見られるのは御免だった。
「……お? なんか楽しいことでもやんのかよ」
振り返れば、イアルとフィエリアが歩いてくるところだった――それぞれやるべきことを終えて、残ったヒマを持て余していたのだろう。
連れてこられたのは〈フィリテ・リエラ〉艦内の模擬演習室――で、そこには大型のカプセル・シューターが8つ並んでいる。4人はそれぞれの持ち場に収まると機体データを転送、わずか数分後には別次元へ飛ばされていた。
「……なるほど、仮想空間か」
一面の、白。
なかば電磁的になった自分の身体を眺め、感覚を確かめるように右手を握る/ひらく。どうやら服装まで丁寧に再現されるらしく、しばらく待っていると、やや遅れて〈ゼロフレーム〉の姿が浮かび上がってきた。続けてフィエリアと、大太刀を備えた接近戦型〈ツァイテリオン〉が。
気づけばミオの身体は〈ゼロフレーム〉のコックピット内へ収められていた。
『いい? ルールと状況を説明するわよ』
どこかからレナの声が届く――まるで耳の中に無線機を埋め込まれたみたいだ、とミオは思った。フィエリアはすでに慣れているらしく、動揺みせず普段の冷静さ。
『ミオは初めてなのよね。ここは20×20kmの仮想空間――すべてがデータの移動と計算で処理されるわ。説明としては、』
「……いや。あとは自分で把握する」
『え。んー、そう?』
レナが残念がって「大丈夫かなぁ」と口を尖らせると、今度はイアルが口をひらく。
『ルールは男女ペアの2on2だ――ミオとフィエリア、レナと俺が組むことになるぜ。両機が撃墜された時点で模擬戦は勝手に終了となる、役割分担は勝手に決めてくれ』
以上、終わり――とでも言うように通信が閉じる。残されたのは無言のフィエリアと自分だけ。
「おまえたちはずっと此処を利用して、俺への戦略を練っていたのか?」
『そう、ですね……わたしやイアルはともかく、レナは頻繁に使っていました。あなたの戦闘データ/機体の特徴や動きなど、全部を頭に叩き込んでいたみたいです』
「そうか。レナは全力で俺を殺しに来てくれたんだな……」
『?』
「なんでもない。それより、誰がこんな物を造り上げたんだ?」
現在ミオが置かれている仮想空間は、これまでの技術からは考えることさえできない境地にある。近年のスーパー・コンピュータでも、半径数十メートルの小部屋を描くだけで精一杯なのに。
キョウノミヤ・シライ――と、黒髪の少女はその名を口にした。統一連合おろか、世界最高水準の科学者であり、自分たちの元上官だが……
『先の戦闘で、遺体として見つかったそうです。優しい人でした』
「……そうか」
レナの『はじめるよ――っ』という声で、二人は元の世界に引き戻される。フィエリアの〈ツァイテリオン〉は大太刀を背面から腰にかけて収め、〈ゼロフレーム〉は一気に高く舞い上がる。盾をくるりと回すと、それは変形してライフルに。
「フィエリア……」
『無論です。わたしが前衛を切りましょう』
「いや、その話なんだが――俺も前衛だ。型に嵌まったままだと実戦じゃ使い物にならないだろ?」
『むぅ。それでは私が後衛に?』
「……お前、ところどころヌケてて可愛いな。そうじゃなくて要するに俺が言いたいのは、二人とも前衛ってことだ。前だの後ろだの難しいことはナシで行く」
『ま、前だの後だの難しい体位はナシでイく…? そんな、まだ心の準備が――』
お前は一体なにを想像したんだ。
ミオは頭を抱えずにいられなかったが、諦めに似た感とともに溜め息/嘆息。
もう勝手にしてくれと呟くと、ミオは〈ゼロフレーム〉を駆って仮想空間へ舞い上がった――。
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教会を越えた場所――もともとASEEの施設だった建物の最奥部に位置するのは、広々と取られた研究所だった。いや、研究所などという甘ったれた表現では足りない何か……トモカの思ったままを言葉にするのなら、それは研究所街だった。
ひとつの建物には研究室が収められ、ストリートを挟んだ向かい側にも類似の施設が立ち並ぶ。
「こ、これ全部が……研究棟?」
「そうさ。今は使われてないけどね」
紅い瞳の少年・レーは一度だけ振り返ってみせると、笑みを含んだ表情のまま、なかでも目立って大きい施設の中へ。管理システムさえ狂っているようで、コンピュータは二人の侵入を拒まなかった。
……いや、二人ではない。三人だ。
彼らの後ろをキッカリ十胯おくれで歩いてくる、白衣を着こなした女性。
キョウノミヤ・シライがいた――。