心残り
part-h
「そう、あなたは彼に会ったことがあるハズよ。クリスマスの夜、ロシュランテで」
キョウノミヤは後ろ手を組んで、周囲をぐるりと歩き回った。レナは艦長室の真ん中で硬直したまま、両腕をわなわなと震わせる。その顔には信じられないという拒絶の念と、やり場のない当惑が浮かんでいた。
レナは目をこすって、もう一度カードを注視した。IDパスの写真部分には、以前見たことのある少年が――冷淡とも思える表情で写っている。
名前はミオ・ヒスィ。あのクリスマス、少年が名乗っていたのと同じ名前。同じ顔。
がっくりとうなだれて、レナは言った。
「なんで……よりにもよって、彼が『彼』なんですか」
「それは、」キョウノミヤは近くにあった飲みかけのカップを引き寄せて、
「それはわたしにも分からないわ。ただ……彼が敵であったことは確実、そして死んだことも事実」
レナは泣きそうになるのを堪えて、キッと上官を睨んだ。
そう、敵はレナが討った――そして殺したハズだ。しかし、あの少年が〈オルウェントクランツ〉のパイロットだと知っていたら、自分はそれでも敵を討っただろうか?
レナは問いを否定することも肯定することもできなかった。
――どうしていいか、わからない。
敵は北極戦線で幾多の人命を奪った。それこそ千人ちかい人間が、あの一機のために死んでしまったのである。
……敵は討つべきだった。
しかし、あのパイロットは――クリスマスの夜、弱々しく笑んでいた少年は?
……討つべきではなかった。
ふたつの疑念が紅茶とミルクのように、奇妙な螺旋を描いて混ざりあった。キョウノミヤはチラと視線を向けてきたが、すぐに資料書の山へと目を戻す。
「この件は本部へ伝達しないわ。安心してとは言えないけど……」
「それでいいと思います」
「レナ?」
「いろいろスッキリしましたから」
弱々しく笑んでみせると、キョウノミヤは本当に申し訳なさそうな表情をした。
(そう。考えてる場合じゃないんだ、今は……)
レナは腕を組んで、
「ところで、あたしたちはこれからどうすればいいの? 艦内もメチャクチャだし、充分な戦力も確保できてない。戦線に立つのは危険です」
「とりあえず本艦は統一連合本部・北米基地を目指すわ」
見計らったように部屋の入り口が開いた。姿を現したのはフィエリアとイアルの二人である。イアルは「あー、疲れた」とか言いながら、上着を椅子の背もたれに投げ掛けた。
「応急処置と手伝いだけしましたが……どうやら向こうは落ち着いたみたいです」
「あなた、痣だらけよ?」
「わたしより酷い怪我人もいたので」フィエリアはちょっとはにかんだ。その頬にも、紫色をした内出血の痕が浮かんでいる。
キョウノミヤは言った。
「レナには説明しようとしたんだけど、ちょうどいいわ。我々は統一連合本部・北米基地を目指します。そこで補給を受けられるハズよ。それと――」
「どうしたんですか?」
キョウノミヤはしばらく峻巡して、思いきったように口をひらいた。
「わたしはこの艦を降りることになりました」
間が空いた。イアルが口をひらいて、
「じゃ、どこに配属することになるんだ?」
「それはまだわからないわ。とにかく、あなたたちと会う機会はなくなってしまうでしょうね。大規模な人員異動令なのよ、仕方ないわ」
「前線はあたしたちに任せてください!」レナが胸を張って言った。
キョウノミヤはニコリと笑んで、
「そうなるでしょうね。あなたたちがいれば百人力よ。――ボロボロだけどね」
気づけば、キョウノミヤとイアルやフィエリア――もちろんレナも含めて、みんなヨレヨレの姿だった。
みんなで笑った。
part-i
「、んん……」
部屋中に響き渡る電子音によって、レゼアはまどろみの中から解放された。白くぼやけた夢が風船のように弾け、伸びをすると鼻を抜くような声が出てしまう。
レゼアは上半身を起こして、時計のアラームを停めた。時刻の針は午前七時ちょうどをしめしている。
「今日もいい天気だ」
手鏡を覗き込むと、ストレートヘアが軽くパーマをかけたみたいになっている。櫛で髪をすいていると、今度は部屋をノックする音が届いた。
『着替えと朝食のサービスは要らんかね?』
「あぁ、お願いしよう。この身体にも、そろそろ慣れないといかんな」
クラナのドア越しの声に応じて、着替えを手伝ってもらうと二人は部屋を出た。レゼアはいつもの車椅子で、女性用のスーツ姿である。一方のクラナはダークスーツで長身が映え、なかなか様になっていた。
