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part-a
そこは真っ暗な世界だった。
電灯のない夜道のような、はたまた深海に至る数千メートルのような、一筋の光さえ届かぬとこしえの闇の中――ミオの意識は亡霊のように漂っていた。
(死んだのか、俺……?)
レナの深紅の機体と戦って、自分は敗れたのだ。
何度もこんなこと――あったよな、までは言葉にできず、むさしく泡となって散っていった。
でも、なんだ?
(暖かい……?)
ゆったりとした重力に引っ張られて、ミオは底に足をつけた――海底はごつごつした岩場に覆われていて大小バランスが悪く、しかも尖っているために痛みを分け与えてくる。
ミオは無言のまま歩きだした。
己の心の奥深く、無意識の海とも呼ばれる領域へ。
音さえ無い――
光さえ無い――
(……これが、俺の中だっていうのか。寂しすぎるだろ、こんなの)
――雪が降りはじめた。淡い緑色の光を宿した、まるでぼたんのようにふわついた雪である。いわゆるマリン・スノーというやつか、とミオはぼんやり思った。
さらに先を行くと、
(……誰だ?)
光が視えた――それはトンネルの出口のような明るさとは異なる、人の姿をした影のようだった。大きさは幼児くらいしかなく、身長に至ってはミオの半分くらいしかないだろう。
吸いつけられるように近寄っていく。
子供は誰と戯れるわけでもなく、ただそこに立っていた――身長に合わない大きさの乳白色のローブをまとい、傷だらけになった足で、ずっと此処に居たのだ。
(コイツ……昔の俺か?)
ミオへ反応したように、少年はゆっくり振り向いた――その両手には緑色の淡い光がいっぱいに溢れている。
(おまえ……ずっと此処で、この光を集めてたのか?)
ミオが訊ねると、男の子はうなずいて両手を差し出してくれる。
(……俺に?)
また頷くと、男の子はちょっと照れたみたいにはにかんでみせた。淡い緑光はミオの手のひらへ移ると、まるで蒸発するように天へ昇ってゆく――。
(ぼくのしあわせを――)
ミオは光を見送った。
(――きみに、あげるね)
……ここは俺の記憶と心の深淵なんだ。
いま目の前にいる少年は、幼少期のミオ・ヒスィそのものだ。ちょっとぼんやりしていて、身長が低くて、いつもボロボロの衣服をまとっていて――。
そうか、とミオは察した。右手を見る。その手のひらは、年齢からは想像もできないような皺が幾重にもわたっていた。
「たしかに俺の優しさは……いや、優しかったハズの自分は、此処に居たんだ」
心の奥深くで、ずっと――それこそ永い眠りへついたように置かれていたのだ。それなのに俺は、いつも無口なフリを装って、冷酷なフリや無関心を装って――。
「そうやって、表面上の自分を演じなきゃならなかったんだ。俺は……強くなきゃいけなかったから」
薬物を投与されて、少しずつ何もかも壊されて、自分の身体がクローンだと知って……心を閉ざしてきてた。そうしなければ、俺は心の奥を護ることができなかったから。
ミオは男の子の身体を抱き寄せた――過去の自分はどぎまぎして目を白黒させるが、ミオはお構いなしに細身を引き寄せる。
「でも、もう大丈夫だよ……おまえが護り続けてきた優しさは――俺がしっかり護ってやるから……っ。こんなところで痛みに耐え続けて――自分を傷つけても護ってきた優しい想いだけは、絶対に無駄にしないから……っ!」
緑色の淡い光が、弾けるように一斉に舞い上がった。
意識はそこで途切れる――。
目が覚めると、そこはどこかの一室だった。病院を思わせる閑静さと柔らかい匂い、自分の体温で暖かくなったベッドの中が異常なまでに心地よい。
(どこだよ……ここ)
ミオは起き上がった。
ひどい頭痛と腹痛がするものの、身体は自由に動かせるみたいだ――まるで病み上がりのように意識が朦朧としたが、ミオは壁に手をついてようやく立ち上がる。
(部屋というより、小屋みたいな場所だな)
なにか武器になるものはないかと思ったが、ミオはすぐに諦めた。敵地ならばそう言えるものの、助けてもらったのなら不謹慎だからである。
小屋のなかにはミオをおいて誰もいなかった――木製の戸を押し開ければ、ここが離れ孤島であることがわかった。高台の下では、波が岩場にぶつかって砕けつつある。
(……)
反対側をみれば、青々と広がる森がある。ミオの脚は、誘われるようにその方向へむかった。森の中心は静まりかえっていて、うねるような風の音がついてくる。
(湖……?)
まるで鏡のような湖面をみて、跳ね返る光に目を細める――その先に水浴びをしている人影を認めて、ミオは木の幹のうしろに隠れて息をひそめた。
(人? こんなところで――)
「……誰?」
(! 気づかれたっ!?)
十数メートル先で、ザザ、と草むらを掻き分ける音と何かが疾風のように駆ける音。こっちへ来る!
