EXPECTATION
EXPECTATION
ミオの身体は浮いていた。いや、沈んでゆくように浮いていた――というのが正しい表現だろうか。暗闇のなかを、ふわふわと漂っている。
わずかな力を振り絞って瞼をひらけば、そこは一面の蒼、蒼、蒼――。どうやら自分は海のなかにいるらしく、水面のある方向からは太陽の光が淡く、ゆらゆらと揺れ差している。
(どこ、だ……此処……?)
息をしようとすると、喉から大きな泡がゴボゴボと逃げ出していった。不思議と苦しくない――それも当然だよなと思い直して、ミオは自嘲気味にわらった。
――俺は、今度こそ死んだ。
散ってゆく自我を抱きしめながら、ミオは別れを告げる。
(さよなら。ザマミロ、俺)
最期を示す特大の鼓動を感じたあと、ミオの意識は海の底へと引きずりこまれた。
苦しくなんて、ない。だけど、不思議な寂しさが、胸の奥で広がっていた。
part-b
フェムトが報告を寄せてから、すでに六日が経過していた。捜索を続けさせてはいるが、ミオは一向に見つかりそうもない。機体の破片だとか部品、その他もろもろは回収されたが――レゼアにとっては皮肉としか言いようがなかった。
(ミオ……本当に死んでしまったのか?)
何十と繰り返した自問を、再び問うてみた――だが答えは確定している。
ミオは死んだ、そして自分はそれを信じたくない。たったそれだけだ。
そのとき合間を縫ったようにドアが軋んだ。姿を現したのは背の高い女、クラナである。レゼアのボディガードとして雇われた彼女は、いつの間にか秘書としての仕事もこなしていた――そのぶん別給料を要求されたというのは余談だが。
「いま、いいかね?」
クラナは独特な口調で言うと、机の上へ3枚の資料を広げてみせた。ミオの報告か――と期待したレゼアだったが、申し訳ないね、とクラナは首を横に振った。
「いま入った報告だよ。世界各地で、また紛争が勃発しているらしくてね」
「ASEEか?」
「いや。ASEEは戦争に敗北したんだ――そんな力が残っているとは考えられない。重要なのはこっちだよ」
クラナは二枚目の資料中段、カラー写真を指さした。ロゴこそ見つからないが、そこにはOSとおぼしき文字が羅列している。レゼアは頭文字を拾って読み上げた。
「《セレーネ》……?」
「虜穫された機体のOSだよ、わたしにはよくわからんがね。無人機だったらしい」
「なんだと?」
レゼアは眉をしかめた。
話によれば、統一連合の中核あるいは基盤となる幾つかの基地が、同様の襲撃を受けているらしい。突然あらわれた敵に対し、基地は反撃さえままならぬまま為す術もなく破壊されていったとか。なかば信じがたい話だが、レナは資料を睨んだまま唸る。
「それで、戦力というのは?」
「百機かそれ以上。それぞれ、だ」
「バカな。それだけの軍勢が、とつぜん現れたというのか?」
「あぁ、自分の目で確かめたワケではないがねぇ。話はここで終わらない」
クラナは一息おいて、
「ヤツらの一部は自己修復能力を持っていたそうだ」
「な、なんだと!?」
これがその証拠だと、クラナは次の資料下段――ブレた写真を示した。
なんだ? と訝しんだが、それが何を表しているのかを理解して――レゼアは息を呑んだ。
「信じられない……!」
機械が、機械を喰っていたのだ。狼のような形の兵器がガバリと口をひらいて牙を剥き出しにし、別の小さな兵器を噛み砕いている――獣が生肉を喰いちぎるかのように。
その仕組みは、いまの自分の力では解明できそうになかった――が、この写真にはおぞましい、禁忌のような作為さえ感じられる。
レゼアは強く奥歯を噛んだ。
自分の身体に自由があれば、己の目で確認することも不可能ではない――しかし、今の自分にはそれがない。
突然あらわれた大量の敵勢力。ありもしない自己修復能力――謎が深まってゆく。
彼女は毅然とした口調で、
「どうやら世界は正軌道を失っている。歯車が壊れる前に調べるぞ」
いまは自分の、自分にできることを。
part-c