洋館かホテルのような場所である。廊下には絨毯が隅まで敷かれていて、大理石のホールを抜ければ大広間だ。そこではバイキング形式の朝食が振る舞われていて、二人は隅の席へついた。
クラナは小型の電子端末をいじりながら、
「昨晩の報道だよ。大見出しがついてる」
「なにが出てるんだ?」
「統一連合軍、世界中7基地で襲撃される――おそらくはまた《セレーネ》の影響だろう。報道機関はASEE残党を疑っているがね……、と」
「どうした?」
クラナの金色の瞳が、小さな画面の一点で停まった。折りたたみ式の端末をくるりと向け、レゼアは綴られた記事に目を通す。
「なになに、ASEEの一部が蜂起……だと?」
「もう行動を開始してるらしい。行動派を集めて、再び戦争を吹っ掛けるつもりだろう」
「まさか。もう戦争は終わってるだろう」
「そんなことで、戦いは終わらんということだよ。奴ら、最後の一人になっても武器を取るだろう」
レゼアは唇を噛んだ。クラナは頭の後ろへ腕枕をつくると、片目をつぶったままその様子を窺う。その悔しげな表情を見てから、彼女はサンドイッチへと手を伸ばした。
「……ミオが見たら、何と言うだろう」
「あん?」パンの具を落としかけて、クラナはひどく間の抜けた顔になってしまった。えぇい、ここは3秒ルールの適用である。
対照的に、レゼアの表情は暗い影を落としていた。
「ミオがいたら……何と言うだろう、何を言ってくれるだろう。はたまた、何を思ってくれるだろう? 最近、そんなことばかり考えてしまうんだ……」
「……」
「アイツは戦争だの平和だの、まったく興味を持たなかった。ただ戦う場所があれば、それ以外なにも感じないヤツだった。自分を、まるで戦う道具みたいに。でも、今だったら何を言ってくれるんだろう? って思ってな。きっと、何か違うことを言ってくれる気がするんだ」
「彼を好いていたのかね?」
ほんの少し峻巡したあと、レゼアは頬をほんのりと染めて、
「最初はなんとも思わなかった。変なヤツと組まされたとも思った。わたしのほうが年上だったから、何度も尻に引いてやったさ。本当に尻に引いたことだってある」
昔のことを思い出したようで、彼女はくすりと笑った。柔らかそうな口元が魅力的すぎて、クラナは窓のほうへ慌てて目をそらした。
「ミオが本当に死んだのか、わたしはいまだに信じられないんだ。いつまでもこんなことを引きずって、情けないな……わたしは。さて、話を本題に戻そう」
レゼアが無理に明るい表情をつくろうとしているのは、クラナにとってはお見通しの事項だった――が、今さら話をぶり返す必要もないだろう。
コーヒーカップに唇をつけて、レゼアは一息ついてから言った。
内容はこうだ。ASEEと統一連合の戦争は終結を迎えたのに、再び火の粉を降り注ぐ勢力があらわれた。それが《セレーネ》である。《セレーネ》は無人機を戦力として用い、統一連合を強襲しはじめている――その力の差は圧倒的で、統一連合は手も足元でないまま壊滅に追いやられていた。
「新種のコンピュータ・ウィルスが見つかったそうだ。データを『喰う』タイプのね」
「ウィルス?」レゼアが真顔で訊いた。
「『チート』って言葉を聞いたことがあるかね?」
「なくもない。ゲームなんかに登場する、違法改造コードのことだろう?」
「あぁ。それに良く似たものだそうで、このウィルスはデータを喰うことで成長する」
「そんな馬鹿な……」
「事実だよ。研究所は対策に奔走してる」
とんでもないな、とレゼアは思った。指先をあごに宛て、深く思案する。
そんなウィルスデータが広まってしまえば、世界はたちまち混乱に陥るだろう。
ある点が閃いた。
「まさか、《セレーネ》の連中は――?」
「大当たりだねぇ。自己修復能力は、すべてそのウィルスによるものだそうだ」
「なんてことだ。それじゃ、わたしたちは彼らに勝てないということか」
「そのために『ゼロフレーム』があるのでは?」
クラナは意味ありげに、ニッと笑ってみせる。彼女は小型画面を指でコツコツ叩いて、
「パイロット候補が一人、見つかったそうだ」
いまだにミオの死を振り切れないレゼア。彼女たちの向かう先は、果ては「見つかったパイロット候補」とは……?
そして統一連合軍本部・北米基地へ入港するレナたち一行。ほんのつかぬまの休息を得る彼らと、とつぜん訪れる別れ。
次話、『陽の光、揺れる光』