ええい仕方ない、とミオも反対方向へ走ったが、情けなくも足が絡まって転倒。仰ぐように振り返った先、少女は自動拳銃を握った手でミオを照準していた。
「……目が覚めたのね」
「お、おまっ――、その格好!」
ミオは両手で視界を覆って赤面し、バランスを崩した挙げ句もんどり打って「ぐへっ」とかいいながら起き上がる。
少女は一糸も纏っていない――直接的にいえば素っ裸の状態で、黒い銃身をこちらに向けていたのである。
「な、なんで全裸なんだよっ!」
「? ……気にすること?」
「するだろ普通はっ、レゼアとかバカなら話は別だ――ってそういう話じゃなくて!」
「……そう」
少女は恥じらう様子もなく踵をかえし、岩場の上で着替えはじめた。
「わたしが誰だか、わかる?」
もと来た道を帰る途中、少女は唐突に問いかけた。彼女は森の(安全な)道を把握しているらしく、少なくとも野生の熊とは遭遇せずに済んだ。
ミオはどぎまぎしながら、
「……わかるよ、今なら」
「知ってるのね」冷たい、硬質な口調。
「思い出したんだ、自分が何者か――そしたら、それと一緒にお前のことも思い出した。俺たちは二人とも『レー』の複製物で、一緒の時期に産み落とされた」
「……」
「そして同じ施設に収容された。そこには何人もの子供たちがいたけど、最後まで生き残ったのは俺とお前だけだっていうことも」
少女は再び無言をつくった。
いつかみた夢のなか――月に照らされた夜のグラウンドで、ミオの後ろに立っていたのは紛れもない彼女だったのである。
「そうだろ、フェムト?」
「……正解よ。幾つかを除いてはね」
小屋の前まで辿り着いた。軋む音とともに扉をあけると、フェムトは「入って」と告げる。部屋はさっきも見たのと同じく簡素で質素、無味乾燥な造りだ。
ベッドの上へ腰かけると、フェムトはカップに熱いコーヒーを淹れてくれた――ミオは一口すすったが、我慢できなくなってむせこむ。
「水にする? 病み上がりには苦しかったかも」
「あぁごめん、そういうワケじゃないんだが。どうもこういうのは苦手なんだ」
「……ガキ」
「なんか言ったか?」
いやべつに、と無表情のまま受け答えて、フェムトは流し台のほうへくるりと反転。なんだか心に突き刺さる一言を感じたが……おそらく気のせいだったんだろう。
ミオは気を取り直して、
「俺、どれくらい眠ってた?」
「五日。でも、朝がきたから六日目。身体のほうは?」
「問題なさそうだ。昔から傷の回復が早いからな」
シャツの脇腹の部分を捲ると、醜い傷痕が何本も縦横に走っていた――それら全部が、あの衝撃で突き刺さった破片なのだろう。よく生きてたな俺、と思うのと同時に、自分の幸運に驚愕した。
「〈アクト〉のパイロットは表彰されたわ。それも国家クラスを超えた階級彰」
「レナが……? そうか、俺を討ち取ったんだもんな」
感慨深げに言って、苦笑する。
思うと、ミオは複雑な心地をおぼえた。自分が死んだことで誰かが喜ぶなんて――それに、ミオが生きていたなんて知ったらレナはどんなカオをするだろう。
「ASEEは?」
「事実上では壊滅した。『オペレーション・トロイメライ』――それが全貌よ」
フェムトは短い言葉で区切りながら、説明を続けた。
地球規模での掃討作戦……世界中のASEE基地が同時に攻撃され、反撃まもなく壊滅させられたとか――あまりにも呆気ない話に、ミオはぐうの音もでなかった。
とにかく、今はASEEが無くなったという事実さえ把握できれば満足である。
ミオが眠っているあいだに、世界の情勢は大きく反転してしまったらしい――ASEEがなくなって、宿主を喰い破るようにセレーネという組織が台頭してきたことも。
「レーっていうのは……俺たちの真祖は、そこにいるんだな?」
「ええ」
「場所とか、わかるか?」
「特定はできない。ただ、組織のなかに組み込まれているのは確実」
「そうか……まぁどのみち、アイツは俺の前に現れるだろうけどな。それとフェムト、おまえが言ってた『ひとつを除いて正解』っていうのは?」
いうと、少女はまごついたように口をつぐんでしまった。いきなり話を振って悪かったかな、と思いつつ、ミオは考え込むその横顔を見つめた。
どこか硬質で表情に貧しい――しかし綺麗に整った顔立ちである。性別や体格こそ違えど、そこには自分とそっくりな少女が座っているのだ。ミオはなんだか不思議な気分に陥った。
当たり前じゃないか、同じ人間からの複製なんだからと自虐的に思っていると、フェムトは押し入るような口調で、
「実は、わたしはレーによって出来た複製じゃないの」
少女は、すがるような眼でミオを捉えた。
「わたしは、あなた――ミオ・ヒスィのクローンなのよ」
次話、予告――
レーの複製だと思われていた少女・フェムトは、なんとミオのクローンだった…世界の暗闇と深淵で、何が起こっている……?
一方、再びレゼアと再開するミオ。彼が新たに得た力は――。
次話。N7023G[E]、『これから』