洋上を進む〈フィリテ・リエラ〉のなかで、レナは舷からの眺めを見渡していた。その様子はどこか落ち着きのないものだったが、気を咎める者はどこにもいない。
――アイツ……無事なのかな。
脳裏を余切るは一人の少年の顔だ。炎に喰われる街のなかで照らされた、どこか寂しげで――物憂げな表情。連絡が取れなくなるのならアドレスでも入手しておけばよかったなと、淡い後悔が追ってくる。
――ミオ・ヒスィ。
名前を思い出すだけで、レナの顔が強く火照ってきた。
(……でも、だめね)
レナは私用の携帯電話を握る力を弱めて、再びポケットの中へしまい込んだ。戦時下においては役に立たないシロモノで、入軍してからは使ったためしがない。軍の強力なレーダーや通信妨害、あるいは報道機関からの違法電波が邪魔をしているのだ。
問題はそうじゃないのよね、とレナの表情は影を落とす。
自分はあくまで軍の人間だ。平気で人殺しを行う場所に所属している――なんてことを知られたら、彼はレナのことを嫌うだろう。そうに決まっている。
「おーい、こんなトコにいたのか」
振り向くと、イアルとフィエリアが並んで歩いてくるところだった。
「あんたたち、仲いいの?」レナが冷やかし気味に言うと、
「……誰がこんなヤツと」二人は同時に、うんざりした口調で言った。
イアルは「あぁ!? なんだと――」と威嚇してみせたものの、腕っぷしではフィエリアのほうが強かったらしい。気づけば全身傷だらけの状態で、隅で小さく丸まって「……暴力反対」と復唱している。
両手をパンパンと払って、
「誤解は困りますね」フィエリアは撫然とした態度で、フンっと鼻を鳴らした。
そんな光景を目の当たりにしながら、レナは再び窓の向こうへ視線を走らせる。
機動艦〈フィリテ・リエラ〉は、統一連合軍の本部が置かれている北米基地へと針路を寄せていた――細かい理由ならば多く挙げられるが、大まかな理由は『戦争終結』と『その清算』だろうか。
前者はひどく単純で、もう戦わなくてもいい――と、それだけのことだ。選びさえすれば、レナは軍から身を退くこともできる。しかし厄介なのは後者で、『清算』には複雑かつ煩雑な動きを伴う。戦争を犯したものの罪を裁き、多くの死者を生んだツケを支払い、そして『これから』のことを考えるのだ。
「……戦争を起こした者、ね」
自嘲気味な思いに駆られて、レナは小さく呟いた。
〈オルウェントクランツ〉の奪取――第六施設島で起こった事件が戦争の発端だったとすれば、その犯人は明確だ。そいつはレナにとってライバルのような存在だったが、今度こそ死んでしまったのである。レナがこの手で討ち取ったのだ。
怪訝そうな表情で見つめられて、レナは「なんでもないよ」と首を横に振った。
端末が鳴る。電子音が子気味よく響いた。
真っ先に気づいたのはイアルだ。腫れ上がった表情を真剣なそれに戻して立ち上がり、
「キョウノミヤが呼んでる。行こうぜ」
艦長室に駆けつけたとき、キョウノミヤは資料に目を通している真っ最中だった――彼女は走ってきた3人を振り返るなり、やや安堵した様子で立ち上がる。
「急にどうしたんだ?」イアルが問う。
「ちょうど良かったわ。いま、本部から連絡が入ったの――文字通り緊急よ」
キョウノミヤは資料書を手渡した。重要な連絡には紙を使う、というのが彼女の持論らしく、些細なことでなければ端末には送ってくれない――普通の人間とはセンスを異にしているのだろう。
イアルは「ちっ、遅れた文明の利器だぜ」とぼやいたが、資料書を見て驚愕をあらわにし、その場で凍りついた。絶句――。
「こ、これは……っ!!」
レナも息を呑んだ。
北欧戦力として中核を担っていたオーストリア基地、南半球の主力オセアニア・ベース、アジアを中心に取り囲む包囲網が連続して突破され――壊滅したという。どれも統一連合の主力基地であることは疑いえないが、
「そんな……、どうして……?」
戦争は終結したハズだ。それなのに、なぜこんな打撃を受けなければならない?
キョウノミヤが切り出す。
「第三勢力……わたしたちは、かつて一戦を交えたことがあるハズよ」
「あぁ。無人機がワラワラってヤツらだったな」イアルが即座に応じる。
「そう。次のページを見て」
レナは項をめくって愕然とした。
敵戦力は数百の軍勢を為して基地を襲い、それこそイナゴの強襲みたいに無差別攻撃を仕掛け、あっという間に壊滅へ追いやったとか。基地は抵抗する間もなく、されるがままに――だいたい想像がつく。
ひでぇ話だぜ、とイアルがうなだれた。レナは指示も待たずに、すぐに次のページをめくった――飛び込んできたのは自己修復能力の六文字で、信じがたい写真も載せられていた。
機械が機械を喰って、与えられたダメージを回復したという話である。イアルは「作り話なんじゃねーの?」と言いたげな顔をしていたが。
それまで黙っていたフィエリアが口をひらいて、
「でも、キョウノミヤ。こんなことは有り得るのでしょうか? 機械が機械を喰らって修復を施す、などと」
「ありえないし、信じたくもないわ」キョウノミヤはキッパリと言ってから、
「ガセ情報か冗談の一人歩きだと信じたいわね。でも事実なら受け止めるしかないわ」
「……で。俺らはこれを見せられて、どうすりゃいいんだ?」
「とりあえず我々は本部を目指し、いち早く戦列に加わります。本部が《セレーネ》に強襲されるより前にね」
「くそっ、俺らは結局手先かよ」
「この襲撃事件、まだ公にされていませんよね?」フィエリアが冷然と問う。
キョウノミヤは頷いて、
「公式発表はされていないわ」
「……ということは、非公式の情報は漏洩しているようですね。世界にバラされるまでは時間の問題でしょう。その前になんとかしないと」
再び頷くと、キョウノミヤは疲れたように吐息した――こんな大惨事が露呈されれば、再び戦争勃発という最悪の事態も考えられなくもない。今度は《セレーネ》対《統一連合》の図式が浮かび上がる。
終わったばかりなのにと、レナもうんざりとした不満を隠せなかった。
艦長室全体がしんと静まりかえった――他のみんなは三者三様、受け止めているのだろう。もちろんレナも、それと同じ気持ちだ。
再び戦争の悲劇が起こるなら、自分たちはそれを断ち切らなければならない。
「――っ!?」
不意に警戒アラートが鳴り響き、キョウノミヤは弾かれたように大型モニターを仰いだ。画面が赤く明滅し、増殖したウィンドウが幾つも広がってゆく。
「どうしたの!? 何が――」
『〈フィリテ・リエラ〉第一種戦闘配備へフェイズ移行。警戒レベルS[最高に危険]発令、居住区と管理区域の隔壁を閉鎖します。乗組員は速やかに――』
AIの独特なカタコト口調が飛び出し、今度はオペレータ女子の声が飛ぶ。
『キョウノミヤさんっ! 右舷前方、中距離から敵接近……こ、これは――』
「なぜ気づけなかったの!? 敵の数は!?」
『わかりません、索敵半径内に突然あらわれました! 数は15……26、55……さらに増えていきます――もう数えきれません!』
キョウノミヤの顔から、さっと血の気が失せた。彼女だけではない――この艦長室にいる全員が、おそらく敵の正体を予測できたであろう。
――《セレーネ》。
レナはごくり、と生唾を飲んだ。
待ち伏せされたのか、それとも単に出くわしてしまったのかはわからない。だが、敵が危険であることは重々承知している。
「三人とも、頼むわよ」
頷くと、イアルとフィエリアが真っ先に飛び出してゆく。それに続こうとしたレナを呼び止めて、キョウノミヤは言った。部屋を取り囲むような十二台のコンピュータが、それぞれ静かな唸り声をあげている。
「終わったら渡すものがあるから、わたしのところに来て頂戴」
レナは強く頷いて、自らの愛機へと急いだ。
~6/14:時間通り投稿完了。
それでは予告。
予告
不意に出現する敵――数え切れない無人機たち。それは快晴の空を漆黒に埋めるほどだった……。
キリがない。
(そう、あたしは此処にいる。此処にいることを、感じる……!)
覚醒。羽根ひらく深紅の機体〈アクトラントクランツ〉だったが――。
次話、N7023G『E』、暗雲。よろしくおねがいしますー。